自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

愛に恋

2007-01-30 15:32:26 | Weblog
 「堂々川のホタルに遇いに来い」
これが堂々川ホタル同好会のキャッチフレーズになっている。
何で今頃ホタルなの!
ホタルの幼虫が川に入って暮す9ヶ月のうち、7ヶ月が過ぎたので中間報告をする為である。
今回は同好会の会員の皆様への報告用で、機関紙「ほたる恋」より先に出したものである。
「あるある・・」なら捏造だが当方は真実の現実である。



江戸時代1673年梅雨の長雨と台風の来襲が重なり、この大原池が決壊し、備後国分寺が流出した。その時尊い命を失った犠牲者が63人も居られたという。今修理のために干上がった姿を見ると確かに大きいがそうだったのかとしか思えない。
大原池の樋門が開かれてから10日間、かなりの水量が川を流れた。



六番砂留



ビオトープも水浸し



1番砂留下の大砂留


何故砂留を築かなければなら無いのか。今頃経験して理解したのです。





この10日間で水の流れが弱くなる、川幅が広がる所やカーブの内側で勢い良く水に乗って流れた砂が水においていかれて堆積した。最高位20cmにもなる。



福山市の協働のまちづくり課、環境課の方が快く相談にのってくださり、砂やホタルについて、現地で経験からこんなやり方も有ると教えてくださった。

ここからはホタルの現在の姿なのであるが嫌いな方は見るのをやめたほうがよいかも!
ホタルの幼虫の姿。
そしてカワニナと格闘して食事をしている姿を紹介する。





この幼虫はカワニナを食べている。まさしく源氏ホタル。
多分メス。餌が多いとメスの発生率が高くなる。
夜8時電池で照らす明かりと月の光で見た姿を、何でもカメラに残したいので貝を持ち上げたが幼虫は餌を離さない。

ホタルは「幼虫も光る」の話を聞いて夜の訪問者になったが
光は確認できなかった。
でも、自然の中で餌を食べている姿を確認できて嬉しい。
帰りはよい歳をしてスキップを踏んで帰りかけたが、車で来た事を思いだし
慌てて車に乗ったのでした。
これも村おこしに使えるデータと思うと得がたい体験であった。



紙飛行機

2007-01-27 17:34:47 | Weblog
 子供の頃、遊びで家を出る時スキップして出かけた。
不思議とスキップを踏むときは心がはずんいる。
落ち込んでいたり、不機嫌の時はスキップは踏まない。
先日、スキップを踏みながら紙飛行機を作りに出かけた。
家から車で10分程の福山市御幸町に有る紙飛行機博物館についた。
田舎だといって馬鹿にしてはいけない。
全国から研修に来ており、全国大会も開かれている。



中には数え切れないほどの作品がありどれもよく飛ぶそうである。







たかが紙なのに大学教授が設計した、風洞実験の設備が整っている



小学生のお嬢ちゃんと年配の男の人が同伴できていた。
「おじいちゃんのより私が造るほうが良く飛ぶよ」
小さな鼻が自慢したそうにヒクヒク動く可愛い子だった。



百円支払って折り目のついている紙を買い、私も小学生には負けまいと折りはじめた。
残念な事にその時携帯電話が鳴り、博物館を出る事態になり小学生との競争はお流れになった。
そのまま続いていたら負けていただろうと後からしみじみ思うのでした。
最終的には翌日、家で折り紙のように折った。
A4の折り目の印刷して有る紙を要領どおりに折っていく。





完成した。



ぶきっちょな人間でも折れて、飛ばしたらよく飛ぶ。
心が弾む。嬉しい。

残念ながら飛ぶ姿をカメラは写せなかった。

 ある記者の方が私の記事を経済リポート(備後圏、備中西半分読者10万人)1月10日号に載せてくださり、その上紙飛行機作りの場まで紹介してくださった。
この紙飛行機飛ばしの面白さを廃校跡を利用して作る、ふるさと活性化の自然の遊び村で使えそうなのが嬉しい。
良い大人がスキップして出かけた意味がお分かりになりましたでしょうか。


手前味噌

2007-01-24 19:45:50 | Weblog
 無法松をのさばらすわけには行かないから、先ず身だしなみを整わせたい。
そんなわけで人様に比べると3日遅れかもしれないが剪定を始めた。
繁った枝に何かが有る。キジバトが巣を作り始めてやめたようだ。
フーン、荒い組み立ての巣なんだ。捨てた巣みたいだから回収した。



