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子供の「いじめ」自殺について

過去一週間のニュースを解説する原稿を書いていたら(来週の「週刊SPA!」の「ニュース・コンビニエンス」に掲載予定)、今回は、北朝鮮の核問題、NHK海外放送への政府の命令、子供の自殺、娘夫婦の子供を代理出産した母親(50代後半。私は拍手を送りたい)と、議論を呼ぶような内容のニュースが上位に並んだ(まあ、私が選んだわけであるが)。何れも、賛否や、あるべき対応について、意見が分かれる出来事だと思う。

これらの中で、自分に近い問題として一番気になるのは、子供の自殺だ(北朝鮮は、なるべく「遠い問題」のうちに解決してほしい・・)。

今度は、福岡の中学二年生の自殺で、これは、教師も「いじめ」に加担していたというから、全く呆れる。教師、学校に問題があったことは、間違いない。自殺した生徒は、ぎりぎりまで、自分が死んでもいいのか(=誰か、助けて)というメッセージを発し続けていて、決して死にたくなど無かったと思われるので、胸が痛む。誰かが気付いてあげることが出来れば、救える命だった。

最近、「いじめ自殺」の報道が多く、これを見て、「いじめは、被害者が死んでもおかしくないくらいの問題なのだ」「自分が、死ぬと、メッセージが残るのだ」といった意識を、たぶん全国に数多くいるだろういじめの被害者学童たちが持つことが心配だが、やはり、こうした事件を、徹底的に報道しないというのは、問題を隠蔽することになるし、間違いだろう。

それでは、学校から「いじめ」を無くすることができるだろうか。或いは、教師の質を上げることが出来るだろうか、と考えると、現実問題として、数年単位では、ほぼ無理だと思う。特に、「いじめ」は、大人の職場などでもあるのだし、子供というものは、案外残酷なものなので、これを根絶するのは無理だと思う。

それでは、当面何が出来るかと、考えると、「いやなら、学校など行かなくてもいいよ」というメッセージを徹底させることではないだろうか。学校に行かなくなれば、少なくとも、何かの問題があることが分かるし、そこで、はっきりと「親」が問題の当事者になる。

もちろん、この段階で、子供にどう接するのがいいかは、ケース・バイ・ケースだろう。親が乗り出さない方がいい場合もあるだろうし、休学・転校などの措置が必要な場合もあるだろうし、教師と相談した上で、子供に再チャレンジさせるのがいい場合もあるだろう。私も親だが、自分の子供が同様のトラブルに巻き込まれた場合に、どうすればいいのか、うまく対処できるのかは、全く自信がないが、少なくとも、自分の子供の問題に向き合うための時間的チャンスが欲しい。

「学校に通う皆さんに言いたいので聞いて下さい。学校がいやなら、無理に通うことはありませんし、それは恥ずかしいことではありません。学校の方が、皆さんに通って貰えるように努力しなければならないのです」といったことを、安倍首相にでもテレビで言って欲しいものだと思う。

ついでに、「借りたお金は返す努力をすべきですが、返せないものは仕方がありません。命に代えてまで、返済する必要はありません。胸を張って生きていて下さい」ということを言うのもいいだろう。「でも、国のために、命を捨てる行為は美しい!」などとついでに言われると困るから、安倍さんには頼まない方がいいだろうか。

ともかく、私自身は、子供に対して、(1)親である私は何があっても子供であるキミの味方である、ということと、(2)嫌なことは無理にしなくてもいい、(3)思っていることは話してくれ、というメッセージを伝え続けたいと思っているのだが、心配し始めるときりがない。

ところで、写真は、拙宅に配達される新聞六紙を四週間分ほど平積みしたものだが、紙の量は朝日新聞が突出して多く、夕刊が無い産経新聞が少ないのは仕方がないとして、同じ全国紙でも、毎日新聞との差は随分大きい。量があればいい、というものではないのだが、「新聞紙」がたくさん欲しい人は、断然朝日新聞なのだな、と妙に感心した。しかし、同じニュース・コンビニの記事の中には、朝日新聞への批判もちょいと書いておいたので、ご興味のある方は、来週発売号の「週刊SPA!」(たぶん30-31ページ)をご一読下さい。
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コメント
 
 
 
Unknown (裏・芸能スクープ写真集)
2006-10-18 17:30:56
裏・芸能スクープ写真集

高杉彩アナウンサーのスクープ写真を入手!!これはアナウンサー追放にもなるのではないだろうか??

雑誌の誌面にのるのも近いはず… 詳しくはご覧下さい!
 
 
 
提案など ()
2006-10-18 17:37:15
「思っていることは話してくれ」と親が伝え続けても、親には何も話せないのがいじめられている子供です。

級友にボコボコにされて金を巻き上げられても、馬鹿教師に罵られ暴力を振るわれても、エロ教師に悪戯されても、親には言えないのです。



提案です。

校内でのいじめ行為、教師の破廉恥行為・暴力行為、これらトラブルの解決には、当事者の親でもまた担任の先生でもなく、第三者的機関が乗り出すべきだと考えます。理由は、全ての親や先生に、調整・交渉・トラブルシューティング能力が備わっているとは限らないからで、特に親の介入はさらなるトラブルを巻き起こす(子への報復など)可能性があります。

第三者的機関とは、最近学校に設置されるようになったと聞いている臨床心理士やまた担任以外の先生などではなく、弁護士クラスの動員です。そして、トラブル解決後も子供を同じ学校に戻すのは止めるべきです。こういった第三者的機関(もちろん校外)に子供や親がリーチしやすいシステムを作るべきだと思います。



ところで、友人が、文部科学省の統計(平成14年・15年度)によると、いじめによる自殺はゼロで、自殺のもっとも大きな原因は「その他」となっているが、これは一体どういうことか?と書いてよこしてきました。

お役人様は、「見たくないものは無かったことにする」という姿勢なのでしょうか?



最後になりますが、最近、朝から晩まで茹でたジャガイモばっかり食べて一日中路上で靴磨きをし、車の排気ガスで鼻の穴が真っ黒になるような暮らしをしている子供がたくさんいる国にいましたが、そこで私が「日本では小学生が自殺をする」と言いましたら、現地人は「全く信じられない、カネがないから餓死とか病死ならわかるけど、子供の自殺ってどういうことだ?」とまったく訳が分からない様子でした。





 
 
 
子供の自殺予防案 (名無し)
2006-10-18 18:05:29
山崎様、こんにちは。



山崎様が仰るように子供、特に中学生世代は残酷な物です。自分の中学時代を思い返してみても、窃盗、喝挙、暴力行為など、今にして思えば犯罪行為が蔓延しておりました。また中にはひどい教師の体罰などもありました。



いじめを減らす私の個人的な意見では

1.生徒に刑法を教えることによって、学校の中であっても日本国内である限りは警察の力が及ぶことを教える。つまり学生であっても犯罪であることを教える。それに暴力があった場合には別に学校を介さなくても(穏便に済まそうと思わなければ)いきなり警察に相談してもいいと思うのですが。



2.いじめによる肉体的はもとより心理的な暴力であっても民事で慰謝料請求が生じた判例を教える。これによっていじめる生徒のみならずいじめている父母も自分の子供をいじめに荷担させないインセンティブになるのではないかと思います。例えば山形県のマット死事件では10年以上にわたり民事、刑事で争われてきたと記憶しておりますが、いじめた側も万一の時には相当後を引くことを学生に教えれば、少なくとも少しは減るんじゃないかと思っております。



3,いじめた側の子供、その親に対するマスコミの姿勢をもっと厳しくする。教師ばかりが取り上げられて、いじめた側の子供、親に世間の厳しい目が向けられないのはおかしいと思います。

「あなたいじめられてないの?」と心配する親はいますが、「あなた弱い物いじめはしていないでしょうね?」と聞く親が増えたって良いんじゃないでしょうか?



いずれにしろ、刑法の基本的なことを教えることは、大人の犯罪抑止の点からもいいのではないかと個人的に考えておりますが、如何でしょうか?



 
 
 
こんばんは (メケレレ)
2006-10-18 20:17:00
「死んでも借金を返す」というのはまさに「世間」の圧力ですね。金を借りたまま死ぬことは「世間」から許されることではない、ということでしょうか・・・。「世間」からはずれて生きることは極めて困難なことですからね。いじめられている生徒達も、自殺するまで学校に通うのは「世間」の圧力があるからかもしれません。そのように考えれば、我々も「世間」を構成する者として子供達を守っていかなければならないでしょう。そういった意味で山崎さんの「学校に行かなくてもいい」というメッセージは重要だと思います。学校は命を懸けてまで通うところではないですから。



少し抽象的にすぎるかもしれませんが・・・。



なお、朝日新聞についてですが、私は他の新聞を読んでないのでわかりませんが、広告が多いから厚くなっているような気がします。ちょっと広告が多すぎだと思います。



長々失礼しました。
 
 
 
ちょっと、思い出したこと。 (まさくん)
2006-10-18 22:17:58
山崎先生、こんばんわ。

子供たちの教育は、非常に難しいようですね。

山崎先生の、お子様思いの御心に、かなり感じ入るものがあります。

山崎先生の、「学校がいやなら、無理に通うことはありませんし、それは恥ずかしいことではありません。」というお考えに、賛同いたします。

実際、イギリスの思想家の、バートランド・ラッセルは、裕福な祖父母によって、自宅で教育を受けていたので、学校生活を過ごしたことが無かったそうです。

但し、後にラッセルは、しつけも時間割も無い、子供たちを自由放任な環境に置いた学校(この学校では、先生は子供たちから助けを受けたときにのみ、指導をしたそうです)を創設しましたが、これは、失敗しました。

失敗した理由は、大きい子供が小さい子供をイジメルことが頻繁に起きたからで、これは、ラッセルが、子供はある時期に、破壊主義になることを知らなかったのが原因だと批判されているようです。

「子供たちは、生まれながら、自然な探求本能を持っているので、それを手助けできる環境があれば、放っておいても子供は健全に育つ」というラッセルの見解は、誤りだったようです。

ラッセルの創った学校は、わずか、2、3年ほどで大きく方針を変えて、ごく「普通の学校」になったそうです。

ラッセルは偉大な思想家として、今日でも知られておりますが、彼の学校が数年後に頓挫した事実は、かなり興味深いことです。

一人の人間の人格、知識の成長に、学校教育は、さほど、影響をもっていないと思います。

ただし、教科書では学ぶことの出来ない、人とのつながりを学ぶ場は持ったほうが良いと思うので、それらの環境を手軽に体験できる「学校」の存在は、やはり、大きいと思います。

僕が学校で後悔しているのは、クラブ活動をサボったことで、もっとマジメにやれば良かったと思いました。

そして、教師は「聖職」と数えられるように、本当に生徒から慕われるような先生には、待遇を厚くするなどして、教育の現場を改善できたら良いなと考えます。
 
 
 
親の覚悟 (省Q)
2006-10-19 06:51:05
山崎さん、はじめまして。



私にはまもなく3歳になる息子がおりまして、ここのところ報じられているいじめ報道には、山崎さん同様やりきれない気持ちをもっています。(まだまだかわいいばかりの時期ですので、来るべき将来への不安ですね。)

この不安の内訳として、自分の息子がいじめられる側であったときに、父親としてどんな風に息子を守ってやるべきかという気持ちが9割、万一(?、親バカですね)いじめる側になるようなことがあったらという気持ちが1割といった感じです。



いまの子供たちを取り巻く環境が大人以上に過酷で、自分が子供であった頃とはずいぶん変わっていることは理解できますが、幸か不幸か自分はたいしたいじめにあうことも、いじめることもなく今に至っているような気がしているので、あえて過剰に心配したりしないでいることにしています。

小さな世界の中でのことですから、大なり小なりいじめ的なものはあるでしょうし、被害者と加害者は紙一重だったりすることもあるでしょう。そういった事と無縁であることが不可能であったとしたら、根深くない程度に経験してくれればよいと思いますし、表現が適切ではないかもしれませんが、そういう運の良さを自分の息子には持っていてほしいと願ってしまいます。



実はブログにコメントを投稿するのは人生で初めてなのですが、山崎さんがご自身のお子さんに対して伝え続けたいというメッセージについて、まったくといっていいほど同じ想いを持っていたものですから、慣れないことをしてしまいました。



自分の人生に翻ってみると、いたって平凡で、人生ってこんなにすばらしいといえるほどの人生ではないと思いつつも、少なくとも病気や怪我で死ぬこともなく、学生から社会人にかけて迷走しながらも何とか今に至り、お母さんに出会い、君という存在に巡り会えたという意味での成功者として、伝えるべき言葉は持っていると思いますし、本当に息子がピンチの時にそうした言葉がやりとりできる関係でいるための努力は惜しみたくないと考えています。

そして大変なこともあるけど、楽しくしぶとく生きていく姿をありのまま見せること。抽象的で申し訳ないですが、親ができる、あるいはすべき事ってそういうことなんではないかと思ったりもしています。



どうも、いじめる側になった場合のイメージは希薄なので、その点は運良くそうならない方に期待するばかりです。



ところで、私の場合、息子一人でもウダウダ心配してしまう訳ですが、子供の人数が増えるとこの気持ちは子供の数に比例して増えるものなのでしょうか?むしろその逆だったりするものなのでしょうか?

確か山崎さんはお子さんが4人いらっしゃったと記憶していますが、そのあたりいかがですか?
 
 
 
Unknown (はるごん)
2006-10-19 07:58:20
いつもブログを読ませていただいています。

今回、身近なテーマのため思わずコメントを書いてしまいました。

拙い文章と一方的な殴り書きですが、ご容赦ください。

我が家も幼児を抱えており人事ではない問題であるだけに、山崎様の仰るわが子への接し方は非常に共感を覚える一方、実践することの難しさも感じました。

特に「嫌なことは無理にしなくてもいい」という点についてはそういう考え方も重要なんだろうなあ、と思いつつ、

一方で社会においては多少なりとも必要とされるであろう我慢というものが疎かになりそうで兼ね合いが難しいと感じています。

私自身の中には色々と子供の接し方とか教育の仕方とか色々と思うところはあるのですが、

子供に接する中では、自分の考え方を押し付けがましくならないように心がけています。



いじめについては学校などの管理者側の問題はさることながら、根本的な問題としてはいじめに走る側の分析も重要であると思います。

私はいじめの加害者を作る要因は親の影響が大きいのではないかと考えています。

私自身の身の回りの狭い見聞ですが、親が自分の眼鏡にかなう子を選別して遊ばせる、ということがいわゆるお母さんたちの間では日常的に行われているようです。

遊ばせる相手の選択基準(どちらかというと排除する子供の選択基準というほうが正かもしれません)は、

頭脳や運動などの能力の良し悪しや親の職業・収入、相手の子供の発育状態など、きわめて見た目の判断によるもののようです。

そしてこの手の情報はお母さん仲間の連絡網であっという間に広がるため、

排除された子供は広い範囲で誰とも遊べなくなってしまいます。

子供同士の相性の良し悪しについては致し方ない部分がありますが、

親の判断基準を無理やり子供に押し付ける中で、子供の中に集団で特定の相手を排除するような心の動きを助長しているような気がしてなりません。

日本社会では自らの価値判断をもたず、とにかくブランド名だけを頼りにブランド物に走る大人が多いですが、

そのブランド感覚を子供の世界にまで同じように適用してしまうことが、いじめの加害者を作る大きな要因であると考えています。

極端に言えば、日本でエルメスやグッチなどのブランド物が売れなくなるときこそ、

いじめが減りだすときのように思うのですが、極端かもしれませんね^^
 
 
 
いじめ (sasakilagranda)
2006-10-19 13:28:28
TBさせてもらいました。



いじめの問題は深刻でいじめ自体は絶対なくならないと思います。それが自殺につながらないこと。そして教員の能力向上を急務にすることが求められていると思います。



政治 経済 社会 個人の価値観や家族など

色々なものが急速に変化してきてますが変わってないのがこの教育制度なのだと、今こそその膿みを出すときだと思います。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-19 14:28:01
>ふ様



確かに、学校には、第三者機関の介入が必要かも知れません。学校の現状は、あまりにも教師に任せすぎのように思います。



学校に限らず、官庁などもですが、第三者(場合によっては複数の)がチェックする仕組みがあると良いと思うことがあります。



それにしても、子供の自殺というのは、近年に特に増えている現象なのか、昔からあったことなのかを知りたいところです。



>名無し様



子供に悪いことを避けさせるインセンティブを導入することも重要ですね。法律、損害賠償、世間的批判などの概念は事例と共に簡単・正確に教えておきたいところです。教師を訴える例も含めて、きちんと教えるべきですね。



>メケレレ様



朝日新聞は、特集ページが多いし、「Be」のような別冊の分量も多いようです。きっと、「書きたい人」が社内にたくさんいるのでしょう。ビジネスとしては、たとえばBeのようなものを作るコストを上回るだけ広告が入っていると問題は無いわけですが、どうなのでしょうね。



「週刊現代」で始まった連載(私の番の第一回目は現在発売号に載っています。p41)の関係で新聞が6紙拙宅に来て、それはそれで面白いのですが、実感としては、紙の新聞は無くてもいいな、という感を近年強めています。新聞社のビジネスモデルの転換は大変でしょう。下手をすると、短期間にブリタニカのようなことになりかねません。



>まさくん様



ラッセルの学校の失敗の話、初めて知りましたが、面白いですね!いかにもラッセルらしい、作ったような失敗談ですね。



>省Qさま



いらっしゃいませ。



自分の子供が加害者にもなり得る、という視点は重要ですね。



私なども、先ずは自分の子供が被害者にさえならなければいいと考えがちで、特に男の子に対しては、「強い子になれ」ということばかりをともすれば強調しがちです。しかし、子供がだんだん大きくなると、自分の子供が何らかの加害者となる可能性があることについても、恐ろしくなります。



テレビなどでも、「いじめ」事件があった場合に、加害者側についても、親にインタビューするとか(少年法の関係で難しいのかも知れませんが)、あるいは、ルポルタージュで、加害者側の実態、背景にあった教育などを、しっかりと伝える必要があるかも知れませんね。そういう意味では、今まで、「いじめ」というものの全貌を知らせてくれるようなもの(本、番組など)を見たことがありません。



>はるごん様



「嫌なことはしなくてもいい」という方針を有効に機能させるためには、親の側でかなりの努力が必要ではあります。たとえば、勉強したくない、という子供に対して、そうするとどうなるか、メリット・デメリットを十分に提示した上で、「勉強した方が面白いのではないか」と自分で考えて貰うように誘導することが大切です。ただ、一回それが出来ると、たとえば勉強の場合でも、かなり長持ちするので、有効なことがあります。



ただ、「学校は、死ぬほど嫌なのに、行かなければならない所ではない」ということは、是非伝えたいですね。



親の判断基準を押しつける際に、子供の心に排除の論理を植え付けている、という洞察は、たいへん納得的です(勉強になりました)。



また、大人の世界でも、妙な集団行動は多々ありますし、集団が結束するときには、生け贄的な個人や少数者集団が排除の被害に遭うことがしばしばあります。



少数を尊重することや、数を頼みに圧力を掛けることの醜さ・卑怯さを、価値観として浸透させることが、まずは大人の世界で必要ですが、これがなかなか大変ですね。



政治も商業主義も、一つの価値にまとまることの心地良さばかりを強調して利用しがちなので(Wカップの応援などがいい例です)、これに棹さすのは、非常に骨が折れます。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-19 14:34:50
sasakilagrandaさま



TBありがとうございます。



「社会全体の問題だ」と言ってしまうと、ともすれば、先ず、どこに働きかけるべきなのかが、棚上げされてしまいますね。「いじめ」の問題にあって、教師の改善が必要なのは、仰るとおり、当然だと思います。
 
 
 
小学校からやりなおせ (作業員)
2006-10-19 14:41:00
>これに棹さすのは



知に働いてるのかほんとに

(冗談よ、冗談)
 
 
 
Unknown (774)
2006-10-19 18:41:36
制度仕組みとしての学校が嫌なのか?学校にいる先生や友達が嫌なのか?原因がいじめであれば後者でしょう。

であれば生徒の流動化を促進すればある程度の解決が図れるのでは?と思います。

人間誰しも相性ってものがあります。

ガマンの限界に達するなら人間関係を清算可能に出来る、それが不利益にならない(学歴・経歴等々に配慮する)ようにすればなんとかなるのでは?

学期毎に何度でも転校を容易にできるような制度ができれば(更には転校される側の評価制度の導入も?)救われる親子って多いんじゃないのかな?って思います。



まあ私は転職を繰り返しており(山崎様には及びませんが)、世間的にはよく思われませんね。

これも世間の偏見?なんでしょうか???

大人だとガマン・辛抱が足りないって思われる?

安倍の再チャレンジって結局世間の偏見(常識?)を変えられるのか?って事なんだと思います。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-19 18:55:05
774さま



転校すると気が晴れる、というのは、実感として、非常によく分かります。私は気づきませんでしたが、これは、イジメ防止策の中で、一番のヒットかも知れません。教育委員会とか学校の許可のような、面倒な手続きを経ずに、原則として自由に出来るといいですね。



ご指摘のように、転職にも、この種の転校と似た面がありますね。まあ、世間の偏見があるのも事実ですが、気にせずにどんどん転職すればいいと、私は思ってます。人生の時間は、貴重なので。
 
 
 
中学校の教師 (kevin67)
2006-10-19 20:39:45
初めて投稿させていただきます。

山崎さんの記事については、ブログのみならず、雑誌記事やご本も読ませていただいております。

(ただし、本は市の図書館から借りて読んでいるので、自分でお金は払っていないのですが・・・)



さて、本題です。

中学校の先生というのは、どういう人がなるのでしょう?

はっきり言って、私はなりたくありません。

精神的に不安定な年頃の子供を指導するというのはかなり困難なことのように思われます。

その困難な仕事を行うのに見合う高い能力を持った人が、その高い能力に見合う報酬をもらって、生徒たちを指導しているのでしょうか?

有名私立中学ならそうなのでしょうが、公立中学なら、そうではないと思います。

さほど能力の高くない人が、さほど高くない給料をもらって、やっているというのが実情ではないでしょうか?

(私は中学教師の給与水準を知りません)



こういう事件が起これば、必ず教師が袋だたきに遭いますが、わざわざ袋だたきにするほどの人たちなのでしょうか?

(今回の場合は確かにひどい教師だったようですが・・・)



そもそも中学教師に期待する方がおかしいようにも思いますが、どうでしょうか?



