自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

きらきらフェスタ

2012-11-30 20:36:18 | Weblog
生涯学習フェスティバル「神辺きらきら夢フェスタ2012」に
2年続けてノミネートされ、堂々川ホタルの活動を展示させてもらうことが出来た。
12月1日が本番で、本日30日は搬入、午前中展示のお手伝いに行くが
搬入は午後からということで堂々川に帰り、記念植樹の植え場所の準備をする。
今朝の鳥たちの動きから


久しぶりのジョウビタキ♂

ヒワの曲芸


きらきらフェスタの会場「福山市神辺文化会館」


850人は座れる場所もある


時間の事もあり、ひとまず堂々川へ帰り草刈り
すでに草刈りをしている人がいる。


もみじを植える場所の確保

此処へ15本植える予定


人がいるからか安心してモミジ狩りをするご婦人。
精進料理の飾り葉にするらしく30分以上も採取していた。


この光景から
将来の夢も見られる和やかさ


時間を忘れて作業、遅い昼飯を食べて会場へいく。
亀と兎のかけっこみたいで、横道にそれたばかりにすでに取り付け完了。
(いつごろきたの・・・という感じ)


会場へ入ると正面は


その裏側、最高の場所が確保してある堂々川の展示 我が展示だけを見ると



シンプル1番 見た目も1番 


他の展示と比較したら


他部門はフォトの数が多い


ヨシ、アシは来訪者が決められることだが
自分で云うのもおかしいがすごい出来栄えであった。
企画してくださったYさん本当にありがとう。
隣のブースはKさんの企画、展示視察の別Kさんウーンとうなってものを言わない。
他にも各地区公民館の1年間の活動が展示がしてある。


今年は砂留の出展が3件もある
砂留開発の先鞭をつけたかな、堂々川は!


17時が近づくと西の山の端へ太陽は沈んでいく。
文化会館の出入り口には夕日のモニュメントが左右にある。


夕焼け子やけでまたあした


明日は晴れ?
「秋の夕焼けは鎌を研げ」の言葉はお米が収穫される時期のもの
今の夕焼けは必ず晴れるとか言えない。
最近経験していることだが
雨の降る前の日の夕方、多くの人が野焼きをする。
としたら、明日は雨?
予想は気象庁にまかそう。
もし外れたら、今まで培って気象庁にも勝、我が天気予報が


サギ3種
アオサギ ダイサギ コサギ 
合わせて60匹ほど


サギだといってだれも信用してくれなくなる。

植樹オーナー

2012-11-27 20:49:30 | Weblog
堂々川
百瀬川と呼ばれていた頃は百の瀬を早めに下る流れだった。
ときが過ぎ、砂留が出来ると、どうどうと水が流れる暴れ川
土砂を巻きこんだ水は人まで下流へ押し流した。
そんな悲劇を持つ川も官民が協力し、しっかりした砂防が50基もでき
安心して暮らせる場所になった。
と思ったが、どっこい、今度は人災が起こる。

あかん!そこへ缶を捨てては


コーヒー缶のポイ捨て


その横に


何かのシールが


すぐ近くに捨ててある。
同じ人の仕業と思うのは私だけの感違いか?
電話番号が書いてあるので電話して見た。
あーだ、こうだといわれたが
「とにかく同じことが起こらない対策を教えてほしい」とつい怒鳴る。
さすがこの団体はしっかりしている。責任者の方が対策を持って来訪された。
ここから先の話、諸問題はあるが無事事件は解決したと報告しておく。
だがゴミを拾ったのは同好会の人間で、落としたといわれた団体の人ではない。

我々ホタル、昼間は光っても見えないひかりだ。
だから、ゴミを捨てられないような環境を作るため花を植えたり、
植樹して来訪者を増やし、監視の目を増やすことにしている。