そんな時友人が電話をしてきた。今味噌を作り始めたよ。
剪定を中止してカメラを担いで友の家へ急ぐ。
もう始まっていた。朝から4時間焚いた。



黒大豆と白大豆の混合、黒を入れると甘みが増すそうだ。
黒を入れすぎるとうまくいかない。その割合は?。
焚けたからざるにとって麹と混ぜる工程に入る。





味噌を作るポイントは麹なのだ。
麦だと赤味噌、米で作ると白味噌。
この麦麹は専門家から調達したとのこと。



麹と豆を良く混ぜる。
そうだ忘れていた。塩はどのくらい入れるの?
%ではなくkgと升で教えてもらったので計算できない。(すみません)
良く混ざったら、ミンチ(クラッシャー)にかける。





ミンチの機械から出てきたものは空気を抜く工程を経てタルへ入る。





ニンジンを入れた味噌も作る。味噌もニンジンも食べられる。
何も入れない味噌は上からどんどん補充されタルいっぱいになる。





いっぱいになったら封をされこの家の場合は3年間じっと眠るのである。
熟成してまろやかな味になる。
今回、豆や塩の混合比率データーを隠したようになったが味噌は作る人の個性が出る食べ物である。
これを「手前味噌」と言うのだと納得した。
手前味噌の取材で1時間ほど潰した後、再度、無法松をきれい剪定した。
さっぱりして明るくなった。
身だしなみを整えると「悪」もよくなることが分かった。




ばらの接木が

2007-01-22 15:46:15 | Weblog
 今朝は抜けるような青空で暖かく感じたが今は雪花が舞う。
土曜日 コミュニティーセンターで薔薇の接木講習会に参加させていただいた。
福山市の花は薔薇でこうした講習会も多く行われいる。
私達だけ学んだだけではすまないような気がしてこうして皆さんに披露したい。
所要で少し遅れて会場に入ったらすでに柳の枝を使って練習が開始されていた。



薔薇はノバラの根に自分の好きな花色などを接木できる。
接木の基本は
①時期が大切。1月の大寒から2月の立春にかけての一瞬が好機である。
5度Cを越えると薔薇は根が動き出し水を吸い上げるからその前に接いでおく。
②穂木が新鮮である、穂木は昨年の春から初夏に伸びた虫に痛めつけられていない充実した台木より細い枝を確保する
③良く切れるナイフを使う
④台木はノバラの実から伸びた1年生の約1.5ミリの茎を使う
⑤木質部と形成層を理解しておくこと



ノバラの根は水で洗いバラバラにして細根部は上から大人一握りを残して切断する。
今回も真面目に勉強しているから笑える所はここだけである。バラバラの拍手ですか!



穂木は幹に近いほうを斜めに切る。そしてその反対側を木質部にかかる程度に浅くそぐ。
台木はノバラの芽が残っていればそこは切断して形成層から少し木質部に入った部分を垂直に切れ下げる。
切り下げた所へ穂木の斜め切りした部分を外面に向け形成層を合わせる。
そしてテープで止める。



蝋を溶かして継ぎ目を浸す。
接ぎ蝋で固めた後は鉢に赤玉土小を入れて植える。




鉢の下から水が出るまで充分の水を与え保湿、保温の為袋の中に入れて暖かい室内で管理する。
3月には芽が動き出す。



最後のおさらいをして講義は終わりです。
福山明るい街づくり協議議会、福山バラ会からいただいた資料を参照しています。



今日も一生懸命学びました。
とかくボランティア活動ではトップが増えて会がバラバラになることが多いので
バラの基本を勉強してこんな事が起こらないようにしたいと思い必死でした。
そのためまだお昼なのですがそばの川のバンを見て、もう夜かと錯覚しました。



こんな経験も山深い村の活性化に繋がるかもしれません。

あなたのそばが(完結編)

2007-01-19 11:58:02 | Weblog
 さあ、サー、いそぐ人も、急がぬ人も時を作って寄っとくれ。
私はあなたの蕎麦がヨイの最終回です。(前10月12日、12月9日)
今回は落語の「時蕎麦」のようにお金をごまかす話ではなく真実一路、
本当の蕎麦を打つマニュアルです。そしてこの3部作が地域活性に役立てばよいのですが!

