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将棋名人戦の楽しみ

 森内名人に羽生二冠(現在)が挑戦する将棋の名人戦7番勝負が佳境を迎えている。ここまで3局を消化して、羽生挑戦者の2勝、森内名人の1勝だ。

 森内・羽生の両者は小学生時代からのライバルだが、羽生二冠が棋歴的に先行していたにも関わらず、森内名人が先に永世名人資格(名人通算5期で永世名人を名乗ることが出来る)を取ったため、今期名人奪取に成功した場合に永世名人資格を取る羽生の挑戦が注目されている。はっきり言うと、世間的には「羽生が永世名人でないのはおかしい」という気分から、羽生二冠の第19世名人を期待するムードが強く、森内名人はやりにくさを感じているかも知れない。また、羽生挑戦者は、名人挑戦者決定のリーグ戦であるA級順位戦を、素人目にも圧倒的な内容で勝ち抜き、今期は名人獲得に照準を絞って本気だ、というムードを醸し出している。

 ここまでの3局も、羽生挑戦者側の「動き」が目立つ。
 第1局は、後手番であるにも関わらず羽生挑戦者が優位に序中盤を進めたが、中盤戦で、無理に決めに行って(飛車切りが決定的に拙かったようだが、だとすると、その前の8六歩がおかしかった)、惜しい将棋を落とした。「将棋世界」6月号の先崎八段の解説によると「気が短くなって、えいっと魔が差したような手を指してしまう」類型的な悪手で「棋士としての継続年齢と共に多くなる事象」だそうだ。両対局者と同世代の先崎八段が、羽生挑戦者の年齢的衰えをはっきり指摘している。そうだと思ったが、やっぱりそうか。先崎八段はここのところすっかり解説がはまり役になってしまった観があるが、両対局者と同世代の一流棋士だけに、彼の解説には、さすがという説得力がある(ただし、「週刊文春」の連載エッセイは近年さっぱり面白くない。将棋指しか碁打ちがだらだらと酒を飲む話が多くネタ切れ気味だし、話の切れ味が落ちている)。だが、今期の名人戦は、羽生挑戦者がどのようなスタイルで戦うかが見所だ。
 第2局目は、羽生挑戦者が先手番で激しく動きながら、何とも複雑なねじり合いの将棋を制勝した。意外な攻め方をした(一手損してからの再度の3五歩の仕掛け)かと思うと、渋く受け(8七歩)、自陣に角を打って(1八角)から優勢を築いて、最終盤は2手連続の早逃げで自玉を絶対安全な状態にするなど、秘術を尽くして勝った。特に中盤は意外な手の連続で、ネットの中継を見ていて、さっぱり分からなかったが、どうやら複雑なねじり合いで、読み比べを続けるような、羽生二冠の若い頃の路線で勝負することにしたようだ。仮に、自分も読みのスピードや注意力が若い頃よりも落ちているとしても、相手も同じ年齢なのだから、局面を複雑化して、ここで勝負するのが有利だと考えたのだろうか。
 第3局目は、先手番の森内名人が素人目にも圧倒的な優勢を築いたが、これが終盤で大逆転した。深浦王位によると「50年に1度の大逆転」だそうだが、これは何度見返しても(パソコンの画面で数回見たのだが)どうして逆転したのか分からない。直接的には森内名人の見落とし(終盤の8六桂が開き王手になることの)ということだろうが、羽生挑戦者がそのしばらく前に指した4二角あたりから妖しい雰囲気が醸し出されている(なるほどこんな風に指すものかという手だが、真似はできそうにない)。相手の間違えを直接狙った訳ではないだろうが、どこで間違えやすいか、将棋の手と同時に相手の心理も読んでひっくり返すような羽生二冠の怖さが見える。劣勢の中盤戦での信じられないような辛抱(7二歩や4四銀など)も含めて、ネットの解説に「羽生四段の頃を思わせる」というような秀逸なコメントがあったが、執念で逆転した将棋だった。
 森内名人が桂得した時点では、駒落ちで言うと角落以上の差が付いていたはずだが、羽生二冠はこれをじっと耐えて勝負に持ち込んだ。実質的には、故升田幸三氏の「名人に香を引いて勝つ」以上の偉業かも知れない。優勢な側がいかに優勢とはいえ、将棋では(たぶん将棋に限らないと思うが)、勝ちを「決める」時が難しいので、間違えることがある。
 尚、細かい話だが、戦型的にはこの第三局の序盤戦に大きな興味を覚える。序盤の森内名人の「攻めてこい」と言う4五銀に対して、後手側から仕掛けが成立しないとすると、相懸かりの将棋はかなりの制約を受ける。私は、学生時代、後手側に近い構えから攻めるのが好きだったが、相手の下段に飛車が居て、飛車側の金が動かずにいる構え(飛車を目標に3九角と打てない)は、攻めてもなかなか上手く行かなかった印象がある。あれで後手側が上手く行かないとすると、封じ手の5三銀では6四歩だった(次は、6五歩と仕掛ける)のかも知れないが、それでもダメなら(攻めが軽いし、先手ががっちり受けているところなので、後手が優勢にするのは難しそうだ)、超序盤の4一玉が疑問手なのだろうか。もちろん私がいくら考えても結論が出るはずはないのだが、この将棋の序盤は、盤上に表れなかった変化を含めて興味がある(朝日、毎日の観戦記と「将棋世界」が待ち遠しい)。それにしても、この将棋の先手番の森内名人の構想は素晴らしかった。