そんなわけで植樹オーナーを募集している。
桜ともみじを福山市から無償提供してもらい、
個人の記念樹表示の看板製作費と肥料、穴掘りユンボのリース代他を負担してもらう。
事例としては下記のようなものである。



場所は堂々川沿い周辺







1番砂留の周辺は今紅葉が最高。
ハイブリッド車で来られた高貴に見えたご婦人が
ここなら京都まで行かなくてもイロハは十分楽しめるとヨイショしてくださった。
この方、「伊呂波にほえどちりぬるを・・」をご存じの教養のある方ゆえ、なおうれし。




この場所に紅葉を15本追加して植樹する。
今後、山の地権者と相談出来れば山にはこの紅葉の子供が沢山生えているので移植したい。
紅葉が綺麗色に育ったころ、ホタル同好会はもう消えているかもしれないが
神辺にあたらしい名所が生まれているだろう。
このモミジが育む周辺では色々な蝶を発見した。


キタテハ ♂

ウラナミシジミ


きちょうなキタキチョウ2頭のコラボ



天狗チョウが相変わらず元気に飛んでいる。




植樹オーナーを募集しています。
色々な方の応援PRで残りもあとわずかになりました。
ゴミがない川の中で暮らしたいので、
今日も頑張る堂々川のホタルに協力してください。
蝶の名前を修正しました。教えていただき感謝です。

ごうとう

2012-11-25 21:29:33 | Weblog
晩秋、快晴の日曜日


終わりが近い秋げしき


病をおして金名の郷頭(かんなのごうとう)の公園完成記念講演を聞きに出かけた。
胃カメラを飲んだのが悪いのか
飲めない焼酎をぐい飲みしたのが原因か
医者曰く、金をどこかで貰ったようだ。
おかげで2日間、食事はおかゆ2杯と水のみ。
それでも行くと約束したから参加した。
(こういう人を人の良い馬鹿という)

福山市新市町常 金名 住んでいる所から14km程、約30分


講演場所


講演の中で出てきた回想録のフォト


郷頭をよみがえらせる作業


約1時間の講演後現地へ


ごうとう


泥棒でも強盗殺人事件でもない。


案内板


江戸時代中期ごろ築造された石積構造物で、金名川の上流から
急な流れを堰きとめ、水門口から放出し水流を弱めるという、
水量調節をする「ダム」機能とメイン道路の橋を持ち合わせたもので、
江戸時代の高度な土木技術を今に示している。
ごうとうはこの地域の地名に由来するものらしい。
堰の高さ7.8m、長さ8.7m
県の文化財なっていてもおかしくないがどこにも文化財の名が出てこない。







この強頭堰をよみがえらせたのは地元の自治会が立ちあがり、
河川工事で改廃する運命の所を広大の先生に相談しながら県等を動かせた。
しかも自分達で福山市の助成の仕組みを利用し、大きなお金を確保し
東屋、トイレをはじめとして作り、公園化したのである。

上流部分の池が江戸時代決壊したがこの堰が守ってくれたといわれている。


堰の上部


川そのものは1間(約1.8m)あるかなしかの小さな川ではあるが
急流であり、今は水も少ないので開門部からの水の量は推定できなかった。

江戸時代に築造されて堰と橋を供用した構造物であるが
この時代すでにアーチ式の形状になっている。


湾曲が見える


強度を考えた構造は素晴らしい。
私に機会があったらぜひ訪ねるようにとアドバイスしてくださった
中国新聞の論説委員の方や当時国土交通省から出向されていた課長さんには
お礼をいわせてもらいたいほど貴重な体験であった。

で、堂々川とどう違うのかと聞かれたら、
堂々川はホタルと砂防とゴミの不法投棄を防止することを主として活動しており、
ここの内容をコメントする立場にはありません。

でも、やり始めたら後へ引けない苦労や
痛みが付きまとうのは我が経験から一言付け加えておきたい。
今日は感動したのでちょっと硬かったがお許しを!