そば粉が出来ました。
高速製粉だったら100円から150円、石臼で熱をもたさず挽く粉は500円も挽き賃がかかります。かおりにもいろいろありますが香りを楽しむ方は高いほうがお勧めです。
が側の人たちを良く見る必要が在りそうです。



そば粉と繋ぎ粉を混ぜ合わせます。二八蕎麦の場合はつなぎの粉もこだわりが欲しいです。先生のこだわりの粉は陽和製粉のマル特折鶴がお気に入りです。



水の量と質は微妙に影響するから自分流の名水で量を計る。
硬水、軟水、水道水でも使えますが湧き水にこだわるほうがよいですね。



粉と水が良く混ざり仕上がり具合も順調です。



これから伸ばしにかかります。
水と混ぜてから時間との競争です。



薄く延ばしていきます。詳細はかなり端折っています。
たたみました。このときはひっつきもっつきが無いように粉を多く使います。





切りに入ります。均等に切るにはこつがあります。
そのノウハウは要望により別に伝授します。



切る前に大量に使った粉は回収します。



蕎麦うちは終わりました。
水が沸騰した大きな鍋に40秒間蕎麦を入れて引き上げます。



食べる準備が出来ました。
約40分一心不乱に勉強しました。
ふと我に返り上を見るとジョウビタキの絵が目に付きました。
この山小屋の主は芸術家です。



蕎麦が出来上がるとつゆや薬味が幅を利かせますが「つゆ」が大事だった事につゆ気がつかず今回はパスします。



一口食べて、もう一口食べて、さらにものもいわずにツルツル。
お・い・し・い=美味しい
ここの当主に親しくしていただいていたから、こんな産まれて初めての味に出会えたわけです。
蕎麦はそばにいる人の味が出る。
やっぱりあなたの蕎麦が良い。




夢へ挑戦

2007-01-16 17:25:54 | Weblog
 瀬戸内ののぞみが止まる駅から30分、ルート182号を北へ向けて走る。
遅い車を追い抜いて大きなカーブを回ると過疎の村のような集落がみえた。





そこには数日前に降った白い雪が残っていた。



若い人はどんどん集落を出て行く。
残った人は「何かしないとこのままでは集落はだめになる」と口に出しているが
誰かが良い提案をするとすぐに反対意見が出てくる。「誰がする」・・・・・
こんな繰り返しが続いて沢山の改革案はつぶれてしまい、草だけがはびこっている。

そこへウルトラセブンみたいな人が現れて改革を推し進めようとしている。
企画書もすばらしい。
多くの人を巻き込む意見が満載されており、ワイワイがやがやのなかでの構想らしい事も推測できた。
知人が頑張るのだからお手伝いを約束して、早速現状把握に出かけた。

現地はどうも廃校の跡らしい。
ここを出発点にして村おこし、地域活性化そして団塊の世代の人よ戻っておいでを企画している。





出発点のバス停を基準にして、取組む課題は山ほど有るが人を集める事と魅力を作ることから始めるのがよいと判断した。
先ず食べる所があること、トイレや衛生面がきちっとしている事
それから、現金収入が考えられる事、自然の復活、イベント、最後が癒しを考える。
校舎、運動場などの改修をはじめに草や木の刈取り、人集めのイベントはこの地区ならではのカレンダーが残っていた。これらを定期的にボランテァの皆さんと行いたい。



自然の復活とお年寄りの現金収入も構想が沸いてきた。
薬草、沢蟹、ホタル等私の準専門の世界も垣間見える。







黄色い声を呼び戻せる遊び場も想定の範囲に入るが多くの人を養う企業誘致などは今考えるの早すぎる。
しかし、土地を無償で貸与し、土、日曜農業を指導することはできる範囲だと思っている。





瞬間的に思いついたことを述べてみた。
それが男の夢であるが、この山のコン猿はウルトラマンの見る夢を読み取り、目標に向けて前に進むようお手伝いする。


観光・井原線

2007-01-13 22:52:05 | Weblog
一の好きな鉄道が有る。
平成11年1月11日11時11分に1番列車を走らせた。
皆さんが信じようと信じまいと気動車は走り始めたと言う。
そして8年後の1月11日ワンコイン運賃列車を走らせた。
自然を尋ねる人もホタルの関係から観光協会の会員になったからこのイベントをお手伝いした。







