(C)higomaru
人間の持っている能力を絞っています。絞り出している感じです。最後の最後の一滴を絞っています。まだ出る!
このギリギリまで追いつめられる感覚が良いのです。面倒くさいことがたまらなく良いのです。これが演劇にとりつかれた人間の宿命というか、つまり、努力することがマゾ的快楽というもの。才能に頼っている場合ではない。ひたすら、絞り出す。一旦、出始めると、もうどうにも止まらなく溢れだすのよ。それがエクスプレス!・・・「エンヤコーラ」とカウントダウンが始まった。
■11月26日(金)熊本市清水市民センター
「かぐや」【27】稽古
クドシン、24才の誕生日だった。虎男である。おめでとう!パンパンと盛大に誕生日を祝いたいが、公演直前のため、稽古が優先される。若者にとって遊びたい盛りを演劇に足を突っ込むと遊ぶ時間全ては奪われる。演劇人にとってカネ儲けと遊びは時間的にとれなくなる。こういうとぼけた世代が切れることなく次から次へと出てくるから劇団も31年続いて来たのだろう。
稽古終了後、ささやかな誕生パーティーとなったが、話は公演の段取りばかり。
稽古日記に写真をUP(マシマン撮影)したら、ホームページへの訪問者が増えた。何か刺激的だったのだろうか。
■11月27日(土)武蔵ヶ丘教会
「かぐや」【28】稽古
言葉、つまり舞台では台詞のこと。
今日の稽古では全編、「ことば」に集中した。全員、テーブルに着いて台詞を点検する稽古となる。こんなことは今までにやったことはない。いかにも演劇の基本のように見えるが、実は実践的ではないことを知っているからである。ところが、・・・
この人でなければならない「ことば」はある。それを探す。ピタッと貼りついてくる「ことば」はある。劇作家が役者を知って書いているからハマる「ことば」である。台詞は役者の皮膚である。
明日は作家と演出の打ち合わせの時間を設けることにした。つづく。
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