有名人来る

2012-11-23 16:16:56 | Weblog
神辺の街は「ウズミ」の発祥地という人が多い。
今福山ではB級グルメの「ウズミ」で町起こしをやっている。
「ウズミ」とは江戸時代藩の倹約令から逃れるため美味しい具材を
ご飯の下に隠して出す料理である。
鯛や松茸をはじめとしてエビ、ギンナン等をだすことが多い。
現在福山市ではウズミを出すお店が50店はあるらしい。

その「ウズミ」を食べるため「食いしん坊万歳」でおなじみテニスの松岡修三氏がテレビデレクターと現れた。
ただいま廉塾主宰者の家でウズミを食べている。
人も少しずつ集まりだした。


廉塾前


10時過ぎ大きな人が女性連れで出てきた。
小さな人がサインをねだっている。




交渉成立


大きな人だ。






デレクターが今回の番組は全国ネットではなく東京だけという。
神辺では放映されない。
その変わり、Uさんに依頼すればDVDを貰えるとPRしていた。


去っていく後ろ姿

サインには残る


松岡選手が過ぎ去ったあたりで、アラフォーかもう少し若いか、騒ぎかたから見ると20代後半
背中にサインをもらったらしい。



道路の真ん中での騒ぎ方が中途半端ではない。
お顔を拝顔しに行くことは止めたカメラマンでした。

まだまだ人が集まってくる。
なんでと聞くと全員で集合写真を撮るそうだ。



もう少し遊ぼうか、どうしょうかと迷ったが
むし歯が痛むから、写真撮影は無視して次へ急いだ。

別所砂留

2012-11-20 22:17:48 | Weblog
史跡めぐりが済んでホットする暇もなく
準農業法人「福山だいじょうぶ」が収穫を始めるというから
販売容器はと聞くと手配していない。
段ボールメーカーと交渉して引き取りに行く。
悪くいうわけではないがこれが本当のヒャクショウの泥縄だ。
物を売るのに入れ物がないとは笑えもしない。
誰かがなんとかしてくれると思っている。出来上がりを待つ間、近くの砂留見物としゃれこんだ。
江戸時代に造られた砂留。
ここでも一人、学校勤務時代は教頭職の先生が草刈り機と重機を持って立ちあがられたようだ。
私が2006年堂々川のホタルを立ちあげた時より自然は厳しいようだ。
時間を気にしながらの砂留散策。
別所砂留の1部を紹介する。


人家から200m程から点在


江戸時代1851年の普請と砂留総数が表示されている。その数13基。



平成9年、広島県により「福山藩の砂留」が発刊されているがこの本には別所砂留は記載がない。
もしかしたら今回の写真集はここ数十年では初公開か。
此処を開墾されているO氏は偉大な先駆者かもしれない。


1番砂留

2番砂留


砂留と砂留の距離が非常に短く、30mも離れていないものが多い。


3番砂留

4番砂留


ガールフレンドが欲しいといっていた「ウラジロ」が沢山繁茂している。
このシダはお正月に〆縄に飾る縁起もの、ひょっとしたら良いことが!


5番砂留

6番砂留


別所砂留群では4番、7番、10番砂留が大きな規模のもののようだ。


7番砂留


まだ開墾途中、全容は見ずらい。
しかし側道は十分歩行できるように整備してある。が山道は山道だからその辺は歩く際注意を。


8番砂留

9番砂留


全部で13基あると案内にはあったが10番目でとうとうあきらめた。


10番砂留


最大規模の10番砂留

残りの3つは今回はパスした。

この別所砂留群はまだまだ測量や整備が必要である。
お手伝いをしたいが我が身も両手両足の指まで使っているので
10にあきらめている仕事もあるからまず応援はできそうにない。
それでもお手伝いをしたい。
損な性格だ。
段ボールを引き取り、ダイジョウブへ届けた。
今度は品名表示とか生産者のシールがないと騒ぐ。
7月から8月にかけての勉強会で役割分担まで決めたはずなのに
今の時点では別所の出来事のような顔をして
ボランテァの我が身に文句を言う人がいた。
「やあーめた」といいたいがもう少し我慢をすることにした。

