goo blog サービス終了のお知らせ 

山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

おてもやん

2017-04-02 19:09:52 | モノローグ【エトセトラ】
1971年4月2日、今から46年前の今日、国鉄熊本駅を降りると構内で「おてもやん」の歌が流れていた。
高校を卒業して、下関の親元から離れて自立と自由を胸いっぱい吸い込もうと意気込んでいた。どんな青春が送れるのか、夢と希望に満ち溢れていた春。…学生時代に自分のやりたいことを探そう!と熊本にやって来たのです。
この歌を聞くたびにあの時の熊本の匂いを思い出す。
おてもやんと言えば、ホッペが赤く愛嬌のあるブス(差別用語?)を想像していた。歌詞は熊本弁だから意味不明なところもあった。
ところが、学内の女学生は美人ばかり。繁華街を歩いても目が眩むような女性ばかりに見えた。18才にして頭の中がオンナの美しさ!でパンク寸前。
ところ変われば性格も変わる。これを機にペラペラ喋る野暮な男になったね。
歌の意味がわかるようになって、おてもやんは男にとてももてていたということがわかったよ。この歌の奥深いところに士族を茶化した農民の歌だと感じるようになった。
富永チモさん。おてもやんは実在したモデルがいたのです。
今や60の半ば。ここにいると人を惚れやすくなります。
次の劇ではこの歌を入れたい。愛の物語に!

善人なおもて…

2017-03-16 13:41:56 | モノローグ【エトセトラ】
「さきに生れん者は後を導き、あとに生れん者はさきをとぶらえ、連続無窮して、願はくは休止せざらしめんと欲す。
無辺の生死海を尽さんが為の故なりと」 親鸞聖人〜教行信証後序結文 より。

葬儀の際はいかにも仏教を疑うことはない。キリスト教も同じく、神妙になります。
神や仏を日頃から信心している訳でもなく、むしろその逆で、無知同然に面白おかしく生きることばかりを願っているのです。

山口県周南市の義理兄の逝去の知らせがあり、座長とゆうむファミリーの5人で葬儀のある周南市の典礼会館に走った。
九州自動車道から中国自動車道へ、山陽自動車道に入って涙雨が降ってきた。
身近な人の死で思い出だけが蘇る。時間が巻き戻り、あの時がガタンガタンと止まる。

兄の実家が下関市の唐戸市場で鮮魚店をしており、興味本位で販売を手伝った40年前のこと。大晦日の稼ぎ時に「口より動けー!」と尻を叩かれる。これは名台詞である。
法事で孫におこずかいをあげようとした時、「貧乏人が何をカッコつけちょるかー!」と笑われたこと。
Isobe兄ファミリーは建築の現場監督で中国地方を転々としていた。新南陽市(今の周南市)に家を建てた時に招かれたこともあった。うちの子どもたちにはザリガニ採りで遊んでもらった。

親や親戚の叔父叔母が亡くなる時代から兄弟姉妹が亡くなってしまう時代になったものだと身につまされることになった。
葬儀で身内の者たちが会えることで笑顔になることは不謹慎だろうか。…孫同士で寂しい場を運動会のように走り回っていた様子を見ながら時代の移り変わりを笑う。

2011年3月…

2017-03-11 11:57:51 | モノローグ【エトセトラ】
2011年3月11日のことは忘れられない日となった。
東北震災の日に劇団夢桟敷「ねじ式」初日を迎えた。会場は熊本市中央区河原町ギャラリーADOだった。ゲネ終わった午後3時過ぎに知った。
その一週間後、下関の実家の母が亡くなったという連絡もあった。昨日一昨日の故郷=下関帰りで想う。

母の七回忌法要では時間がぐるぐる回って転げ落ちるような気分になった。2011年を契機に世の中が大きく変化した節目のようにも想う。自然災害に対する恐怖、原発への不安、人の死を身近に感じた。…還暦を過ぎて白内障や直腸癌に見舞われ、親戚や座長の父の死去なども経験する。昨年4月の熊本地震では決定的に他人事ではないと身につまされた。
生きているね。死んだ人も生きている人の中では生き続けているよ。
日頃、バカばっかり言っているが、手を合わせると落ち着く。
真っ当に貫きたいものだ。明日からも劇作りで忙しくなるね。身の丈知らずはバカと真面目を行ったり来たりするのです。
悲喜交々、これが日常というものよ。

