今朝、体調が少し悪かったので10時頃起きたのですが、起きるや否やケアレ・スミスから電話。
それもいきなり「御影土の黒白赤と手ロクロを送ってくれ!!」との事。
書の道を学ぶために学校の寮で生活し、明日の米代にも不自由してる人間が何をするつもりかと尋ねると、
なんか土日曜日の夕方なんかに細々と七輪陶芸をやりたくなったとの事。
今頃の若者とは思えないシミジミとした孤独感・・・・余程金に困っとるのかな?
七輪と炭の準備はできるけど、陶土やロクロの手配は全くワカランと言うので、
今日はキツイので明日送ってやることにした。
そこで私はふと考えた。前回の記事を読んでここは何とか自分の出番だと勝手に思い込み電話???
久しく工房にも出入りしてない私を否応なく土に触れさせる新手のハッカーならぬハッパカケ????かと疑ったが、
これほど手の込んだ事をたくらむほど頭は良くない(笑)
書道以外のいろんな美と言うものに興味があるらしく、今年の夏もアルバイト先のシェフに誘われて、
もちろん費用もお世話になって、沖縄の窯元の窯出しの手伝いに行ってきたらしいのです。
10年程前に私が友人と七輪陶芸を始めた頃、まだ小学生の4年生だったスミスは全ての行程を目の当たりにしているし
その炎の美しさにも魅せられていました。その当時の炎と魅せられた緋色が一人で再現できるとは
思えませんが、試行錯誤してどこまでできるか楽しみです。
それとも気が変わって近くの堤防でチヌでも狙ってフカセをしているのが落ちかな(爆)
昨日は病院ハシゴ三軒!!
昨日のうちに四軒済ませたかったが、午前中でヘタれ込んでしまった。
もう一軒はまた別の日に回すことにした。
ところで昨年三月に紹介状持参の大きな病院で「血栓塞栓性肺高血圧症」(三つめの難病)が見つかってから、
主治医から体を使わない静かな生活を送るように指導を受け、昼間一人で続けている。
他人様からは「うらやましい!」などと揶揄もされるがこれもなかなかつらいものである。
やはり人間には自分が生きている証しが必要である。
それは生物学的に生きている命と言うよりは何か生き生きと活きる、あるいは
必要とされていると言う感覚である。
そこで肉体の限界と心との折り合いをつける必要が生じてくる。
それは実際には人に必要とされるようなレベルではないが、軽い散歩であったり
気分転換のコスモス鑑賞であったりする。
そしてその残されたかすかな筋肉や体力を少しでも維持するために先生の指示を破って
時々努力もしています!と言うつもりで初めてお話しした。
日頃、無表情で無口で穏やかで静かな先生の顔色が変わった。
「それはいけません。止めてください。」との事だった。
そこで「一生テレビの前にじっと座っているのもつらいので、いつか回復した日のために、
筋肉と体力の・・・・・・」
「これ以上回復することはアリマセン。今の状態よりもよくなることはないのです。
だから静かに今の状態をいかに長く維持するかなのです!!」
穏やかで静かな先生だが質問にはハッキリズバっと答えられる。
これまでもそれらしき理解はしていたが今回はハッキリと自分の状態が認識も納得もできた。
かといって、このまま引き下がるつもりもない。
最終的に自分の人生の質(QOL―Quolity of Life)を決めるのは己しかいないのだ。
限界ギリギリまで心と体の折り合いをつける微妙な試行錯誤の境界線探しは続く。