神辺史跡めぐり

2012-11-17 21:29:37 | Weblog
毎年行われる神辺町観光協会主催の史跡めぐり。
今年は若干のモデルチェンジをして実行した。
訪ねる先が衆議院選挙区まではいかず1増1減
そして案内パンフのモデルチェンジで見易くなった。
100名近くが団体行動するバス旅行、9時に始まり15時に終わる。
弁当、記念品がついての会費制である。
参加者はバスのガイドがど素人以外はプロ級の人たちの案内だから損はない。
観光協会は赤字のイベントである。
会長のあいさつで始まり、バス4台で移動する。


挨拶と注意事項

4台のバスにそれぞれガイドがつく


神辺本陣の説明


行燈の話や関札の話を
ボランティヤガイドが行う


約30分で次の廉塾へ


方円の手水鉢のある濡れ縁


雨の勢いが強くなる。
雨男がいる。11日のイベントの時も雨だった。
私のために多くの人が迷惑をしたのかな!


葛原邸
夕日・赤とんぼの作詞家しげる
2弦琴の演奏者勾当


国分寺跡をバスの中で説明し、菅茶山記念館へ



此処で12時となり、雨でなければ堂々公園で昼食となるはずが
商工会講堂まで帰り昼食。
昼食が終わって現地ではなく屋内で堂々川砂留の説明を行う。




この人の話は面白い。
20分で面白くなかったら手を上げてX印をしてと頼んで講演をはじめた。
前の方の女性はよく笑う。それでも寝た人が3人いる。
あれから40年を出すべきかと考えながら話していたら眠りの人が眼明けて聞きだした。
ある人が囁いた。落語の特別講演みたいだったと。
無事話を終えて、次の大坊古墳へバスは進んだが山の中腹の為
道のぬかるみや転倒の恐れがあるためバスの窓から眺めてみるだけのかわった。

江戸時代の福山藩は土地の開墾などを行った結果、阿部の時代の農地は15万石まで増えた。
増えた5万石分を幕府は没収した。
その地域が天領となり地域の分割が行われた境にできたのが番所でそのあとが石柱で残っている。


番所跡を示す小さな石碑


5世紀の古墳。
この地は弥生時代に環濠住宅地のようだと説明があった。



史跡めぐりの終わりになると雨はほぼ止んだ。


備後富士


来訪された100人弱、怪我なく見学が終わり喜んでもらえたようだ。
中でも堂々川の講演は雨の中の公園で無い場所で話したので
濡れない、寒くない、話がおもしろかったのだろう雨玉をくれたひとがいた。
昔の美人はありがとうといいながら飴玉をくれた。
来年もあるのかと聞かれたので開催しますと答えておいた。


堂々川の水

2012-11-15 11:02:57 | Weblog
ブログ友のデイックさんの記事を読んでいたら鎌倉時代作、方丈記の記載があった。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
かつ消えかつ結びて久しくとどまるたとえなし・・」
「堂々川砂留堰堤の耐震を確認するための工事をするから」と連絡があった。
水が大量に流れたらホタルに影響があるからということからだろうが
気に止めてもらえることがうれしい。堂々川のホタルは偉大だと感じた。

堂々公園から少し上流のコンクリート式の昭和時代に造られた堰堤。


ボーリング工事が始まっている


堂々川の両岸から流れ出るまさ土が砂留が作る池を埋めつつある。



江戸時代に作られ始めた砂留、平成の時代でもまだ砂を止める機能は必要なんだと実感する。
砂防堰堤の上まで行かせてもらい堰堤上から下を見る。


苔むした堰堤脇と川底が見えた
約7m下のそこには多分ヤマカガシがいるだろう


此処まで来たら堂々川の源、大原池や淀ケ池の紅葉も見たいとさらに上流へ。


大原池
水は十分ある


少し下流の淀ケ池、水鏡が綺麗なロケーションの池だが今は池の水を抜いて水は少ない。



ここにも江戸時代に造られた淀ケ池東砂留がある。
残念なことに砂留の機能は失われており、
ホタル同好会がここ2年整備しているだけで誰も見向きもしない。
しかもすぐ下までの8基は登録有形文化財なのに、ここから上流7基はおよびではなかった。