 以前にもこのブログで書いたことがあるが、近年の羽生二冠は、「現代の将棋はいったん劣勢になると逆転は難しい(だから、私を相手に劣勢になったら、早く諦めなさい)」という暗示を、主に若手に向かって発する番外戦術を使っているように見える。経験値は劣っても、無心に読んで、手が見えて、しかも頭脳に体力があって、なかなか諦めない若手世代に脅威を感じて、彼らに(羽生二冠側に都合のいい)先入観を植え付けようとしているのではないか、というのが、私の推測だ。何といっても、先の手が見えるどうしの将棋は、どこかで、「相手に先に諦めさせて勝つ」ゲームになる。可能性があると思いながら考えるのと、これはダメなのだろうと思いながら考えるのとでは、戦力・結果に大差が付くはずだ。これは、羽生二冠が意識的にそうしているのではないとすると、失礼な推測なのだが、第三者的にはそうも見えるということで、アマチュアの将棋の楽しみ方の一つとして許して貰えると有り難い。
 かつて大山名人が、若手棋士にコンプレックスを与えるべく、盤上(たとえば優勢な将棋で「なぶり殺し」的な勝ち方をするとか)・番外(一五世名人を名乗って「大山名人」と呼ばせるなど)で、様々な心理的勝負術を繰り出していたことが指摘されているが、タイプは異なっても、羽生二冠が同質の戦術を使っていると思うのだ。この点は、「決断力」という羽生二冠の著書を引き合いに出して、米長将棋連盟会長に訊いてみたことがあるのだが、「羽生も引退したら、別の勝負論の本を書くでしょう」とはぐらかされてしまった(森下千里さんが一緒にいたので、それどころでは無かったのかも知れないが)。
 しかし、今期の名人戦では、近年のプロパガンダを自ら否定するような勝負術を羽生二冠が見せてくれている。だから、今年の名人戦は目が離せない。第4局は、5月20日、21日で羽生挑戦者が先手番だ。

 完全な余談だが、第三局の数日後にスティーブン・キング原作の「ミスト」という映画を観た。「敵」となる異生物の出来が今一つだが、人間の心理の面白くも怖いところをよく描いた傑作だ(因果応報のバランスも良くできている)。この映画のラストシーンは、原作と異なり、且つ原作を超えているらしいのだが、このラストでも、「諦めてはいけない」ことがよく表れている。こちらは、将棋ファン以外の方にもお勧めできる。
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