もう少し詳しく説明すると
井原線は神辺(福塩線)→総社(伯備線)間41キロを料金¥1.070約1時間かけて14駅を通る。
今回はイベント日だから2両編成列車だが通常は1両で走る区間もある。
料金が1回乗り降りすれと100円を支払う。
つまり最大の神辺→総社¥1.070が¥100で乗れる事になる。
通常の昼間、子守唄の里高屋から神辺までの3駅は3人から5人までが乗る過疎の鉄道なのになんと料金につられて200人ぐらいを詰め込んで入る気動車もあった。7分送れてJRを待たす井原線の運転手の気分をいつか聞いてみたい。
こうしてみるといかに現金な人が多いのか。
もう1つ、気動車から流れて出たお客さんは私が見ても爺さん婆さんが多い。
そして私にここで見る所はどこと聞かれる。
計画も立てずに、地獄の沙汰も金次第見たいな聞き方はしないでといいたかったがお客さんは神様です。
ちなみにこの会社、本日だけ見ると5人でも走る気動車に200人乗った便もあるから黒字は間違いない。
宣伝料は頂いていないから井原線の話はこれくらいで、観光協会の理事として神辺をPRさせて貰う。
駅から7分ぐらいのところに江戸時代に大名が宿泊した本陣が有る。





もう少し口説く説明をさせてもらうとここの銀杏は見上げたものだ、400年生きた勢いは立派、それも夫婦で並んでいる。戸をあけているから裏庭の幹が見える。
また、百日紅は400年生きるのは苦しかったのか途中で本体の幹を捨てて、根元からあらためて芽を出し頑張っている。





本陣から5分強東へ歩くと備後福山の藩校「紅葉夕陽村舎」が有る、別名菅茶山先生の教育現場の跡である。
菅茶山先生を知らない人が多いはず・・頼山陽の先生と言えば少しはあの人かと理解される方も有るだろう。
私は残念ながら漢字が崩れている文字は読めないので、その現地を黙って紹介する。





他にも福山城の前身神辺城は関が原の戦い後から徳川家康の晩年まで備後10万石の城下町でもあった。
今でも城址が残り、また毛利と尼子の合戦跡など沢山有るけれど、後日の紹介とさせていただきます。

最後に今日1番もてたのは誰。
当然、自然を尋ねる人です。
おかやま観光フレンズのミス美人さんや福山市観光課のチャーミング美人と写真を撮ったり、物産展で販売しているこんにゃく、味噌や蜂蜜の試食等をして盛り上がって、神辺のイメージアップに勤めた観光協会々員はいないはず。
(不思議です。こうして女性と試食していると気動車から降りて来られるおじいさんがその品物を買ってくれるのです)
また、降りてこられた昔は美人だった女性に行き先を聞かれたのも1番多かったと思っております。


七草粥

2007-01-10 23:02:05 | Weblog
 備後弁で「いえん」と言う方言は「話したくない」という意味である。

太陽暦ではもうすでに7日は過ぎたが、昔は旧歴で言うから今年の2月24日が七草粥を食べる日らしい。

先日の雪の日、国分寺の松並木参道を歩いていたら無性に7草粥の歴史を知りたくなった。
鳥が教えてくれた事なのだろうか。






七草粥は宇多天皇の御世、890年に始めて宮中に献じられたとされるが、その後、醍醐天皇の911年の記録で正月7日、都の周辺の北野からナズナが、吉野からセリが、交野からカブが、紫野からゴギョウが、嵯峨野からホトケノザが献上されて食されたとある。
お正月から美味しいものを沢山食べ、食べ過ぎて胃が重くなったり、栄養が偏ったりした7日ごろ7草粥を食べて人には言えん胃炎を治したという。
現在の医学から分析してもミネラル、ビタミンを適正にとる食材である。
人の経験による知識はすばらしいと改めて知るのである。
その中のナズナと大根(スズシロ)、カブ(スズナ)を調べてみた。

ナズナ(別名ぺんぺん草、バチ草、シャミセン草で種子の型が三味線のバチのようなことから呼ばれるらしい。嘘と言う意味が含まれるシャミセンではない、下のデーターを見て欲しい)





カリウム 440、カルシウム 290、リン 92、鉄 2.4、亜鉛 0.7、マンガン 1
カロテン 5200、ビタミンB1 0.15、B2 0.27、B6 0.32、ビタミンK 330、葉酸 180、ビタミンC 110
ほとんどの成分が他の野菜類と比べると1桁多い優れものである。
しかしどのようにして食べれば美味しく頂けるか、私は知らないから教えて欲しい。

大根(カブも似たようなものだから今回は省く)
澱粉の消化酵素ジアスターゼが暴飲暴食による胃のもたれや胸やけを緩和する。
(加熱するとジアスターゼの効力が落ちるので、平安の時代大根をどのようにして粥にしたのか分からない。現在大根は生大根おろしで食べるのが最良とされているが!)





