自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

広島県NO.1

2017-09-24 20:48:34 | Weblog
彼岸花の里広島県NO.1を目標に活動している堂々川ホタル同好会にうれしい便り。
23日付某新聞に「吉舎の彼岸寂しい開花」の見出し、約20aに例年の20%と
掲載されており、うそーと思った。
しかも、シカに春先、葉を食べられたからとの記事! そんな馬鹿な!
本日24日、吉舎から帰りに堂々川へ来られた人、曰く。「赤色が見えなかった」と

ということは18万本の期待で活動しているわが地が

現在広島県NO.1・・・人の不幸を題材にするのは不謹慎だが

でも、1位になったのは事実、(来年は柳の下にドジョウはいないとおもうが!)

堂々川の彼岸花、22日撮影分より

花と昆虫
堂々川は生きている。猪をはじめとしてたくさんの生き物がいる。









22日の開花状況、4分咲き、、満開は某2新聞の記者さんが言う25日以降。






彼岸花文字「ホ」


昨年、地元や福山城近くの小学校が植えてくれた、堂々公園の南端の彼岸花
3000球が花穂を持ち上げている。



堂々川5,6番砂留川沿い、








以前の記事にはあるはずだが
堂々公園を支える、6番砂留の西側堰堤に村堺石がある。



簡単にまとめると
この石に記載されている文字は「明治の時代10年以上訴訟で争った裁判記録・潼々谷餘滴」から
金尾直樹さんという当時に西中条村の村長が書いた「西中条村史」にもある詩から。

この裁判の結末はお金がものを言い、下御領村が負けた。

つまり裁判以前は西の山の尾根が村堺だったが、堂々川の水の流れる場の中間が堺となった。
明治26年結審とか!

そのことを物語にして彼岸花を植えた男がいた。

赤の彼岸花を村堺石の東側に植えた、西側には白の彼岸花を植えた。
赤色は平家の旗色、白花は源氏の旗色。
勝ちは西中条(川の西)、負けは下御領(川の東に位置する)。
源平戦争になぞらえてあった。

しかし、10年も経過すると一昔前の物語は消えてなくなり
6番砂留の東の堰堤は白の彼岸花が100本以上咲いている。

しかしも、でももない、
堂々川の彼岸花の里は1時的にせよ、目標の「広島県NO.1」になったが
さすがに「万歳」とは言えない。

参考
広島県景観会議、景観づくり大賞 最優秀賞

2004年度 第12回 辻ハ組営農集団 
2008年度 第16回 堂々川ホタル同好会

2017年の彼岸花

2017-09-22 15:36:02 | Weblog
お久しぶりです。ようやく更新までこぎつけました。
パソコンについて無知とか愚痴はさておいて

2017年堂々川の彼岸花についてお知らせします。
2008年から川の不法投棄をなくすために植えだした山野草、アジサイなど
生き残った水仙と彼岸花のうち彼岸花に特定して植えています。

近隣の小学生や幼稚園児が植えるのを手伝ってくれ
今年の開花予想18万本、花色17色を予想していたが
開花予想は本日の見回りでは猪被害が多く、2万本は減るかもしれない。
2つの斜面と5番砂留東の山よりの被害が多い。

9月15日中南米公務員のJICA研修で9か国10人が堂々川へ来られた。





この日川沿いには10月桜が咲いていた。



彼岸花の花色


15色あと2色は貼る場所がない
又、写真は撮れたがプリンターとの相性で印刷できない


代表的な個別の花色。黄色系


狐のカミソリ

アイボリーイエロー


赤系







本日地元の新聞が記事にしてくださり、午前中の早い時間
つまり雨の降る前にはカメラ片手の人がたくさん来られたとか!
その証拠は花を折った跡とつぼみを踏んだ後がたくさん残っていた。
毎年の例だからあきらめている。
このおおようさがいつまで続くか?