評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
囲碁棋士・藤沢秀行氏に幸せの秘訣を探る
囲碁棋士の藤沢秀行氏が今年の5月8日に亡くなった。享年83歳であった。「文藝春秋」7月号にご夫人の藤沢モトさんが「『無垢の人』藤沢秀行の最後を看取って」と題して、藤沢秀行さんの思いでの数々について語っておられる(注:たぶんライターが聞き書きしてまとめた原稿だと思う。申し訳ないが、ご本人が書いたのだとすると上手すぎる)。これがなかなか良いので、「文春」が手元にある方は、是非読んでみて欲しい。
藤沢秀行さんは、囲碁の棋士として一流であり、実力制のタイトル戦になってからの初代名人や同じく初代の棋聖であり、特に、この棋聖戦(当時賞金額が最高のタイトル戦だった)では6連覇を遂げた。また、藤沢氏の書は独特であり且つ非常に高く評価されている。これだけなら普通の一流棋士が惜しまれて亡くなったという話なのだが、彼は何ともエピソードの多い大変な人物だった。
簡単に思い浮かぶだけでも、酒乱であった時期が長く(注;棋聖戦の前は酒抜きが大変だったらしい)酒の失敗が数多く、三度のガンを克服し、競輪を中心にギャンブルにはまり、多額の借金を作り、事業にも手を出して何度か失敗し、ご夫人以外の女性二人とそれぞれに二人ずつの子供を作り、暴言(高齢の女流棋士達に向かって「腐ったオ○○○ばっかりだ」と叫んだ)で処分されそうになったり、独自に免状を発行して日本棋院を一時除名されたりと傍若無人を絵に描いたような人だった。「ひどい!」と思われる読者もおられよう。
しかし、ご本人が自分の人生をどう目算していたのかは知るよしもないが、彼の人生は全体として「非常に幸せ」であったように見える。
藤沢モトさんによると最後の病室は以下のような状況だった。
「今回、病室には『外』の子もやってきました。『外』の子と言っても、私の作ったご飯を食べたり一緒に旅行したことがある子がほとんどです。一人だけあまり話す機会がなかった子もいましたが、心根のいいことはすぐにわかりました。
秀行の病床の傍ら、母の違う子供達が集って過ごした時間は穏やかなものでした」
(「文藝春秋」7月号291ページ)
これはなかなか達成できる状況ではない。たとえば、田中角栄元首相の愛人が書いた手記を読むと、角栄さんが「母の違う子供達」が仲良くしてくれることをいかに強く望んだかが分かるが、あの日本を動かした角さんといえども、これはかなわぬ夢だった。
モトさんの手記にも詳しいが、藤沢秀行氏は、自分の弟子もそれ以外も含めて常に数十人の棋士(プロ・アマ、国籍を問わず)を自宅に招いたり合宿を行ったりして熱心に指導し続けてきた。
強くしたいと思う少年がいれば、歩行が満足でなくなってからも自ら囲碁教室に足を運んで、どのくらい強くなったかを見に行かねば気が済まないような熱心さであった。現在本因坊戦を戦っている高尾紳路九段など指導を受けた棋士は数多い。
ちなみに、藤沢秀行氏の最後の言葉は、病室で高尾九段に何か言おうとしたものの上手く伝わらなくて口から出た「バカ!」という言葉だったという。生涯を通じて誰彼構わず「バカ!」と言い続けた藤沢秀行氏らしい。
この様子は、高尾紳路九段の「高尾のブログ」に載っている。ちなみに「高尾のブログ」は終わったばかりの対局も含めて、高尾九段が自分の打碁を率直に解説してくれる、囲碁・将棋ジャンルで最高峰のと言っていい素晴らしいブログだ。
藤沢秀行氏は、何十年にもわたって韓国・中国の棋士にも熱心な指導を行った。近年、囲碁の国際戦では日本人がなかなか優勝できなくなったのだが、これは藤沢氏の指導のせいでもあると批判する人もいるのだが、藤沢氏は「ケツの穴が小せえやつだ」と言ってとりあわなかった。対象が囲碁となると、単に熱心なだけでなく、全く公平無私で純粋な人だった。
葬儀で息子さんが述べた言葉によると「自分の面倒は見られないのに、人の面倒をたくさん見て、世話をしてきた」人生であったという。
人に感謝されることほど幸せなことはないし、加えて、自分のことを心配しなかったのだから、藤沢秀行氏ご本人も幸せだと感じていたに違いないと思うのだ。
●
前置きが長くなったが、本題はこれからだ。囲碁棋士として天賦の才を持っていた藤沢秀行氏のような人ではない凡人でも、彼のように幸せになることはできるだろうか。これこそが、考える価値のあるテーマだろう。
藤沢秀行氏が「幸せ」であっただろうと思う理由を列挙すると、
(1)碁という全力で熱中できる対象があった、
(2)他人を世話(主に囲碁の指導)することが楽しかった、
(3)広い意味の「弟子」が多数居て彼らに囲まれ感謝されていた、
(4)異性(女性)にもてた、
(5)友人・知人が多かった、
(6)理解のあるパートナー(妻)に恵まれた、
(7)経済的には(ぎりぎり)破綻を免れた、
(8)どこでも、先生、あるいは一角の人物として遇された、
(9)からだが丈夫だった(三度ガンを克服したし「食い力」があった)、
(10)本人が明るい性格だった、
といった点だろうか。
これらは、何れも表面的なものである。幾つかの項目は別の項目の副産物だ。たとえば、何かに熱中しているような変わり者で、明るくて、エッチなら女性にはもてるだろうし、友人も増えるだろう(モトさんの手記には「ずいぶん女性にはもてたようです」とサラリと書かれている)。
本質的なのはたぶん、(1)(2)(6)(9)の四つだろう。明るい性格も大切だが、健康ならたいてい明るい性格だ。或いは、明るい性格は健康の一部だ、と言う方が適切か。
