史跡めぐりが済んでホットする暇もなく
準農業法人「福山だいじょうぶ」が収穫を始めるというから
販売容器はと聞くと手配していない。
段ボールメーカーと交渉して引き取りに行く。
悪くいうわけではないがこれが本当のヒャクショウの泥縄だ。
物を売るのに入れ物がないとは笑えもしない。
誰かがなんとかしてくれると思っている。出来上がりを待つ間、近くの砂留見物としゃれこんだ。
江戸時代に造られた砂留。
ここでも一人、学校勤務時代は教頭職の先生が草刈り機と重機を持って立ちあがられたようだ。
私が2006年堂々川のホタルを立ちあげた時より自然は厳しいようだ。
時間を気にしながらの砂留散策。
別所砂留の1部を紹介する。

人家から200m程から点在
江戸時代1851年の普請と砂留総数が表示されている。その数13基。

平成9年、広島県により「福山藩の砂留」が発刊されているがこの本には別所砂留は記載がない。
もしかしたら今回の写真集はここ数十年では初公開か。
此処を開墾されているO氏は偉大な先駆者かもしれない。

1番砂留

2番砂留
砂留と砂留の距離が非常に短く、30mも離れていないものが多い。

3番砂留

4番砂留
ガールフレンドが欲しいといっていた「ウラジロ」が沢山繁茂している。
このシダはお正月に〆縄に飾る縁起もの、ひょっとしたら良いことが!

5番砂留

6番砂留
別所砂留群では4番、7番、10番砂留が大きな規模のもののようだ。

7番砂留
まだ開墾途中、全容は見ずらい。
しかし側道は十分歩行できるように整備してある。が山道は山道だからその辺は歩く際注意を。

8番砂留

9番砂留
全部で13基あると案内にはあったが10番目でとうとうあきらめた。

10番砂留
最大規模の10番砂留
残りの3つは今回はパスした。
この別所砂留群はまだまだ測量や整備が必要である。
お手伝いをしたいが我が身も両手両足の指まで使っているので
10にあきらめている仕事もあるからまず応援はできそうにない。
それでもお手伝いをしたい。
損な性格だ。
段ボールを引き取り、ダイジョウブへ届けた。
今度は品名表示とか生産者のシールがないと騒ぐ。
7月から8月にかけての勉強会で役割分担まで決めたはずなのに
今の時点では別所の出来事のような顔をして
ボランテァの我が身に文句を言う人がいた。
「やあーめた」といいたいがもう少し我慢をすることにした。
準農業法人「福山だいじょうぶ」が収穫を始めるというから
販売容器はと聞くと手配していない。
段ボールメーカーと交渉して引き取りに行く。
悪くいうわけではないがこれが本当のヒャクショウの泥縄だ。
物を売るのに入れ物がないとは笑えもしない。
誰かがなんとかしてくれると思っている。出来上がりを待つ間、近くの砂留見物としゃれこんだ。
江戸時代に造られた砂留。
ここでも一人、学校勤務時代は教頭職の先生が草刈り機と重機を持って立ちあがられたようだ。
私が2006年堂々川のホタルを立ちあげた時より自然は厳しいようだ。
時間を気にしながらの砂留散策。
別所砂留の1部を紹介する。

人家から200m程から点在
江戸時代1851年の普請と砂留総数が表示されている。その数13基。

平成9年、広島県により「福山藩の砂留」が発刊されているがこの本には別所砂留は記載がない。
もしかしたら今回の写真集はここ数十年では初公開か。
此処を開墾されているO氏は偉大な先駆者かもしれない。

1番砂留

2番砂留
砂留と砂留の距離が非常に短く、30mも離れていないものが多い。

3番砂留

4番砂留
ガールフレンドが欲しいといっていた「ウラジロ」が沢山繁茂している。
このシダはお正月に〆縄に飾る縁起もの、ひょっとしたら良いことが!