紅葉抜群の淀ケ池東砂留


この池の堤防へ来たら誰かがレザービームを飛ばした。
なんでと思いながら東空を見ると虹のような色雲が見えた。



紅葉を楽しみながら下流へ降りてくると
水の流れが非常に少ない。
少ないながらも水は留まらず、泡を結びそして消し流れて行く。



緩い流れだが源氏ボタルの幼虫が呼吸をするエラに酸素を供給できるだけは残る水流だ。

さらに下流のこの1番砂留は完全に機能を失っているが紅葉の美は残してくれている。
この場他へ12月に植樹するが現在「桜・モミジ」のオーナーを募集している。


木には名前とコメントを書いた看板を掲げる


堂々川は水の流れは非常に少ない。
堂々川が流れ込む高屋川も水が少なく、魚が水のある所に集まっている。


魚が集まる

そこにはカワセミがいた


方丈記をぼやっと頭に浮かべ、我が身はまだ早いと思いながら
秋を見ながら哲学思想を考え、カメラを向けてみた。

慰労会

2012-11-12 20:17:04 | Weblog
慰労会の日は朝から雨だった。
前日から会場作りを始めていた.
日本一の砂留が造る堂々公園は火使用禁止の立て札がしてある。


紅葉が始まった


使いたいがこの場所はいくらずうずうしくても遠慮した。
代わりに決めたのがこの砂留が造る川原。草ボウボウだから整備しなくては!


草を刈る


砂留に生えた木を切る。



11日、天気予報は雨、ずばり当たり雨、雨天決行。


遠くの山は見えない


テントが風にあおられる可能性があり場所の変更も検討されたが
今回の責任者が決行を決めてしまった。


テントの外はぬかるんでいる


参加者総勢29人。
企業のトップ、学校の先生、民生委員、子供たち、美術協会員、楽隠居の人、市議の先生も参加された慰労会。
山の幸、里の幸、海の幸をかき集めて行う会費制の「ワイワイガヤガヤ」
今回で5回目、次の企画を生み出す知恵の湧く広場である。



当面の課題は次の総理になる人の発掘。
当会は当分解散はないが会長は80歳、活動するには少し無理があるかな。
副会長は75歳、まだ若い人間には負けないとがんばる。
そして70歳前後から小学生までが入り混じる会。
会が始まった11時30分、この頃が雨のピークか!
先生の悩みを聞くと、子供たちに〆縄を作る勉強会をするのだが「ウラジロ」の入手が難しいと。
女性の気を引きたい人がこの草かと採って来るが違う。「犬シダ」だった。
コンサルをしている人があそこの斜面にあるのが「ウラジロ」よと指さす。



会が終わりになったら雨も上がった。



世のため、人のため、子供のため
ある人が黙って砂留を降りて「ウラジロ」を採取してくる。

テントは濡れているから12日に撤収するとして解散。
といってもお酒が入っている。
車が5台あるから酒を飲んでいるかチェック。4人はクリアー。
おかしい、車が1台多い。誰が乗ってきたのだろうか?
探したが見当たらない。それもそのはずチエックする人の車であった。
ちなみに彼は酒を飲んではいない。かわいそうにノンアルコールカクテルを飲んでいた。