つまり、健康で、理解のある妻(夫)を持ち、何かに徹底的に熱心で、他人の世話に全力を尽くすなら、幸せになれるということではないか。
囲碁に限らず何かの突出した天才であるということは、必ずしも必要条件ではないようだ。これなら、凡人でも少々運が良ければ(健康+良いパートナー)、最高に幸せな男(女)になれる。対象が碁のようなものでなくとも、また、他人と比較してトップ・レベルではなくても、それに熱中することができて、その成果を惜しみなく他人に与え続けたなら、藤沢秀行氏的な幸せ者になることが出来るのではないか。
経済については、「何とかなる」と言い切って見たい気もするし、他方、そうではない現実もあるか。お金の心配をしないことが大切なのだろうが、それで困ることがあるかも知れない。この不安がたとえばベーシック・インカムのような制度で社会的に解消できるといいのだが、当面、社会には頼れそうにない。細かなことを気にしない強い心と、何とかして食っていく馬力がさらに必要か。
藤沢秀行氏的な幸せの世界で一つ心配なのは、碁に熱中できたことの背景に、ある種の依存症的な傾向性があったのではないかということだ。
氏は酒やギャンブルを覚えて、それにのめり込んでいる。どちらについても「依存症」と言って差し支えないレベルだったのではないか。幸い、囲碁は彼にとってのめり込んで差し支えのない対象だったし、最も大切な対象でもあった。この点、彼は幸運だったのかも知れないが、些か危うい面があった。
敢えて似た人を探すと、酒におぼれ、ドラッグにもはまり、女性関係がだらしなかったけれども、ギターとだけは上手く付き合うことが出来たエリック・クラプトンと藤沢秀行氏は似ているような気がする。
やはり、幸せと不幸せは紙一重の差なのかも知れない。
尚、藤沢秀行氏の命日5月8日は、たまたま私の誕生日だ。来年から、誕生日のたびに、藤沢氏を思い出しつつ、供養の代わりに、詰め碁の一題も解くことにしようと思う。
藤沢秀行さんは、囲碁の棋士として一流であり、実力制のタイトル戦になってからの初代名人や同じく初代の棋聖であり、特に、この棋聖戦(当時賞金額が最高のタイトル戦だった)では6連覇を遂げた。また、藤沢氏の書は独特であり且つ非常に高く評価されている。これだけなら普通の一流棋士が惜しまれて亡くなったという話なのだが、彼は何ともエピソードの多い大変な人物だった。
簡単に思い浮かぶだけでも、酒乱であった時期が長く(注;棋聖戦の前は酒抜きが大変だったらしい)酒の失敗が数多く、三度のガンを克服し、競輪を中心にギャンブルにはまり、多額の借金を作り、事業にも手を出して何度か失敗し、ご夫人以外の女性二人とそれぞれに二人ずつの子供を作り、暴言(高齢の女流棋士達に向かって「腐ったオ○○○ばっかりだ」と叫んだ)で処分されそうになったり、独自に免状を発行して日本棋院を一時除名されたりと傍若無人を絵に描いたような人だった。「ひどい!」と思われる読者もおられよう。
しかし、ご本人が自分の人生をどう目算していたのかは知るよしもないが、彼の人生は全体として「非常に幸せ」であったように見える。
藤沢モトさんによると最後の病室は以下のような状況だった。
「今回、病室には『外』の子もやってきました。『外』の子と言っても、私の作ったご飯を食べたり一緒に旅行したことがある子がほとんどです。一人だけあまり話す機会がなかった子もいましたが、心根のいいことはすぐにわかりました。
秀行の病床の傍ら、母の違う子供達が集って過ごした時間は穏やかなものでした」
(「文藝春秋」7月号291ページ)
これはなかなか達成できる状況ではない。たとえば、田中角栄元首相の愛人が書いた手記を読むと、角栄さんが「母の違う子供達」が仲良くしてくれることをいかに強く望んだかが分かるが、あの日本を動かした角さんといえども、これはかなわぬ夢だった。
モトさんの手記にも詳しいが、藤沢秀行氏は、自分の弟子もそれ以外も含めて常に数十人の棋士(プロ・アマ、国籍を問わず)を自宅に招いたり合宿を行ったりして熱心に指導し続けてきた。
強くしたいと思う少年がいれば、歩行が満足でなくなってからも自ら囲碁教室に足を運んで、どのくらい強くなったかを見に行かねば気が済まないような熱心さであった。現在本因坊戦を戦っている高尾紳路九段など指導を受けた棋士は数多い。
ちなみに、藤沢秀行氏の最後の言葉は、病室で高尾九段に何か言おうとしたものの上手く伝わらなくて口から出た「バカ!」という言葉だったという。生涯を通じて誰彼構わず「バカ!」と言い続けた藤沢秀行氏らしい。
この様子は、高尾紳路九段の「高尾のブログ」に載っている。ちなみに「高尾のブログ」は終わったばかりの対局も含めて、高尾九段が自分の打碁を率直に解説してくれる、囲碁・将棋ジャンルで最高峰のと言っていい素晴らしいブログだ。
藤沢秀行氏は、何十年にもわたって韓国・中国の棋士にも熱心な指導を行った。近年、囲碁の国際戦では日本人がなかなか優勝できなくなったのだが、これは藤沢氏の指導のせいでもあると批判する人もいるのだが、藤沢氏は「ケツの穴が小せえやつだ」と言ってとりあわなかった。対象が囲碁となると、単に熱心なだけでなく、全く公平無私で純粋な人だった。
葬儀で息子さんが述べた言葉によると「自分の面倒は見られないのに、人の面倒をたくさん見て、世話をしてきた」人生であったという。
人に感謝されることほど幸せなことはないし、加えて、自分のことを心配しなかったのだから、藤沢秀行氏ご本人も幸せだと感じていたに違いないと思うのだ。