祝96才!ブラジルのお父さん

2017-02-27 10:05:50 | モノローグ【エトセトラ】
安永忠邦さん、96才のお誕生日おめでとうございます。
移民の父 上塚周平先生のお墓を守り、ブラジル移民の歴史をそのまま生き続けていらっしゃったことを尊敬します。
はじめてお会いしたのが移民百周年の2008年8月だったか。ブラジル公演のための下見にミンミン(田中瞳ちゃん)と行った時だった。
忠邦さんが「教育勅語を読んでいますか。」と言われたのには度肝を抜かれてしまったのです。読んでもいないのに嘘もつけず、日本では戦後、教育勅語は学校で教えていませんよ、と言うと、「あんな良いものをどうして教えないのだ。」と肩を落としていた。忠邦さんは戦前の教育をそのままブラジルの地で生きていらっしゃるのだと驚きを隠せなかった。
あくる年の2009年2月、「ボクノフルサト。」ブラジル公演の際は涙を流して喜んでくれました。思い上がってはいけない。私たちの演劇を日系の子孫の方々が支えてくれたのです。
正直に言うと海外旅行をチャラチャラと遊び心で楽しんでいたのもいます。移民の歴史、想いは現地の人々の方が深い。それは当然、叶わないのです。
来年は上塚周平植民が成功したプロミッソン市政百周年です。距離的に地球上で一番遠い国ブラジル、移民という苦難や差別もあっただろう歴史や人々との心を縮めるための演劇を!熊本から運びます。
忠邦さん!お父さん!お元気でお過ごし下さい。必ず、お会いしましょう。

プチプチプチ

2017-02-25 23:11:12 | モノローグ【エトセトラ】
(1) アサーッ
自主的外出禁止!解禁。監禁生活、3日間でした。
バラバラだったアイディアが一つにまとまりつつある。
今夜は上之裏通りに行く予定です。人に会うと良い刺激を受ける。
(2)ヒルーッ
今夜は学生時代(1971-1975 )の友人と会うことになった。40年以上も前の昔ばなしに花が咲くでしょう。一人はフォーク歌手、もう一人は商工中央会関係。…ジジイたちの生きざまに出会おう。
(3)ヨルーッ
会って笑った。顔面神経がゆるくなった。
忘れていたことを断片的に思い出し、記憶のリハビリになったね。…明日からは思い出しての支離滅裂含み笑いをするだろう。
若返りには良いクスリになったよ。
座長も同席してくれたが、意味不明な歴史を楽しんだようだった。
3バカ大将かお笑い3人組か、…つづく。

はせたつツアーin熊本

2017-02-22 10:54:25 | モノローグ【エトセトラ】
1980年代半ば、RIOというバンドを組んでいたタケベ君(たつのすけ)が「はせたつ全国ツアー(長谷川幸裕withたつのすけツアー)」で熊本に帰って来た。
彼のライブを聴いたのは30年ぶりか。当時は私、ライブハウスをやっており経営は2年しか持ち耐えることができなかったが、強く記憶に残ったバンドの一つだった。
「We love music」と銘打ち、アフリカの難民を救え!と熊本の音楽関係者に呼びかけたメンバーの一人。レコードの製作、売り上げを寄付することも実現し、有線放送ではトップクラスで流れた。音楽が社会に影響を与える力があると、こんなにも実感したことはなかった。
昨夜はライブを聴きながら、ぐるぐる時間が巻き戻ったり、彼の以降の活躍を思い浮かべると考え深いものが込み上がる。
そういえば、劇団夢桟敷「スマイリング ドール(1984年)」公演のBGMを製作してくれたのは彼とシイバ君だった。
昨年末の東京公演でも駆けつけてくれ、今度の4月16日の南阿蘇復興イベントでは音楽担当をするらしい。
彼の活躍ぶりが嬉しいね。そう思えるライブで力が湧いて来た。