山崎さんには、中学教師という職業の魅力と問題が起こったときの責任のとらされかた、それに、報酬という観点から、経済学的に論じていただきたいと思っています。



あと、もう1点。

子供たちには、「学校というところは、死ぬほどつらいことを耐えてまで行くほどの価値はない」ということを教えるべきだと思います。
 
 
 
お返事、有難うございました。 (まさくん)
2006-10-19 22:09:50
山崎先生、こんばんわ。

お返事を、有難うございました。

ラッセルのお話は、故人なのですが、元BBC日本語放送部長のトレヴァー レゲット氏(Mr.Trevor Leggett)の著された、「他山の玉石(サイマル出版会)」という本でのご紹介です(今は、絶版のようです)。

僕も、最初は、ラッセルの、このような学校教育のお話しには、驚きましたが…



ところで、いよいよ、今週末はお引越しですね!

山崎先生のお引越しが、首尾良く進むよう、陰ながらお祈り申し上げます。
 
 
 
あえて言う (陣平)
2006-10-19 22:29:23
マスコミ、報道、というのは最大公約数を当てにしていると思う。

教師、学校、教育委員会からそれらを取りまく世間にたいしてバッシングはいくらでもできる。簡単だ。

メモを残して命を絶つ少年に問題はないのか。そんな子を見抜けない親に責任はゼロなのか。

私はこの事件で、親が葬儀で「彼は、、」と息子のことを言っていたのが気になる。

訴訟社会、「商売」をしようとする大人がいることも悲しいかな、現実である。

亡くなった人間を神聖化する報道も疑問の余地がないとは言えない。報道だけが正義の味方か?

加害者、被害者という構図のみで理想郷を語る諸君、人間だけが意思(幻想)で死ねる動物だということも考えるべきである。



反論、ご自由に。
 
 
 
自殺率 (名無し)
2006-10-19 23:38:59
>それにしても、子供の自殺というのは、近年に特に増えている現象なのか、昔からあったことなのかを知りたいところです。



wikipediaに少し書いてありました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA



1989年からのデータなので昔とは言えないですが。



ちなみに小生は内科医なのですが、以前に救命センターに勤務していたことがあり、実際に自殺を遂げる人より自殺未遂は印象として5~10倍います。自殺未遂はデータになっていないでしょうから実数は不明だと思います。

データにも書かれていますが、20代から60代まで幅広く自殺者は運ばれてきましたが、自殺未遂では睡眠薬などの薬物内服や(実際にはかなり大量に飲んでも睡眠薬では死ねないのですが)、飛び降り、首つりなどが多かったです。学生の割合はデータの通り割合としては少なかったです。二日に1人くらいは運ばれてきましたので、ここだけの話、救命センターなどの医師は自殺と聞くとうんざりしてます(もちろん医学的な処置はきちんとやりますが)。



まあ年間3万人の自殺ですから、経済的な損失もかなりのものだと思うのですが、交通事故と同様、大人の自殺率も減らす政策が必要だと思っております。
 
 
 
ニュースコンビニ (かんべえ)
2006-10-20 03:51:00
山崎さん、こんにちは。吉崎です。ただ今、ニュージーランドのロトルアというところにおりまして、週末に帰国予定です。出張のお陰でニュースコンビニの輪番を変えていただき、どうも恐縮です。この連載、書き手によって世の中の捉え方が違っていて、いつも楽しみにしております。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-20 15:12:01
>kevin67さま



中学校の教師の給与水準は詳しく知りませんが、同年齢の地方公務員と同等或いはちょっと良いくらいではないでしょうか。少なくとも大いに高収入という訳ではないと思います。



人材の質については、「不足」を言いだしても、「いい人もいる」と言いだしても、たぶんきりがないのではないかと思いますが、生徒&親側の期待を下回っている人材が3-4割はいるのではないかと思います。(ちょうど平均が期待を満たすということは、半分が平均以下ということで、これが問題なのでしょう)



教師の報酬については、先ず、水準よりも先に、競争が乏しいことが大きな問題ではないでしょうか。教科の教育だけを取っても、進歩のないまま、解雇もされず、年齢と共に昇給しているように思えます。



5年に一度くらい教員免許を書き替えるために学力その他のテストを受けるとか、生徒と親からの評価が給料にフィードバックされる仕組みを作るとか(校長など、「教師仲間」だけに人事を握らせてはいけません)、例の教育バウチャーを個々の教師の待遇に反映させることも必要でしょう。その上で、評価の高い先生には、現在よりもかなり高額な報酬を払う、というような仕組みを導入すると良いでしょう。



生徒ばかりに競争があって、サービス業としての教師の間の競争が乏しいことが問題ではないでしょうか。



>まさくん様



ラッセルの話は、どうもありがとうございました。基本的には、ラッセルに、一段と親しみが湧きましたが、いくらか現実から遊離した世界の中で思索していたのだ、ということを、今後、ラッセルを読むときには、注意しないといけないな、と思いました。



明日・あさってで、引っ越しですが、取りあえず、天気が良さそうでホッとしています。



>陣平さま



いらっしゃいませ。



実は、私も、被害者の親には少なからぬ疑問を持っていました。子供が死ぬほど苦しんでいるということのサインを見逃した点では、親の責任は、教師と同等程度のものが、あるのではないかと思います。



マスコミの報道が「善vs.悪」及び「被害者=可哀想=善」という図式で行われやすいことについては、善悪の図式だと物事の飲み込みが良くなるらしいという脳科学的な理由もありそうですが、この問題に限らず、一般論として、現実の問題としては、被害者側にも悪い点があったということが多いのも事実です。



善悪の二分法を「そんなに単純ではない」と批判するのは、一つの批評のパターンであり、やりすぎると安易だとも思いますが、常に必要な思考だと思います。



>名無し様



ご教示ありがとうございます。



仰るように、大人の自殺対策も大切ですね。自殺については、景気との関連がよく言われるのですが、考えてみると、絶対的に食べていけない、というような困窮は減っているはずなのに、自殺は増えています。竹中平蔵氏は、問題は「格差」ではなくて、「貧困」だ、と仰っていましたが、貧困の絶対水準が改善していると、問題はないではないか、という見方をすると、ある種の単純な経済理論とは整合的になりますが、人の幸福感まで含めた経済の見方という点では、かなり大きな要素を見落とすことになるように思います。



ただ、先ずは、大人の自殺の何%が何によるものなのか(借金なのか、生命保険なのか、鬱病なのか、等)を詳細に調べることが重要でしょう。この原因によっては、自殺の大きな原因は景気でも格差でもない、というようなこともあり得るでしょう。



>かんべえ様



吉崎先生、こんにちは。確かに、「SPA!」のニュースコンビニのローテーションが一週繰り上がったのですが、私は、この週末に自宅の引っ越しを予定していて、これは、かえって好都合でした。あの連載は、確かに、書き手によって見方が大きく違っていて、読み比べると面白いですね。

 
 
 
「中学校の教師」のつづき (kevin67)
2006-10-20 16:41:17
山崎様



意見に回答いただいて感激しております。

さて、「生徒ばかりに競争があって、サービス業としての教師の間の競争が乏しいことが問題ではないでしょうか。」との意見、ごもっとも、と思う反面、教師からは、「安月給できつい仕事をさせられて、その上、さらに競争までさせられては、やってられない」という意見が聞こえてきそうです。



中学校の教師の質を上げるには、以下の2点が必要と考えます。

(1)中学校教師という職業を、仕事の内容、報酬、周囲からの尊敬その他により魅力的な職業として、有能な人が応募してくる環境をつくる。

(2)上記の有能な人と現在の教師が入れ替わる仕組みを作る



いかがでしょう?
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-20 17:28:05
kevin67さま



再度のコメントありがとうございます。



いきなり報酬を上げるのも一つの方法ではあるかも知れませんが、予算も厳しいでしょうし、現在でも、公務員は恵まれています。良い先生にたくさん払うために、そうでない先生への報酬をカットする仕組みが必要だと思います。また、尊敬は、後からついてくるものでしょうから、急にどうこうするのは無理ですね。



また、「現在の教師と有能な新規参入者が入れ替わる仕組み」は、当然競争を含むものでなければなりませんね。



企業人的感覚で考えると、本当は、クビのない競争では甘いのですが、今の仕組みのままでは、例えば、君が代を歌わない先生がクビ、というような事態が起こりそうですし、評価する校長の側のマネジメント能力に問題がありそうです。したがって、徐々に能力主義的な人事制度に移行していかなければならないと思います。



このように考えると、公立学校の校長に教育と経営のプロ人材を充てるということが急所になりそうに思えます。



いずれにせよ、日本は、人材が最大の資源なので、教育こそが最高の投資でしょう。お金持ちは、既に、公立学校をあてにしない、別の教育を考えつつあります。公立学校の質の低下は、何とかしなければなりませんね。
 
 
 
山さんさあ (作業員)
2006-10-20 20:41:29
競争競争っていうが、教育は利潤追求目的ではない、が大前提じゃないのか。それから、競争は、本当に相対競争なのか。誰かを蹴落とすために教育するんやないで。



誰も子供たちに本当のことを教えてあげないから、元ヤンキーよりよほど悪い私自らコメントしとくが。

流れに棹さす は傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をすること。



教育問題は山さんには役不足 と言えば、本人の力量に対して役目が軽すぎること。

以上、国語に関する世論調査より。
 
 
 
少子化との関係 (Dialectician)
2006-10-20 22:25:01


私も一言。

少子化で兄弟間に生存競争がなくなり、王子様・お姫様ばかりになると、自分が死ぬほど愛おしくなり、周りが自分を愛さないという信じられない状況になるとホントに死んでしまう、という側面があるのではないでしょうか?

自分は四人兄弟の末ですが、貧しかったこともあり殆ど放置されてました。両親とも自分を溺愛してくれてましたが単にそれだけで、全く説教のような話を聞いたことがありません。家族6人を養うのが精一杯で教育どころではなかったのだと思います。鉄くずを拾ってなんとか生きながらえただろうカンサンジュンさんには足元にも及びませんが。



無菌室で育つと抵抗力がなくなるが、Meが肥大化すると保身のためにかなり攻撃的になります。これに拍車を掛けるのが頭の弱い親で、学校の先生にちょっとでも落ち度があるとそれはもう凄い形相でキーキー言い出します。もともと税金によるサービスに対してそこまで詰問するのはまるで牛丼の吉野家で、接客態度が気に入らないと言って店員にクドクドと詰め寄る哀れな客のようです。子は子で少しでも相対的に排斥されると、世間の情報に明るいので、虐待だと言い出します(本当の幼児虐待も増えているようですが、それはまた核家族とかの別の問題)。自殺は一面では究極の攻撃なのかも知れません。



義務教育は無償であり、最低限の、金持ちにも貧乏人にも万人に必要な教育の場を提供するだけです(それにしても日本国憲法は素晴らしい!)。それ以上の質の教育を施したいのであれば親自らやるか、自分の望む学校にお金を使って委任するべきだと思います。万人に平等に提供することの重要性は、多少の質を落とすことになる危険を伴っても認めなければならないと思います。義務教育は云わば教育のセイフティーネットではないでしょうか。



それに何も小学校高学年の段階で、中高でやるべき複雑な計算問題とか高度な文章読解とかやらなくても全然焦る必要などないし、できたとしても後に立派な人格者になれるわけでもない(早いうちから自己鍛錬にはなるのでいいとは思いますが)。先生が特定の子についてみんなの前でケナスとかは常識未満の問題ですが、常識以上のことについてであれば教師を強力な勤務管理下におくことには反対です。一旦公権力が教育に管理を始めると常識未満かそれ以上かの別無く管理され、“教師の質”の名目で教育勅語的学習指導要領に束縛される危険性があり、それと小学生の自殺問題は別物と考えるべき、と思います。



心のケアなどやってる余裕がない貧しい時代(自分より前の団塊の世代、または更にその一つ前の戦争に跨る世代など、生きるのが精一杯の時代)がいいなどと言ってるのではありません。今、“強制わいせつ”という正しく呼ばれるものも昔は単に“イタズラ”などと矮小化されていたし、貧しいのが善であるわけもない。そいう意味では“イジメ”などという牧歌的な矮小化されたコトバの使い方はもう止めて、ケースによってはもっと正確に“恐喝罪”、“自殺教唆罪”、“脅迫罪”“暴行罪”“傷害罪”などと呼称するのが妥当だと思います(刑法上・少年法上の制約は別問題)。しかしいかに傷害を負わせたとしても(ノイローゼにする意思でノイローゼにすると『無形力による暴行による傷害罪』にはなるが(判例))殺してはいないはずだ。“心のケア”は自殺予防の方向性でも、あまりそれを突き詰めると逆にラジカルな方向に追いやる危険すらあるだろうと思います。

もっとも既に無菌状態で育ち、抵抗力をなくしている子に対しては無理やりにでも学校に行かせて抵抗力を滋養するかのようなショック療法は危険すぎることに勿論異論はないです。



少子化が一因でこれほど“傷つきやすい”子供が増えているという仮説には勿論、一人っ子でもおおらかで逞しい子もいるだろうし全く逆に大家族でもナイーブな子がいるだろう、という反論がありそうです。ただ自分は、少子化→自分を愛しすぎ→自殺という因果が成り立つ余地があるのではないか、という程度に思います。①悪質な“いじめ”=犯罪行為の抑止と、②傷つきやすい=切れやすい子の増加、③“教師の質向上”には、それぞれ別の処方箋・理念が要るだろうと思います。
 
 
 
感動した! (作業員)
2006-10-20 22:56:40
まあ、方言研究家さんに一票。

とりあえずなあ、日経よんどるかどうかで線引きするなら、山谷えり子のケツの穴の皺の数、君ら知っとるか? 知らんのなら、いますぐ知れよ。子供の脳みそと心、山谷にいじられるんやで。ネットでちょこちょこっと調べたら分るやろ。

安倍を総理にし、山谷を教育の担当などにした時点で、私も含めて親失格。剃毛せなあかん。こう書いてなお、山谷について調べるのも面倒な甘えのきつい大人には、しかたない、ケツのゆるい私が紹介記事かいたるわ。



山谷といえば、統一に祝電おくったとされとるし、そのあたりネットから削除しようとしておるわけや。ほんでから、この人はもともと民主党からでたのやが、なんせ薫陶を受けたのが、サンケイリビングやからなあ。結局ジェンダー攻撃に一本釣りされて、クリスチャンのくせに靖国で神式のお参りしとるわけや。それだけやない。夫婦別姓に反対しとるが、本人は親父の苗字使っていくらかあやかっとるんや。専門は、人形にピーニスつけて子供たちに性教育するとはなにごとだ、という純潔ベクトルの時代錯誤や。ジャーナリストとどこかでなのっていたら、大宅映子も問題やが、世界日報でインタビュー受けるぐらいしか実績はないから本気にしたらあかん。



山さんも、自分の子供がつくる会の教科書使っていいかどうか、扶桑社のスパの編集部に聞いてごらんよ。絶対やめとけって、正直に言うから、彼らは。
 
 
 
いじめとは ()
2006-10-20 23:35:00
初めて投稿します

よろしくお願いいたします



いじめに関して経験的な物言いしかできませんが、2つの条件から成り立っているような気がします。



1.あまり人の動きがない限定的な空間で

2.ある程度階級が決まっていること



要するにいじめとは、「立場の強いものが一方的に立場の弱いものを攻撃する流れが固定化されていること」

なのではないでしょうか



何によって条件を分けるのかはそのコミュニティにより変わると思いますが

「その立場の強弱を分けるルールが変わらないこと」が大切です。

そして、人の流れが変わらないことによって、永続的にその関係が続くと誤解することが(いじめる側、いじめられる側)

必要です。

いじめる側にはいじめるだけの理由があり、反撃されないという安心感があります。

いじめられる側にはそのルールが世界全体で適応され、どこにいってもダメだという閉塞感があります。



そこで提案ですが
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-20 23:45:15
引っ越し作業の合間に、一言、二言。



>作業員さま



教育という行為は直接的には利潤目的ではありませんが、その実施には効率が必要ですし、やっぱり教師には競争、少なくとも、提供するサービスの質に応じた報酬を対応させることが必要でしょう。



上手い寿司職人の寿司と、下手な寿司職人の寿司が、同じ値段ではまずいでしょう。客としては、寿司屋も、職人も選びたいし、そうなると、どの寿司屋も同一価格というのは非合理的です。



たぶん、作業員さまは、「競争」という言葉に過剰反応されているのではないでしょうか。(1)ダメ教師が何割か居る、(2)良い教師のステイタスは上げたい、(3)お金は無尽蔵ではない、ということになれば、なるべくフェアにということではありますが、現実には何らかの競争して貰うよりないでしょう。



教育は利潤目的ではない、という辺りで思考停止していては、面白くないと思われませんか?



尚、作る会の教科書はまだ見ていませんが、我が家のの豚児どもには、その程度の内容をせせら笑うべく、アンチ・ナショナリスト教育を十分施すつもりです。いつも上手く行くとは限りませんが、たかだか日本国のために死にたがるような阿呆にはならないように努力します。この点に関しては、上二人は上手く行ったと思うので、下の二人も油断せずに育てます。



ところで、山谷えりこ氏は、今まで興味を覚えませんでしたが、そんなに、汚いケツの穴をお持ちなのですか。



>Dialecticianさま



「少子化」を直接の原因にするのが良いかどうかは分かりませんが、子供に手を掛けすぎて、子供が自己愛過剰になる、ということはありそうですね。



また、教師への成果主義の導入は、経営的な感覚からは、是非必要だと思うのですが、一方で、現状で是を導入した場合、教師の思想統制に使われそうな、嫌な感じがするのが悩ましいところです。



やっぱり、校長をどう入れ替えるかが急所でしょうが、なかなか良くはなりそうにないですねぇ。
 
 
 
全部私学にしたら (のんきなとうさん)
2006-10-21 00:13:37
教師の待遇とか質が問題にされているようですが、公立学校を全廃してすべて私立にすれば問題解決するでしょう。それで税金は生徒の数に応じて補助金を出せば済むことでしょうが。

親が学校を評価して、評価の低い学校には生徒が集まらず経営が成り立たない訳で、君が代を歌うべきかどうかとか、ゆとり教育が良いとか悪いとかどうせ政府レベルで机の上で議論しても空回りするしかない問題の解決に時間を(役人が議論することには大金がかかっているわけです。人件費安くないですから。)使って貰う必要はなくなるでしょう。

 転校問題など小学校からすべて私学ならそれこそ自由でしょう。今の教員は全部退職金を払って首にする。学校の設備は入札で貸し出す。自信のある教員は退職金をお互い出資して学校を作って生徒を募集して経営と教育に当たる。優勝劣敗で問題はすぐ解決するじゃあないですか。今、私学でいじめやなんとかが問題になっていますか?私学では経営難だけが問題でしょう。今の学校問題はすべてお役人根性から始まっているとしか思えませんが。現場の先生達に全力を挙げて貰うしかないし、良い結果を出さなければ人生あとがないシステムが最良の結果を生むでしょう。これ極論ですか?
 
 
 
Unknown (Dialectician)
2006-10-21 01:23:45
公立学校を全廃して、授業料は補助金の形にした場合その金を酒代・パチンコ代に使い込んでしまった屑のような親がいたとき、その子はどうすればいいでしょうか?

現状の学校教育法(22,39,91条)は、子女に義務教育を受けさせない保護者に刑罰まで課していますが(登校拒否事由とかの事情があれば別)、本来私事たる教育について罰則まで規定してあまねく基本教育を普及させようとするにはそれなりの必要性があったからだと思います。読み書きも加減乗除ものできないような不幸を、なんの罪もない子に負わせるのは酷ではないでしょうか。もっとも私立だけ、としても現状と同じように、公権力が、子を学校に通わせるよう親に義務付ける(罰則付き)のであればいいですが、しかしそれでは公立か私立かは相対的な問題にすぎないでしょう。



それに私立中学でも“イジメ”があるのは常識ではないですか。 自分の先輩の娘さんは有名私立中学に通ってますがクラスには毎朝吐きながら学校に通う子もいるらしいですよ。
 
 
 
教育について その1 (床屋政談)
2006-10-21 03:59:15
山崎さん こんばんは(SPA!楽しみにしています)



教育というネタは、「ほとんどの人が自分や身近に経験があり、また経験に縛られるので、語るのに注意が必要が必須」と聞いたことがあります。気をつけて書こうと思います。



私は現在の公教育(とりわけ義務教育)で、最も問題なのは、

子供・生徒が、大人・学校・教師・社会を「舐めて」しまっていること、ではないかと思っています。



1:教師の教える授業、学業、さらには学問が、尊重すべきものだと、子供や親が思えない(教育技術の拙劣さ、学科自体の情報としての古さ、などなど)。いずれにしろ、学校に、「平日行くところ」以上の魅力を感じていない親や子の割合が増えた。



2:1のような「問題人物」が、授業などの学校世界の良好な秩序を壊して周囲を巻き込んでも、特段のペナルティーは与えられていない(生徒も親も。そしてダメ教師も!)。



3:ところが、公教育の外の世界(私立学校や経済社会)では、お金や人脈や実力やルール次第なのだという、当たり前の現実を、教師や教育委員会や組合やメディアが、ちゃんと言ってこなかった。



多くの方が指摘している、「イジメの立件」や、「ダメ教師の査定」や、「昔はこうじゃなかった」などなどは、どれかに当てはまるのではないでしょうか。
 
 
 
教育について その2 (床屋政談)
2006-10-21 06:34:18
つづきです。



そこで私が考える「処方箋」なのですが、

結局、なんだか格好をつけた言い方ですが、「普通に考えて着実に実行すればいいのでは」と思います。



A:「教育」やその言葉に、ヘンに高邁さを求めるべきじゃない。人間がやる以上、その提供者や生徒たちに(ダメ教師や隠蔽責任者やイジメッコなどの)稚拙さや醜悪さ残酷さは当然、一定量でてくるだろう。

それは逆に、世の中もそうであるという見本や練習にもなる。そして、世の中がそうであるように、明らかな稚拙さや醜悪さや残酷さは、罰や査定で「処分」される、という原則があるべきだ。

(ちなみに私学では、新聞沙汰になるような「イジメ」は、可能な限り排除しようとするし、もし学校当局が見つけたら何らかの処分は下されるので、少なくとも生徒たちは隠そうと、悪事だと認識しています)



B:そして、「処分」は、教育を受ける側(生徒や親)にも、同様になされるべきだ。落第、出席停止、矯正クラスへの強制投入、体罰(廊下で立たせる程度まで?)、また親への罰則は、粛々となされてよい。実際、現行規定にもあるのに、実行してないだけ。



C:さらに、どんな現場監督者にもある程度の裁量は任せざるをえない。重ねてだが、その裁量に対する評価も、静かにだがしっかりなされるべきだ。(公職だからという過剰な難癖も、過剰な保護も、両方を退けるべきだ)



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加えて個人的に思うのは、今までA~Cがなされていないのに、日教組(とメディア)の責任はやはり重いと思います。



「イジメは絶対いけない」と「戦争は絶対いけない」という、まったくそれ自体はごもっともな両スローガンには、似た空疎さを私は感じます。

問題は、「いけない」けれど存在する、存在しうるものに、どう立ち向かうか、ということでしょう。それに具体的な構えがなければ、そのトラブルから逃げる余裕がある人(多くは富裕者)から順に立ち去っていき、弱者が残るのみです。



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そして今、安倍クンたちの、「志をもつ国民」だの、「日の丸・君が代には力ずくでも強制」だのの、感情ナショナル馬鹿内閣に、高支持率です。



極端から極端へというか、何も考えてないというか…



コネで名門私学に入って、コネで有名会社に入って、七光りで特別公務員になった男に、公教育を「再生」してもらって、

富裕層は決して前線に立たない戦場で、「誇りをもって」銃を構えるのでしょうか? ナショナリストであることが本当に嫌になります。(でも止めませんが・笑)



(ついでですが、成城だか成蹊だか慶応だかの私学の代々コネ入学生徒にも税金が使われている…法学会の主流では憲法違反のはずなのに、なぜか黙認されています。きっとコレ、憲法改正するんでしょうね。)



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本題に戻って、概観するに、山崎さんのいう校長もそうですが、第一は教育委員会の問題でしょう。



時々の政治とは一定の距離をもち、かつ、各地方の教育「行政」を行う。趣旨どおりのことを

「しっかりと」やっていただければいいだけのことではないでしょうか。
 
 
 
まずは規範を示さねば (otaki)
2006-10-21 08:21:38
どうもはじめまして、山崎さん。



教師に競争を、というならまずきちんとした競争原理を模範になる人たちがやらなくては示さなくては画餅となるでしょう。



まずはこれらの人に責任をとって辞めていただかなくてはなりません。

・偽装請負を合法化せよと発言した御手洗経団連会長(労働者いじめを合法化しろと?)

