子どもの頃(昭和30年代)、近所の友達と秘密基地を作って遊んでいたことがある。
小学校の裏山には大小さまざまな防空壕が残っており、「危険だから遊んではいけない」と禁止命令が出ていたところ。
禁止されると遊びたくなるのが子どもの冒険心。
今にも崩れてしまいそうな洞穴だった。蛇やムカデ、コウモリもいる。
ハングル文字の新聞が散乱しており、密入国者の生活した後も伺えた。
学校が終わるとそこに集まり、戦争ごっこをして遊んでいた。
当時、「コンバット」なる戦争ドラマがテレビで流れていた故か、アメリカ軍とドイツ軍に分かれて石を投げ合ったり、棒で叩き合ったりして怪我をしていた。
赤チンや包帯が少年たちにとっては男の勲章のようになっていた。
その内、2B弾という火薬を使って遊ぶようになった。
手元で火薬が爆発して指が千切れた子もが出た。
片目を失明した子もいた。
怪我が自慢にはならなくなった。
それから戦争ごっこは辞めた。
私の子どもの頃のバカ話、おわり。
小学校の裏山には大小さまざまな防空壕が残っており、「危険だから遊んではいけない」と禁止命令が出ていたところ。
禁止されると遊びたくなるのが子どもの冒険心。
今にも崩れてしまいそうな洞穴だった。蛇やムカデ、コウモリもいる。
ハングル文字の新聞が散乱しており、密入国者の生活した後も伺えた。
学校が終わるとそこに集まり、戦争ごっこをして遊んでいた。
当時、「コンバット」なる戦争ドラマがテレビで流れていた故か、アメリカ軍とドイツ軍に分かれて石を投げ合ったり、棒で叩き合ったりして怪我をしていた。
赤チンや包帯が少年たちにとっては男の勲章のようになっていた。
その内、2B弾という火薬を使って遊ぶようになった。
手元で火薬が爆発して指が千切れた子もが出た。
片目を失明した子もいた。
怪我が自慢にはならなくなった。
それから戦争ごっこは辞めた。
私の子どもの頃のバカ話、おわり。