A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

グラミーに連続ノミネートされたアダムスにレコーディングの機会を与えたのは新興Palo Altoだったが・・

2015-01-14 | PEPPER ADAMS
Urban Dream / Pepper Adams

昨年、西海岸ベイエリアを中心に活動していた、ジャズの研究者、教育者でもあったHerb Wong氏が亡くなった。

Herb Wong, leading Bay Area jazz expert, dies at 88

彼はもともと米軍放送でDJをやっていたそうだが、除隊後は地元サンフランシスコでFM局を作り、好きなジャズを世に広める活動をしていた。ジャズアルバムのライナーノーツにも彼の名前を見かけることがある。
さらに、地元で開催されるモンタレージャズフェスティバルの運営にも貢献し、80年代には自らもプロデュースに参加したアルバムを作るため、Palo Altoレーベルを創設し100枚近くのアルバムをリリースした。

このレーベルが立ち上がった時、そのカタログは無名のビッグバンドなどが中心であったが、次第に当時人気のあったリッチーコールのアルバムなども作られるようになって注目された。その中にペッパーアダムスのリーダーアルバムも一枚あった。これがアダムスにとっては、Museに残した2枚のアルバムの続編になる18枚目のリーダーアルバムとなった。

Museでの最初のアルバム”Reflectory"が1980年のグラミー賞にノミネートされたという話は前回述べた。アダムスの手記によると、このアルバムとヘレンメリルのアルバムの2枚がダブルでノミネートされたように記してあったが、よくよく調べてみるとメリルとのアルバムChasin’ The Bird sings Gershwinは翌1981年のノミネート。それも、メリルのベストソロ女性ボーカルだけでなく、このメリルのバックを務めたアダムスのバリトンのプレーがベストソリストとしもノミネートされたダブルノミネートであった。数あるジャズアルバムの中から、このメリルと共演した演奏がベストプレーと位置付けられたのが、より意味のある事だったと思う。

ついでに加えるとMuseの2枚目のアルバムThe Masterも1982年2月に行われた第24回のグラミー賞でジャズのベストソリストの候補としてノミネートされた。アダムスはこれで、3年連続でのノミネートということになる。ソリストとして脂が乗って来たという事が世の中でも認められていた事になる。

このPalo Altoのアルバムは1981年の9月の録音。ソリストとして評価を得つつあったアダムスは前年1980年3月The Masterを録音した以降、あれだけ多かったスタジオでの仕事は完全に休止していた。リーダーアルバムだけでなく、サイドメンとしての録音も見当たらない。ソリストとしてのライブ活動に注力して事になる。さらに記録を見ると、その間の活動の場は、アメリカに留まらずヨーロッパでの活動が多い。そのため、家族どもどもヨーロッパに活動拠点を作ったほどだ。

Palo Altoを設立したHerb Wongは、そのような活動をしていたアダムスに目を付けたということになる。グラミーで毎年ベストソリストにノミネートされ、ダウンビートでも第一に輝くアダムスであったが、それを知ったファンがアダムスの最新の演奏を聴こうにも機会が殆どない状況だった。それ知れば、そのリーダーアルバムを作ろうと思うのは当然の成り行きである。

録音は、ヨーロッパから戻ったアダムスを待ち受けるように9月30日ニューヨークで行われた。スタジオもブルーノートの録音では通い慣れたルディーヴァンゲルダーのスタジオ。そしてメンバーは、ベースのジョージムラツ、ドラムのビリーハートはいつものメンバー。一つ異なったのはピアノであった。前の二作では、ローランドハナ、トミーフラナガンといった気心の通じ合う2人であったが、このアルバムのピアノはジミーロウルズが起用された。一時ニューヨークにもいたロウルズであったが、この時は西海岸に戻っていたという。このロウルズの起用について理由は分からないが、Wongの意向か、このアルバムの直接のプロデューサーであったBob Porterの意向と思われる。