・偽装請負を行っていたシャープ社長(経済評論家の山崎さんはご存知でしょうが亀山工場はひどいようですね)

・大幅に業績を下方修正したソニー会長、社長

・バブル崩壊からいまだ不況継続政策を続けている政治家(デフレ脱却などカネを刷って使えばいいだけの話なのにもかかわらず)

・フジの資産価格を大幅下落させた日枝会長

・ゼロ金利解除をした日銀政策決定委員



それから、

>上手い寿司職人の寿司と、下手な寿司職人の寿司が、同じ値段ではまずいでしょう。



そのとおりだと思います。そしてここでいう「美味い寿司」を食べられない人はどうすれば良いのでしょうか?



良い教師には良い配当を、というのは当然だろうと思いますが

何をもって良い教師とするのでしょうか?



以上のことをきちんとしないと画餅ですよ。
 
 
 
安部氏のスキャンダル第2弾が・・・ (ny)
2006-10-21 11:09:09
 今回のエントリーとは全く関係のない話で恐縮ですが、こちらのブログ+コメントでも散々こき下ろされている安部氏のスキャンダル第2弾が出てきたようです。



 耐震強度問題で話題になり、偽増資で逮捕されたイーホームズの社長・藤田氏が記者会見で爆弾をばら撒きました。

 内容としては、安部氏の後援会・安晋会の副会長が代表を務めるアパグループという会社が作った物件が耐震偽造の疑いがあり、それを指摘・糾弾していたが、事実を隠すために口封じの目的で自分は別件逮捕された、という内容です。

 先日藤田社長は有罪判決を受け、耐震偽造を見抜けなかったにもかかわらず、告発をした正義の味方のような態度をずっと取っていて気に食わないなあとも思っていたのですが、ここまで言うには何か根拠があるのかも、と思っていた所でした。

 これは裏話などではなく、会見でしっかり話した上に文書まで配ったそうですが、マスコミは完全無視を決め込めこんでいるようです。

 もっとも、藤田社長はずいぶん積極的に行動しているようで首相官邸に乗り込んだりもしているので、表に出てくる日も近いと思います。

 前回のファンドマネージャーに利用された件では、山崎さんの尽力にもかかわらず、目立った報道はありませんでしたが、今回はどうなるのでしょうか。なかなか見ものです。



 詳細はきっきの日記で明らかにされています。藤田氏ときっこ氏が直接メールのやり取りをしているようです。

http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

 16日くらいからこの話題に関して書かれているので、興味のある方はぜひ。



 しかしこれが藤田氏の言うとおりの状況だとしたら日本も旧ソ連や北朝鮮並に美しい国になりそうです。



 
 
 
難しい・・ (さんさん)
2006-10-21 11:13:51
初めての書き込みです。書き込まれたコメントを読んでも何か解決策があるかさらにわからなくなる、という気にしかなりません。



「いじめ」もいじめられることは声高に語られますが、自分がいじめたことがある、と誰も言いません。それほど、無意識なものか、やった方は忘れてしまうことなのでしょう。私も中二から中三にかけて、やられたことは覚えていても、小学生のとき自分たちがやっていたことがそういうことだとは全く意識していなかったです。かなりたって、弟から指摘されて始めて気づいたのです。学年は違っていても、年齢が近く同じような場所で遊んでいたから見えたわけで、それがなければ気づきもしなかったでしょう。多分多くの人にとっては、それくらいのものです。やるときはね。



それから「良い教師」の定義の難しさは既に出ている通りでしょう。「ダメな教師」は指摘できても「良い」というのは、はっきりしない。それから、何に対して「良い」なのか?教師に求めることはなんですか?授業ですか、生活指導ですか、クラブ活動ですか?優秀で家庭的に恵まれた生徒にとって「良い」なのか、知的、身体的、家庭環境、何かしらに困難を抱えている子のフォローなのか。そのすべてを一人一人の教員に求めるのは、これだけ「個性」とやらを声高に語る時代には全く不可能な気がするのです。しかも、親が教師より偉い、という今の風潮では。



それから、イギリスの教育改革が言及されることが多いようですが、既にサッチャーの導入した制度は改変されているそうですし、最近では高学歴=親の社会・経済的地位の反映が5、60年代より酷くなっているとあちらでも問題になっているようですので、その辺も踏まえて参考にしないと誤りのもとでしょう。



長くなりましたが、学校が特殊な世界、というより、大人社会の反映、と思うべきなのでしょうね、何よりも。
 
 
 
美意識とは (SH)
2006-10-21 13:08:27
>コネで名門私学に入って、コネで有名会社に入って、七光りで特別公務員になった男に、公教育を「再生」してもらって・・・



その通りですね。「闘う政治家」を声高に主張する政治家ほど内心は弱いのだと思います。弱い政治家がどれほど国の進路を誤った方向に導いてきたかは過去の歴史をみれば明らかです。

50を過ぎているのに父や祖父を引き合いに出す精神も何なんでしょう。とても恥ずかしくて私のような庶民にはできません。

「正しい教育」「美しい国」「郷土愛・愛国心をもつ態度」「しっかりとした政策」「凛とした国家」「規範意識を涵養する」「正しい政策」・・・・も同様、口にするのも恥ずかしくて。私の美意識とは全くかけ離れています。



 
 
 
まずは「明らかな」ケース、を。 (床屋政談)
2006-10-21 13:33:36
児童、生徒への教育が一筋縄で行かない、難しい行為なのは事実でしょう。

それは、自分の子供への教育や、たとえばサラリーマンが部下(大人)を教育する場合に比べても、ハッキリそうだと思います。



しかし、何事にも限度があります。



担当クラスが何度変わっても、授業を成立させられない先生が、部署も給料もそのままだったり(一般企業なら、新人で、せいぜい3回までの猶予でしょう)、



毎日、クラスに来ても授業中に立ってうろうろ歩き回り、気まぐれにイタズラ笑いしながらガラスを割りにだけ来る生徒(身内の中学のケースです)がいても、教師が必死で追いかけて止めるだけだったり(当の生徒にも怪我をさせないように!)、



平日ずっと、自宅で集団でたむろしてゲームだけしている児童に、何も言わない親がいたり(これも身内の中学のケースです。当然、児童は割り算すら出来ずに卒業します。親は生活保護をもらって給食費も払わず、親子とも携帯でぺらぺら話しているそうです)、



イジメについても、明らかに恐喝や強制わいせつにいたるものまで放置されてきました。

(傷害については、男の子は殴り合いの喧嘩を子供のうちに体験しておいたほうがいいのでは、という、マッチョなところが私にはあります・苦笑です。しかし、これもひどいケースは立件すべきでしょう)



こういった、明らかに逸脱した教師や生徒や親について、まず「処分」する。

それだけで、公教育の現場は変わります。



(ちなみに私、上のようなことは、怠惰な非武装無抵抗主義気分の帰結だと思います)



そして今の世相、そこからいきなり「国への誇りを育てる」です。



歴史的にセンシティブな国旗・国歌をむりやり拝ませて…イッちゃってます。



繰り返しますが、どうしてこう極端から極端に振れるのでしょうか。
 
 
 
いじめに対するアメリカとイギリスの取り組みについて (waremokou)
2006-10-21 14:50:18
以前、コメントで大変失礼致しました。

子供の問題は私にとって最も重大な課題であり、再度コメントをさせていただきます。



アメリカでは、長年の追跡調査の結果、いじめをする子どもは、特別に知能指数が低いわけでもないのに成績が悪く、自分の望む仕事についていず、社会人になっても適応できずに犯罪予備軍となる可能性が高いという認識のもとに指導が行われ、カウンセラーが対応し、問題行動が続く場合は精神科医かセラピストを紹介され、拒むと転校させられるということです。



日本でも学校カウンセラーはつくようになりましたが、常勤ではなく、多くは定年退職後などの元教員が勤めており、学校組織に対する守りの姿勢になりがちなことも批判されているようです。



イギリスでは、いじめに対抗してなにかしたいと考えている子どもの心を生かし、ピアカウンセリングと呼ばれる生徒を募り、専門のカウンセラーから訓練を受けさせ、定期的に話し合い、また、生徒カウンセラー同士の絆も深めながら活動を行うという取り組みが各国の関心をよんでいるそうです。



先生や親には打ち分けにくい話も、同世代の子どもになら話しやすいでしょうし、子どもという仲間に力になってもらうことで、自信回復も期待できそうです。



また、スウェーデンは日本と同様、ヨーロッパの中心から離れ、他国との往来も少なく、長い間閉鎖的で等質的社会を作ってきたがために、誰かが出すぎることを嫌った社会ですが、社会民主党が安定政権になって以来、国ぐるみで子供をサポートすることを重要課題とし、子供に「人と違うようになれ、集団の中で胸をはれ」と教えているのだそうです。





また、スウェーデン、アメリカ、中国、日本と世界四都市の中学3年生の子どもたち四千人の本音を調査、比較考査している本がありますが、ここでは日本には過保護の子どもが多いという常識と、子どもの思いとは随分違うようであることを指摘しています。日本の子供の六割が放任=無関心であると感じ、過保護と感じている子どもは四カ国でもっとも低く、諸事情から親と暮らしていない子どもがかなりいる中国と比べても、愛情度が浅く、監督度が低い事はひけをとらないということです。学業に関しても「勉強しなさい」と声掛けする母親は多いようですが、子どもと話し合う親は少ないようで、塾や家庭教師、学校に任せっぱなしの姿が浮かんできます。また、外国との比較からすると日本の15歳はやる気を失っているわけではなく、気力に欠けるわけでもないのに、自信を失っているというと述べています。ここら辺りの事情がいじめを蔓延らせている様な気がします。



以上、大変長くなり失礼致しました。
 
 
 
山はさもしいんじゃ (作業員)
2006-10-21 15:15:39
あのなあ。教育の目的は、山さんのようにさもしい人間の量産やないんよ。山さんの言っているのは、松下タコ社長養成塾と同じ、全部私立にしろ、は株屋の正論や。わしはなあ、闘えっちゅうとるんや。山さんが蔑視しとる甘えた大人の子供を競争させたら、優越意識とひがみ根性のドロドロになるのは目にみえとる。別にそれでもええんや。命さえなんとか失わなんだら、なんとでもなる。やから、近々は、命の灯が消えそうな子供のケアからやね。

で、教師のランクって、夜回り水谷修なんかは、最低ランクやろ。そんなランク付けになんの意味があるんや。子供の評価と、さもしい株屋の評価を一緒にすんなって。

わしが言いたいのは、掲げた旗を降ろすなっちゅことや。山はこう言った方がいいんだ。

「弱い子供が生き残れないのはしかたない。強くなるしかないんだよ。先生も同じだ。精一杯がんばってください」

わしは、こう言う。

「いいか坊主。生きるために闘うんやないんや。生きることが闘いなんや」

と、いまはなき西宮北高のボクサー教師をぱくってしまった。



さて、はっきり言うが、君らは本当にさもしい。ケツの穴が小さいというのは、諸説あるが、「ウンコも惜しいから、ケツの穴をしぼめて、ちょこちょこ黄金を出す」ことや。

なんで、いじめる子といじめられる子しかおらんのや。絶対にいじめを許さない子はどこにいったんや。わしの子がクラスにおったら、イジメはおこらん。それはイジメを看過してはいかんと教えとるからやろ。どんな相手に対しても、体力と知力の限りを尽くして闘えと教えとるからや。もし体力で負けたら、裸踊りでもして場をなごませよ。子よ、おまえがいじめられて、いよいよお前の力ではどうにもならなくなっても、負けたのは、まずお前自身だ。もちろん、父ちゃんがケジメとりにいっちゃる。校長も、いじめた親も半殺しにしたる。それは相手がヤクザでもや。それが父ちゃんの仕事。



男のムスコ

「息子よ。父ちゃんは、現場作業しかしたことがねえからさ。日経新聞はよめねえんだ。腕力にしか自信がねえ。だけどよ。守ってやっから心配すんな。負けることは恥ずかしいことじゃねえ。負けたからって死んでたら、父ちゃん、毎日博打に負けて母ちゃんに負けて、毎日死ななきゃならねえだろ。かっこ悪いもんよ、人生なんざ。そんでなあ、もしよ、死にたいなんて思ったら。父ちゃんのことはいいから、ヨイトマケの母ちゃんのことだけ、思い出してやってくれ。二年前、ハムカツとキャベツしかねえ晩飯で、おまえ、どうしてももう一枚ハムカツ食いてえって言ったろ。で、父ちゃんの分、おまえにやっただろ。そしたら、母ちゃん、食いさしのハムカツ父ちゃんにくれたよなあ。母ちゃんも字が書けねえけどよ、いい女だろうが。父ちゃんさ、母ちゃんと仲良く、食いさしのハムカツ半分こしたよな。いいか。パンに涙の塩ふって、そのパンを分け合うのが人生の醍醐味ってもんだ。さもしい株屋には、わからねえんだ。それが、下流の優越ってもんだ。それからな、本当にすごい人ってのは、いるもんだ。父ちゃん昔、道端で寝ててな、もうだめかって思ったら、顔見知りの乞食がよ、パン券くれたんだよ。いいのか、おめえは今日なにも食えねえんじゃねえのかっていったらよ、観音さまみてえに微笑んで、乞食はどっかへ消えてった。なあ、便所みてえな名前のキャノンの社長さんと比べてみろ。乞食は、コツジキって行を積んでる偉い人たちなんだ。絶対にからかったりしちゃいけねえ。観音様の、バチがあたるからな」



そんなわけで、学校に経営感覚? 好きにせんかいな。餓鬼の教育ぐらい亀田パパみてえに自分でするわい。やけどな、仁義ってもんがあるんじゃねえか。二十年銀行に勤めたら校長になれる、なんちゅうことを許すなら、校長を銀行の頭取にせんかい。作業員のこのわしを頭取にせんかい。たぶん、世襲の松下政経タコ社長より、山さんのタコ親父より、ええしごとしまっせー。



で、最後に日教組。

もうわしを教えた人は引退しとるかなあ。すまんのう、消火器持って追い回して。ありがとね、六人で六時間かけて半殺しにしてくれて。わしは、あんたらのことが好きや。最下流に生まれてあんたらの薫陶受けて、東アジア反日武装戦線狼部隊に入らなくて、ごめんね。もうそんな組織なかったから、ボート場に就職しました。立派な大人になれなかったけれど、しばらくあんたらの応援します。

まずなあ、おめえらは、剃毛しろ。若い女の先生ならパイパンじゃ。戦地に教え子を送らない? 送ったやないか、イラクに。なに? 非戦闘地域。やからまあ、パイパンで許したる。何度でも言うど。一度掲げた旗を簡単に降ろすな。それが教育じゃ。おめえらの影響受けて、今頃重信メイに弟子入りするような餓鬼はおらん。

そんでなあ、これはまじめな話や、よう聞けよ。おめえらの特技は、おれっちみたいなチンピラの話を六時間こずきながら聞いてくれるとこ以外にないんだから。さもしい株屋がランク付けして、米長クンニオみてえな暴れん棒な親も乗り込んできて、冷戦なんざとっくに終わっとるし組合自体に本来問題などないのになあ、おまえらから排除にかかるやろう。そのときにな、おまえら、特に日教組の左派、悲しいかな、五十人もおらんかもなあ。まあええわ。とにかくおめらは、手上げて、最低ランクの教師でーすって言え。それで、最低ランクの学校に希望だして、そこで人生をまっとうしろ。そこで、生徒に刺し殺されるか、ノイローゼになって自殺するか、そんなことは知らん。おまえらが子供にしてやれることは、それだけや。おまえらがそれをしなかったら、世界はさもしい株屋で溢れる。おまえが観音様になれ! 最後に、禅の教えでもくれてやる。

毎日死ね!
 
 
 
そもそも (のろのり)
2006-10-21 17:06:21
はじめまして、こんにちは。

いつも山崎さんの理性的な発言を興味深く読ませて頂いてます。

ここで論じられているいじめの問題とは違う内容ですが、この事件はテレビで見たところによると、自殺した子供の親が、

子供が有料サイトを見ているからどうすればいいのか?

と、この問題のありそうな先生に相談したそうで、それも(が?)いじめのきっかけになっていると私は解釈しています。

それで、親でもない私のこの感想としては、そもそもこの親がなんで子供が有料サイトを見たことを学校に相談するのかわからないし、中二という歳の自分だったら、穴があったら入りたいどころではないと思います。もちろん、お子さんを亡くされたご両親は気の毒だと思ますし、学校側に問題があったことも確かだと思うのですが、どうも家庭の事情を学校に持ち込む考えには納得できないのです。

子供をもつ親である山崎さんはこのことについてはどのようなお考えをもっていられますか?今回のケースは学校に相談する内容としては許容範囲だったのでしょうか?



ご意見頂けると幸いです。

 
 
 
そもそも(2) (のろのり)
2006-10-21 17:39:07
すみません。

上の

中二という歳の自分だったら、穴があったら入りたいどころではないと思います。

ということに関しては、ばらす方が悪いのは当然ですし、ばらされる可能性があるような先生ということを知っていたらの話でした。本人に知られなければいいことですので。



私の周りの人たちは、別にそういうことだったら学校に相談してもいいんじゃないの、という意見でした。学校と家庭の関係が近いことについては、意外とおおらかに捉えてもよさそうなのかもしれませんね。。。
 
 
 
そもそも(3) (のろのり)
2006-10-21 17:56:56
たびたびすみません。

恥ずかしながら上の二つは前提と仮定がごちゃごちゃで論理が破綻してしまっていますね。

「ばらす方が悪いのは当然ですし、ばらされる可能性があるような先生ということを知っていたらの話でした。本人に知られなければいいことですので。」

というのは、前提として相談してもいい、という意見の場合のことでした。。。



わかりにくくてすみませんが宜しくお願い致します。







 
 
 
理性的でなくてすまん (作業員)
2006-10-21 18:13:22
ちと思うところを書く。結局子供たちに何が必要かというと、逃げ道なんでしょう。ありきたりだけど。で、今後、学校に格付けして、生徒にもなんとなく序列がついたり、教師に序列がつく、という状態になっても、一点大事にしてほしいことがあります。学校の先生を山さんのように、穴絞り気味の人ばかりにしない、私のように穴開けっ放しの人間ばかりにしない。山さんと私のような非国民が、休み時間のたんびに罵りあっている。学校というのは、そういう多様性を残さないと、絶対にいけません。リーマン教師なんか集めても、いじめはなくならんでしょう。だめな非国民教師から学ぶことは、多いものですよ。もちろん、変態はいけません、変態は。



で、変態変態っていいますがね。

私が高校の時世話になった体育教師の三人衆は、いかつい大学出てるしプロレスラーみたいな体してるし、だったんですが。体育教官室にエロ本積んでました。それも、セーラー服のやつばっかりでした。まったくどうしようもないなあ、あいつら、と生徒の私たちは思ったものです。もちろん、そんなことを問題にしたりしません。こっそり盗み見たりして、楽しんでいました。

それで、高校を出て、いくらか右左について知るうちに、右翼ばかりだと思っていたその三人の教師の一人が、家永裁判のフロントに立っているヨヨギだったことを知り、おったまげました。思い出してみると、言葉の端々に、私には夢がある、みたいなキング牧師なこと言っていたような気がします。

山さんは、学校に共産主義者がいることをどう思いますか?(もっとも、ワシントン条約で保護されてるらしいですが今は。憲法上は問題ないですよね、方言研究家さん)



ついでだから書いておちるが。

元ヤンキー義家はだめだと思う。彼がヒノキミを子供たちに強制したいのは分かるが、指導要領が憲法に優位するようなことを言っていては、教師として失格だ。(方言さん、違う?)



