彼岸花の里広島県NO.1を目標に活動している堂々川ホタル同好会にうれしい便り。
23日付某新聞に「吉舎の彼岸寂しい開花」の見出し、約20aに例年の20%と
掲載されており、うそーと思った。
しかも、シカに春先、葉を食べられたからとの記事! そんな馬鹿な!
本日24日、吉舎から帰りに堂々川へ来られた人、曰く。「赤色が見えなかった」と
ということは18万本の期待で活動しているわが地が
現在広島県NO.1・・・人の不幸を題材にするのは不謹慎だが
でも、1位になったのは事実、(来年は柳の下にドジョウはいないとおもうが!)
堂々川の彼岸花、22日撮影分より
花と昆虫
堂々川は生きている。猪をはじめとしてたくさんの生き物がいる。
22日の開花状況、4分咲き、、満開は某2新聞の記者さんが言う25日以降。
彼岸花文字「ホ」
昨年、地元や福山城近くの小学校が植えてくれた、堂々公園の南端の彼岸花
3000球が花穂を持ち上げている。
堂々川5,6番砂留川沿い、
以前の記事にはあるはずだが
堂々公園を支える、6番砂留の西側堰堤に村堺石がある。
簡単にまとめると
この石に記載されている文字は「明治の時代10年以上訴訟で争った裁判記録・潼々谷餘滴」から
金尾直樹さんという当時に西中条村の村長が書いた「西中条村史」にもある詩から。
この裁判の結末はお金がものを言い、下御領村が負けた。
つまり裁判以前は西の山の尾根が村堺だったが、堂々川の水の流れる場の中間が堺となった。
明治26年結審とか!
そのことを物語にして彼岸花を植えた男がいた。
赤の彼岸花を村堺石の東側に植えた、西側には白の彼岸花を植えた。
赤色は平家の旗色、白花は源氏の旗色。
勝ちは西中条(川の西)、負けは下御領(川の東に位置する)。
源平戦争になぞらえてあった。
しかし、10年も経過すると一昔前の物語は消えてなくなり
6番砂留の東の堰堤は白の彼岸花が100本以上咲いている。
しかしも、でももない、
堂々川の彼岸花の里は1時的にせよ、目標の「広島県NO.1」になったが
さすがに「万歳」とは言えない。
参考
広島県景観会議、景観づくり大賞 最優秀賞
2004年度 第12回 辻ハ組営農集団
2008年度 第16回 堂々川ホタル同好会
23日付某新聞に「吉舎の彼岸寂しい開花」の見出し、約20aに例年の20%と
掲載されており、うそーと思った。
しかも、シカに春先、葉を食べられたからとの記事! そんな馬鹿な!
本日24日、吉舎から帰りに堂々川へ来られた人、曰く。「赤色が見えなかった」と
ということは18万本の期待で活動しているわが地が
現在広島県NO.1・・・人の不幸を題材にするのは不謹慎だが
でも、1位になったのは事実、(来年は柳の下にドジョウはいないとおもうが!)
堂々川の彼岸花、22日撮影分より
花と昆虫
堂々川は生きている。猪をはじめとしてたくさんの生き物がいる。
22日の開花状況、4分咲き、、満開は某2新聞の記者さんが言う25日以降。
彼岸花文字「ホ」
昨年、地元や福山城近くの小学校が植えてくれた、堂々公園の南端の彼岸花
3000球が花穂を持ち上げている。
堂々川5,6番砂留川沿い、
以前の記事にはあるはずだが
堂々公園を支える、6番砂留の西側堰堤に村堺石がある。
簡単にまとめると
この石に記載されている文字は「明治の時代10年以上訴訟で争った裁判記録・潼々谷餘滴」から
金尾直樹さんという当時に西中条村の村長が書いた「西中条村史」にもある詩から。
この裁判の結末はお金がものを言い、下御領村が負けた。
つまり裁判以前は西の山の尾根が村堺だったが、堂々川の水の流れる場の中間が堺となった。
明治26年結審とか!
そのことを物語にして彼岸花を植えた男がいた。
赤の彼岸花を村堺石の東側に植えた、西側には白の彼岸花を植えた。
赤色は平家の旗色、白花は源氏の旗色。
勝ちは西中条(川の西)、負けは下御領(川の東に位置する)。
源平戦争になぞらえてあった。
しかし、10年も経過すると一昔前の物語は消えてなくなり
6番砂留の東の堰堤は白の彼岸花が100本以上咲いている。
しかしも、でももない、
堂々川の彼岸花の里は1時的にせよ、目標の「広島県NO.1」になったが
さすがに「万歳」とは言えない。
参考
広島県景観会議、景観づくり大賞 最優秀賞
2004年度 第12回 辻ハ組営農集団
2008年度 第16回 堂々川ホタル同好会