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前置きが長くなったが、本題はこれからだ。囲碁棋士として天賦の才を持っていた藤沢秀行氏のような人ではない凡人でも、彼のように幸せになることはできるだろうか。これこそが、考える価値のあるテーマだろう。
藤沢秀行氏が「幸せ」であっただろうと思う理由を列挙すると、
(1)碁という全力で熱中できる対象があった、
(2)他人を世話(主に囲碁の指導)することが楽しかった、
(3)広い意味の「弟子」が多数居て彼らに囲まれ感謝されていた、
(4)異性(女性)にもてた、
(5)友人・知人が多かった、
(6)理解のあるパートナー(妻)に恵まれた、
(7)経済的には(ぎりぎり)破綻を免れた、
(8)どこでも、先生、あるいは一角の人物として遇された、
(9)からだが丈夫だった(三度ガンを克服したし「食い力」があった)、
(10)本人が明るい性格だった、
といった点だろうか。
これらは、何れも表面的なものである。幾つかの項目は別の項目の副産物だ。たとえば、何かに熱中しているような変わり者で、明るくて、エッチなら女性にはもてるだろうし、友人も増えるだろう(モトさんの手記には「ずいぶん女性にはもてたようです」とサラリと書かれている)。
本質的なのはたぶん、(1)(2)(6)(9)の四つだろう。明るい性格も大切だが、健康ならたいてい明るい性格だ。或いは、明るい性格は健康の一部だ、と言う方が適切か。
つまり、健康で、理解のある妻(夫)を持ち、何かに徹底的に熱心で、他人の世話に全力を尽くすなら、幸せになれるということではないか。
囲碁に限らず何かの突出した天才であるということは、必ずしも必要条件ではないようだ。これなら、凡人でも少々運が良ければ(健康+良いパートナー)、最高に幸せな男(女)になれる。対象が碁のようなものでなくとも、また、他人と比較してトップ・レベルではなくても、それに熱中することができて、その成果を惜しみなく他人に与え続けたなら、藤沢秀行氏的な幸せ者になることが出来るのではないか。
経済については、「何とかなる」と言い切って見たい気もするし、他方、そうではない現実もあるか。お金の心配をしないことが大切なのだろうが、それで困ることがあるかも知れない。この不安がたとえばベーシック・インカムのような制度で社会的に解消できるといいのだが、当面、社会には頼れそうにない。細かなことを気にしない強い心と、何とかして食っていく馬力がさらに必要か。
藤沢秀行氏的な幸せの世界で一つ心配なのは、碁に熱中できたことの背景に、ある種の依存症的な傾向性があったのではないかということだ。
氏は酒やギャンブルを覚えて、それにのめり込んでいる。どちらについても「依存症」と言って差し支えないレベルだったのではないか。幸い、囲碁は彼にとってのめり込んで差し支えのない対象だったし、最も大切な対象でもあった。この点、彼は幸運だったのかも知れないが、些か危うい面があった。
敢えて似た人を探すと、酒におぼれ、ドラッグにもはまり、女性関係がだらしなかったけれども、ギターとだけは上手く付き合うことが出来たエリック・クラプトンと藤沢秀行氏は似ているような気がする。
やはり、幸せと不幸せは紙一重の差なのかも知れない。
尚、藤沢秀行氏の命日5月8日は、たまたま私の誕生日だ。来年から、誕生日のたびに、藤沢氏を思い出しつつ、供養の代わりに、詰め碁の一題も解くことにしようと思う。
コメント ( 62 ) | Trackback ( 0 )
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おはようございます。
またまた、素晴らしいエントリーに感動です。
囲碁のことも、藤沢さんのこともこれから少しづつ読んでいこうと思いました。
幸せに一生をすごされた理由の一つには『他人をねたむ弱さを克服できる自分への強さ』を維持出来た、こともあったのではと考えます。
『嗜癖・依存症』とこの『克己の力』は相反するようでいて、結構この両極を行ったり来たりしつつ、踏み外しを僅かに回避することが出来るのが人間らしい生き方を成し遂げる人間の持つ特徴ではと、現実にはそれを意識していてもなかなか出来ないことだけに、思うのです。
勿論(6)を中心に(1)から(5)までも無くてはならぬ要因でご自身の努力優しさの賜物でしょう、また天からの恵みとしての頑強な体は強い味方にも成るし、逆にこれが為に他の人に対する冷たさにも成り得る結構制御は難しい性質のものではなかろうかなあと思います。
汲めども尽きぬ人間の興味深さ、心温まるお話です。ありがとうございます。
おはようございます。
将棋もヘボですが、囲碁はさらに輪をかけたヘボの私ですが、秀行先生の他界はショックでした。
将棋の先崎さんが、秀行先生の凄さは、勝負師と芸術面を両立した事、それは棋士としての理想・・・と書いておられました。本当に凄い事だと思います(先崎さんの仰る、棋士としての理想でいえば、将棋界では升田幸三先生でしょうか・・・。)
秀行先生に関し思うのは、これだけ(御幣があると申し訳ないですが)好き勝手やってきて他界するというのは、ある意味、棋士でなくても人生としても理想のような気がします。
これから先、将棋界にはあまり未来が見えないのですが、囲碁界は何だか大丈夫のような気がするのです。それも、秀行先生のしてきた事、またそれを見て来た棋士の先生方の努力が実を結んでいる気がしています。