最後に、三段腹のご父兄に。

ゆとり教育の戦犯が誰か知っていますか? 知らなかったら、とりあえず親として失格ですから、頭を剃ってください、下でもいいけど。

戦犯は、ゆとり教育というエリート教育を実践するんだと旗を振った、嫁の方が有名な三浦朱門です。死刑廃止ベクトル人間なので、公開処刑にせよとは言いませんが、つばぐらいかけてあげなさい。

それから、自民党は、このくされ小説家を、あろうことか憲法問題の参考人に呼んでいます。夜回り先生は、「いいんだよ、過去のことは」が口癖ですが、大人には責任を取らせないといけません。では、失礼。
 
 
 
グラマン銀行 (Dialectician)
2006-10-21 22:28:12
方言研究家というのはひょっとして自分のことでしたかぁ~?今の今まで気づきませんでした…弁証法のべの字も知らず弁証家を名乗ってますが、辞書見たら方言の専門家もDialecticianというんですねェ。



 そうですね、『憲法の法治国家的施行』とか言うまでもなく、あらゆる法令・処分行為を授権するのは憲法ですから指導要領も皇室典範も勿論憲法の下位規範です。二元法制はもうだめになりました。憲法が『自由の基礎法』とか『究極の授権規範』といわれる所以です。法律は政令・命令を授権する授権規範ですから各省庁が作る法規範は議会が制定する法律に反することができないし、あらゆる行政処分は最下位の規範で、それより上位のあらゆる規範に従う。では法律を制定することなく直接憲法を実施するために政令を作れるか、という問題があり(例えば26条2項後段の『義務教育はこれを無償とする』)、これは『憲法の法治国家的施行』からすると、できない、つまり教育基本法とか学校教育法という法律を(議会で)つくらないと政令で直接は実施できないという議論です。



共産主義は私有財産制との関係で若干議論はあります。勿論共産主義活動それ自体を禁止することはむしろ21条違反になりますが、私有財産制を完全に否定する法体系は29条1項(『財産権はこれを侵してはならない。』)に反するというのが通説です。若干議論があるというのは、この憲法文言を私有財産制ではなくて、“人間に値する生活保障”ととらえて所有・生産関係とは無縁の規定であるから、私有財産を否定する共産主義体制も必ずしも憲法違反にならないという、少数説があるからです。いずれにせよ今はあまりホットな議論ではないですが。合衆国憲法でも、きっと私有財産を一切禁止するのは修正条項違反です。(クドイようですが、共産主義活動を禁止するのは憲法違反のはずですが)。

それではその憲法は何によって授権されているのか、が問題ですが(実定法上はなにものによっても授権不要ですが)、これは法哲学になるので良く知りませんが、憲法論議上では13条の個人の尊厳原理に求められるというのが通説です。つまり憲法改正手続きをもってしても、この個人の尊厳原理だけは改正も無効ということです。そうすると簡単にいえば、公法規範のヒエラルヒーは、

個人の尊厳→憲法→法律→政令→処分行為、という序列になるかと思います。その前には何かあるか知らないが、人によってはなんかあるんでしょう、神様とか天皇とかね。

この個人の尊厳原理というTopPriorityは“個人の多様性原理”という言葉に置き換えられることもあります。学校もこの個人の多様性原理を謳うことが重要だと思います。“イジメ”問題の根源もこれを認めないことに起因するのではないでしょうか?



ちなみにエロ本云々で思い出しましたが、知り合いがミッション系の有名中高出身なんですが、ある日司祭だか神父である校長が(たしか白人)校長室でこっそりエロ本を見てるのを目撃してしまったといってました。







 
 
 
Unknown (Dialectician)
2006-10-21 22:35:59
肝心のグラマン銀行のことを忘れてしまいましたが、今日NHK3ちゃんで放映してました。恥かしながら、痛く感動してしまいました。

ただ、借りるには5人単位以上のグループを作るか入らないといけないらしく、その5人は相互に連帯保証人になるのだそうです。これでは“無担保で貸す”ことにはならず、若干表示に偽りありだ、と思いました。

それでもたいしたもんですね。世の中決して捨てたもんではないです。
 
 
 
Unknown (waremokou)
2006-10-22 00:28:49
山崎さんのコメントに対し、コメントさせていただければと思います。



>特に男の子に対しては、「強い子になれ」ということばかりをともすれば強調しがちです。



前コメントにあげた著作に寄れば、現在、いろいろな国において男子に対するプレッシャーは非常に高いようです。

一つには、成績においてジェンダーギャップが失われつつあること、第二に女子がグループを作ることが多いのに対し、男子はグループ内の結束が高くないこと、第三に男子が感情表現(悲しんだり、泣いたりする事等)をすることを良しとしない同年代の仲間のみならず、大人(特に父親)からのプレッシャーが強いことなどが挙げられるそうです。

現代の男の子たちは非常につらい環境で過ごしていることをご理解いただければと思います。



>生徒ばかりに競争があって、サービス業としての教師の間の競争が乏しいことが問題ではないでしょうか。



エリートの方々は公立学校教師に対し、偏差値の低い大学出身の人間ばかりで、競争が低く、能力に乏しいとお考えのようですが、実情については何も知らずに論じているのではないでしょうか。

教育評論家の尾木直樹氏や公立中学校教師であった河上亮一氏などの著作を参考に考えると、世間は教師の置かれた状況を理解する事無しにスーパーヒーローのような能力を求めているとしか思えません。お給料を上げ、競争力を高めても、選別方法が変わらないのなら、何の意味も持たないと思います。そして何よりも文部省を頂点とする江戸幕府のような上意下達システムが教師のやる気と能力を失わせ、保身に走らせていると考えております。



>公立学校の校長に教育と経営のプロ人材を充てるということが急所になりそうに思えます。



これはどうでしょう?単に偏差値をあげるとか、数値で示しやすいものであればわかりますが、示しにくいものもまた教育に取り重要な要素でしょう。人と人との関係を育てるというような目に見えてわかりにくいものを、教育と経営のプロは評価の対象とならないがゆえに捨てがちなのではないかと思います。



>「少子化」を直接の原因にするのが良いかどうかは分かりませんが、子供に手を掛けすぎて、子供が自己愛過剰になる、ということはありそうですね。



母のはしくれとして反論したいと思います。子供の自治能力が育つような集団遊びの機会が失われた結果、人との関係を学べないでいるのです。現在は早期教育に熱心なあまり習い事が増え、忙しくなった子供たちは集団遊びの機会をなかなか持てないでいます。



また、私学に対する幻想とも思えるコメントもありますが、精神分析医や心理療法家の方々の著作を読むと、有名大学進学率の良い私学のいじめその他心の病気など、かなり蔓延っているようです。私学はお金が関わる分だけ事実をねじ伏せているのではと思います。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-22 03:40:42
皆様



有意義なご意見と議論、ありがとうございます!



この土・日と引っ越しで、小さなノートPCとダイヤルアップ接続(AirH"-pro)に退化していることもあり、細かくコメントできませんが(ネット環境が復活したら、また、議論に加わります)、皆様のコメントは拝読しています。



かつて、JMMで教育を取り上げたときにも、議論百出でした。



「経済」のたちばからのコメントは、教育問題では好かれない傾向がありますが、教育は個人にとっても社会にとっても、重要な「投資」であり、「サービス業」でもあるので、この観点からの議論も続けていこうと思っています。
 
 
 
Unknown (waremokou)
2006-10-22 12:37:25
何度もすみません!



実は経済専門家である山崎さんがいじめに対しコメントなさるということがとても興味深いのです。



というのは、以前のエントリで山崎さんが人を商品価値で考えると私は批判をしたわけですが、他ならぬ私自身が就職活動の際は、自分の商品価値を考え、という言い方が少し強引ならば評価の対象として考え、評価が高くつきそうな部分をアピールするということを致しました。また、会社というものは評価の対象となるものを頑張らなければ実績は当然出ませんから、評価基準を念頭に置きながら行動します。そうした経験を踏まえた大人たちが親になると、子供を世間的な価値基準のなかで評価の高い人間に育てようとします。

その結果、子供さえも商品陳列のディスプレイに並ばされているのが現代ではないでしょうか。ルソーの「エミール」等による子供時代の発見もむなしく、大人たちの価値観に限りなく侵食され、現代の子供たちは、産業革命の中、労働力として搾取された子どもたち以上に子供時代を搾取されていると思います。これが現代のいじめの温床となっていると考えるからです。



資本主義経済といじめ、この関係は深いものなのではないでしょうか。
 
 
 
アンチ・ナショナリズム (雪渓)
2006-10-22 13:45:14
 いつも楽しく読ませていただいてます。いつか機会がありましたら、アンチナショナリズムについて書いてくださいませんか?

 熱心な読者として、繰り返し出てくるアンチナショナリズムは山崎さんの重要なテーマだということを知っています。サッカーの応援が気に入らないという身近な話から、お国のために死ぬのはアホらしいという話まで、話が飛び過ぎていて山崎さんの意味するところを掴めないでいます。

 私は治者がナショナリズムで人々を統制することに対する強い嫌悪感を持っていますが、国を象徴することが嫌いなのは趣味の問題だと思っています。毛嫌いしていた職場旅行やカラオケが大好きになったように、歳を経て年齢が最頻値に重なったら君が代に心が震えたり、国旗に敬礼したくなったりするかもしれないなぁと思っています。
 
 
 
子供の自殺は。 ()
2006-10-23 12:56:41
スーパーマーケットではクリスマスソングがバンバン流れ、でも明日はラマダン明け国民の休日というフィリピンからです。



「子供の自殺は近年増えている現象かどうか?」という山崎様のご質問への回答です。仕事でお付き合いのある精神科医(日本人)に聞いてみました。

  

① 一般に自殺既遂者の約10倍の未遂者がいるとされ、子供の場合、特に低年齢児では その(自殺)方法の未熟から、既遂に至るかは偶然に左右される所がすくなくありません。

  

②厚生白書の自殺統計では子供の自殺はここ50年程人口10万対0.7~1.5位で経過しており年によって変動があります。

  

③日本人の自殺率は北・東欧諸国に続き、西欧および米国よりも高い世界10位くらいで、中高年男性が高くなっています。

  

④マスコミでは「子供の自殺」の事件が起きるといじめを主とする「悪者探し」に、単純化して躍起になりしばらく類似事件を特集するため実態の増加のイメージが増強されている傾向もあります(精神科患者による殺人事件同様)。



⑤ただ子供のストレス耐性・ストレスコーピングの劣化はサポート体制(家庭・地域・学校など)の変化を背景として深刻化しているのは事実ではないか。



以上です。ご参考になれば幸いです。



Dialectician様、

グラマン銀行ですが、あのスキーム(マイクロクレジット)はバングラ以外の途上国にも普及していて、まったくあのまま、ではなく多少Modifyされますが途上国援助の場面で活用されたりしています。
 
 
 
無尽講 (Dialectician)
2006-10-23 19:09:18
ふ様



あの銀行のモデルは昔日本にもあったらしい“講”に似てますね。グラマン銀行のような単一の機関でなくても、フィリピンでも南米でもそういうグループに融資するグローバルファンドがあれば教えて下さい。なければ作ってしまいましょう!!
 
 
 
わしに引くなよ (作業員)
2006-10-23 19:13:13
ディスプレイから飛び出して殴ったりせんから、あんまりひかんでくれ。さみしいじゃないか。そうやって誰も寄り付かない青春を送った者としては。



友達をいじめ殺した子供が、せいせいした、と発言したと報道されて、山の子供じゃねえの、と思った人もいるかと思うし、さもしいかどうか別にして優秀な株屋に育つ逸材だ、と考えた人もおろうかと思う。人間の評価ちゅうのは、実に難しい。

が、キャノンの御手洗とミスター榊原だけは許さん。

こやつらが言っている偽装請負の合法化は、金融で説明するとこういうこっちゃ。



「積みあがった株式含み損を子会社に移し替えて自社のバランスシートから消し去り、損失隠しのために株式を買い戻し保証つきで高値で顧客に転売する手法」

こういうくそ証券会社の合理的手法を合法化せよ、と言っているようなもんじゃわい。



多様性の話が出たので雑な話をさせとくれ。

亀田一家をみていてつくづく思うのだが。子供は三人以上生んだ方がいいよ。天才同士のかけあわせでも、一人っ子では、天才に育つかどうか、五分五分以下やないかなあ。

亀田一家でいえば、才能は三男が突出しとるからなあ。これは、遺伝子の多型の問題だわな。土方の突然変異に負けるデ。だから、セレブの人が一人っ子だと、一族の利益は将来的には減るかもなあ、そこにスキがあるように感じて、アホボンを金蔓にする悪いのが後をたたんのやろうな、と思う。



最後に公立義務教育の話だけど。授業料が同じならば、同じサービスを受ける権利があるよなあ。無償でもおなじ。だからして、論理的には、問題校に、もっとも優秀な高額所得教師を違法・偽装ではなく派遣せんといかん。

のだが、わしと山さんが同じトップランクの教師と仮定して、わしが、カネはいらん、と言い出したら、これはややこしいぞ。子供たちに、山は、カネ目当てでおまえ等のいじめをなくそうとしているさもしい元株屋だからのう、それは、原発立地にカネをばらまく電力会社、言い換えれば、札束で女にマタひらかす外道、なんて言って、学校全体で山いじめ、とか始まったら、ほんと教師のたいへんさが身にしみるんでないか。



で、寿司のたとえは結論がでとる。

教育とは、寿司など食ったことのない裸足の子供に、最高の寿司をタダで食わせてやること。

まあ、いきなり寿司なんか食わしたら腹こわすだけだから、キャンプファイアーでもしながら、コーンミールでも分けて食べようで、そこの裸足の子らよ。まあ、ビージーエムは、ヨイトマケの歌かボブ・マーリーか。槙原のヨイトマケも結構いいのに、ぱくり騒動たいへんですね。では、こんなもんで。
 
 
 
もう一人の山ちゃん (作業員)
2006-10-23 21:44:54
山さんは忙しいに決まってるし、どうも竹中ちゃんのところにアベマリアな話書いたみたいなので、わしの実話ナックルズな話をひとつ。



男のいじめ



見たとおりの人間である私は、高校の時、奨学金をもらえるかどうかの大事な面接で、自分の長所と短所を述べなさいと言われ、正直に、「長所は腕力ぐらいしか浮かびませんが、短所は粗暴なところです」と答えたら、担任がずっこけて、校長は大爆笑していた。結局、奨学金はいただけた。



校長というと苦い思い出がある。小学校の三年生の時は、しばらく校長室でマンツーマンで授業を受けた。わしのいじめがひどすぎて、教室が緊張している、ということだった。校長は日和見主義のクソジジイだと思ったけれど、教頭は古文と歴史が好きな先生で、気があった。教頭は坊さんだったので、その影響も受けたかもしれん。

で、他人をいじめてばかりいたので、ひょっとしたら二十人ぐらいわしのせいで死んだかもしれない。今でも、小学校のツレに会うと、緊張しているのがよくわかる。もちろん、今の私はどこからどうみてもただのおっさん、ツレとの大差はない、と自分では思っている。

そんで、クラスに一人だけ、わしよりもケンカが強い山ちゃんという親友がいた。山ちゃんはケンカをすれば絶対わしより強いのに、わしとは絶対にケンカをしなかった。幼稚園のとき、わしが山ちゃんに性的ないたずらをしたことがトラウマらしく、おまえとは関わりたくなかった、と山ちゃんは後に語る。

その山ちゃんは野球がめちゃくちゃうまくて、肩を壊さなければプロでやれていたと思うのだが。そんな山ちゃんは、実に、わしのいじめを止めるのがうまかった。いつもいつも、それ以上やったらだめだ殺す気か、と横から体を入れてきて、ぎりぎりのところで事故を起こさないようにしてくれた。今思えば、大仏のような男だった。前にいじめを許さない子供、などとえらそうに書いたが、それはこの山ちゃんを思い浮かべて書いたまでである。

これでは話にオチがない。別にオチをつけるわけではないが、続けよう。

そんな粗暴な私であるが、ではナイーブに死について考えなかったかといえばそうではなく、中学のときは、毎日毎日、三好達治を読みながら、明日にも死ぬ人のように思いつめていきかいし山道を、な日々を送っていた。わかりきったこととは思うが、いじめっ子は、いつでもいじめられっ子になり、いじめられっ子にもなれないいじめっ子も、死を想うことがある、メメント・モリね。



さて、ちとかっこよすぎるオチかもしれんが。

わしの家には、毎年お歳暮が届いていた。それは、あの頃特殊学級とよばれたクラスに通う子供の親からで、貧乏な我が家では大変ありがたいものだった。で、なぜお歳暮をくれるかというと、想像がつくと思うが、うちの子をいじめないでください、というメッセージだな。

さすがのわしもそれだけは守った。ただ、ご父兄が歳暮をわしの家にだけもってくる理由。知恵の足りない若者と一緒にネコ車を押して笑っている、あの男の息子に頼んでいれば間違いない。粗暴な父に対して、そんな評価をしてくれたんだと思う。親は親の仕事をちゃんとしていれば、それでいいのだと思うのだと落として、落ちる。長々失礼。
 
 
 
尊徳のこころは損得なのか (アベルフ・シンドラー)
2006-10-23 23:03:24
いろんな職業に『やってはいけないこと』というものがあります。損得勘定を旨とする、経済学の立場から教育を云々するなんてのは正にその類ではないかと安倍ユーゲント的には思うのですが、最近は違うのでしょうか。



教える前に思考の中で損得の計算をして、行動を未遂に終わらせてしまうものは、教育者ではなく卑怯者である。



それでもなお、教育に経済を持ち込む事を提言するのであれば、子供に対していかに



損得抜きでやっている『かのように見せる』



か、演出面をも含めて考えてあげないと、親も困るし、教育委員会の人も困るんではないでしょうか。

多分すぐ子供にはばれると思います。
 
 
 
コメントありがとうございます! (山崎元)
2006-10-23 23:08:16
土日で引っ越しを終え、今日になって、やっとネット環境が復活し、皆様のコメントに返信ができるようになりました(昨日までの二日間は、AirH"と小さなノートPCでした)。



>のんきな父さん様



「全部私学に」というのは「役に立つ極論」だと思います。「全部自由にしたときにどうなるのか ?何が悪いのか? 実はいいのか? それで穴はないか?、・・・」と考えると、意見らしきものがまとまることが、私の場合良くあります。



公的な介入の不都合や、多様な教育に対するニーズについては、私学化が、有力な解決策でしょう。



ただし、Dialecticianさまが次に指摘されたような問題が、先ず、あります。



>Dialecticianさま



ご指摘ごもっともだと思います。「教育」という財に関しては、(1)その効果を当事者がよく知らないで取引する(不完全情報)、(2)やり損なった場合にやり直しが難しい(年金問題に少し似ています)、(3)当事者ではなくその親が判断を行う、といったことで、通常の自由経済的なロジックが働きにくくなっています。



もちろん、バカ親の子供の教育をどうするか、という問題は、大きな問題です。



それでは、社会なり政府なりがコストを負担してでも教育サービスを提供することの根拠は何か、と考えると、教育が行き届いている社会の方が何かと住みやすいし生産性も高い、という「外部経済」の問題があろうかと、私は、思っています。



>床屋政談さま



ご意見、興味深く拝読いたしました。



A、B、Cとも、ごもっともです。



教師にも生徒にも、多くを求めすぎてはいけないというのは、その通りだろうと思いますし、「親」への罰則及び教育も重要ですね。



ところで、私も、安倍氏をはじめとする「七光り族」は好きではありませんが、彼らは、利用できるものを利用しただけであって、「親の七光りだから、お前は意見を言う立場にない」と言い切ってしまうと無理があるかな、と思います(「それは単なる嫉妬だし、意見そのものに対する反論になっていない」と反撃された時に弱点を作ります)。



この点は、私も、日頃悩むところです。



たとえば、福井日銀総裁は、恵まれていて良い身分だから悪いのではなく、2月に村上ファンドを解約するような「悪事」に手を染めているから悪い、と批判せねばなりません。



>otakiさま



いらっしゃいませ。



お怒りは、かなり理解するつもりですが、「模範になる人たち」の改善を待たなければ、教育問題に手を付けられないということになると、いつまで経っても何も解決しそうにないですねぇ。



「良い教師」の定義は難しい問題ですが、相当程度はユーザー側の満足で評価せざるを得ないと思います。そのために、ユーザー側の評価を反映した何らかの競争を導入してはどうか、と考えてみました。



otakiさんなら、どうするのが良いと思われますか?



>nyさま



ことお金や人間関係に関する限り、安倍晋三氏は、一言で言えば「脇が甘い」ということなのでしょうね。



前任者の小泉氏は、アアマはあまり良いとは思えませんでしたが、一説にはお姉さんがしっかりしていたのだ、とのことですが、身辺は、安倍氏よりも隙が無かったような気がします。



>さんさん様



いらっしゃいませ。



教育の問題は、本当にどうすればいいのか、議論をするうちに、ますます分からなくなるようなところがありますね。



尚、自分の「いじめ」について言えば、私は小学校の頃、「いじめっ子」の側でした。但し、他の子供とつるんで、一人をいじめるようなことはしたことがありません。(逆に、集団リンチをされそうになったことはありますが)父親と一緒に、いじめた相手の子供の家に謝りに行ったことなどを思い出しますが、今にして思うと、父親がよく自分のことを見ていてくれたものだと、感心とともに感謝するような次第で、今後、自分の父親のように、自分の子供をよく見て育てることができるかどうかについては、全く自信がありません。



文末の、学校は「大人の社会の反映」というご指摘はごもっともだと思います。



>SHさま



厳密には「七光り」がではなく、安倍晋三氏本人の能力不足がいけないのだろうと思いますが、確かに、彼は、私の美意識にも全く合いません。



>床屋政談さま



「処分」に賛成です。教育を特殊な「場」として棚上げせずに、普通の社会のルールを適用するべきですね。Dialecticianさんが、ご指摘されていましたが、「いじめ」といった矮小化された言葉ではなく、恐喝とか、傷害といった法律用語を使って、個々のケースを取り締まるべきでしょう。もちろん、教師だけの手には余るでしょうが。



>waremokouさま



いらっしゃいませ。再訪、大歓迎です!



アメリカ、イギリス、スウェーデンのお話、ありがとうございます。



アメリカの話で「なるほど」と思うのは、いじめる側を転校させるという話で、日本では、ともすれば、いじめられる側が転校することになりますが、これは本末転倒ですね。



イギリス流の子供を解決策に協力させるという試みは、なかなか興味深い話ですが、これをやるためには、教師の側に相当の力量が必要でしょうね。



日本の親の子供に対する関わりが、少なくとも、子供の側から見て、不十分だ、という調査結果ももっともだと思います。



やる気も気力も無いわけではないのに、自信を失っている15歳というのは、何ともやりきれない気持ちになる存在ですね。自分の子供のことだけを考えていてはいけない問題だということは分かるのですが、私も、自分の子供に対して、しっかり接しないといけないな、と思う調査結果です。



>作業員さま



大作のご投稿ありがとうございます。



「さもしい株屋」にも仁義というものはあるのでございますが、話すと長くなるので、またの機会にいたしましょう。



>のろのり様



ここのところ、引っ越しに忙しかったこともあり、この事件の詳細を掴んでいないのですが、ご指摘のような話があったのですか。



このケースで学校に相談する親も情けないし、それをばらす教師は教師失格でしょう。誰が一番悪いかといえば、このケースでは教師ということになるでしょうし、親については、一般論として、解決策が見つからないのだったら、学校に相談するのは、まあ、「あり」だとは思うのですが、それでも、中二の息子の心情を思うと、いい感じはしない親ですね。



答えになっていませんね。スミマセン。



親は学校に相談してもいいが、親自身が子供と向き合って問題を解決するのがもっと良い、ということではないでしょうか。



<作業員さまの「理性的でなくてすまん」以下のコメントに対するレスはまた後ほど>
 
 
 
Unknown (床屋政談)
2006-10-24 07:22:04
山崎さま



引っ越し、無事終了?なによりです。

(私も家族で引っ越しを考えており、かつヤマトファンなので、「おまかせ」パックの感想も教えてください・笑)



::::::::::::::::::::::



「七光り」について、自分の真意が表現できていませんでした。(嫉妬のせいはもちろんありますが!笑)



私は、むしろ安部総理を支持している「国民」に問題があると思っています。

彼の恵まれた「七光り」を生んだ社会システム(たとえば先述した憲法の規定など)と、彼が主張する社会システムを、しっかり関連づけて彼自身に語らしめることは必須だと思うのです。(特にメディアですが!)