映画撮影に同行

2017-02-19 22:49:04 | モノローグ【エトセトラ】
夜中の2時に四国松山を出発した「ジェラシーパーク」(Gee Fujita監督)撮影隊は午前中に福岡市、午後より熊本南阿蘇にやって来ました。
昨年の熊本地震以降、南阿蘇に足を踏み入れることがなかった。道中、阿蘇大橋周辺が通行止めになっており迂回して大阿蘇温泉アーデンホテルに着く。この撮影場所をお世話してくれたのが、ここで働いている本田浩隆君。彼にはいつも大変お世話になっております。話せば長くなるエピソード大盛り。
孫のRIKU(10ヶ月)が映画デビューか!思うだけでドキドキだった。いざ撮影の段階でドンドンヒャララと冷や汗が噴き出す。
65才を迎えようとしているクルクル爺ちゃん、情緒不安定のドンドンヒャララでしたね。
RIKUのパパと座長も同行しましたよ。午後5時に終了!
さあ、馬刺や生ビール、焼肉かと思いきや、草千里で歌う女優のカットを撮るという。
わーっ!なんてハードな強行スケジュールでしょう。御一行様、今夜10時に大分からフェリーに乗って四国松山に帰られました。
今度来られる時はゆっくりして下さいね、と固い握手をして見送りました。
おもてなし出来ず、残念でした。

バレンタインデー。

2017-02-14 22:07:37 | モノローグ【エトセトラ】
渋谷で反バレンタインのデモがあった。ネトウヨの噂がある。その実態は?…どうでも良いことだ。
義理チョコだろうが何だろうが、貰おうが貰えなかろうが、嫉妬しようがされようが、モテるモテない?…格差?
SNSを使うと自慢に見えるバカ?…どう思われようが、孫は可愛いに決まっているのです。
何も気を使うことはない。

お疲れ筋なのね

2017-02-13 15:38:20 | モノローグ【エトセトラ】
時間が超特急で過ぎてゆく。もう昼下がりではありませんか!
今日はモノ書きで、脳のミソがカッチンカッチンに硬くなった。イカンイカン!とろけるようにしましょ。
はい、休憩!…力を抜きましょう。
バタン。…倒れた音。
鉄分不足である。ヘモグロビンやーい!必要に迫られた叫びです。

一本道

2017-02-12 23:40:27 | モノローグ【エトセトラ】
友部正人のススメ

video.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=yjapp_tab_top&p=YouTube%20%E5%8F%8B%E9%83%A8%E6%AD%A3%E4%BA%BA%20%E4%B8%80%E6%9C%AC%E9%81%93&oq=&aq=-1

四畳半でしんせいをふかしながら、この歌「一本道」をよく聴いていた。しんせいは60円だった。しんせいな気分で聴いていた。
二十歳の頃だった。
振り返ると、今は夕焼けではなく、ヤケクソがありまーした。
あれから45年、たった〜のか。

油ギラギラは苦手です

2017-02-11 00:59:55 | モノローグ【エトセトラ】
今日の熊本は朝から粉雪が舞っておりました。コタツで丸くなるしかない。こんな時でも新興宗教は勧誘に来やがる。うるさい!と追い返してやったよ。エホバの証人か。
こんな寒い日には「天ぷらが食べたい!」と思いつき、冷蔵庫の野菜整理も兼ねて、張り切ってシェフになる。
揚げている段階で油の匂いに酔い、ヨイヨイの人になる。作りすぎてしまってフラフラのめまい。
ひとり生活だと料理は張り切らない方がいいね。結局、ご飯と大根おろしとお茶で済ましたのだった。もう一品、漬け物があれば良かった。
座長は昨日から実家に戻っており、山都町の冬景色をメールで送ってもらった。
親孝行と親不孝を足して2で割るとゼロである。3月9日に私の実家(下関市)母の七回忌があるという連絡が入った。よく枕元に現れる母だが、それは「墓参りにおいでよ。」の伝言だったのだろう。