山崎さんの列挙されている分析には大きく納得しました。将棋ではプロではないですが、小池重明さんが、生き方としてはある意味近いかなと思っていたのですが、(6)(7)が完全に欠落していますね・・・。それも本人の自己責任でしょうが、何とかならなかったのかなとも思ってしまいます。
日本のタイトル戦では現在も棋聖戦の賞金が一番高いことは知っているのですが、近年では海外で行われる世界棋戦でもっと賞金額の高いものがあったかも知れないと思って、念のため「当時賞金額が最高のタイトル戦だった」と書いただけです。
ただ、いずれにせよ、この程度のことに拘っていると幸せになりにくいのではないかと、心配です。
それまでは、為替レートによっては応氏杯が最高賞金額だったようです。
それにしても、賞金もさることながら、このところ日本勢が国際棋戦で勝てませんね。このレベル差の逆転現象がなぜ起こったのかについては、大いに興味があります。
初めまして、紅茶んというHNの者です。
本日のエントリに共感を覚えて、私のmixiの日記に、一部の転載を含めて、リンクを貼らせていただきました。
突然のことで大変ご迷惑と思いますが、ご容赦いただけましたら幸いと思いまして、ご連絡差し上げます。
もし、まずいようでしたら削除いたしますので、ご指示いただけましたらと思います。
大変勝手なコメントで申し訳ありません
よかったねと評価してくれる要因は、その人の持っている「金」と「時間」と「心」をどれだけ、ひと様のために使ったからではないでしょうか。
世に、金の儲け方の本や指南書の類は多くありますが、金の使い方について書いた本はないですね。孔子、孟子、二宮尊徳らにはその心構えがありますが、戦後にはトンとそれに類する本が思いつきません。
友愛などと仰る方も、お金をお持ちであることは、弟君が40億損をしたなどの発言で分かるのですが、気の毒な方を支援したなどとは、噂でも聞いておりませんので、・・どうなんでしょう。
細かいことに拘って幸せになりにくいというのは一般論で、あなたにも私にも当てはまります(もちろんお節介ですが)。頭を使って理解しなければならないような深い意味はありません。
まあ、このくらいことで、そんなに不機嫌にならなくてもいいのではないですか。takaさんとしては、ツマラナイと思えば相手にしなければいいだけですしね。
ところで、肖像権の問題(特にスナップ写真に於ける)には興味があるのですが、肖像権の侵害になる「個人の画像」とは、どの画像を指していますか?不機嫌が治ったら、教えて下さい。
いらっしゃいませ。
丁寧なご連絡ありがとうございます。
mixiの該当ページを拝見しましたが、引用には問題ありません。拙文がお役に立つなら、ご使用下さい。
ちなみに、私も紅茶が好きです。一番好きなのがダージリン(フォーションの物が好きです)、二番目がアールグレイです。
日本でもゲームにはまる人はいますが何か違います。
日本人から見たら異常に思えるくらいです。理由は私にはわかりません。
囲碁が強いのと何か関係あるんじゃないかと思いました。
しかし、芹澤氏の方は、同じ無茶なことをやっても、秀行氏のようにあっけらかんとした感じにはいかず、ちぐはぐになってしまい、まあそのぐだくだした屈託ぶりが色川氏の興趣(ちょっと違うな)を呼んだようです。
両者の違いはタイトルを取れたかどうかというところにもよるのでしょうか。
同編には、秀行氏の暗黒街の借金が当時の金で何億円、なんてことも書いてありましたが返せたんでしょうかね。みんな適当にチャラになってたらいいんですけど。
ところで、肖像権については、wikipediaの記述がかなり適切だと思います。著作権、と同じレベルで肖像権があるわけではなく、あくまで財産的な付加価値があるかどうか、個別具体的な判断でしょう。渡辺竜王の画像は見ずに書いているので判断を示すようなコメントは差し控えますが、水着写真集を販売しているわけじゃないから。
ちょっと的外れかもしれませんが、私は、次の世代に受け継がれるものを残された事が羨ましく、お幸せだな方と思いました。
「不幸せ」とか「不機嫌」といった皮肉ではご理解いただけないようなので、野暮を承知で、一度だけこちらのホンネを説明しましょう。
takaさんが最初にお書きになったのは、
「棋聖戦は今でも賞金額1位ですよ。免状を発行しようとして除名になったわけではなく発行して除名になったんですよ。知らないなら長々と語って欲しくない。」
という文章でした。
公開のブログですから、この程度のコメントは構わないのですが、対等の関係の普通のやりとりであれば、棋聖戦が現在も賞金額1位であることや秀行先生が実際に免状を発行して除名になったことを情報としてご指摘いただくのは歓迎なのですが、「知らないなら長々と語って欲しくない」と言うのは相手に対して非礼でしょう。
私としても、そんなに出来のいい文章だとは思っていないのですが、いい気分でないことはお分かり頂けますね。なぜ、そこまで言うのでしょうか。 普通の人間関係であれば、おかしいと思いませんか? これがネットとか匿名とかに絡む問題なのかどうかは分かりませんが、どうして一方的に怒るのか、とこちらは思うわけです。
読者一般の立場から考えても、情報の補足は歓迎でしょうが、それは、「こうではないか」と補足情報を書き込めば足りる話でしょう。
また、takaさんのご指摘がどれくらい重大だったかということも考えると、応氏杯がより高賞金だった時もあるし、免状は実際に発行されましたが、秀行先生が「発行しようとした」からそうなった訳です。もちろん、後者については、事実関係を確認して「発行した」と書いた方がより好ましいでしょうが、そう大きな問題ではないように私は思います。
