山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

【上半期】私的2012回顧

2012-12-27 04:07:24 | モノローグ【エトセトラ】
今年を振り返ろうと180°首を後ろに回したら激痛が走った。筋を違えた。
首の痛みを堪えながら振り返る2012年。まだ無理が効く還暦(60)男だが、集団の力に支えられていることを味わった1年だった。感謝、感謝。
私的回顧は視野が狭い。ほとんど演劇のことしか眼中にない。・・・バカである。演劇を中心にメモを残す。記憶のメモだから断片を記す。全てを語ると気絶するから舌足らずで行こう。
まずは上半期の1月~6月まで。

【1月】
昨年末までに書き終える筈だった劇台本を引き延ばしていた。迷惑をかけることに慣れっこになっているのか?いつも申し訳ないの連続である。自分に甘いのか、追いつめられるマゾ感覚に快感を覚えたのか。
今年は「阿部定三部作」に向かう。
昨年の3.11(震災と原発爆発)以降とサダ事件の昭和が重なって見えていた。
愛の影に戦争がやってくる予感がした。過去の亡霊たちがやって来る。そしてナンセンスである。
尚、イメージ映像「サダひとり」製作に取り掛かった。きちくるお:作「球体関節人形」と役者(夢現・サキ・肥後丸.)のオーバーラップ。昨年の「ねじ式」映像につづく第2弾。

【2月】
「サダひとり。~阿部定事件」(第一部)の稽古が本格的に始まった。イメージ映像と舞台とのコラボへ挑戦。稽古場は試行錯誤の修羅場を迎えた。「あーでもない、こーでもない」がヨーイどん!だからだ。
劇団が二つに分かれ、3月に向けてのテント劇の体制に入った。新たに猫目おろち「夢一夜」(サキ・田中幸太・クドシン・山本真実・中村大輔・賀久秀之助[仮面工房])チームが結成された。
尚、「サダ」チームのメンバーは私と夢現・肥後丸.・赤井犬彦・東田まなみ・KAREN。

【3月】
2つに分かれての稽古であったため少々淋しい感があった。このまま分裂、解散になるのではないかと不安もあった。その心配は無用だった。
猫目ACT-01と銘打ったイベントで公演を行った。3月30日(金)-4月1日(日)/会場は河原町駐車場テント。テント設営には大阪の劇団流星群からの協力を頂く。スタッフ海幸大介もこの企画に対する思いが大きかった。これをきっかけに役者復活になっていくのであった。
夢桟敷と猫目おろちの他に出演団体は、上村葉子ベリーダンスグループ・gyagal crunch・小林どろり・湧心館高校定時制太鼓部・Soul Swings又、ギャラリーADOにて写真展(顔シリーズ)ー添島千景/梶原さちこ/けいすけ /きちくるお(人形展示)を同時開催した。
公演当日は強風や雨などのトラブルに見舞われる。近所の店から「うるさい!」の苦情もあった。
叩かれれば強くなるものである。

【4月】
公演が終わって速攻、大衆演劇へ取り組む。卓草四郎プロデュース、大津町にある成和座こけら落とし5月公演へ向かった。番外篇である。
稽古に立ち会いながら胃の痛みを感じる日々が続いた。私はプロデューサーである卓さんをいじめているのではないかの自覚症状があったからである。稽古場に行くのが辛い。しかし、新鮮なものを自分の中で感じていたのだった。
分裂、解散になるのではないかと不安もあった。その心配は無用だった。3月の疲れが癒されず走り続けたからだろう。演劇病である。

【5月】
6日(日)大衆演劇「帰って来た新次」(作演出/卓草四郎)公演。名古屋てんぷくプロの矢野健太郎さんが客演。私と座長=夢現は音響/照明係。ほぼフルメンバーが出演した。キッズのメンバー2名も出演となった。ダンス振付は山本真実も協力。感謝。
この公演を最後に田中幸太が退団する。11年の劇団生活、楽しかったかな~。ズルズルと退団者が出るのではないかと心配した。
連休明け、7月公演サダ3部作2弾「赤色時代」に取り掛かる。結束することがテーマになった。
夢にまで出てくる役者たちに驚かされる夜が続いた。

【6月】
河原町問屋街の小スペースを借りた。まるで廃墟。暑い!
「秘密基地」と名付けた。腐った畳や臭いにクラクラした。海幸大介が先頭に立ってゴミ捨てや解体作業に取り組んでくれていた。私は喘息と目まいで萎えていた。
キッズミュージカルの稽古もスタートした。公民館講座の下準備としてワークショップのような形になる。KARENがリーダー。10名(小中学生)が集まる。台本は座長=夢現、演技指導はサキ、ダンス振付は山本真実。私とクドシンがスタッフとして分担した。
劇団の7月公演「赤色時代」に向けての稽古も同時進行である。
日々、ワルツだった。三つのリズム。劇団の稽古はスピードアップした。