アダムスとロウルズというと、実はアダムスのリーダーアルバムでも過去に共演歴がある。西海岸にデビューした直後の2枚目のリーダーアルバムCritic’s Choiceで起用されたピアノがこのジミーロウルズであった。このアルバムは、ダウンビートの批評家の選んだ新人賞を受賞した記念アルバムともいえるアルバムだが、実は録音自体はその受賞発表の直前であった。タイミングが丁度ピッタリ合ったということになる。
この時もメルルイスやリーキャッツマンなどはケントンオーケストラから行動を共にしていたメンバーであったが、ピアノのルーロウルズとは初顔合わせだったという。
何か因縁を感じるが、そのロウルズの起用理由に興味が湧く所だ。

このセッションは、アダムスにとっては前作に続いてアダムスをフィーチャーしたワンホーンアルバムであり、彼のソリストとしての活動をアピールするレコーディングとしては願ったりかなったりの機会であり、タイミングであったはずだ。

しかし、このレコーディングに関しては、アダムスは前のMuseの2枚と較べると満足のいくものではなかったとコメントを残している。
その第一の理由が選曲。Wong達からはスタンダード曲での録音を要望されたようだ。一方のアダムスは前作がそうであったように、自分のオリジナル曲中心のアルバムが希望であった。結局、アダムスのオリジナルが2曲、他の作品が4曲で折り合いがついた。

そして、もう一つがロウルズの位置づけ。このようにレコーディングの中身にすったもんだしている状況が西海岸にいるロウルズには正確に伝わらなかった。結局アダムスとは何の事前の打ち合わせもできず、譜面や情報もないままにニューヨークへ来ることになった。

気難し屋であり細部の段取りに拘るアダムスにとっては、イライラが募った結果のレコーディングが始まった。リハーサルもそこそこにいきなりレコーディングに臨み、短時間で録音を終えた。それはプロの仕事と言えばそれまでだが。結果的には、やはりロウルズのピアノはソロも短く中途半端である。これには付き合わされたロウルズも不本意であったようだ。

全体にちぐはぐ感もあり、アダムスのソロだけがひたすら突っ走っている感じもする。スリーリトルワーズではいきなりアダムスが速いテンポで始める、こんなはずではという気持ちで他のメンバーがベースソロをきかっけにテンポを戻すが、アダムスが再びソロをとるとテンポはまた倍速にといった感じだ。
しかし、このライブでのセッションのような感じがいいという意見もあり、ジャズという物は本人の想いとは別に様々な評価を受けるので結果何が良かったかは??前作でもドラムのテンポが遅すぎたのが結果オーライになっている曲があった。聴き手が満足すればそれはそれでよしという事かもしれない。

このアルバムもプレーヤーとプロデューサーの関係が結果に残ってしまったが、プロデューサーの役割としては、あくまでもミュージシャンの意向を反映させるレコーディングをセットするタイプ、反対に自分の想いをミュージシャンに演じさせようとするタイプがあるようだ。前者の代表格がアルフレッドライオンであり、後者はどうも評論家や研究家がアルバムを作ると陥りやすいケースのような気がする。
あとは商売最優先で、売れるアルバムづくりに徹するタイプもいるが・・このアルバムは縁が無いようだ。

1. Dexter Rides Again              Dexter Gordon 6:27
2. Dreams, Urban                Pepper Adams 4:44
3. Three Little Words         Bert Kalmar / Harry Ruby 7:18
4. Time Is on My Hands Harold Adamson / Mack Gordon / Vincent Youmans 6:55
5. Pent Up House                 Sonny Rollins 7:04
6. Trentino                    Pepper Adams 6:51

Pepper Adams (bs)
Jimmy Rowles (p)
George Mraz (b)
Billy Hart (ds)

Produced by Herb Wong & Bob Porter
Recording Engineer ; Rudy Van Gelder
Recorded at Van Gelder Studio, Englewood, Cliffs, NJ, September 30, 1981

Urban Dreams
Pepper Adams
Quicksilver

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