それが無い「再チャレンジ政策」は実効性の無いカッコつけPRになるだろうし、「公教育再生」は支配層をただ支える従順な庶民を作るだけのものになるでしょう。



ただ、私は山崎さんと違って(?)

教育の現場に、ある程度「ゆりかご」的な特殊性はあっていいと思います。(子供の失敗や悪戯を大目にみる寛容性や、教育や研究の自由度を補完するユルサ、といった程度ならばです)



しかし、現在は物事には限度があるだろう、という惨状です。(身内が公立中学の教師なもので…)



:::::::::::::::::::::::



(で、実はそれはメディアにも思っています。が、

甘い環境は、使命と本文がかかわる局面ですら、構成員を身がらみ、ズルズルと甘い根性にさせていくのみなのでしょうか…自戒です)



SPA!読みました。朝日の本田記者は、もう既に、けっこうな退職金になっているだろうに、参議院選挙前や憲法論議前のタイミングを狙っているのか…



それとも難病の家族でも抱えているのか…



しかし、例のテープを公開してもし総理の首でも獲れれば、ジャーナリストの野心としても本望だろうに…



これでは、一億火の玉になって同調圧力マックスにいた時代の日本人の戦争犯罪を指弾する資格など、最初からないと言ってもいいぐらいのヘタレぶりですね。

(私は今の左翼全般にそう独断していたので、さもありなん、という感があります)



私は例の番組は、きっとグロテスクなものだったろうと実は思っています。が、外部の圧力で世の中に出さずに、国民が判断する機会を妨げた罪は重く、その圧力の説明に卑怯な嘘をついたのは万死に値すると思っています。
 
 
 
いくつか (作業員)
2006-10-24 11:48:58
昼飯に誘われているので、軽く。

まじめに主張したいのですが、私が教育に期待するのは、「世の中にはカネで動かない人間がいる」ということを子供に教えてちょんまげ、なのよ。価値相対主義批判なファンダメンタル重視にぶれる可能性もあるが、カネというのはいずれ、がんじがらめに逃れることのできんおつきあい、そういうもんでしょ、人生って。



それから、いきなり効率とか言わないで、絶対に間違っていることを潰していくことの方がわしは重要やと思うし、いくらか実践しているつもり。

たとえば、ある地方では国会議員が公務員養成の専門学校を経営している、ということがあって、それは結局、その専門学校枠みたいなものをもうけて、半分エンコで採用しとる、とまず見てよかろう。そうでないフェアーだと専門学校あるいは採用側が言っても、日銀の福井の問題のように、やはり許されることではない、のよ。みんなで、絶対によくないこと、を持ち寄った方が早いって。



それから、マスコミはアホだから教育の問題はまともに相手せんでいい。わしのでた、地方最低の公立高校は今、進学校に変わっている。日教組の連中が血と汗を流したわけ。地方はそんなに極端な問題をかかえていないの。東京神奈川から、まずはおやりんしゃい。もっとも、ネットなどの影響で、子供が均質化している事実はあると思うから、現代病文明病の観点から、子供に逃げ道用意してあげることは重要。では、ランチだ。
 
 
 
コメントありがとうございます!(2) (山崎元)
2006-10-24 13:57:42
「作業員」さまの「理性的でなくてすまん」から後のコメントにふれてみたいと思います。



>作業員さま



教師にも生徒にも多様性が必要なのはその通りだと思います。



共産党員の教師ですか? いいと思いますね、私は。実際に、高校のクラス担任だった生物のN先生は、堂々たる共産党員でした(今でも地元の教え子には選挙の際に電話が掛かってくるそうです・・)。この方は、なかなか人間的に深みのあるいい人でしたし、もちろん、生物は普通に教えてくれたわけです。



共産党員であろうと、国粋主義者であろうと、何らかの宗教の熱心な信者であろうと、必要なことを教えつつ、それとは別に自分はこう思うのだ、ということを語る、というような教師が居ることは、社会の多様性を学ばなければならない場でもある学校にふさわしいのではないでしょうか。



共産党員のしっかりした人なら、むしろ各学校に一人ずつ配置するくらいがいいと思います。



もしも、私が中学か高校の政治経済か何かの教師になったとした場合、生徒には、たとえば、「労働組合がいかに経済の効率にマイナスであり、労働者の敵は労働者か・・・」といった意見も語りつつ、労基法などについてその必要性も含めて説明するでしょうし、日の丸・君が代については、例えば、「俺は嫌いだけど、教師だから、君が代も歌うよ」と生徒に言いながら、君が代を朗々と歌うでありましょう。生徒は、「大人は汚い」と思うかも知れないし、「仕事は大変なのだ」と思うかも知れないし、「ヤマザキは根性がない」と思うかも知れないのですが、何れもいいことではないでしょうか(全部当たっているのだから!)。



ゆとり教育の犯人(「戦犯」というと、実は悪くない人との軽いニュアンスにもなるので、はっきりと「犯人」)は、文部科学省の当時の課長だった寺脇研さんかと思っていました。審議会の通例で、三浦朱門氏は、小説も売れないので暇だし、鬼婆と家に居てもツマラナイので、官僚に都合良く担がれて出てきただけの人かと思っていました。



>Dialecticianさま



共産主義と憲法の関係に関する講義、ありがとうございます。純粋な共産主義の強制は、おそらく現在の憲法に違反するでしょうし、もちろん、そんな体制を選択する時には、憲法自体が変わるのでしょう。



ところで、法律の話を聞くといつも思うのですが、法律を作るときには、その目的と思想があって作るのでしょうが、やがて、時間が経つと、法律自体を「解釈」する余地が多様に生まれてきて、複数の考え方が生じる、というのは、面白いような、不条理なような、気がします。



それだけ、何をしたいか、どう考えるのか、ということを言葉で完全に表すのが難しいということなのでしょうね。



グラマン銀行については、私は、まだ何も知りませんが、そのうちに調べてみます。



>waremokouさま



・仰るように、現代の男の子は大変だと思います。「男らしく」というプレッシャーは、文化的な遺産とでもいうべきものでしょうが、男女同権を前提とすると、本来必要のないものです。ストレス対策には、大声で泣くことが効果的なのだそうですが、男の子はこれが出来にくい、というだけでも可哀想です。私は、基本的に「男らしく」については、子供の好みや自主的な判断に任せる積もりですが、息子にプレッシャーを掛けないように気を付けるつもりです。



・「エリートの方々」というのが、誰のことを指しているのか分かりませんが、世間の教師に対する要求水準が非現実的に高いのは事実だと思います。また、選別方法が重要なのも仰るとおりで、そのためにも、文部科学省一辺倒ではない、開放的で競争的なシステムが必要なのだろうと思います。



・校長にプロ人材を、という点については、「評価」ということについて、もっと柔軟に考えて欲しいと思います。当然のことながら、偏差値や利益だけが評価の指標ではありません。しかし、重要な仕事である以上、評価を行うことは大切です。「評価」は難しいけれども、多くの人が関わって、少しずついいものを作っていかなければならないのではないでしょうか。「評価」すると、偏差値その他に走る、というのは、短絡です。



・現象としての少子化が親の過剰な干渉(もちろん人によりますよ)を通じて、子供の自己愛を強化している「傾向」はあるように思いますが、本格的に調査したわけではないので、敢えて強くは主張しません。子供同士の集団遊びが減っていることに問題がある、というご指摘は、全くその通りだと思います。自分の話は一般化できないことは承知の上ですが、私の家には年子の兄妹(1歳と0歳)がいますが、妻の出産・子育ての無理を承知で年の近い子供をもう一人作ったのは、東京で子育てすると、近所の子供との関わりが乏しいので、せめて年の近い兄妹を、と思った次第です。



>再び、waremokouさま



資本主義でなくても「いじめ」はあると思いますが、子供の社会には、大人の世界が反映するので、現在の「いじめ」が資本主義の影響を受けている可能性はあると思います。



ただ、思うに、子供というのは残酷なもので、どんな仕組みの中でも、何らかの「いじめ」はあるのではないでしょうか。大人にもいるように、衆を頼んで、弱者をいたぶる奴は集団に必ず居ます。もちろん、価値観として、(1)弱いものをいじめてはいけない、(2)集団で個人と相対するのは卑怯だ、(3)人と異なることは少しも悪くない、(4)いじめは犯罪だ、というようなことを子供に浸透させる必要はありそうです。ただ、大人に関しても、日の丸に感動しない奴は非国民だ、というような社会になりつつあるようですから、難しそうですね。



尚、人の「商品化」ということについては、あくまでも人の行動の一側面だと考えて下さい。waremokouさんがそうされたように、自分の商品としての側面を、むしろはっきりと意識する方が、現実的だと思いますし、自分が単なる商品だけではないということを認識するのにいいのではないでしょうか。



尚、後の「アべルフ・シンドラー」さんへの返信で説明しますが、経済というとお金儲けというように狭く考えずに、現実に仕組みを考え社会を動かすための考え方の手掛かりの一つとして、経済的な発想法を捉えていただければいいと思います。



>雪渓さま



私のアンチナショナリズムについては、別の機会に少し詳しく論じたいと思います。



私は、人を人種や国籍・性別で差別すべきではないと、割合厳密に考えています。人は個人と個人を単位として付き合うべきであり、たとえば、北朝鮮の人とであっても、先入観無しに、その人個人と付き合うべきだ、と私は考えています。



「自国ひいき」という感情は、ある種自然な面もあるようですが、基本的にその露骨な発露を差し控えるべきものだと、私は思っています。ナショナリズムは、世界市民として恥ずかしいことであり、抑制すべき本能或いは病気である、というのが、私の大雑把な考えです。



従って、こうした価値観の延長として、私は、ワールドカップやオリンピックでは、優れた選手がいればワザ本意で、日本の選手よりも外国の選手を応援しますし、できれば弱小国の選手を応援します。言わせて貰えば、これこそが正しい「武士道」だと思うのですが、違うでしょうか?
 
 
 
コメントありがとうございます!(3) (山崎元)
2006-10-24 13:59:56
gooブログは、1コメント5000字までしか受け付けないようなので、分割して、続きを書き込みます。



>ふ様



非常に勉強になるご教示、どうもありがとうございます!確かに、未遂も含めて考えなければなりませんし、データの解釈には慎重を要します。



私も、サンプル数が少ないし、安定していないだろうし、マスコミの報道による印象のちがいに影響されているだろうなあ、と考えていたので、概ね納得です。



>Dialecticianさま



グラマン銀行は研究の価値がありそうですね。私も調べてみます。



>作業員さま



ひいてませんよ!ご心配なく。土日は、引っ越しで忙しかったのです。



先生のアドバイスに従ったわけではありませんが、私は4人の子持ちです。しかし、まあ、種が平凡なので、天才は出ないでしょうねぇ。



私自身に自慢できるところがないので、祖父の自慢をします。



私の父方の祖父は、北海道の山を掘り歩いた山師で、成功をつかみかけたことはあるのですが、何れも事業としては失敗し、最後は、旭川でラーメン屋をやっていたようです。転職回数でカウントすると、20回くらいになるようですし、子供は11人作りました。残念ながら、私が生まれる3ヶ月ほど前に病で他界しました。



母方の祖父は、旭川にあった日本最北端の地場証券会社の創業者でした。本人は、相場が下手だったようで、電電債などを地道に売っていたようですが、跡継ぎを間違えて(出来の悪い方の息子に引き継いだ)、会社が人手に渡ることになり、最後は、首を括って自殺という可哀想なことになりました。



血筋を遡っても、帝国大学の卒業なんていう人物は一人も居りませんが、山師と株屋の孫、というのは、なかなか良い血筋だと自分では思っています。



ちなみに、父親は、脱サラした中学校教師で、母親は教師時代の彼の教え子です。







人物の良い「山ちゃん」の話は、心にしみますねえ。強いのに喧嘩をしない、でも、他人の喧嘩は程良く止める、というのは、大人物です。



今は、腕力で喧嘩すると、大人がわあわあ騒ぐので、子供が程良い喧嘩の練習を出来ないわけで、そういうガキが思い詰めると、「あとあとまで考えると、殺すしかない」なんて、思考して実行してしまうのでしょうね。



ところで、「いい方の、山ちゃん」のような大物の子供は、どんな大人に育つのですか?後日談に興味があります。(創作でもいいですよ! ずるーい○○○にでもなっていたりするのも、人間の奥深さを感じさせるいい物語ですが・・・)



>アベルフ・シンドラー様



いらっしゃいませ。



子供は、大人、特に教師の損得勘定(感情)は敏感に感じ取りますね。損得抜きで「やっているかのように見せる」は、美学としてはありでも、非現実的ではないでしょうか。(無理ですって、本当に!)



むしろ、正直に振る舞うことを、教えるのがいいと思いますが、いかがですか?



ところで、教育の話に、経済風の考え方を持ち込むと、教育は損得ではないとか、お金が大事なのではない、といった、はっきり言ってピント外れの反発がしばしばあります。



何らかの目的と価値評価(教育にも目指すべき価値の定義は必要ですね)があって、価値をより多く達成しようとしたり、目的の達成のために手間や努力も含めたコストがかかるとすれば、どのように、これらを達成すればいいか、という話は、経済の話として扱うことが出来ます(これを「お金の問題」としか感じないのは、受け取る側の発想の「貧しさ」でしょう)。



人にも、社会にも、それぞれに目的がありますし、それらを上手く噛み合わせるためには、経済的な発想が必要だと思います。



>床屋政談さま



引っ越しは無事終了しました。ヤマト運輸は私も好きで、特に、創業者の小倉昌男さんは、企業経営者の中で、唯一「尊敬」に値する人だと思っています。(近年の、郵政公社を巡るコンビニとのこじれ具合はあまり感心しませんでしたが)



「おまかせパック」は見る度に(私はこれで3回目の利用)感心する作業手順ですが、敢えて、改善点を挙げると、引っ越し後の展開作業をする部隊の質をもう一歩上げることが重要だと思います。梱包と展開とを別々の部隊で行うので、展開の際に、どうしても不満が残ります。梱包作業と同じ人(たぶん女性が一人)が展開にも関わるようにすれば、満足度がもっと上がると思います。







もちろん、教育には多様性や寛容が大切だと、私も思います。



どうして、皆同じでなければならないのか、と不愉快に思うことが、子供としても、親としても、多々ありました。







安倍・中川両氏のNHKへの圧力問題は(私も、例の番組が、あまりいい番組だったとは思えないのではありますが・・・)、本当に、嫌な感じの推移ですね。「ジャーナリスト」としての純粋さを記者や新聞社に要求しても無駄なのかも知れませんが、残念です。安倍批判以前に、何がどうだったのか、について、事実を明かす義務があると思うのですが、どんなものか。たぶん、言うだけ無駄なのでしょうが、言わないよりは言う方がいいと思うので、この問題は、機会があれば、何度でも指摘するつもりです。
 
 
 
山ちゃんの話 (作業員)
2006-10-24 17:16:07
とりあえず、山ちゃんなのだが。山さんは実名顔出しで発言の責任を取っているので、仁義として、創作は創作と書きますよ。基本的に事実ですが、冗談だととってもらうと楽ですね。



山ちゃんと私は同じ女に惚れて、譲り合う形で結局、山ちゃんがその女とつきあったのですが、うまくいきませんでした。高校を出るとき、質屋の金さんと肩を壊してプロをあきらめた山ちゃんと、あとはヤクザかなあという私で酒を飲んでいました。(創作にしとく)で、本当にまじめに人生を語りあって、金さんは金貸しは継がずに印刷屋に就職することにし、山ちゃんも専門学校を出てサラリーマンになるというので、私がアドバイスしてコンピュータの学校に入ることに決めました。いつか偽札つくって遊んで暮らそうぜ、という冗談がオチなのですが。

私は、金さんと山ちゃんに約束しました。ヤクザにはならない。それから、パソコンを打つような仕事にはつかない。山ちゃんは、自分がホワイトカラーになるということが、私とのつきあいをやめることだと思ったのか、連絡をくれなくなりました。私は高校の先生が改ざんして出してくれた成績で(創作)非正規ルートでいくらか高等な教育を受けることができ、ボート場に就職したしだいです。パソコンは触らないと決めていたのですが、腰だの膝だのを痛めて、仕方なく本当に最近さわり始めたばかりであります。ワード機能しか使えません。

山ちゃんとの約束を破ったので、山ちゃんに連絡でもしてみようかと思う今日このごろです。



結局、私がタコ社長に法律を守らせるのは、このような私がカタギなのになんでおめーがアウトローなんだ、このタコ、という怒りなのです。ですから、私が怒るときは、アウトローならアウトローらしくしてみんしゃいな、と優しくタコ社長の肩を抱いてあげるのです。(創作です)
 
 
 
糞御手洗問題 (作業員)
2006-10-24 18:54:37
この書き込みで控えます、みなさまどうぞ。

キャノンのクソ御手洗の「朝日新書 強い日本」だかなんだかしらん本を二分で立ち読みしてきました。日本を代表する経営者の知性がこの程度であることに赤面し、絶望します。

ほんと、いいかげんにしろ。武士道? イノベーション? 希望の国? どっかで聞いたような三文フレーズばっかり並べやがってタコが。どうせ新渡戸の本ぐらいしか読んでねーんだろ。新渡戸はただのクリスチャンやないか。希望の国の安倍へクソ出す って、わしのネタじゃねーか、村上ヘイポー龍と。



さて、全く許せん野郎だと思う。感情だけ、と批判されても不愉快なので。

御手洗は、「変動費が90パーで、固定費が10パー。私ども物作り人作りの会社はですね、固定費はいじりません。変動費のコストカットだけをするのですね」、だとよ。

嘘つくな。偽装請負は固定費か変動費か、答えてみんかい!

武士道などと知った風なこというなら、わしは全然しらんが、十文字腹の切り方だけは知っとるからして教えてやるから、武士らしく腹切ってみろ。



万国の労働者よ! わしらは全員右翼なわけではないので、一人一殺一死多生とか、ぶっそうなことを言うわけにはいかん。せいぜい、一人一笑やっぱり一人多笑、ぐらいのスローガンが無難やろう。で、輸出性向の強い会社の不買運動は面倒なので、ターゲットは御手洗個人にしぼりたい。加藤さんの事件のように家なんかやいてはいかん。ピンポンダッシュも芸がない。で、提案する。わしらは万国の労働者よろしく、素手で便所を磨こう! 手にいっぱい運をつけて、御手洗の家で手洗いを借りよう。御手洗さーん、このままでは株が下がりますよー。運をつけませんか! なんならおめーの家の便所も偽装請負で、ぴかぴかに素手で磨いてやるぞハゲ頭もな。

三時のおやつは、御手洗だんご。いやー、たいしたオチじゃないなあ。最近一番ショックだったのは、けっこう好きなクラタマさんが、「女は男のダジャレに惚れない」と言っていたことだ。オヤジとしては、ダジャレに惚れてもらわねば、なかなか他に芸がないなあ。では、謹慎します。山さんいじめがんばってください、みなさん。御手洗いじめもよろしくね。子供に手本しめせよクソ御手洗よ。
 
 
 
さとりということは、いかなる場合にも平気で生きていることであった (オッティ)
2006-10-24 23:54:41
私もいじめを受けた経験があるので何となく分かるのですが、その真っ只中にいる子ども達は些細なきっかけで死んでいてもおかしくないと思いますね。

学生時分にもう死にたいと思った人は結構いると思いますが、その人たちが本当に自殺する可能性は低いながらも存在したと思いますよ。



 何せ短い人生の中で、家族に育てられていた中で、初めての経験ですから、その苦しみは子どもの中では相当つらいものとなるはずです。

(今思えば私もくだらねー事で悩んだな、と笑っていられますが、その当時は真剣に悩んだ記憶があります。私もなにかきっかけさえあれば死んでいたかもしれません。)



そのときに、例えば先生や両親が「お前が弱いから云々」という形で逃げ場を塞いでしまったなら、中学生あたりの子どもは対処する術が無い状況へ追い込まれてしまうのではないかと思うのですよ。

この事件も、その先に自殺があったような気がします。



もちろん、ちょっといじめられたからといってすぐ学校を休むようになってしまっては後々困りますから、多少の無理はあってもいいでしょう。

ただ、子どもに最後の防波堤として逃げ場所は確保してあげるべきかなと思います。



まあ、大人の世界にもうつ病になって自殺してしまう人はいますからね。

意外に「何があっても生きる」というような単純な生への執着が大事かもしれません。

現実はそうもいかないでしょうが・・・。
 
 
 
いじめなあまじめになあ (作業員)
2006-10-25 00:10:24
命拾ってよかった、ではすまないことも、私は知っています。ひどいトラウマになって、後の人生がくるってしまうことが、当然ありますね。そこまでの陰湿さとは無縁だったと、自分のいじめについては思いたいけれど、これは受けての感受性、たぶんこちらの百倍きつい思いしたんだろうなあ。同窓会でもあったら謝ろう。

ときどき遊んでくれる女性が、中学時代にひどいいじめを受けた子で、その時代の話をすると、今でもぽろぽろ涙を流します。その子も、死のうと思ったと言っていました。クラス全員が敵で、それが三年続いたそうです。幸いなことに、その子は、先生だけが守ってくれたそうです。私はそういう立派な先生をいじめていたような気がして、なんとも複雑な気持ちですが。ひとまず、先生というのが重要な役割を果たす場合もあるというのは事実ですので、先生がいじめる側にまわっちゃいかんなあ、やっぱり。先生をいじめる側にもまわっちゃいかんけど。
 
 
 