「非礼」について補足すると、こちらが気にしなければいいし、通常このレベルのものに対してはそうしているわけです。
ただ、takaさんのこのコメントに限らず、この種の歓迎されざるコメントについて考えて見ると、たかだか私のどうでもいいブログくらい気に入れなければ無視すれば良さそうなものなのに、わざわざコメントを書いてくる人が居るわけです。これは、ある意味では無駄な行為なので乱暴な言い方を許して貰うと「バッかじゃなかろか」とも思うわけですし、しかし、そうであるにも関わらず、わざわざ書き込むということは、こちらから見ると、たとえば「イライラしているのではないか」とか「病んでいるのではないか」といった同情の対象にもなるわけです。
「不幸せ」とか「不機嫌」と書いたのは、この辺の理由を意識した「バカ!」あるいは「アンタ、大丈夫か?」といった意味の婉曲表現です。本当に不機嫌なんじゃないかと心配しているわけではありません。ブログが無料の客商売であるとしても、まあ、これくらいなら言ってもいいのではないか。
実際には私のブログにも他のブログにも、もっとひどいコメントがいくらもあるので、takaさんのコメントを引き合いにして説明するのは申し訳ない気もするのですが、説明しやすい例だと思ったので、使わせて貰います。
●
渡辺竜王の写真は竜王就位式で私が撮った写真です。公開のしかも晴れがましい場での様子なので、差し支えないのではないかと思って掲載しました。今のところ、ご本人も含めて、関係者からの削除要請はありません。もちろんご本人なり将棋連盟なりに「削除してくれ」と言われたら削除するつもりです。
「何でもいいから、難癖を付けたいのかな」と思わなくもありませんでしたが、つらつら考えるに、別のケースで微妙なモノを思い出しましたので、結果オーライ的な話ですが、ご指摘には感謝します。
●
takaさんとこれ以上やりとりを続けても、お互いに得るところが少ないと思いますので、この件はこれで打ち切りにしようと思います。
しかし、takaさんに敬意を表して、エントリー本文の「独自に免状を発行しようとして(確か)一時除名されたり」の部分を「独自に免状を発行して日本棋院を一時除名されたり」に修正させていただきます。ご指摘ありがとうございます。
大人(たいじん)の話題なのにずいぶん小人(しょうじん)っぽいやりとりだなあと。
本題に入ると普通は、飲む打つ買うは不幸のもとなんですよ。やっぱり。
ところが、名人に定跡なしで秀行先生は特別なんですね。
あまり一般化しない方がいいと思います。
実際、私の周りでもこれらで失敗したり命を落としたりしている人もいます。
お隣の将棋界でもそうですよね。
真似できるものじゃないですよ。
角栄さんの方は職業柄、建前も大事でしょうから、複数の女性と関わるとどうしても日向の家庭と日陰の家庭が出来てしまいますね。母親達が面白くなければ子供もそうです。
●
山崎元様
ブログを使った無料の客商売、お疲れ様です。毎回のエントリーも面白いですし、コメントに対するご返事も大変有難いです。そして過去の数々の非礼なカキコミに対する返し方もお見事!まさに人生の先輩といった感じです。
私が山崎さんを知ったきっかけは、楽天証券のWebの「ホンネの投資教室」です。ですから、当初は専らおカネを増やす方法のヒントを期待していたような気がしますが、現在はもうそれほどそのテーマばかりに拘ってません。
まだ、山崎さんのこのブログの過去の全ての文を読んだ訳ではありませんが、一番考えさせられたのが、「新教育基本法を手掛かりに、愛国心について考える」(2006年12月)です。感想は…長くなるので止めときますが、とても印象に残ってます。
おそらく、このブログのせいもあってか、山崎さんの朝型生活への移行計画が停滞していると見受けられますが、これからも型にはまらない色々な話題を期待しています。どうぞお体には気をつけて。
見ていて不幸になりました(笑)
囲碁界で藤沢氏と同年代の棋士の多くは藤沢氏を天才と認めながらも、彼を避けていたようです。(ex.坂田・高川・杉内)
型破りの天才は一般化できませんし、普通人には反面教師と見るべきでしょう。
(1):藤沢さんの碁に当たるものが山崎さんにとってはファイナンスでしょうから、これは○。
(2):ファイナンスがらみの書き物をすることは、(塾という形ではないですが)他人を世話することなので○。
(3):これはどうなんでしょう。囲碁のような徒弟制はファイナンスの世界にはないでしょうから、これは△。
(4):ノーコメントにさせていただきます(笑)。
(5):これは当てはまるのではないでしょうか。マル。
(6):これは山崎さんに教えて頂くしかありません(笑)。
(7):いろいろ御著書も書かれておられますので、僭越ながら○をつけさせていただきます。
(8):これは、ご本人の自己評価とも相対的な部分があると思います。小学生相手の塾で「先生」と称されて満足される人もいれば、国会議員や大臣となってもまだ満足しない人もいるでしょうから。
(9):たくさんのコラムを長い間休みなく担当されているのを拝見する限り、ご健康だと思いますので○。
(10):文章から見る限りの印象では、明るい方だと思いますので、○。
こうしてみると、山崎さんはかなりの程度「藤沢さん的幸せ生活」を実現していると端からは思われるのですが、いかがでしょうか?
