山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

実験映像「ねじ式」

2011-06-17 23:54:00 | 「ねじ式 復活」2011
つげ義春の漫画「ねじ式」を舞台版では「紅い花」「もっきり屋」「無能の人」などをコラージュしながら張り合わせて、もう一つの新しい「ねじ式」を試みた。
試みは劇作の実験性にある。既成概念に捉われることなく独自な劇世界を創出することは、単に作品としての劇を伝えることではない。新しいことへの可能性を求める。

今回、「ねじ式」を映像化しようとした試みは実験映画の可能性を求めてのことだった。
確かに舞台と映像は違う。撮影現場は監督、カメラマンの独裁的な場になる。一見、個人の世界観のようになってしまう。だから「私」との戦いが始まる。「私」などない独裁。監督は滅私奉公の過酷な不条理に陥る。

俳優はカット割りの映像の中で戸惑うことばかりだろう。思い入れが深ければこの戸惑いが衝突ではなく生産に繋がる。
俳優たちは心の中で叫ぶ。「えーい、どうにでもしやがれ。まな板の上の鯉だ」と。さばかれる快感?舞台とは違った新たな俳優術が垣間見られた。信頼、これがなければやってられない。
そう言う意味で劇団は映像へと進出する集団としての可能性はある。今後の劇団夢桟敷の課題が見えた。



■6月17日(金)亀井公民館

昨日につづき室内撮影となった。
「産婦人科」のエロチックな場である。ここで気をつけなければならないこと。作る側が興奮してはならない。あくまでも冷静でなければならない。
私たちはアダルトビデオを作っているのではない。見る側を性的に興奮させることが目的ではない。「清く、正しく、美しく」のモットーが思い出された。

産婦人科の女医がメメクラゲに腕を噛まれて死にそうになっている青年を手術する場。切られた静脈をネジで締める手術である。ここに男と女の性的な営みがオーバーラップしてくる。イメージは母と息子の近親相姦的な場面になる。

想像力、妄想は人間としての生きる力だ。学校ではそれを教えない。とりわけ「性的」なことについてはタブーとなる。オシベとメシベのアカデミックなことを人の妄想は超えてしまう文化を肯定しよう。
日常では愛である。恋である。しかし、その内面は・・・。人の脳は危険に満ちたことまで想像したりする。
狂気などの裏返しに安全平和を確認する脳。同居する愛と恐怖。生と死。・・・映像として人の理性や感情を揺さぶることに挑戦。
感動があれば「生きる」ことの喜びを発見する筈。





演劇の稽古とは違った緊張感の中、稽古場である亀井公民館での撮影は終了した。
残る撮影は青年が海から登場し、海へ去っていくロケ。6月21日(火)である。今のところ工藤慎平と私だけの予定だが、誰かついて来る?撮影アシスタント募集します。

尚、明日6月18日からの稽古は「KAGUYA」7月10日の河原町アートの日でのパフォーマンス市街劇篇にとりかかります。同時進行で映像編集の予定。

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