「武士道」の思い出 (雪渓)
2006-10-25 07:17:18
 自衛隊内で非常事に通訳として働くために、ジュネーブ条約についての授業を受けたことがあります。戦争だからって何をしてもよいわけではなく、武士道精神に従い戦えというのがジュネーブ条約だそうです。授業ではジュネーブ条約に準じて捕虜を取り扱う注意について習いました。自分がタバコを吸いつつ、捕虜に我慢をさせると虐待だ何て妙なエピソードがたくさん聞けて結構面白かったです。

 授業の最後の質疑応答の時、通訳のクラスメイトの一人が「私はどういうときに捕虜になればいいんですか?」と質問しました。それを聞いてクラス一同どっと笑いました。私も笑いました。冷静に考えると、これはいい質問で、教えないほう、聞かないほうがどうにかしています。数日の授業でしたが私たちクラス一同は兵隊になりきってしまい、自分で捕虜になることをタブーにして笑ってしまったのです。先生も笑っておしまいです。人間はたやすく空気に呑まれてしまうものなんですね。笑った自分が嫌になりました。

 後日自衛体内で通訳として仕事をする機会がありました。休憩時間に喫煙所に集まった隊員にこの話を笑い話として披露しました。例の質問が出たところで隊員は笑いました。(ウケてほっとしました)そして先生がなんと答えたか隊員たちは聞きたがりました。みんなで笑っておしまいというと残念そうです。その場に居た中隊長(会社でいうと部長クラス)に、改めて私からどういうときに捕虜になればよいか尋ねました。いきなり全員が真顔になり10秒以上の沈黙が続きました。若い隊員が「死ぬまで戦う」と言い出すまで沈黙は続きました。

 「死ぬまで戦う」という決意は死ぬほどの危険と隣り合わせの職業を選んだプロならではの言葉だと思いました。ゴルフ焼け・酒焼けのオヤジが言うのを聞くと吐きそうになるほど汚い言葉に聞こえますが、鍛え抜かれた訓練焼けの隊員が野営地でそう言うのを聞くと、感動的な言葉に思えました。



 自衛隊には自費で海外に射撃練習をしに行く人がいるそうです。自衛隊には十分な弾薬がなく、納得がいくほどの練習ができないそうです。弾薬が豊富な外国の軍隊に雇われたらどうかと聞くと、金で人を殺す傭兵は「人間の屑」(実際そういう表現でした)と言い、問題外だと本気で怒られてしまいました。外道の質問でしたが、空気に呑まれず素直な質問ができたことについて、怒られた自分に少しほっとしました。
 
 
 
アンチ (床屋政談)
2006-10-25 07:18:05
山崎さん おはようございます



ヤマト「おまかせパック」、私は利用が初めてなので(宅急便は愛用してます)、山崎さんの考察は、考察

自体として参考になりました。私もじっくり観察しようと思います。ありがとうございました。



:::::::::::::::::::::::



で、雪渓さん御要望の、「アンチナショナリズム」論、楽しみにしています。



どうも私は自身が、山崎さんのいう(私の要約で)「日本を含む生まれ育った郷土への義理」の義理を重く見る立場のような気がしています。が、いずれにしろ本当に楽しみに待っています。



あえて先に要望を書かせてもらうと、たとえば私には、山崎さんは国家としての暴力装置「自衛隊」についても実は本質では否定的なのではないか、と思えます(私は肯定せざるをえません)。



これは勿論、現在の自衛隊の質と量をどう見るか、とは別の話です。個人的には「国という統治機関の暫定的な決定で、戦場というドサクサの渦中に、敵方らしいというだけでたいした吟味もなく殺しをする成員と仕組みについて、どう考えるか」が分かれ目のような気がしていますが、どうでしょうか…?



で、私は理想としては、

良心的拒否による強制ボランティアを併置した徴兵論者です。

ドイツのものが、現実の例としてイメージに近いです。



特に、国とつながりの深い、政治家を含む公務員、皇室の成員、富裕層は、

より高い確率のくじで、もちろん一般国民もそれなりの確率で、戦地や3Kの最前線に行く仕組みなら、まんざら悪くないのではと思っています。



そうした仕組みのほうが、アメリカのベトナム戦争時のように国民が自分の事として考え、イラク戦のような理不尽な戦争は国の施策として真っ平御免となるような気がしています。



現状では、朝鮮戦争時の日本のように、自分達が危険を冒さずに豊かになる空気を、集団として怠惰にズルズル享受しておいて、現実を見据えて闘わない夢想にまどろむこの日本が、正されない気がするのですが…
 
 
 
雪渓さんへのあいのり (床屋政談)
2006-10-25 07:28:38
入れ違いで雪渓さんのコメントが入りましたね。



自分が「徴兵制」があっていいのでは、と思った理由にも「ジュネーブ条約の学習機会の提供」と、「戦力を一部の職業軍人だけのものにしない」ことがありました。



もう一つ言うと、私が「捕虜になる判断」は、

「自分が『敵』を殺して生き残る見込みより、死ぬ確率のほうが高いと思ったら」です。

もちろん、戦争(戦闘)自体にやむをえない理由と判断がある、という前提の上での話です。
 
 
 
いい論争 (よっし~)
2006-10-25 10:18:02
 はじめまして。時々このブログを拝見させ

てもらっています。

 小生も昔学校でいじめを受けたことがあり

ますが、最近聞いた例は、縷々話し合いを

してどうしようもないので、区をまたいだ

ところに賃貸アパートを借りて住民登録し

そこから越境通学させる形をとったという

ものです。そこまでしないと教育環境に

選択肢はできないのでしょうか?一所懸命

にも限度があると思います。



 また、小生はずいぶん前に杉並区の和田

中学校の授業(生徒によるディベートのよ

うなもの)を見に行きましたが、すごか

ったのは、終わったあとそもそもルール設定

がおかしいと校長に食い下がる生徒がいた

ことです。これを見て日本も捨てたもので

はないなあ、と感じました。



 あと、これは意固地とも矜持ともとれます

が、小生は日本人である前に出身地である

土佐人であるという意識が強く、あまり

日本人と連呼されると、東京ものと一緒に

するな(笑)と叫んでしまいます。一緒に

育った集落、コミュニティへの愛着は感じ

ますが、国というのはあくまで機能だと

しか感じません。小生は東京と英国で大学

教育を受けましたが、いろんな留学者が

いうほどナショナリスティックには、海外

でならなかったような気がします。



 事実を疑い、行間の価値観をあぶりだし

て論争する、国や政策形成に対しても同じ、

というのが小生の出身地である高知、と

英国では似たところがありました。東京は

延べ16年生活していますが、上記のように

いうものの、その巨大さをつかめず、

「いなせな江戸っ子」がどこにいるかも

わからないような東京に溶け込めない放浪者

です。ましてやより広い日本をひとからげにして、愛着しろといってもこころのなかで釈然と

しません。



 少し、隠喩風ではっきりものをいわなくて

すみません。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-25 10:46:39
>作業員さま



・「山ちゃん」は釈然としない思いでホワイトカラーをやっているのですか。気になりますね・・・。



ちなみに、山崎とか山本といった苗字だと、「山ちゃん」と呼ばれやすいわけですが、人物としてある程度親しまれないと、人は、「山ちゃん」とは呼んでくれません。私は残念ながら、「山ちゃん」と呼ばれたことが殆どありません。



・ミスター・トイレットにとっては、人件費も変動費なのでしょうね。それにしても、朝日新書も妙な本を出したのでしょうか。買うのも癪なので、立ち読みしてみないといけませんね。



・子供時代を振り返って考えてみるに、いじめる側は、あまり深刻に考えていないことが多いのでしょう。いじめる側に対する対策が必要ですが、自覚がない人を矯正しなければならないのだから、難しい問題です。



それにしても、子供時代には、「教師」という存在は一応上の立場なのだから、「いじめてもいい」、「いじめに負けるくらいなら教師の値打ちはない」と思っておりました(当時、「いじめ」という言葉では認識しませんでしたが)。



私は、子供時代、教師に反発を覚え、中、高と教師を人前で泣かせましたが、高校の時には、泣かせた教師にさらに追い打ちをかけようとして、「勤務態度不良。加えて、学力不十分。証拠も十分ある。教師としての資質に欠ける」と校長に掛け合ってその教師のクビを飛ばそうと考えましたが、その時に、「あのなあ、ヤマザキ、あいつにもさあ、生活ってものがあるから、許してやってくれないかなあ」と諭して止めてくれたのが、共産党員のクラス担任でした。「なるほど、生活か」と思って、追求を止めたことを覚えています。



私は非暴力的でしたが、この頃の学生はそうとも限らない。教師も大変ですね。



>オッティさま



平気で生きていれば、たいていの場合は、生きていられるし、その積み重ねが自信になるのですが、ともすれば、他人が「逃げ道」をふさいでしまうのが問題ですね。何はともあれ、親が子供に逃げ道を用意しておくことが大事ではないか、と思います。ただ、一方的に甘やかすのも良くないし、適当な時期に、子供を精神的に自立させなければならないし、具体的にどうするか、ということになると難しいですね。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-25 11:16:39
>雪渓さま、床屋政談さま



「アンチ・ナショナリズム」については、遠からず、私の考えと感情について書いてみたいと思います。



>よっし~様



・転校が手軽だと、一つの有力な「逃げ道」が確保できるのですが、現状は、必要以上に面倒のようですね。



・日本人が議論に不向きとか、日本語が論理的でないとか、いう意見をまだ聞くことがありますが、多くは経験の問題であって、やらせると出来る、ということだと思います。もちろん、個人差と、社会が議論を許容するかという問題はありますが。



・生まれた地域、属するコミュニティー、というものに対する愛着は自然だと思います。私も生まれた北海道と、東京の一部地域に対する愛着はあります。「日本」という単位を愛せ、というのは、迷惑ですね。「そういうこともあるかも知れないが、愛は強制されるものではない」と取りあえずは言いたくなります。
 
 
 
みんな優しいなあ (作業員)
2006-10-25 16:04:28
山さん語録

「小倉昌男は、企業経営者の中で、唯一「尊敬」に値する人だ」



革命家になりたければ毛沢東語録を、さもしいは言い過ぎだと思うのでお人好しの利場当たり屋になりたければ山元語録を。そして、立派な変態になりたかったら、わし語録かエロタク語録を。では一席。

国会食堂にて、エロタク先生とおばちゃんの会話。

「おばちゃん、いつものちょうだい」

「いつものって、親子どんぶりかい? あたしゃもうあがってるよ」

「・・・・・・」



さて、山さんが小倉の名前なんか出したら、すぐにブサヨ師匠佐高信ならつっこむと思うので、大便だ。

小倉は、「労働組合ってとっても大事」と言っていた人だから、法改正してでも労組などつぶしてしまえという山さんとは、全く考えの違う人。規制緩和に一生をかけることと、労働者をいじめて性的快楽を得ることは全く別。(性的快楽は山さんのことじゃないよ)



山さんと遊んでいると、学生の頃を思い出します。○林先生という経営よりの人が、労組なんか全部つぶしたらええねん、あんなもん経営のじゃまや、と言っているのを聞いた私が、

「こら○林。おまえは神か天皇かしらんが。つぶすって、どういう法律つくってつぶすんじゃ。おまえのようなタコ社長がやっとることといえば、ヤー様雇ってのストつぶしだけやろが。だいたい、おめーみてーな三流の経営学者が労組の話なんぞするのがコントなんだばかやろう。おめーの本棚には、タケムラケンイチとフナイユキオしかねーじゃねえか。おまえなんぞ、バカ林じゃ」

などとひどいことを言ったので、○林先生のあだ名はバカ林になり、どうも退官されるまでバカ林と呼ばれていたそうです。



山さん的理想は、安倍のあほぼんぶりに嫌気した我々が参院選で彼を敗北させ、やはり改革路線を緩めてはいけなかったとすりかえた小泉が再登板し、かつての竹中の椅子にふんぞりかえった山さんが、解雇権を裁量的に使うことを奨励し、ラインはすべて偽装請負を使うことを奨励し、生活保護が打ち切られて飢え死にする人をみてイヒヒと笑い、などというのは、下品な冗談でいいのだが、どこかに、うまくやろうとしているパワーエリートはいる。ニートもフリーターも生活保護生活者も、自分以外みんな死ね、と思っている人間がいる。そんなこと毎日考えていたらノイローゼになるから、まあ、山さんで遊んでおきますかな、庶民のみなさん。
 
 
 
感心 (元ホームレス)
2006-10-25 16:59:36
山崎さんは「イタい人」にも丁寧に応対してあげて、本当に偉いですね。冷やかしではなくて真面目に感心しました。
 
 
 
男の失神 (作業員)
2006-10-25 17:10:10
失神ゲームが問題になっているようですなあ。

山ちゃんのことを少しよく書きすぎたので、ちと修正したい。山ちゃんだってド不良で、エースなんだけどピーゴロ取るのが面倒だからと、サードの選手にアゴで指示したりして、審判に注意されるようなアホだった。



失神ゲームとは懐かしい。私の中学でこれをひろめたのは、まあ、その、ごめんなさい私です。で、失神する段取りをしていたのは、山ちゃんです。確かに一回目はマコちゃんというこれまたド不良が倒れて頭を打つという事故があり、二回目からは体操につかうフカフカマットの上でみんな失神して楽しみました。一様に、お花畑が見えた、といったので、やっぱり死ぬ前はお花畑がみえるんだなあ、と思ったものです。



と、教育上よろしくないことばかり書くとアンチ亀田でセレブな人には怒られそうなので。教育論も。

あの頃の先生というのは、みんな熱かったですねえ。

忘れもしません。山ちゃんはイノシシというあだ名の国語の先生に、グーで殴られて鼻血ぶーでした。私はロクさんという百二十キロぐらいある数学の先生に張り飛ばされて教室の端まで飛びました。そんな先生たちは、午後は組合の話し合いがあるから、自習。とか、たしかにかなり好き勝手やっていたとは思います。

ただ、なかなか観察眼があるなあと思ったことがあって。それは、山ちゃんと私を同じクラスにするというアイデアによく現れております。山ちゃんも私も基本的にただのアホな子だったので、高校も三年になるまで気づきませんでした。山ちゃんと私は、六年間同じクラスだったのです。田舎とはいえ結構クラスはありましたので、確率的にそんなことはないし、ド不良二人教室の後ろでふんぞり返らせる、というのは普通は考えないでしょう。でも、まあどっかで信頼してくれていたんでしょうか、二人並べてれば、無茶せんだろう、ぐらいに日教組先生たちは思っていたのではないでしょうか。

子供の心を見る大人の能力も落ちているし、子供の心理も実に複雑、ナイーブになっているのでしょう。一朝一夕にはいかんでしょうし、朝令暮改ではいけまへんなあ。三浦朱門は、なぜ今でてきて、ゆとり教育のすばらしさを主張しないだろうかとまじめに思います。ゆとりはすばらしいことでしょ。三浦って、まだ生きてるのかな?
 
 
 
少年法と作業員様 (Dialectician)
2006-10-25 17:48:58
山崎様



憲法と共産主義という話題で、退屈な投稿をしてしまいました。“講義”などというのは御冗談ですね。

それにしても“20人位は自殺に追いやった”などとオチャメに豪語する作業員様の存在は、今日なにかと肩身の狭い思いをしている少年法の理念=『少年の可塑性』がその本質において正しい、ということの証左・実例・ケーススタディーだと思います。
 
 
 
いまだ更正途上なり (作業員)
2006-10-25 18:02:38
まあ法律で言うとね。

今の若い人たちをいくらかリベラルに振らしているのは、コオロギ山口二郎でもくず鉄拾ったカンさんでもなくて、伊藤真なんだよね。伊藤の教科書で学んだ学生は、護憲という考え方がそう悪いものではないと思っている。死刑廃止も。

戦後の日本の問題点は、山さんはよくわかっているはずだが。ケイン事案が、暴力によってねじまげられたこと。倫理のブレーキがなかったことですよね。

日本人には遵法精神が足りなかった。田中ゴジラ真紀子のブレーンだった小林節が絶望しているように、日本人は改憲などしても、どっちみち憲法をまもらない。

方言研究家さんは、この辺のニヒリズムについてどう思われますか?
 
 
 
五月雨ですみませんでした (よっし~)
2006-10-25 18:13:25
 先刻は少し、ぽんぽんと飛んだ

書き込みですみませんでした。

ところで、当然掲示板ですから

書き込み者アクセスログはとれ

るのですよね。

 このサイトの主宰は山崎さん

ですので、掲示板のコントロール

はお任せいたします。あまり

議論が炎上したり、それたりしないよう。

 
 
 
失礼しました。 (床屋政談)
2006-10-25 18:50:00
本欄は「イジメ」がテーマなので、

ナショナリズムについてはネタ違いですね。



よっし~さんや山崎さんのように、私も

客観的にはたいした特徴があるわけでもない

郷土(多くの場合、都道府県単位でなく、藩単位ですね)尾張と東海地方、現住所である東京の一部地域にも「愛」着をもっている程度です。



「日本」には、経済的に豊かな国の民、日本国民であることで得をしているのはどうも否定できないので、私はそれへの義理と義務を重くみています。



他人に「国を愛せ」などという馬鹿(多くは為政者)は大嫌いですが、アメリカ合州国の三下であることで豊かさを享受したままでキレイごとを言っても、世界的に見れば卑怯者になってしまいかねないので、憂国の立場をとろうと思っています。



::::::::::::::::::::



で、こじつけると、アメリカという国のイジメを日本国と日本国民が見過ごしている現状は、教室内でのイジメを黙認する気風とはつながらないでしょうか?



学校ではまぁ無力な一児童ですが、国際社会では経済大国のはずですね、この「日本」は。



::::::::::::::::::::



いずれにしろネタ違いですね。



私は山崎さんを今の日本で有数の思索家・書き手だと思っているので、本当に楽しみにしています。

お時間に余裕があるときにでも、宜しくお願いします。
 
 
 
そうかなあ (作業員)
2006-10-25 19:01:23
わしゃ、山さんファンやが、有数の思索家とも書き手とも思わんなあ。

石原三浦曾野、このあたりの書き手は、自身の文学性のなさを政治性で補おうとしている点で、糞なわけでしょう。山さんは、本当は、経済一辺倒だった自身に文学的味付けをする方が、正しい書き手のベクトルと、浪花節なわしは思うがのう。村上龍さんに、教わればいいのになあ。まあ、ポストポストなんとかなとこまで考えないと今はいけないみたいで、あっちの世界もたいへんそうですけど。

山さん、誤解しないでね。基本的に村上の大ファンだから、ここにたどり着いているわけだから、ただ、わしは記憶力がいいので、かつて週プレに、三里塚農民へのシンパシー表明していた村上とか福生でヘリコプターとかして遊んでいた村上とか知っているので、最近の文字通りのスノッブにはちょっと、ね。

村上が天才なのは、高橋源さんも言っているとおり。わしとしては、料理小説集とか映画小説集とか、小品に才能を感じるのだけど。では、またよろしく。
 
 
 
山崎先生、こんばんわ! (まさくん)
2006-10-25 23:38:16
お引越し、ご無事に済んだようですね。

日曜日、夕暮れ時に小雨が降りましたが、それまでには作業の大部分は終わっていたことと思います。

今度のお住まいが、山崎先生のご家族皆様にとって、素晴らしい環境だったら良いですね。

僕は、この日、所沢市のミューズ・アークホールで、村治佳織さんのクラシック・ギターのコンサートを聴いており、17:30頃にホールを出たところ、小雨が降っておりました。

お引越しの最中といえども、山崎先生へのコメントの投稿は、相変わらず、大変なご盛況のようですね。

本ブログでの山崎先生のご論評と、ご投稿者のコメント&山崎先生のコメント を素材として、単行本を出版できないのかな?などと思っています。

それから、僕もブログを作りましたが、評論するアタマも力量も無いので、「つぶやきモード」といった按配です。

http://masakun0808.blog77.fc2.com/

リンクに、山崎先生のブログを貼らさせて頂きましたが、ご迷惑であれば、おっしゃってください。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-26 04:12:17
>作業員さま



失神ゲームは危ないですねえ。まあ、大人になってからは、されていないでしょうけれど・・。



ところで、現在、鬼婆(注:私は、曾野綾子氏を軽蔑しています)の亭主の三浦朱門氏は、元気に、惚けずに、生きておられるのでしょうか?