もちろん、幸せに至る路はいろいろあるでしょうから、藤沢さんの仕方でしあわせになる必要はないわけですが。
(他人の生活をいろいろ詮索するのは品のよい話しではないですが、マスターをいじるのもバーの一つの楽しみと思い、書かせていただきました。お気に障りましたらすみません)
表の将棋の実績とは別に、多額の借金・多くの不義理・ぐちゃぐちゃの人間関係・・・。
今となっては御徒町の将棋クラブでの対局経験が良き思い出です。
秀行さんと重明さんに合掌。
こんにちは。仰るように、サンプルとしての自分について考えてみるという方法がありました。
大まかに言うと目指す方向性は藤沢秀行さんと似ているのですが、いくつか欠落があるし、何れもスケール不足というのが私の現状でしょうか。
(1)ファイナンスは最初からやりたかったことではありませんが、それなりに熱心にやってきたし、メシのタネにもなっているので、一応○かな。
(2)割と世話好きですが、凡人ゆえに自分の心配もあって、他人のために献身的と迄は参りません。△。
(3)親しい後輩は居ますが、弟子を取るほどの者ではないので×~△。
(4)これまでのモテ具合を振り返ると総合的には中の下くらいかな。本人の資質の問題もあるのですが、戦略的な誤りがありました。×~△。
(5)幸い友人はかなり多いかと思います。◎。
(6)転職でも朝帰りでも文句を言われたことはありませんから、これも◎にしておきます。
(7)借金もないし、大した財産もありません。同年代の似たようなオッサンと比べると、所得はやや勝るとしても、資産は「持っていない」方でしょう。△。もっとも、これは不足しなければ問題ないというのが今回の論旨です。
(8)肩書きは興味ありませんが、他人にはもう少し「知られたい」と思っています。多くの人が「あの本の著者」と分かるような代表作があれば嬉しいなと思っています。△。
(9)今のところ、そこそこ健康です。○。
(10)「屈折」はありません。単純で明るいと思います。○。
藤沢秀行先生は何れも◎か○でしょうから、スケールの大きな「幸せ者」だったのではないでしょうか。
私自身については、まだまだ改善できそうな点がありますが、悲観はしていません。
共に故人の将棋の芹沢さん、小池重明さんは、確かに藤沢秀行さん的な依存と集中が同居したタイプだったと思いますが、タイトルに届かなかった芹沢さん、プロになれなかった小池さん、何れも自尊心に屈託を抱えてしまったように見えます。
芹沢さんよりも、あるいは小池さんよりも将棋が弱くても、将棋を大切にしながら人生が「幸せ」である人が多数いらっしゃることを思うと、彼らのような人生スタイルは幸せを目指す戦略として必ずしも有利でないのかも知れません。
藤沢秀行さん流の「集中と献身」型の戦略は、純度が少しでも落ちると(たとえば世間的な自尊心などで)、上手く行かなくなるのかも知れませんし、それでも一つのことに集中するには、ある種の依存症的なリスクを抱えることがあるのでしょう。この場合、副作用に足を取られそうです。
「幸せ」にアプローチする別の戦略としては、古くから、自分の欲望をコントロールする考え方があります。良さそうな参考文献が見つかったので、こちらの方も考えてみようと思っています。
御徒町の将棋クラブは、「御徒町将棋センター」でしたっけ。私も昔何度か行ったことがあります。強豪が多く集まっている道場でした。
残念ながら小池重明さんにはお会いしていませんが、「立石流」のアマ棋客・立石さんを近くでお見かけしたような記憶があります。後付けの記憶かも知れませんが、アレをやっておられたように思います。最近の角道をあけたままの振り飛車のブームを思うと、先見性のある構想でした。
道場で将棋を指すような時間が取れなくなったので、ここのところもっぱらネットでプロの将棋を見るだけですが、しばらくしたら、また将棋を指してみたいと思っています。
「御徒町」と聞いて、思い出しました。
まさかエリックの名前が出るとは思いませんでしたが、ここに反応してしまいました。
私、藤沢氏のことは全然知らないのですが、エリックのことは多少知識がありましてそれで比較するに、
・エリックは理解ある配偶者に恵まれたとは言えないでしょうね。
・あと、彼は子供を亡くしているので(これが名曲「Tears in Heaven」になった)かなり不幸の度合いが大きい
というところはありますが、その他では、やはり友人というところが大きいでしょう。彼がドラック中毒から抜け出せたのも、ピートタウンゼントやジョージハリソンの助けがあったからですし(ジョージに至ってはかみさんを奪ったにも関わらず)、ブルースという求道の対象を持っていることが彼の幸せに繋がっているようです。
