Dedications / Toshiko Akiyoshi Trio
何かを手掛けて成功した時の感慨はひとしおである。もちろん自分に実力があっての成功だが、時の運不運が左右することも多い。しかし、何よりも大事なのは成功に至る道筋で、幾多の人々に支えられたからこそ、その時の成功があるのだと認識することが一番大事だと思う。とかく凡人は、一時の成功に有頂天になって次への段階に進むことなく、いつの間にか普段の自分に戻ってしまう。そのような人間は年をとってからも、その成功体験を昔話として語っているが、いつの間にか周りにはその話を聞く人もいなくなってしまう。
1974年、ニューヨークから西海岸に移り住んだ秋吉敏子は夫君ルータバキンの勧めもあって、ビッグバンドを編成した。今まで一緒に演奏したことも無いメンバー達と、自作の曲のアレンジで練習を始めたが、思うような音になるまでには大分時間がかかったようだ。そして4月には、初コンサートを前に初アルバムを制作した。アメリカで活躍する彼女を応援する意味合いもあったのかもしれない、そのアルバムは日本で話題になり、2作目、3作目と続くこといなる。アメリカでTOSHIKOのバンドが知られるようになったのは、それから2年近く経ってからだ。
76年には、日本での凱旋ライブのアルバムを含め、5作目が作られ彼女のビッグバンドでの活躍は大成功となった。
しかし、彼女の「そもそも」はピアニスト。活動初期はバドパウエルの「そっくりさん」として有名になっていったが、その実力は次第に本場ニューヨークでも認められていった。しかし、ビッグバンドの編成と供に、ピアニストとしての彼女は影が薄くなった。もちろん、オーケストラの中で彼女のピアノは聴くことができるが、本格的なピアノのプレーをたっぷりと聴くことはできなかった。それは、遠い日本では当然としても、地元ロスでも地元のクラブなどへの出演はあまり行っていなかったそうだ。
そんな彼女がビッグバンドの成功を見極めて一区切りついたのか、1976年に”Insights"の録音を終えた直後、久々にピアノトリオの録音を行った。彼女の言を借りれば、彼女の事情もあったが、アメリカのジャズレコード界の状況が1964年以降70年代の初頭にかけて芳しくなかったからとの事である。確かにこの間は、メインストリームのジャズは不遇の時代であった。彼女自身、69年の"Top OF GATE"でのライブを除けば10年以上アルバムを制作していなかった。したがって、その間の演奏は今では聴くことができない。
久々のトリオでのアルバム制作にあたって、彼女はそれまで影響を受けた人、お世話になった人、そして彼女を身近で支えたチャーリーマリアーノ、ルータバキンの曲を選んだ。オーケストラでは、自分の曲しか演奏しないのとは正反対だ。オーケストラの成功は、これまでお世話になった方々の支えがあったおかげ、感謝の意味も含めて彼女が演奏するピアノには心がこもっている。彼女の自伝を読むと、彼らとの繋がりが良く分かる。バドパウエルのコピーからスタートしたピアノも、ビッグバンドの成功に合わせるように大きくステップアップしている。
その後の彼女は、ビッグバンドでもコンボでも、そしてピアノソロでも今現在に至るまで更に前向きな取組みを続けている。はやり、一回フロックで成功した人間とは違い、本当に実力ある成功者であろう。それも、その時々にお世話になった方々への感謝の気持ちがあるからだと思う。
1. I Let a Song Go out of My Heart Ellington, Henry Nemo, 4:25
2. Miss Blue Eyes Charlie Mariano 5:50
3. Django John Lewis 6:12
4. Rio Leonald Feather 3:57
5. Wind Watanabe 6:04
6. Reets and I Bennie Harris 4:46
7. Don't Be Afraid, the Crown'sAfraid Too Charles Mingus 5:39
8. Let the Tape Roll Lew Tabackin 3:09
Toshiko Akiyoshi (p)
Gene Cherico (b)
Jimmy Smith (ds)
Produced by Toshiko Akiyoshi
Ebgineer : James Mooney
Recorded on July 19,20 & 21, 1976 at Sage & Sound Recording Studio, Hollywood, Calif.