>よっし~様



ご心配ありがとうございます。「炎上」した場合は、その時に対策を考えます。今のところ、良い読者と投稿者に恵まれているようで、これは、本当に、幸運と思うべきなのだろうと思います。



>床屋政談さま



ご期待に応えられるかどうかは不安がありますが、「私のアンチ・ナショナリズム」については、遠からず書いてみようと思っています。(当ブログの読者に対する礼儀としても)



>再び、作業員さま



村上龍さんのエッセイや小品は本当に上手だと私も思います。



ただ、私個人としては、最初に村上氏にお会いするときから、文学ではなく、経済・社会のジャンルでお付き合いしようと自己規制していたので(それとは別に、村上氏の最近の作品は一読者として読んでいます)、村上龍氏に文学入門を乞う積もりはありません。



それに、小説という表現形式には、なかなか「こっ恥ずかしい」ものがあり、たぶん、私には合っていない(=才能がない)のだろうと思っています。



思うに、良い小説を書くには、(1)人間に対する尽きない興味と、(2)自分の何らかのコンプレックスを背景とした一種の毒がないとダメなのではないでしょうか。私は、今まで、「ぬるい人生」を送ってきたので、(2)が明らかに不足しています(その分、意見の持ち方・変え方は素直なのですが!)。



>まさくん様



リンク歓迎します。張り合いのあるブログになるといいですね。月並みですが、「ご一緒に頑張りましょう!」。
 
 
 
一応。 (床屋政談)
2006-10-26 07:05:59
山崎さん おはようごうざいます



ネタ違いですが、やはり気になったので書き添えておきます。



雪渓さんのコメント中の、現場の自衛隊員の方との会話、

Q「(壮年の中隊長へ)どういう時に捕虜になるか?」

一同沈黙

A「(若い部員が答えて)死ぬまで戦う」は、



雪渓さんの現場のプロへの敬意は別に、



やはり自衛隊(軍)として「問題」ではないかと思いました。



これはやはり、特攻隊(と鬼畜米英)の思想を肯定する考え方ではないかと。



大東亜戦争当時の兵士たちにも立派な人はいたと思いますし、上官たちもそれなりに真剣さを持っていたのだろうと思います。また当時の米英中にも問題は多々あったでしょう。(私はそれらを徹底的に否定するリベラルは嫌いです。)



しかし、どんなに高潔な軍人達でも、相手が

鬼畜だなどという嘘や妄想を使ったり浸ったりして、「生きて虜囚の辱めを受けず」という考えを強要する空気は、非常に問題だと思います。加えて言えば、そういう考え方をしているかぎり「勝てない」だろうと思います。



(現在の日本における北朝鮮の捉え方、また北朝鮮自体も、そして安倍内閣も、そういう「非科学的」な考え方をしてないか、心配ですね)



なので、現在の自衛隊にまでそういう考えが根強いとすれば、それは日本人にある根強い「問題」であるような気がします。



ただ、戦争や戦闘という極限には、畢竟そのように狂わないと相対せないのかも、という可能性も考えさせられたのですが…やはり、それは問題だと思います。
 
 
 
教師を評価するということ (waremokou)
2006-10-26 12:59:11
お忙しい山崎さんにこれ以上ご迷惑を掛けてはいけないと思いつつ、すみません、これだけ一言書かせてください。



教師を評価するとなれば、教師も評価をあげるべく生徒を追い立てるような方も増えるのではないでしょうか。または評価をさげることにつながる生徒を迫害するなども考えられます。教師間に競争が生まれるなら、従来あったような職員室の連携はどうなっていくのかと非常に気がかりです。



自分自身のこととして考えると、評価されるということで、ピラミッド上に巨大な積み木のどの部分に自分が当たるのかと思うと、首を真綿で締め付けられるような窒息感があります。評価というものが現代の刑罰や監獄なのだ、と書く作家もいます。

ゲームに勝ち続けているような方はこんな恐怖はないかもしれず、そんな一部の方がこの国の政治を取り仕切っているような気もします。



末筆ながら、自分の商品としての側面を意識しながらも、単なる商品ではないことを意識する、という山崎さんの言葉に救われる気がいたしました。ありがとうございます。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-26 15:22:01
>床屋政談さま



戦争というものは、ルールのある喧嘩なのか、決して負けてはいけない殺し合いなのか、難しい問題ですね。



敵軍であっても、兵士はお互いを尊敬・尊重しあって、降伏する敵は殺さずに人権を尊重して扱う、ということが、本来なら理想的です。もっとも、ここまで理想を求めるなら、敵を殺せと命ずる国の権力者にこそ兵士は銃を向けて欲しいと思いますが・・・。



現実は、そうも行かないのでしょうね。しかし、そうは言っても、何があっても死ぬまで戦う、というのは、そのプロ意識と使命感に驚きを感じるとしても、やり過ぎであり、ある程度の加減というものがあるはずです。これを兵隊も国民も知る必要があると思います。



歴史的に見て「負け方」が上手い(?)、フランス軍あたりに、程よい戦い方と、降伏の仕方を教えて貰うといいのかも知れません。



>waremokouさま



評価こそ現代の刑罰であり監獄である、というのは、その通りだと言える面がありますね。



一方、評価をしない、という形では「改善」は善意によるしかないし、多くの不公平・非効率が生じます。そして、難しいのは、完璧な評価システムはなかなか作れないということです(もし、私がもっと頭が良ければ、数学的に証明してみたいくらいのテーマですが、無理なので、「完璧な評価システムは難しい」という経験的な事実を前提条件にします)。



結局、「評価」というものに、皆が関わって、仕組みを少しずつ改善したり、実情の変化に合わせたりしながら、社会を運営していくしかないのでしょうし、教育もその例外ではないと思います。



尚、「ゲームに勝ち続けて」いて、政治や社会を取り仕切るような一握りのスーパーマンは、日本には存在しないように思います。私が世間知らずなのかも知れませんが、そんなに有能な人は私の知る限り、どこにも居ません。



一人一人は、欠点も限界もあって、また、悪意もないことが多いのだけれども、集団として機能するときに、妙なことをする、というのが、各種の困った現象の背景だろうと思います。



こうしたことへの対策としても、「評価」を上手く使うことが大切なのだと思います。たとえば、「市場」(しじょう)は、ある意味では、評価の仕組みであり、評価を取引に反映させて、現実に影響させる仕組みの一つであって、これを「有効に利用する」ことが重要です。



また、人の「商品としての側面」も「評価」も、これを隠してしまわずに、明確に意識することの方が、健康的ですし、有利だと思います。
 
 
 
男の日経 前編 (作業員)
2006-10-26 15:40:50
山さん。

私も、山さんは無理でも二流の株屋にならなれたと思うんですよね。友人も何人か金融にいきましたし。で、その友人たちは、基本的に田舎者で、まあ能力がなかったともいえるのですが、金融の世界では生き抜けず、田舎に帰ってきて白旗や赤旗あげたり、ユンボー運転しております。二度とあんな世界にはいきたくないと。思うに、私なら、かなりヘコミはするものの、基本的に負けず嫌いなのでねえ、生き残ったかもしれないなあ、と思うと怖くなりますね。きっと、利場当たり屋になっていただろうと思います。山さんのようにお人好しではなく、宮内ズのようなキッタネー人間になっていたと思います。なので、若干自己投影していじっておりますごめん。



山さんは小説は書けないだろうと思っていました。何故かというと、犬猫と会話ができないんですよね、言葉が通じない。これを読んだとき相当のアホだな、と正直思いました。男も中年になれば、会話のできる犬猫の一匹や二匹いるもんです。私は親兄弟より愛した一匹の猫の写真をいつも持ち歩いています。ちゃんと会話できましたよ。日経が読めない人の言語が理解できない人には、たぶん、犬猫の言語も理解できないのでしょう。

あと、ぬるく甘い世界、ぬるく甘い生活ではないでしょう。誤解しますよ、素人衆が。相場というのは、「打つ手打つ手、先を越された。負けた」と書き置きして、入水自殺するもんでしょう。山さんだって、何人か殺しているはずです。
 
 
 
男の日経 後編 (作業員)
2006-10-26 16:13:02
友人の土建屋に聞いた話ですが、本当にしょうもないことで怒鳴り込んでくるアホな親というのがいるそうです。

学校の改修などの工事は、土日とか夏休みとかを利用してするのですが、ある休みに、友人もアホ親に怒鳴りこまれたそうです。

「うちの子供がサッカーしているのに、作業するとは何事か!」

友人は休日に出て仕事しておるのですよ。たしか四十日続けて現場に出てましたよ。夜も働いてましたよ。サッカーって、なんですか。それもサッカーができないわけじゃなくて、ダンプがちょっと出入りするだけですよ。サッカーってなんですかサッカーって、村上ヘイポー龍と中田のせいにしときましょう。



さて、男の日経ネタを何故にそんなにひっぱるかと思われている読者も多いかと思うが、これは、まったく個人的な遊びです。理由は以下。



土方の父親が学校に怒鳴り込んでくることがあって、私もかなり恥ずかしい思いをしました。何が恥ずかしいって、その理由ですね。一度は、校歌の歌詞のこの部分の文法はどう考えてもおかしいと思うがどうか、とか校長に言っていました。アホでしょ。

そして、問題の事件ですが。



山ちゃんをグーで殴った国語のイノシシ先生が、授業でこんなことを言いました。

「君たちは、この難読熟語のページ、いくつ読めるかなあ。十ぐらいかなあ。これを全部覚えたら、もう君たちのご両親のレベルは超えてしまうから、しっかり覚えましょう。今日かえって、お父さんに、この熟語いくつ読める?って尋ねてみてください。ひとつも読めなかったりして」

私は言われたとおり土方の父親にそのページを見せました。だいたい予想はつくと思うのですが、「おい。イノシシが、なんて言ったって。おまえらの父親は、このページの熟語がひとつも読めないってか?ん?土方は字が読めないって言ったか?」と父は言いました。

次の日学校にやってきた父親は、職員室の黒板にわけのわからないことを書き、「イノシシ先生よう。おめーは、字がよく読めるんだってな」と言って、「ほら、読んでみなよ。国語だぞ。おめー、国語教えてるんだろ」と先生方をからかって帰っていったのでありました。そんなこんなで、日経の話は、実に私的ツボなのでした。では、失礼。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-26 16:47:08
作業員さま



「作品」のご投稿、ありがとうございます。



敢えて付け加えるようなことではありませんが、一言補足しておきましょう。株屋の世界それ自体は、全体として、確かに「ぬるい」わけではありません。それなりに厳しい世界です。それに、考えてみると、私の祖父は、そこで上手く行かずに首を括ったのでもありました(原因は彼のバカ息子にありましたが)。



ただ、喜ばしいことに(多少誇らしいことでもありますが)、私は二流の株屋であり、「ぬるい世界」を選んで生きてくることができました。要は、決定的に嫌なことはせずに、何とか喰ってくることが出来た、ということです。その程度の「隙」のある、世界だ、という意味では、株屋の世界は、「ぬるい」といっていい部分を残していると思います。
 
 
 
男の浪漫 (作業員)
2006-10-26 17:07:15
実は私の土方の父親も放蕩の途上で株をやっていたらしく、ノートに、「俺の株は、他の人間の株とは違う。俺の株は、浪漫だ」みたいなどうしょうもないことを書いていて、本当にこりゃダメ親父だ、と思ったものです。

自分の父のこと母のことを語ることは、十分に教育論になると思いますが、スペースをとりすぎたので、控えます。

あと、ボートを山さんに教えてあげたいのですが、このダメ親父に教わった博打なので、私はほぼ全敗野郎と呼ばれるダメギャンブラーでした。父は、「おめー、なんのために博打やってるんだ。カネ、欲しいんだろうが。おめー、なんで賭けねーんだ。おめー、仕事がいやで、博打が好きなんだろうが。全レースにはれ。穴にはれ。それしかねえんだよ。破滅型の人間には」

このあと、ダメ親父の実存的に生きるとはどういうことかのクソ講義が始まるのですが、割愛します。ボートの三連単が始まったとき、祝儀じゃといって、親父に教わったとおりはったら、百レース連続ではずして、そこから先は、書けません。では、居座ってすまぬ読者諸君。

あ、ひとつだけカッコいい話があります。少し前に、リスクという分厚い本が出たと思いますが、ボート場で天そば食いながらその本を読んでいたら、ときどきみかけるヤな青年も同じ本を読んでいました。悪党の悪銭が身に付くのかどうかは、知りません。
 
 
 
甲種危険物取扱資格を取ってから経済学者に (アベルフ・シンドラー)
2006-10-27 01:44:21
いじめによる子供の自殺をなくす試みが功を奏した場合の利益は、いじめによって子供が死ななくなることです。



> 目的の達成のために手間や努力も含めたコストがかかるとすれば、どのように、これらを達成すればいいか、という話は、経済の話として扱うことが出来ます



> 人にも、社会にも、それぞれに目的がありますし、それらを上手く噛み合わせるためには、経済的な発想が必要だと思います



そうかもしれませんが、そのための考え方は何も経済でなくてもよろしかろう。

安倍ユーゲント的には、経済なるものが、子供が死ななくなることに価値を認めるかどうか、とても疑わしいのです。

教育に経済を持ち込んだ場合、『手間やリスクやなんやかやを勘案した結果子供を救う試み自体を放棄する』という選択肢に正当性を与えてしまう事が恐ろしい。たいていの大人はこの選択肢を選んでしまうのです。

経済的な発想とやらが、『目的達成を下支えする為のコスト管理』の範囲でとどまってくれればいいけど、経済ってそこまで飼いならせるものなんでしょうか?

経済というやつは、使いこなせると思った人間を躍らせて、挙句万民を巻き込んで泣かせる類の剣呑な代物と思えるのですが。経済は人間を殺せるけど、人間には経済を殺すことは出来んのよ。



> これを「お金の問題」としか感じないのは、受け取る側の発想の「貧しさ」でしょう



経済が教育に食い込むことに危惧を抱いている人間が『お金の問題としか感じていない』とでも思っておられるのでしょうか。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-27 04:40:12
アベルフ・シンドラー様



危険物の取り扱い方法を知ってから経済を語るべし、というご意見には、なるほどと思えます。



ただ、現象として「経済というやつは、使いこなせると思った人間を躍らせて、挙句万民を巻き込んで泣かせる類の剣呑な代物と思えるのですが。」ということであれば、ものの考え方として「経済」を正面から取り上げた方がいいのではないでしょうか。



尚、「経済が教育に食い込むことに危惧を抱く」ということ自体が、現実的ではないと思います。現実には、既に、教育にも経済は深く食い込んでいるので、これを無視した視点から教育に取り組むことは非生産的ではないでしょうか。
 
 
 
ありがとうございました (waremokou)
2006-10-27 09:01:28
お返事を読ませていただくうちに自分の思考に経済的な発想があまりに欠けているのかもしれないという気がしてきました。



>現実には、既に、教育にも経済は深く食い込んでいるので、これを無視した視点から教育に取り組むことは非生産的ではないでしょうか。



これは確かにその通りですね。

山崎さんの著作で少し勉強してみようと思います。

 
 
 
山さんはそろそろ (作業員)
2006-10-27 16:01:08
教育に、経済あるいは経営の原理を持ち込むというのがどういう制度改革を意味しているのか、山さん敵に提示せんといかんのかもなあ。



偽装履修は、偽装請負にそっくりですね。必要悪。あかん、あかん。何遍も言わすな。違法は、絶対的に悪。SBIの「寄付金」も、重加算税受け入れとるなら、「認めた」ってことでしょ、悪さを。



偽装履修の報道を見て思うのは、そこまでしないと大学に入れない子供は、職人になった方が幸せなのに、だ。わしの高校の日本史の先生はワセダの元活動家で、武烈雄略の蛮行に一時間さいたりするから、百ページ教科書が残った。古文の先生は大学の教授になりたかったらしく、大学レベルの講義を一年続けたので、期末試験の平均点が13点だった。その先生は一年源氏しか講義しないという徹底ぶりで、一時間に三回、「帝のご寵愛。つまりは、セックス」と叫んでいた。

ちなみに、源氏は、異なり語数などで他の文献を圧倒しているので、源氏をおさえてしまうというのは、合理的なのかもしれない。わしの父は浪漫派なので、源氏が大好きだった、そういえば。
 
 
 
素人ながら (作業員)
2006-10-27 16:04:15
内申書を改ざんして大学等をあざむいたら、きわめて詐欺的行為だから、刑事事件になったら、どうするんだろうね。方言さん、出番屋で。
 
 
 
資源の流れといじめ力関係の流れ (アベルフ・シンドラー)
2006-10-28 01:47:07
> 現実には、既に、教育にも経済は深く食い込んでいるので



経済が弱者と対峙したときに何をするのか、を考えれば実によくわかります。現に教育に絡んで大人も子供も幾人も人は死んでるわけだし。教育がすでに内包している経済はいつ子供に牙をむいても不思議ではないし、実際むいてもいるということか。



> ものの考え方として「経済」を正面から取り上げた方がいいのではないでしょうか



『お前の子供がいじめを受けなくなることには何の価値も無い』あるいは『お前の子供はいじめられることには一定の価値がある』といった判断は、本来教育の場においては断じて排除されねばならないものです。が、経済の使徒たちが教育現場においてこの手の判断を下さない保証はどこにも無いのです。そこが恐ろしい。



安倍ユーゲント的にふと思ったのですが、経済理論ってのは『一人を自殺にまで追い詰めるお子達』の心理解析にはかなり応用が利くんじゃないでしょうか。
 
 
 
虚偽公文書作成罪 (Dialectician)
2006-10-28 11:35:58
作業員様



このところニュースも新聞もよくみてないので学習指導要領違反の世界史未履修とかの話、よく知りませんが、きっと内申書にもしっかりウソを書いていたということでしょうか?

公立学校ならその内申書の名義人は公務員ですから、内申書は公文書ですね。ただその作成者は作成権限をもった公務員が作成した以上は偽造にはならないので(偽造とは作成権限がない者が、人格の同一性を偽り文書を作成するという有形偽造を指す)、公文書偽造罪は無理ですが、作成権限がある者が内容が虚偽の文書を作ったとして(無形偽造)、タイトルの犯罪が成立し得ると思います。その内申書が行使されているならさらにその行使罪も成立して両罪は手段・目的、または原因・結果の関係にあるので、牽連犯処理されます。牽連犯というのはその数罪のうちもっとも重い罪の法定刑で処断されるという罪数処理です。両罪の足し算にはなりません。

ちなみに、行使をして、かつ詐欺も働いたという場合も行使罪と詐欺罪は牽連犯。

でもこのケースでは詐欺罪は無理でしょう。確かに欺いてはいますが、詐欺罪は財物または財産上の利益の詐取でなければ成立しなところ、ここでの欺きは財物にも財産上の利益にも向けられていないですから。



以上は公立学校の話ですが、私立の場合、内申書は普通に考えると私文書でしょう。すると私文書だと無形偽造というのは原則(例外=私人である医師が作る診断書)不可罰ですから刑法犯は不成立だと思います。

なんらかの特別法で手当てされていればそれによることになるでしょうが(学校教育法法あたり)、自分はハッキリは分かりませんね。



以上は今回の事件について刑罰という観点に限っての退屈な話で、本当はもっと議論すべき重要な論点がありそうですね。教育委員会改革の必要性とか、先にこの記事で議論あった私立と公立の相対性理論とか、、、ただ上記のとおり、公立なら刑法犯が成立して、私立なら不可罰という不合理な結論からすると(私のこの投稿内容が勿論正しいとして)、現に公立と私立とではやはり違いが現存することのひとつですねえ。
 
 
 
ありがとうございます (作業員)
2006-10-28 14:09:00
おおむね、了解でございます。ただ、文書偽造には、本人なりすまし説というテクニカルなものもあったかと。

糞御手洗のように偽装請負で利益をあげた人間をあがめたてまつるアホや、米長のようなイデオロギー馬鹿を教委にしてしまうアホ知事の元で、子供たちの倫理の背骨は折られていくわけですね。安倍へ糞だす。ジャーピーポーになってエクソダスすりゃええのよ、子供は。

で、わしが子供なら、学校を集団で訴えるし、別に個人として、補習でアメリカ旅行ができなくなった、精神的苦痛も受けちゃったよ、どないしてくれるねん、と言って、とりあえず六十万限度いっぱいの少額訴訟起こせるかどうか、考えるわけですな。

いずれにせよ、これは、公文書に不実を記載している(教委にあげた書類も含む)ことに間違いありません。内申書には、科目とは違う科目の成績? というよくわからない嘘を書いていたようです。ほんと、大人って、醜いなあ。おい、糞御手洗、みんな、おまえの真似しよるんぞ。
 
 
 
恥知らず版 Man of the Year (Dialectician)
2006-10-28 16:28:55
偽造関係の最近の司法でガッカリなのは、オウム関係者がバイトしたくて内容虚偽の履歴書を出した件で、私文書偽造が成立したことです。名前など確かに架空人の名を騙っていたのですが、写真はちゃんと自分の顔写真を貼付してて、人格の同一性に齟齬をはなかったのに(そもそも履歴書・応募用紙に架空人の名前を書いて応募してもそれだけでは内容虚偽、無形偽造に過ぎないはず)、私文書偽造罪で有罪というのは納得がいきません。作業員様が仮に、

氏名=作業員太郎とか万越泰造とか

生年月日=ホントの年月日

顔写真=ホントのお顔

で応募した場合、作成名義人の人格同一性を偽っているというより、本名を書かなかったという意味で内容虚偽文書に過ぎない私文書だから刑法上は無罪だと思うのですが、司法は世論の圧力に抗しきれずに有罪にした感が強いと思います。そもそも芸名・ペンネームで刑法上の“私文書”概念にあたる文書を書いても罰せられないという行動予測性が確保されていなければそれは恐ろしく窮屈な社会となるように思いますが(勿論その名の周知性要件云々の議論はありますが)

司法はもっと原則を貫いてもよかったと思います。



それはさて置き、今年あたりから『山崎商店主催 恥知らず年男(ShameOnYou ManoftheYear)』を作っては如何でしょうか? 自分が推薦する名士は、、、

1.長米・石原

2.大手サラ金の顧問弁護士

3.お手洗いバーコードオヤジ

各人個別の評価については自分は2.を担当します。



ところで1.に関連してバカどもは天皇を利用したいと思い続けてますが、当の天皇は“日の丸君が代の強制はしないようにお願いします”とか韓国との“ゆかりを感じます”とかのゆかり発言で、一定程度政治的発言が危険であることを重々承知のうえで蛮勇を奮ってバカ国粋主義の輩(というか単なる日和見小僧か)を牽制してて、極めて平和主義的な人物だろうと推測できます。で、『山崎商店主催 平和賞』には天皇を推薦しておきます。
 
 
 
マスコミ批判などは痛すぎる (作業員)
2006-10-28 16:53:25
結局特例金利を引き下げた形になったようですが、じゃあ紺谷さん、あんたなんで特例金利に旗降ったりしたの? と思うし、共謀罪はまた先送りのようだけど、フジの箕輪さあ、おめーなんで共謀罪なんか推進するのよ、ジャーナリストなのってんの?おめーなんかの仕事知らんけど。



さて、偽装請負で天下の御手洗榊原を糞扱いしてしまったので、長生きはできないかもしれません。生きているうちに、あと一人のアホの名前を挙げておきたいと思います。

テレ朝の天皇、田原さんさあ、おめーはほんとええかげんにせんと、墓につばも花も盛ってもらえんで。糞御手洗の発言をとりあげて、ミスター糞に、「経営者の正論」と発言させることで、万国の労働者の顔に糞ぬりたくっとるわけでしょ、あんた。世の中が右傾化したって、おめーが石原みてーな人間の提灯持ち続けた結果だろうが。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-29 02:03:38
>アベルフ・シンドラー様



>『お前の子供がいじめを受けなくなることには何の価値も無い』あるいは『お前の子供はいじめられることには一定の価値がある』といった判断は、本来教育の場においては断じて排除されねばならないものです。が、経済の使徒たちが教育現場においてこの手の判断を下さない保証はどこにも無いのです。そこが恐ろしい。



確かに恐ろしい、と私も思いますが、それは、人間一般が恐ろしいのであって、経済のものの考え方が恐ろしいのではありません。むしろ、経済のものの考え方を理解しておかないと、こうした事態を有効に防ぐ手だてを構想することができないのではないでしょうか。



そうそう。手元にある、「アインシュタイン150の言葉」という小さな本の24番目に、こんな言葉がありました。「ああ、悲しいかな。エゴと競争心は、公共心と義務感より強い」



強くてやっかいなもののコントロール方法を考えなければならない、ということでしょう。「教育はかくあるべし」という義務論の提示だけでは、教師も役所も望ましく動いてはくれません。



>作業員さま、Dialecticianさま



「内申書」という単語を聞くと、今でも、中学校時代の嫌な感じを思い出します。



実は、私は、中3のたしか一学期に、「技術家庭」と「美術」で、それぞれ授業中に教師をからかったため、10段階評価で2と3を喰らうという事態になりました。



当時の北海道の公立高校は、入試と内申点が半々で合否を決めていたので(しかも、マズいことに入試問題は簡単で差が付きにくい)、私は、内申点を向上させる必要が生じて、内申書が高校に送られるまでの半年ばかり、教師受けのいい優等生を演じる必要に迫られ、毎朝鏡に向かって「内申スマイル」を作ってから登校する、という卑屈な学生生活を送っておりました。



もっとも、内申書が郵送されてから(しっかり確認しました)の数日は、のびのびと過ごすことが出来ました。卒業式の練習の際に、大勢の生徒の前で、体育教師を言い負かして泣かせて、溜飲を下げたのを覚えております。



(体育教師が生徒を殴るので、「お前は、言葉で生徒を説得出来ないから手が出るのだろう。それは、お前の教師としての能力が低いからであり、お前は、教師失格ではないのか。悔しかったら、反論してみろ」というようなことを言ったら、この教師は反論できずに、悔し涙にくれて、職員室に逃げ帰って行きました)







「恥知らず年男」ですか。私の大原則は「罪を憎んで、人を憎まず」ですが、「罪を認めない人は、大いに憎んでよろしい」という補則を設けているので、やってみる価値があるかも知れませんね。



師走まで、折に触れて考えてみます。
 
 
 
世代 糞世代 (作業員)
2006-10-29 15:59:41
山さんの内申書の話を聞いて、やっぱ思うほど山さんと世代的に離れてないんだと改めて思う。わしも、おっさんなんやなあ。わしみたいな無茶苦茶は、ほんとうは二十歳の貧乏学生にしてほしいんだけど。ヒット安堵アウェーな小物ばかりで、きっちりケジメとって帰る若い衆は、なかなか出てこんのよねえ。全部、日教組のせいにしとこう。若いのガンバレ!