5番砂留

6番砂留
別所砂留群では4番、7番、10番砂留が大きな規模のもののようだ。

7番砂留
まだ開墾途中、全容は見ずらい。
しかし側道は十分歩行できるように整備してある。が山道は山道だからその辺は歩く際注意を。

8番砂留

9番砂留
全部で13基あると案内にはあったが10番目でとうとうあきらめた。

10番砂留
最大規模の10番砂留
残りの3つは今回はパスした。
この別所砂留群はまだまだ測量や整備が必要である。
お手伝いをしたいが我が身も両手両足の指まで使っているので
10にあきらめている仕事もあるからまず応援はできそうにない。
それでもお手伝いをしたい。
損な性格だ。
段ボールを引き取り、ダイジョウブへ届けた。
今度は品名表示とか生産者のシールがないと騒ぐ。
7月から8月にかけての勉強会で役割分担まで決めたはずなのに
今の時点では別所の出来事のような顔をして
ボランテァの我が身に文句を言う人がいた。
「やあーめた」といいたいがもう少し我慢をすることにした。
自然を訪ねる人さんこそが、「ホタル」を立ち上げた方なのですね。
簡単にできることではありませんのに、
世の中にはこんなに素晴らしい方がおいでになる。
ブログで日々ホタルのために活動されていることを
読ませていただいていますから、
大変なことを率先してなされていることをぞんじております。
ですからこそ、夏のホタルの舞いには、
管理人さんの思いがこもっていらっしゃるのですね。
すごいです。ありがとうございます。
ご無沙汰していました。
砂留はいろんなところにあるのですね?
13基もあるということはとても洪水が多かった所なのですね。
こうして見ると堂々川の砂留が、どんなにりっぱかが分かりますね。
いろいろご苦労が絶えませんが、これからもホタルと共に大事に守って行っていただきたいです。
この地、別所砂留の歴史はこれほどまでに、深いのですね~!
しかも、道なき道を10基まで探索されて、
先人の知恵と、いかに厳しい自然環境であったということを
あらためて知りました。
ほんとうに何もしない人に限って、文句だけを言う、
これだけはいけません・・です。
自然を尋ねる人さまのこの地を慈しみ愛するお気持ちが眩しいです。
いつも、素敵なお話をありがとうございます~♪
荒れ果てた砂留を開墾されるとは、奇特な方が居られるのですね。
きっと堂々川の自然を尋ねる人様に触発されてかもしれませんね。
堂々川の砂留の様に復元されるまでは気の遠くなるような地道な作業ですね。
福山の方々、並々ならぬ郷土愛を感じます。
↓史跡めぐり参加者の多いのでも分かりますね。
自然さんのユーモア溢れる講義を聴いてみたかったです!
福山ダイジョウブ、大丈夫でしたか?
おれは求めて ひとり行く ♪
(昭和ブルース)
ヒャクショウの泥縄と言えるのが、しゃぁないなぁという
愛情の表れでしょうか。見えない鎖か赤い糸か、それ
が考えどころですね。(^-^)v
堂々川の砂留の規模が大きく、後世まで十分とは言え
ないまでも維持されてきたのは、流域も大きく、被害も
深刻だったのではなかったかと思われます。
先駆者の後に大勢の方が走ってくれるといいですね。
荒れた場所を、これから開墾されるのも大変なお仕事ですね。
歩きやすい道も整備され、史跡巡りに訪れる人も増えると嬉しいですね。
自然さん、ホタルを立ち上げられたご本人さんでしたか。
ブログを拝見していて、中心的に活動されているお方とわかっていました。
ここまで来られるのも大変だったと思いますが、これからもお体にお気を付けて頑張ってください。
新しい砂留が見つかり競合して観光化されるといいですね。
一体は地質的に砂留が必要だった歴史があった訳ですから そのことの証明のようなもので期待が持てそうです。
先駆者としてお手伝いせねばならなくなりそうですね。
肉体労働はさておいて知恵などお貸して上げてください。
それにしても多方面にご活躍されて恐れ入りました。
伯方のお魚が美味しかったのは嬉しかったです。
ガールフレンドにウラジロのお土産は無かったんですか
今頃もらったってもう必要ないなんて言われそうですからね
案外我慢強いんですね 流石自然さん 頑張って…
「やあーめた」といいたいがもう少し我慢をすることにした
・・・・とは言っても、一度見てしまったものは、離れがたきものが。
この道の大家、
きっと向こうからヨイショ、ヨイショと追いかけてくるデあろう。