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日経の元日の社説を読んででがっかりした

日経の元日の社説を読んでがっかりした。

今後人口減少のスピードが速まることが予想され、これは需要の減少につながるから、大問題であり、特に、少子化対策が重要だという論旨だ。

これは、GDP至上主義、或いは経済を国同士の国力競争と見るような、誤った考え方ではないだろうか。

国民の幸福にとってGDPが問題であるとすれば、それは一人あたりのGDPが問題なのであって、国単位のGDPではない。人口の増減は人の自由な選択の結果だから、GDPの成長のために少子化対策をせよというのは誤りだ。年金制度をはじめとして、人口減で機能しなくなるような制度や社会は、制度や社会の方が悪い。少子化で子供を産み・育てやすい社会を作ることは大切だが、子供をたくさん産めというのは余計なお世話だ。(もっとも、私個人としては、今のような時代だからこそ子供を多く持つのは案外良いライフプランニングではないかと考えている)

国力≒経済力と考えて、日本が外国と経済力競争をしていると考えるのも大きな間違いだ。はっきり言って、国と国同士は経済競争などしていない。トヨタとGMは競争しているが、これは日本とアメリカの競争ではない。経済の世界は国の枠組みを超えているし、たとえば日本のビジネスマンにとって、商売で縁のない同国の隣人よりも、取引先の外国人の方が重要なパートナーなのだ。これが当然だし、こうした関係を大切にする事こそが、ナショナリズム(←治療すべき病だ)の克服と世界平和につながると思う。

残念ながら、企業など経済の側が、国の政治的な力を利用しようとすることはあるが、これは奨励されるべき事ではない。下品なジャーナリズムでは、たとえば、アメリカの政府が自国の企業が国際的に有利になるように政治力を使うことを礼賛する傾向があるが、これは、「国同士の経済競争」という古い誤ったものの見方に影響された愚論だと思う。アンフェアな政治的介入を批判し、時には大いに嗤うことが重要だ。

それにしても、日経に限らず、新聞の経済や政治に対する見方はどうしてこのように、過剰に「国」を主語とする方向に歪むのだろうか。

思うに、おそらくは、記者クラブといった公費を使った公然の談合組織によって商品である情報の供給寡占に守られ、日本語という非関税障壁に守られ、更にマスコミの資本からは外資を20%未満に抑えるといった資本の鎖国まで与えられて、大マスコミの社員諸氏は現状が心地よくなってしまっていて、世の中の動きを実感をもって眺めていないのではなかろうか。

ところで、我が国の少子化を心配する日本経済新聞は、2007年から定年を迎える団塊世代が、退職後に日経新聞を読んでくれるだろうかという大きな心配を抱えている。ニュースはネットで十分という世代が増えているし、2007年に株のバブルが終わっていると、同社の先行きもなかなか大変だろう。国のことよりも、今のうちに自社のビジネスの心配をする方が良いかも知れない。
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