紅葉も進んでいるがまた明日


そして12日、朝9時テントはまだ乾いていない。
風にあおられることのないように高さを下げて、17時に再度集まり撤収と決めた。



隠して、1大行事は無事終了したのであるが牡蠣10kg、16を6kg、サツマイモ、黒豆の枝豆
ホタテ50枚、烏賊10杯、生ビール20㍑、エトセトラよく食べたものだ。
常識では考えられない量だ、土に埋めて16にお返しした人がいたのかな?
隠していたが16の料理はプロ料理人が対応したものだった。

蜂と猪

2012-11-08 21:12:23 | Weblog
先日、猪の捕獲で大変お世話になった方へお礼に行った。
玄関にスズメバチらしき蜂がたむろしている。
怖くてチャイムを鳴らさず、うしむ向きに門の方へ急ぐが思うように足は動かない。
当家の奥さんが気づいて声をかけてくださった。
「このハチ、こちらが悪さをしなかったら何もしないからそのままにしているのよ。」


いつからこの状態か?
怖くて聞けなかった


他所の事とその時は思っていたが
昨日我が家も庭木の剪定をしなくてはと思い周りを見渡した。
勝手口4mの所にスズメバチの巣があるのが見えた。


棕櫚の葉に隠れて見逃していた


よく観察すると勝手口の側にはスズメバチの出入口はない。



反対側に回ると


中央に出入り口の穴がある


蜂が我が家を守ってくれたのか! 蜂の出入りは本日は見当たらない。
スズメバチは害虫を獲る益虫といわれる。そう信じたい出来事だった。
(事実、今年の大根はコオロギが葉をくいあらすことはなかった)
7日、また国分寺の参道を荒らす猪らしき生き物が横行している。
捕獲をしなくてはとハコワナの中へ餌やりにでかけた。
そして帰り路、西空を見ると夕日が異常に綺麗。


もしかしてスクープが撮れるか


少し西の池の水面水鏡を期待して急ぐ。


光りは上向きに変わっている


雲の動きに連れて光りは左向きに変わる。


散歩の夫婦からも綺麗と声がかかる


そして本日8日、朝7時前携帯が鳴る。
猪が罠に入っているという知らせだ。


すでに何人もの見学者があったようだ
鼻の上が赤く血が出ている


罠に近づくと早速威嚇された。金網に向かってドスンと体当たり。


罠から出さないといくぞの威嚇


睨みつけて、はずみをつけて







向かってくる


早い。逃げる暇もない


金網へドスン。
上手く撮影したいがシャッターを押すのが精いっぱい。
ピンは外れたが証拠は残った。
命あってのものだねだ。

よい子の皆さん真似はしないでね。
ハチとシシ、怖い怖い話を終わります。

ここから下記は同好会員や11日参加のの皆様への連絡事項です。
11月11日 11時30分からの慰労会は雨でも実施します。
車での来訪は厳禁です。お酒を飲んだらキーを預かります。

雉が通る

2012-11-06 20:02:05 | Weblog
冷たい風が吹きぬける山道とはいっても、近くにはお寺をはじめ
10軒を超える家がある谷の入り口。

10mほど前に鳥がいる。逃げると思ったので車はそのまま進んだ。
逃げない!
歴史をかじり始めたせいか、道路を横切る綺麗なものを
駕籠の殿様をイメージしたのか1歩、2歩道を譲る。
5mも離れていない車の中。車は上りも下りも止まって待機。
この雉、交通ルールもしっかり身につけている。


左を確認

右を確認


胸を張ってトコトコと道を横切る。



渡りきったところで


小走りになる


野菜畑の方へ進む。





どう見てもこの雉の行動はおかしい。
もしかして野菜泥棒。
最近、雉の被害で苦しむ農家があると聞く。



どんどん野菜畑の中へ入って行く。




白菜に隠れるように奥へ進む


柿の木の上で見張るヒワ、雉の見張りかそれとも
野次馬か、はたまた関係ない旅の途中か。


ヒワ


わずか3分そこらの出来事ではあったが秋の風流を感じた。