何かを手掛けて成功した時の感慨はひとしおである。もちろん自分に実力があっての成功だが、時の運不運が左右することも多い。しかし、何よりも大事なのは成功に至る道筋で、幾多の人々に支えられたからこそ、その時の成功があるのだと認識することが一番大事だと思う。とかく凡人は、一時の成功に有頂天になって次への段階に進むことなく、いつの間にか普段の自分に戻ってしまう。そのような人間は年をとってからも、その成功体験を昔話として語っているが、いつの間にか周りにはその話を聞く人もいなくなってしまう。
1974年、ニューヨークから西海岸に移り住んだ秋吉敏子は夫君ルータバキンの勧めもあって、ビッグバンドを編成した。今まで一緒に演奏したことも無いメンバー達と、自作の曲のアレンジで練習を始めたが、思うような音になるまでには大分時間がかかったようだ。そして4月には、初コンサートを前に初アルバムを制作した。アメリカで活躍する彼女を応援する意味合いもあったのかもしれない、そのアルバムは日本で話題になり、2作目、3作目と続くこといなる。アメリカでTOSHIKOのバンドが知られるようになったのは、それから2年近く経ってからだ。
76年には、日本での凱旋ライブのアルバムを含め、5作目が作られ彼女のビッグバンドでの活躍は大成功となった。
しかし、彼女の「そもそも」はピアニスト。活動初期はバドパウエルの「そっくりさん」として有名になっていったが、その実力は次第に本場ニューヨークでも認められていった。しかし、ビッグバンドの編成と供に、ピアニストとしての彼女は影が薄くなった。もちろん、オーケストラの中で彼女のピアノは聴くことができるが、本格的なピアノのプレーをたっぷりと聴くことはできなかった。それは、遠い日本では当然としても、地元ロスでも地元のクラブなどへの出演はあまり行っていなかったそうだ。
そんな彼女がビッグバンドの成功を見極めて一区切りついたのか、1976年に”Insights"の録音を終えた直後、久々にピアノトリオの録音を行った。彼女の言を借りれば、彼女の事情もあったが、アメリカのジャズレコード界の状況が1964年以降70年代の初頭にかけて芳しくなかったからとの事である。確かにこの間は、メインストリームのジャズは不遇の時代であった。彼女自身、69年の"Top OF GATE"でのライブを除けば10年以上アルバムを制作していなかった。したがって、その間の演奏は今では聴くことができない。
久々のトリオでのアルバム制作にあたって、彼女はそれまで影響を受けた人、お世話になった人、そして彼女を身近で支えたチャーリーマリアーノ、ルータバキンの曲を選んだ。オーケストラでは、自分の曲しか演奏しないのとは正反対だ。オーケストラの成功は、これまでお世話になった方々の支えがあったおかげ、感謝の意味も含めて彼女が演奏するピアノには心がこもっている。彼女の自伝を読むと、彼らとの繋がりが良く分かる。バドパウエルのコピーからスタートしたピアノも、ビッグバンドの成功に合わせるように大きくステップアップしている。
その後の彼女は、ビッグバンドでもコンボでも、そしてピアノソロでも今現在に至るまで更に前向きな取組みを続けている。はやり、一回フロックで成功した人間とは違い、本当に実力ある成功者であろう。それも、その時々にお世話になった方々への感謝の気持ちがあるからだと思う。
1. I Let a Song Go out of My Heart Ellington, Henry Nemo, 4:25
2. Miss Blue Eyes Charlie Mariano 5:50
3. Django John Lewis 6:12
4. Rio Leonald Feather 3:57
5. Wind Watanabe 6:04
6. Reets and I Bennie Harris 4:46
7. Don't Be Afraid, the Crown'sAfraid Too Charles Mingus 5:39
8. Let the Tape Roll Lew Tabackin 3:09
Toshiko Akiyoshi (p)
Gene Cherico (b)
Jimmy Smith (ds)
Produced by Toshiko Akiyoshi
Ebgineer : James Mooney
Recorded on July 19,20 & 21, 1976 at Sage & Sound Recording Studio, Hollywood, Calif.