新聞を読んでいたら、その日の書評欄に載っていた。
たまたま息子がアマゾンに本を注文するから、宅配を受け取ってくれとお金を持ってきたので、
追加してもらったら、代引き手数料を出させられた。
ただ、本を読むと車の運転に似たどうしようもない疲労が残るので、
雑誌の写真を見る程度に留めておいたが、新書版で面白そうなので買ってみた。
ここ数十年タモリの番組などほとんど見た事はなかった。
ただ昔のイグアナのモノマネや4ヶ国語麻雀の時代は欠かさず見ていた。
番組の司会の時代からその後はほとんど・・・。
時々正月のお笑いビッグ3ゴルフで黙々と自分のペースでやっている姿は見ていた。
外国語禁止ホールなど違反するはずもない。もともと何もしゃべらずプレイしているのだから。
たけしとさんまがワーワーやってるだけ。それでもこの3人を並べる感覚が不思議な気がした。
(正直、やすきよの時代から何年間この3人がテレビの画面を占拠してきたのだろうか?。)
そしてタモリの最近の姿はNHKで古地図を持って現在の街の姿から江戸時代の姿を想像したり、
道の勾配を子供のように楽しそうに生き生きと解説する姿・・・・この差はなんだと思ったものだ。
絶望大王と呼ばれる所以か?? 俯瞰の帝王(造語)とでも呼ぼうか?? 諦念大王(造語)とでも呼ぼうか??
それ以来、少し興味を持ってタモリという人間を見ている自分がいた。
内容のほとんどが「笑っていいとも!」に「ビートたけし」や「明石家さんま」の話なのだが、
「はじめに」の部分で、この本は人を笑わせることの難しさを説く中で、お涙頂戴ほどこの世で
簡単で低俗ななやり口はないと言う。「貧乏・動物・子供・不治の病」を出しさえすればよいと言う。
私も映画の感動的なシーンに「動物・子供・病気」を使うのは反則と考えていたことと一致している。
次にタモリと久米宏がよく似ていると言う。これも私も同じ考え。歳も一つ違い。共通項を挙げている。
①早稲田大学
②サユリスト
③帯の生放送番組をしている(していた)。しかも長寿番組
他数項目
私は最近、久米宏がある番組で家を出る時に久米宏を脱いで出ていた。
番組内でもし自分が思ったことを話したら10分で首になると話しているのを聞いた。
そういう意味でも相当の諦念の覚悟が似て感じられた。
余談であるが、私は久米宏と筑紫哲也の時代を懐かしむ一人である。
お笑いの時代も花菱アチャコは生で見ていないが、松竹新喜劇の藤山寛美から
吉本新喜劇の岡八郎・花紀京の時代、実力的には断然抜きん出ていたやすし・きよしの時代。
それから「俺たちひょうきん族」の時代と欠かさずに見ていた。
その私がタモリのMC時代をほとんど見ていなかったから、
「究極の諦念大王」に出会えなかったのが残念である。
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