最近同世代の連中と話すのは、「会社を辞めてから俺達は多分死ぬんだが、葬式には誰が来るかな?」ということで、そこに来る奴がどれだけ多いかで生前の幸せが一つ分かるかもな、という結論でした。そういう友人は多いほうが良いですね。藤沢氏の場合も、恐らくは良い意味で賑やかな旅立ちだっのではないでしょうか。
ちなみに上のクラプトンについて、「貴方の人生の目標は?」という問いに、「ギター1音で10000人を泣かすことと、10000人のいい女と寝ること。どちらも出来ていない」という答えですが、余りにかっこよすぎます。
囲碁もなさるのですね
コメントは感想ですから
特に返事はいらないと思います
私の場合、囲碁は実戦が乏しいのですが、それでも、将棋と違って年間数局から十数局くらい打つ機会があります。町道場で打つとするとアマ4段か5段くらいでしょう。報道では、小沢さん、与謝野さんが6段格とのことですから、打ってみたいなあと思います(特に与謝野さんと)。
「碁風」を語るには弱すぎますが、好みは「地に走らない厚い碁」で、厚さを生かして終盤に逆転して勝てるといい気分になります。将棋を先にやったので、長い手数の攻め合いのようなものを読むのは得意ですが、経験不足から形の覚えが乏しいので、やや長考派です。
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コメントに関しては、全てのコメントに対して答えているわけでないことは、このエントリーのコメント欄からもお分かり頂けると思います。
今回、コメントの書き方について些か暑苦しいやりとりをしたのは、コメント欄にしばしば登場するある種のコメント(偉そうな口調が特徴的でしょうか)が、このブログには邪魔だと常々思っているからです。
BARでいうと、騒いでいる学生風の客に、「うちは、居酒屋のように騒ぐ店ではないのだよ」と店主が言うような意味合いです。一方、できれば店を会員制にはしたくありません(コメント欄を廃止ないしは承認制にはしたくないということです)。
自分が正しいのだと思っているコメント者(あるいは「理解力が不自由な人」)は、皮肉を言っても分からないので、一度説明しておこうと思いました。
たとえば「不機嫌」と言われて、意味が分からない(何か変だったかと自分の事を考えない)レベルの人と話をするのは時間の無駄です(読者にとっても同様でしょう)。頭が悪すぎると言っては失礼でしょうから、文化的な土台がちがうので遠慮すると申し上げておきましょう。
今回たまたま居合わせたお客さんは、少し不運だったかも知れません。
古くからある掲示板のように、乱暴な口調で偉そうに言い合いをするコミュニケーションの場もあっていいと思うのですが、私も、たぶん当ブログの他の読者も、その種の客層とのコミュニケーションをこのブログには求めていません。
コメント者の年齢や職業は問いませんが、対等の立場で常識的な礼儀を弁えてやりとりが出来る人のコメントであれば、意見の賛否に関わらず歓迎です。
私が思うに、ネットは単なるコミュニケーションの手段なので、通常のやりとりと同等の気遣いや丁寧さが「普通」なのではないでしょうか。この点は、匿名だろうと実名だろうと基本は同じだと思います。舌足らずな乱暴さを許容し合うこと(←既に古くて田舎臭いと感じます)がネットのやりとりの流儀だと、私は、考えていません。
ネット特有なのかどうかは分かりませんが、ブログのコメント欄で時々目にするような迷惑なカキコミ(幸い当ブログは少ないのですが)には「高圧的(偉そう)」「独善的」「強い被害者意識」「怒りやすい」「不機嫌」「相手の社会的な立場に過敏」といった幾つかの特徴があるように思います。一度これらの理由を考えて取り上げてみたいとも考えています(このブログ以外の場所で発表する方が良さそうですが)。
あなたのブログは本当に面白いです。
これからも応援しています。
>御徒町
もうかれこれ20年ほど前のことです。
記憶が定かではありませんが、ビルの4階又は6階あたりにあったと思います。
たまの上京時の事でした。
秋葉原かもしれません。(記憶が曖昧で申し訳ない)
その将棋クラブに開店直後にいったら、偶然小池さんしかいなくて対局していただきました。
駒落ちでしたが力戦系で私の完敗、
力でねじ伏せられた印象でした。
秀行さんも芹澤さんも小池さんも狂が付くほどの
競輪好きだったようですね。
将棋とか囲碁の読みと競輪の展開推理が共通するのでしょうか?興味あるところです。
どうもありがとうございます!
励みになります。
私も似たような状況下にあるとき「無視すれば良い」と分かっていながらもついつい一言いってやりたくなるんですよねぇ。。。
山崎さんが、たまに反撃しちゃうところにも人間味が溢れてて最高です(笑)
非礼なコメントにイラッときた時のイラつきを抑える「無視する」以外のいい方法はないですかねぇ?