ある問題に対する政府の対策というのは、たいてい問題そのものより悪い。

フリードマン



山さん世代はフリードマンなんかなあ、やっぱり。わしの中学以後はまだ書いてないが、高校はカスミ食ってるような老成した集団だったんだ、わしの世代は。教師に肩を揺すられて、「いったい、おまえらには何があったんだ」とか言われました。ヤンキーでもなく族でもなく俗でもなく、みんなそれぞれの趣味に生きてました。で、高校を出るとき、私は仁義として向坂逸郎の働く者の資本論を古本屋で買ったのを覚えています。内容は忘れました。



キャノンの御手洗氏の発言、議事録で確認し、過去当該会社がやってきたことを再確認しましたが、この便所男、ダメですね。請負を業とする者に線引きしなければ法体系自体が崩れることが分かっていないし、発言から、確信犯として法律を破ってきたことが分かるし、法律で救済してくださいという、経営者として絶対に言ってはいけない、甘え、を吐露しているし。日本の恥汚点汚物糞以外ないでしょう。中国にでも出て行け、と言うのは簡単ですが、こういう世代の人間は、中国の人をマルタ扱いするでしょうから、廃業に追い込むことが社会のためと強く思った次第であります。鬼畜御手洗が言っているのは、「慰安婦に未成年者を使ったら儲かった。生娘に便所男が手ほどきするのは当たり前。法改正して、慰安婦に未成年者を使うこと、便所男が手ほどきすること、昨日までとおなじように、させてくださいよ、そこの作業員さん」ということだ。心底、軽蔑する。細木でなくても言うぞ。

「あんた、地獄に落ちるわよ」

(フリードマンの言葉は月プレ池澤夏樹のコラムから引用。もっともセクシーな女を選んでいる号なので八百八十円だそうかと一瞬考えた)
 
 
 
一言だけ (作業員)
2006-10-29 16:13:46
>経済のものの考え方



偽装履修というのは、商売人の発想、と、一般人は考えるのではないのでしょうか。あと、松下が中国で、政経塾ごっこをすること、報じられていましたが、中国のみなさーん、違法な偽装請負を合法化されるだけですよー、騙されるなよー、商売人にー、倫理はないどー。
 
 
 
偽装履修私感 (作業員)
2006-10-29 16:26:57
これはまだ、誰も言っていないと思うが。

採用の人数ってあるやろ、教師の。あれも、偽装履修を前提にしてたんやないのか。そうやないと、辻褄があわんで。日本史採用ゼロ、って、日本史の授業の数とか、家庭科採用ゼロ、って、家庭科の授業数とかと、当然対応するやろ。授業ないのに、採用しとったんけ? それもおかしかろう。教委ぐるみでないの?
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-29 19:47:02
作業員さま



御手洗氏の言っていることは、確かに、摘発された女郎屋が「売春を合法化せよ」と開き直った感じですね。これは、分かりやすい!



もちろん、違法は違法ですから、まずはけじめが必要です。合法・非合法の議論が出来る「身分」になるのは、その後ですね。たとえば、この女郎屋が、教育委員とか市長とかをやっていれば、辞めるのが普通でしょうし、日本経団連会長などというのは、まさにそういう職ですね。実態は、単なる欲張りオヤジの寄り合いですが、「経済界」を代表するような顔をしているのだから、ここは腹を切らねば武士ではない、という状況でしょう。







フリードマンという学者は、特に若い頃は、なかなか切れ味のいい物言いをする人で、確かに、ちょっとあこがれましたね。私が経済学部に行った理由は、受験の直前の正月に、彼の「資本主義と自由」という本を読んだからです。



フリードマンの議論にも幾つか穴があったし、経済学に対して良くない影響もかなりあったのだなあ、ということが、分かってきたのは、正直なところ、ここ十数年くらいのことです(特に、彼の、経済学の方法論の論文がいけなかったと思います)。
 
 
 
トヨタの奥田氏のミス (山崎元)
2006-10-29 19:56:36
作業員さま



経団連と日経連が一緒になるとき、トヨタの奥田氏がトップ以外では収まりがつかなかったと思うのですが、彼は、あの時に、「財界団体なんて、時代遅れのものは、もう必要ない」とでも言って、会長を辞退して、財界団体批判でもやってくれると、よかったのに、と思います。これは、返す返すも惜しい!



これをやっていれば、彼も、「尊敬できる経営者」となったと思うのですが・・。



あの時のトヨタがやると様になって、本当に財界団体解体が進んだかも知れないのですが、ミスター・トイレットでは重みが足りません。



それにしても、あの経済合理的な(要はケチな)トヨタが、金も人も喰う日本経団連のトップを引き受けたのですから、きっと、掛けた費用に見合うメリットを得たのでしょうね。
 
 
 
汚名 (作業員)
2006-10-30 13:41:40
ここは教育を語るところなので、汚名挽回、は汚名返上ないし名誉挽回と言い換えるよう指摘しようと思うが、汚名挽回はわしも確信犯として使っているので、まあいいや。

先日、猪瀬氏が御手洗事件について、「(偽装)請負をやめるとイノベーションが進まない」というようなことを言っていて、猪瀬、やっぱりお前もか、と思ったものだ。このあたり、わしから見れば病巣なんだ。この発言のあと、楽天とも関係のあるフルキャストの社長と提灯対談していて、人足屋の社長は偽装請負について一言も発言したりはしない、世渡りのうまさ。



どうなってるんだ、日本の言論人は。

別に法律の問題だけではないのよ。経営学的にみても、御手洗の言っていることはおかしかろう。明日ライバル会社に行ってしまう日雇いに、キャノンのノウハウを教える、というボランティアみたいな事言ってるわけ。株主は、首にせなあかんで。短期的利益の追求しか見えてないんでないか、こいつは。

結局、解雇権を裁量的にするのはいかがなものか、と思うものの、解決策は、ワタミ方式しかないと思う。正規社員だが、二軍。違法よりは、まし。



さて、この猪瀬だが。土建業界では、少し前に笑いものになっていた。猪瀬いわく。

「見てくれ。97パーの落札価格が、93パーになった。おれっちのおかげだぞ、すごいだろ」

アホも極まっとるよ。93パーで談合しとるだけやろ、タコ。談合破りっちゅうのは、二千万の仕事を四百万で受けるっちゅうこと。その仕事が赤字でもいいの。赤字でもとらないと、今日つぶれるの。そういう会社に回さないためには、ゼネコンの仕切りがいる、場合もある。もちろん、談合には反対しとくよ、わしも。



なのだが、村上ヘイポー龍と山さんたちは、「談合の経済合理性を排除する」という文脈で遊んでいるわけよね。こういう文脈がなりたつなら、偽装請負にも、偽装履修にも、経済合理性があり、その合理性は、排除されるべき合理性、なわけやな。してみると、教育に経済合理性を持ち込んでも、価値判断は別に、倫理の基準を持ち寄って、談合ではないが、調整せんといかんわけやなあ。なんか、禅問答みたいやが。いずれにせよ、糞御手洗は、違法行為によって利益を上げたのだから、利益の付け替えをしたホリエモン氏より、ウンコマンだと、改めて思う。
 
 
 
のんきな学者 (作業員)
2006-10-31 15:35:14
経済合理性というのは、適材適所のことと思う。
先日、藤本真という人の偽装請負の説明を聞いていて、なんだか学生の頃にもどったような、ムカツキを覚えた。学者はのんきやのう。別に、偽装請負だけが研究対象ではないのだから、とっとと他の分野で成果をあげろよ。現場から見ていると、恥ずかしいぞ。
プロだろうが。なじぇにわしの半分のプレゼンしかでけんのや。問題意識は十分の一、怒りは千分の一やないか。君、株屋か。偽装請負で働かされている若者は、メーカーに搾取され、偽装請負派遣会社に搾取され、先進国ではまっこと珍しい奴隷状態で働かされているわけやろ。毒にも薬にもならん発言なら、すんな。奴隷状態の若者は同胞やで。トルコ人みたいに扱うなよ。(トルコのみなさんゴメン)

さて、もういいかげん偽装請負も飽きたとは思うのだが、考えるダニ、御手洗はダニに思えてしかたないダニ。何度指導に入っても違法状態を改めなかったのは、自分たちが特権階級にいると勘違いしたんでないか、このダニは。それで、政権に近いからおめこぼししてもらえると思っていたのに、作業員たちがあんまりうるさいので、やっぱり政権に近いから法改正など簡単にしてもらえるとでも思ったのでないか、このダニ。で、実際に五十億ほどイノベーションつながりの安倍ちゃんに握らせたら、なんせ安倍のことだから、本当に偽装請負を合法化してしまうのでないかと思うダニ。そこの学者さんよう、もうちっと、がんばってくれよ。
学者といえば、川本裕子なんかは、山さんと同じようなこと言っているわけやが、ちゃっかり学者におさまっとるがな。学者ごときにあんまりきっついこと言われたら、現場の人間はほんまムカツキますですよ。株屋でしのいでいるなら、自由経済、効率、成長、企業業績、株価、なんでも至上の喜び語ってよろしいですが、学者はやっぱ腹立つなあ。
 
 
 
山さんアリガトゴザイマス (作業員)
2006-10-31 16:23:54
JMM読んだが、意外だな。山さん以外にも、偽装はいかんだろ、という視点の人がいてホッとした。ただ、人材サービス会社が成長した、と書くときに、クリスタルグループの名前を出さないのは、犯罪的だな。フルキャストと規模くらべてみなしゃい。(筋違い、いじめ問題にもどりましょう。ごめんよ、みなさん)
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-10-31 21:21:35
作業員さま

これまでの「キャノンの利益」というものについて考えると、これは、偽装請負という不法行為によって、なにがしか嵩上げされていることは明らかですね。

この不当な嵩上げ分の利益は、一体どうするのがいいのでしょうか。返還すべきなのか、ペナルティーは払わなくていいのか、返還するとしたら誰にどうやって返すのか、株主に対する便所マンの責任はどうなるのか、等々、次々に疑問が湧いてきます。

やっぱり、単なるゴメンの尻ぬぐいだけではなく、彼は、社会的にハラを切らないといけなのではないか、と思えてきました。
 
 
 
どちらのエントリー?? (床屋政談)
2006-11-04 05:48:52
山崎さん こんばんは

週刊文春の日垣氏の寄稿、読んでいただいたそうで、
なんというか、恐縮です。

私は個人的にあの寄稿に関して、自分の子供が虐められた時は気になりますが、虐めた時にどうやって対応するかも、気になっていたので、
日垣氏がどうやって自分の子が虐めているのに気づいたのか、書かれていないのが『不満』だったのですが、

山崎さんは、ご自身の親としての経験というと微妙なので、もし自分のご子息が虐める側に回っていたら、どんな対応がベターだと思われますか?

私は、たとえ対象が「虐めたくなる」人物でも、「卑怯」な行為は後で(成長してから)後悔するので止めろ、と言おうかと思ってるのですが、
いちばん難しいのは、虐める、まではいかない、傍観者のポジションだった時に、どう助言すべきか考えあぐねています。密告というのが児童集団の小宇宙で最も軽蔑される行為なのは、理解できる自分がいますししかし傍観が最も卑怯な行為のような気もします…

いじめ自殺といった、深刻な虐めに至るかどうかの見極めの問題なのか…

本当に時間があるときにでも、親のひとりとして、一意見を聞かせていただければ幸いです。

(私自身は地方公立校で学業成績がそれなりに良くて「目をつけ」られたことはあるのですが、逆にそれが攻撃側が一目おくきっかけにもなったようで、深刻な攻撃には会わずにすんできた人間でした。あえて言って、傍観をする機会はありましたが、厳格に見ても、そんなに深刻な、いわゆる「虐め」ではなかったと認識しています。そしてそれはただの「たまたま」なのです…)
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-11-04 13:43:48
床屋政談さま

先ず、子供に、「弱い相手をいじめるのは卑怯だ」と「集団で一人をいじめるのは卑怯だ」いう価値観を刷り込んでおく必要がありますね。

あとは、子供を早く大人扱いして、Dialecticianさんが仰るように、恐喝だとか傷害だとかは十分犯罪であることを教えることも有効でしょうね。

それと、是非教えておかなければならないのは、被害側でも、傍観者の場合でも、密告というか通報は、複数の大人に行うことです。担任の教師だけでは危ないので、校長なり、学年主任なりにも伝えるべきだ、ということは教えておく方がいいのではないでしょうか。担任一人だけだと、どうしても問題がなかったことにしようとしたり、対応を考えている内に時間が経ったりするので、親も含めて、複数の相手に対して問題を伝えるべきでしょう(大人の社会の、いわゆる内部告発の場合も窓口を同時に複数持つ必要があります)。

加えて、「先生」も一個の不完全な人間であり、子供よりも特別に立派なわけがない、ということも伝えておきましょう。あまりナメるのも良くないかも知れませんが、クラスの立派な子供よりも人格が劣る先生は少なくありませんし、全面的に頼るのは危険です。



私は、小学校の頃はいじめの加害者側でしたが、暴力的でしたが、単独行動で、あまり後を引かないいじめ方でした。それでも、父親に連れられて、いじめた子供の家に謝りに行ったことがあります。

親とはよく話すこどもだったので、親に話したのかも知れませんし、怪我をした相手の親から連絡があったのかも知れません。ただ、何れにせよ、あのころの田舎(昭和40年代前半・札幌の団地)では、多くの大人が子供のすることを見ていました。(私が団地の間の芝生で同級生を投げ飛ばして「処罰」していたら、その子の親が窓から顔を出して、「はじめ君、やめて~っ!」と叫ぶようなこともありました。

あのころも、「お前はいない」と無視するとか、「汚い・臭い」と言ってからかうとかのいじめはありましたが、最近のものは、たぶん、もっと手が込んでいて組織的なのでしょうね。これと関わらずに過ごすには、相当の強い意志と、強運が必要とも思えます。

やっぱり、何を置いても必要なのは、自分の子供が追いつめられたときの「逃げ道」を明確に確保してあげることでしょう。そのためには、日頃から、子供に時間を割かないといけませんね(・・・ちょっと反省)。



ところで、冒頭の二つの「卑怯」は、考えてみると、大人がオフィスなどでやっていることですね。大人の側の価値観と行動にも問題があるように思えます。
 
 
 
そう言えば (作業員)
2006-11-04 16:34:22
このわしでさえいじめられたことがある。ある事務所の現場作業員をやっていた頃、わしだけ現場がなかったりなんかして、どうもいじめられているのかな、と気づいた時にはすでに半年近く経っているマヌケぶりだった。自分で仕事を見つけて、へっぽこ社員の倍は働いていたので、気づかなかったのである。
で、そのとき本当に組織は怖いなあと思ったものだ。このわしでさえいじめられるのだものなあ。所長に、おまえなんでハッキリと辞めてくれって言わんのだ、と聞くと、怖かった、と答えたのには笑ってしまった。いずれにせよ、陰湿な連中はいくらでもいるもんだ。

子供の頃わしがいじめっ子だったと言っても、油断すれば他のいじめっ子にひどい目に遭わされるし、上級生には、すっぽんぽんにされてプロレス技全部、というリンチに合ったこともある。わしが悪さを教えていただいたのは、だいたいいじめられていた子で、不良でないガキなどわしの周りにはいなかった。ときどきいじめられっ子の一世一代の怒り大爆発が起こって、それはそれで楽しかった。教室でナイフを出すのはだいたいいじめられっ子で、なかなかやるでないか、と一目置くと同時に、そんなことでひるんでいてはわしらのかっこがつかんでないか、とまたぶん殴ったりしたもんだ。本当に、古きよき時代だなあ。

こんなことしていた日教組全盛わしらの世代が、実は学力のピークであるようだ。なにもかも日教組のせいにしているようなアホ親には、いじめをなくすことも学力を向上させることもできんだろう。ご愁傷さまだ。
ちなみに地方最低と言われた公立高校を出てドカチンをしたのは、クラスでわし一人ぐらいだった。みんな、全く遜色なく頭使って働いている。できが悪いとされる若者の脳がだめなのか、心がだめなのか、難しい問題だ。
 
 
 
少し遅いですが (ドイツ特派員)
2006-11-07 00:07:21
山崎様、

この件は自分のブログに書こうと思ったものの、中々纏まらず宙ぶらりんになっています。

一つ思うのは、「イジメ」と「自殺」の距離があまりに近すぎないか、ということ。それはそれほど「イジメ」が酷いのか、「自殺」に簡単に行くのか?私の頭では理解ができない部分です。

あと、この件に限らず、二者択一の議論が多すぎるように思っています。「イジメ」と「自殺」の間に「一人でいる」くらいのクッションがあってもいいんじゃないか?いじめる側も同じで、山崎様仰るように、「無視する」程度の段階があってもいいはずなのに、いきなり攻撃する。「先生が悪い」となるとその「前担任」に全てかぶせる(今の担任は?それでいじめた当事者は?)。何だか会社のプレゼンの如く、灰色の部分を削いでしまった議論のようです。

今では懐かしい思い出ですが、私は小学校二年の頃、転校生イジメというのに遭いました。で、私の子供がドイツから帰国して日本の学校に入ったのが同じ二年生の二学期。親としては酷く神経質になった記憶がありますが、入学して二日目に友達と遊びに行ったのを見て本当にほっとしました。こんなことで悩むのも嫌ですが、子供の友達を知ることから始めようと思っています。幸い家でも会社のサーバーに入れるため、家にいることも多く、上・下の子供とも、子供の友達は私のことを知っています。

テクノロジーというのはこういう風に利用したいですね
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-11-07 00:20:27
ドイツ特派員さま

「週刊文春」の日垣隆氏の論考でも、「いじめ」と「自殺」を直結して考えることには無理がある、といった内容の指摘があったように思います。

通常は、そうなのではないかと思いますし、親としては、その空隙の中に、子供を救うチャンスがある、ということなのだろうと思います。
 
 
 
教育に評価を持ち込むことは。。。 (waremokou)
2006-12-11 13:28:12
すべてのものを数値的に測量・評価しようとするのは資本主義の原理なのかもしれませんが、教育現場へ子供を対象するにせよ、教師を対象とするにせよ、評価を持ち込むことは、教育の持つ贈与の価値、これこそが子供を成長させる糧だと思うのですが、を貶めることになると思います。
数値目標は、目先のテストの点数をあげることはできても、人から人へ伝えることの出来る最良のものを奪い取ると思います。すなわち子供が人から何かを学び取るには、その相手が自分の利益などには左右されない純粋贈与的な恩寵を受けたときしかありえないと思います。純粋贈与は交換の理念をどんなに積み上げていっても所詮生み出されることはありません。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-12-12 00:07:26
waremokouさま

お久しぶりです!

私は、教育の場にも何らかの意識的で公開された評価が必要だと思っています。

なぜなら、それは、ほぼどんな教育システムを取っても、不可避的に行われるからです。たとえば、教師の給料を全て年齢給にすると、これは、教師を年齢だけで評価するのと同じですし、現実にもう少し近づけると、校長なり教育委員会なりにウケの良い先生が昇進しやすいといった情実評価が存在します。

大雑把な直感として、一生懸命な先生とそうでない先生が居るし、教え方の上手い先生とそうでない先生も居ますが、これらを、一律にしか扱わないということは、教師という職業をアタマ数ないし年齢でしか評価しないのと同じです。むしろ非人間的な扱いだと、私は思います。

「評価」なるものは所詮不完全ですから、絶えず、方法を改善する努力が必要ですし、特定の評価者を絶対的な地位に置かないことが大事ですが、教師が仕事である以上評価は不可避です。

「評価は教育に馴染まない」というような非現実的な理想主義は、かえって、不平等な評価をはびこらせる原因になることでしょう。

教育を通じた「贈与」が重要であることと、上記は、深く関連しますが、評価を導入することが、教育的贈与の価値を否定することにつながらないことに注意亜Gひつようではないでしょうか。

要は、「教え子のテストの点数によって評価する」というような乱暴な評価システムを作らないことが重要であって、評価自体を隠蔽してしまうことが良いことではないと思います。
 
 
 
re: (waremokou)
2006-12-13 14:54:54
ご返答ありがとうございました。
見事に現実即した合理的かつスマートなご意見、感動を覚えました。

教育の場における評価はもう必然なのでしょう。
評価をしないことは評価の隠蔽につながるというご意見も深くうなづけるものです。

それでもやはり、より厳密な評価は人の心のなにかを確実に殺すだろうという想いは変わりません。
形として顕れる現実と心のリアルワールドはバイロジカルに動く、と思っております。
 
 
 
Unknown (山崎元)
2006-12-13 17:39:16
waremokouさま

仰るとおりだと思います。「評価」は、人間の心の中の大切なものを殺しかねない副作用を、常に持っています。

不断の見直しが必要ですし、だからこそ、オープンなものでなければなりませんね。
 
 
 
 「イジメ撲滅」のご案内 (あだち)
2008-06-25 15:09:31

失礼します。
      Googleにて拝見 
    
 「イジメ撲滅」のご案内
       ご笑覧ください。
     http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/    
 
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