このまま大根について終われば、形が悪いだけの消化不良になるから薬効を追加する。
 大根おろし・・・大根の辛味はすりおろして7分ぐらいが1番辛く、20分後には苦味に変わり、1時間後にはビタミンCは消滅する。
 大根の葉 ・・・ニキビ、吹き出物が治り、綺麗な肌になる。
         目の充血や歯ぐきからの出血に効く。
 葉の干したもの・薬用湯として使え、冷え性に効果がある。
 
正月そうそう考えすぎが災いして、画面同様暗くなったが平安時代の清少納言なら「いえんなら、7草粥を食べてみるのもいとおかし」と結んだであろう。

ご挨拶

2007-01-07 19:20:44 | Weblog
 おめでとうございますの御挨拶を亥年にちなみ
猪にさせたくて、捜し求めて動物園を訪た。
ウサギさんが丁寧に足をそれえておめでとう。



ダチョウさんが高い所から今年も宜しく。
「昔からあなたはこんなに気位が高かかったかな、そう、いつもはじっとしていなかったね」



さすがに人気者のペンギンさんあいそが良いね。全身でおめでとうをしてくれた。
鴨さんもご挨拶が出来ました。





入り口には亥年のクイズが出ていた。
日本にはいのししは2種類います。
日本猪と?。答えは琉球猪と書いてあるのに猪君が見えない。
猛獣園にいたスタッフの定年前らしい優しそうな人に聞いたら
当園には猪はいないと言う。
仕方がないから猪の親類のミニ豚に挨拶を求めたら一頭は気にしたが他は知らん振り。
「今年は年男、年女だから挨拶ぐらいはしろ」といってやりたい。



リス君の仲間は横を向いてしまった。



動物園ではこのような調子の20分でした。
それにしてもこの動物園でも、最近の子供達が挨拶をしなくなったのと同じような傾向だった。親がしっかりしているものだけが礼儀を守っている。
少しだけ寂しい猪探しでした。

猪め、ちくしょう、畜生今度あつたら牡丹鍋にして食って、今日の不始末を暴いてやるからと代わりの寒牡丹を探したが見つからない。
そばにあった葉牡丹を観賞して憂さを晴らした。
ちなみに猪の肉は赤くて綺麗だからボタン肉という。




お正月

2007-01-04 18:29:50 | Weblog
 お正月、国分寺の年末恒例の鐘つき。
世話方と呼ばれる順送りの役員は除夜の鐘つき接待をする。また初詣も兼ねる。
11時30分、2007年へカウントダウン。
と同時に準備してある祭灯木に点火、燃え上がる。



旧歴11月12日の月光頼りの明るさが倍増した。
まだ暦の上では秋。
カマキリ予報も今のところは当たりで、暖かいはずだと自分を納得させた。



鐘の音がごーん・・~と住職が1番、
順次お参りが始まり鐘をついていく。
接待も忙しい。
7番目の鐘をつく予約をしていたが並ぶ人があれば譲らざるをえない。
ラッキーセブンだとつき終わった20歳前後の若者は喜んだ。



「燃えろ、燃えろ皆に幸あれ。燃えろ燃えろ火の粉よ、月に負けるな」と作り歌を口ばさみ酒を注ぐ。
竹の筒に入れて燗をしているから香り豊な御酒でもう1杯所望と言う人もいる。
 思い出して33番目の除夜の鐘をつかしてもらった。
108つ目が鳴り終わったのは午前零時をかなりすぎていた。
そして、初詣の人が途切れたのは午前2時前、そこで後始末をして解散をした。
初日の出の頃は夜中の夢。今年も前途多難の予感がする。

さて、元旦は御餅を食べて1年の初めとするのが我が家の慣わし、
年末御餅を御近所の方のご好意でついた。











紫芋入り餅、古代米入りの餅と出来ていく。
特殊なお餅は買えないからこのやり方がベターである。
石臼でつく方法も有るが文明の利器が有るから止めにした。

話は元に戻り、
元旦お年玉をもらたから早速近くのショッピングモールにいくが、車、車
凧を買って川原へ行き
早速、凧揚げ、なまった身体には良い運動らしい。
なまった身体でも凧は上がる。



新年早々お断りをしておきますが「たこ」はホタルの人ではありません。
今年も宜しくお願い致します。