自分に言い聞かせる格言みたいな。
私は囲碁について全くわかりませんが、藤沢氏の死去の翌日、日刊スポーツの記事で始めて藤沢氏を知りました。
とても興味深い内容で、藤沢氏の勝負師としての生き方に感銘を受けました。
山崎さんのブログとてもわかりやすく読ませていただきました。
ありがとうございます。
健全な熱中と依存症、その境界を「飽きがくるかどうか」とする考え方もあるみたいです。
多少なりとも病的でないと長続きせず、世間的には大成しないということでしょうか。
やはりご本人の傾向なのでしょう、人の世話も病的なものは「共依存」と呼ばれたりしますし。
山崎様は健康的で程々に多趣味で、勝手ながら対極にあられるのではないかとお見受けいたします。
どちらが幸せだとお考えでしょうか。
私は依存状態の方はやはり苦しいのではないかと察します。周囲にはストイックに映り、それがまた魅力的なのですが。
「不幸には各人各様の形があるが、幸福は一つの形だけだ」と言うものが、あったかどうか定かではないのですが、それを求めての話なんだろうなと、やっと気が付いたのです。でも考えてみれば、幸せもさまざまな形なのではないでしょうか。
藤沢氏も、経済の高度成長期でなければまた異なった評価と応対を世間から受けていたかも知れません。あの時代は、許容度の大きな時代だったと思うのです。バブルが弾けてジリ貧の経済状態となると小さなことを指弾して憂さを晴らす、イライラした時代になりました。もし今なら藤沢氏が同じことをしても異なる反応を世間はした可能性が強いですよね。
だから、幸せの条件も時代で変わる部分が多くあるような気がします。幾らできた奥様でも、時代の雰囲気で気分が変わるのかもしれませんし、経済状態でイライラするかもしれません。
やはりそれらを考えると、つまらない話ですが、その人の持っている「運」の要因は大きい気がします。その運も、人の才覚で変わるところがあるのかもしれませんが。
「運」が大きな要因だと言うと、詰まらないと言われそうですが、でも、それぐらい超越した存在(神と言う人もいますが)に謙虚であることも大事だと思うようになりました。
(非礼かもしれませんが、takaさんからは悪意は感じませんし。)
面白く読ませて頂きました。
確か藤沢秀行氏と親しくし、敬愛していた将棋の棋士では、故芹沢氏に加えて米長邦雄氏もそうだったと思います。
米長氏も、将棋と云う人生を賭ける対象があり、棋士として成功者となり、弟子が多く、女性にもて、あちこちに親しい女性を作っても文句を言わない奥さんがいて、健康で(最近は本人が前立腺ガンになったと公表していますが回復している様です)、お金も有るようで、人脈は広く、政治家や財界人からも先生と呼ばれ、明るい性格(本当はどうか知りませんが世の中一般ではジョークを良く言う楽しい人だと思われている)…と云う具合に、山崎先生が挙げられた各条件の多くを満たしている様に見えます。
米長氏自身も藤沢氏の破天荒な魅力を語る時、意識してかどうか、どこか藤沢氏の生き方と自分のそれを重ねてアピールしている様に見受けられます。
しかし、これは私の偏見かも知れませんが、藤沢秀行氏の「幸せ」が米長氏にあるとは余り思えないのです。
藤沢氏の「無私の精神」とか「打算の無さ」が、米長氏とはどうも縁遠い様に感じられます。
(勿論、米長氏がエゴイストだと言っている訳ではありませんが)
あくまで小生の感覚的な意見ですが、囲碁にも将棋にも御詳しい山崎先生の御意見を拝聴したく思いました。どう御考えですか。
因みに米長氏の弟子の先崎氏も週刊誌のエッセーで藤沢氏を悼む文章を書いていましたが、やはり無頼派と呼ばれるだけあって共感する物が在るのでしょうか。
急に図々しい感想やら質問やら、失礼致しました。
いらっしゃいませ。
米長氏はご存命の方なので答えにくいところですが、このように訊かれれば、答えないわけにも参りますまい。
ご指摘のように藤沢氏と米長氏は一見似たタイプですが、藤沢氏はある意味で社会性が欠落していますが、米長氏には人並み優れた社会への適応能力と、しかし、社会的な欲求があるように思えます。
米長氏は他人の心を読んで上手に働きかけることもできるし、社会的な策略にも長けているように思えます(「反対派」には厳しそうな方ですね)。であればこそ、人間関係の濃い中小企業のトップである、将棋連盟会長の職にあるのでしょう。他方、藤沢氏が日本棋院の理事長をやる姿は想像が付きません。
社会性は重要な能力で、幸い米長氏にはそれがあるわけですが、一方で、社会的な「欲」もあるのではないか、さらに、そのお蔭で、気になることが多いのではないか、というのが私の推測です。他人に高く評価されたい、他人を従わせたい、他人が自分のことをどう思っているかが気になる、といった感情があると、心は少なくとも「穏やか」ではないように思います(米長ファンには氏の一種の「邪心」も魅力の内ですが)。
米長氏の場合、人生的にはまだまだ先がある方なので、囲碁で言えば、ここで地を数える必要はないわけですが、今の時点では、藤沢さんの碁形の方が「厚い」ような気がします。
どう思われますか?
なかなかの妙手だと思いますね。
最近は、将棋ファンの間ではほとんどタブーになってますよ。
『運を育てる-肝心なのは負けたあと』とか
好いこと言うなあと昔から感心しておりました。
私は、女性棋士の団体を認めたことが悪手だったのではないかと思ってます。
女性だけとはいえ、社団法人としては対等になります。
それだったら、男子の別の団体があってもおかしくないということになります。
実際囲碁はそうなってますが、歴史的に一つじゃないと治まらないのが将棋界。
歴史的には1つになった将棋界を分裂させたという評価になってもおかしくありません。
晩節を汚さないことを祈るのみです。
こんなに早く小生のコメントへに丁寧な御意見を頂けるとは思いませんでした。有難うございます!
成る程、米長氏に在って藤沢氏に無い物が、「社会性」と、それと表裏一体の「社会的欲求」だという事ですね。一見良く似た様に思える二人を分かつのがその点だというのは非常に説得力ある分析だと思います。
小生は藤沢氏の様な生き方に憧れと好感を持ちますが(自分ではできっこありませんが)、世の中には米長氏の様に所属組織を政治的に牛耳ろうとする人も少なくないのでしょうね。
http://asasyouryuu-blog.blogspot.com/
一般的な報道では、「一般人を暴行」して暴言を吐いたりした加害者のような報道をされている朝青龍だが実際は・・・
◆朝青龍が引退!あの暴行事件の闇に隠された真実とは!!
http://asasyouryuu-blog.blogspot.com/
こんにちは、藤原秀行先生がどんな方か調べていたら、この記事に出会いました。
とてもわかりやすく、先生の人柄が目に見えるようで ・・・
ハンゲームでの「ぴよ級学園」サークル記事に引用させて頂いてしましました。勝手に申し訳ございません。
まずい様なら削除致しますので、承諾出来ましたら、よろしくおねがいします。
拙文がお役に立つのであれば、どうぞご使用下さい。