自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

春を待つ

2010-01-29 10:09:09 | Weblog
暖かい日も顔を出しますが今真冬です


庭に置いている餅つき石臼の氷

イラガの越冬?

蜘蛛の卵と越冬中のイラガ幼虫


寒さをいっぱい感じたタラノメは暖かさと水をあげれば芽が葉に変わってきます。
このたら、多分3月初めには食べられます。暖かさを感じたらの話ですが。


タラノキ

フカシ栽培用に切断されました


梅は咲いたか桜はまだかいなと問われたのでお答えします


梅はもう少し時間をいただきたいと

10月櫻(堂々川に2本植えます)
もう花が咲きました(2階=貝の女が気=木にかかるようです=漢字を分解して見て下さい)


世の中の流れに少し逆らう桜もありました

昨日の夕方、「菜の花や月は東に日は西に」


菜の花(オータムポエムが代理をします)

14夜の月
(15夜まで待てませんでした)

夕陽


堂々川のエナガドリ
吾と来て遊べや春を待つエナガ



春を待つのもよいけれど準備はしておきましょう
杉花粉



観察基準にしている杉の木で今年の花の付き具合を見たら
昨年の70%ぐらいです
上手くいけば杉花粉による花粉症は大幅に減るみたいです
これだけでも春を待つ楽しみが増えました

ゴミ 0 へ

2010-01-26 20:07:49 | Weblog
つかの間の水温む、春を感じた日曜日
のんびりと鴨が泳ぐ合間をヌートリアが逃げていく



その日の朝31名の会員と櫻植栽の考え方に賛同していただいた方1名に
明治13年に完成した砂留の上でお礼と作業の安全を会長が述べる



ホタル同好会はその前身が2004年にホタルを飛ばすためにボーット川を眺める
ただ一人の人の活動から2006年4月に36人で発足した団体である
作業をするたびに川はきれいになり、毎年ホタルの飛翔が増えている
が、川や沿道に捨てられる家電、弁当の空箱、ビンカン類タバコのポイ捨ては減らない
どうするか、花を植えてみた。花は咲いたがお昼の弁当の空箱は捨てられた
「監視の目を増やそう」
単純な考えから、桜を植え、個人の名前とコメントを入れた看板を協賛してもらえる方から
出資してもらい、自分の桜管理に出来るだけ多く桜を見に来てもらう
つまり記念樹として募集したのであります
その桜を12月に植え、1月24日看板を取り付けたのである


看板を取り付ける協賛者

ソメイヨシノは病虫害に弱い木だ
だけれどホタルの幼虫が上陸する日
最高に飛ぶ日を予測するための標準木である


その他の作業は
水仙の球根を民生委員の2名から300本ほど戴き植えた


2番砂留下流へ植栽

終われば水仙を植えた斜面の切断木をロープで引き上げる


この場所は何度も書いたがマムシが多いところだから夏場の作業はできない


この場所で水の流れが見えるなんて
2年前では考えられなかった

大げさだが堂々川最後の秘境渓谷が世に出た
この渓谷の瀬が昔は100ヶ所もあった
だから江戸時代初めまでこの川を百瀬川と呼んでいた


堂々川最大の砂留6番の下方斜面
この場も草ぼうぼうだから草刈りを行う


斜面の作業はキツイ

よー日本一の砂留
長さ55mの顔を出したか


今日の清掃作業はゴミが少ない


11月の1/10だった


このまま1年ゴミのないことを祈る
ゴミの量はビン・缶の捨てられる時期に敏感に連動しているようだから
こんごは桜が監視してくれるだろう


民話 御領のキツネ

2010-01-23 21:50:07 | Weblog
平成4年、今から18年前
ハゼ木の足にするモロギ(ネズミサシの木)を切りに
下御領の山王山神社から鳩岩を通り通称キツネ岩のある山へ登った人がいた


数年前には岩の前の木を切ったので岩の全体が見えていた
この岩は御領駅から見ると、鳥の鳩に似ていた
江戸時代の史書にも出ている


最近上御領森林組合が山の木を販売したから山ははげ山になっている



木を伐採したところの直ぐ西に村界石とキツネ岩がある


1587年御野村が分村し上・下御領村が出来た
それからしばらくして境界として「堺村」と刻まれたと推測する


その石の5m程下ると大キツネ岩がある
その下稜線50mに子キツネ岩がある


狐には見えずクジラの出来そこないにしか見えなかった

しばらく眺めていたらキツネの顔に見えてきた
史書にキツネ岩とあるのがうなずけた


話は前に戻ってモロギを切りに山へ入った人が
昼前なのに山から下の道に降りられず山の中をぐるぐる回ったと言う
堂々巡りをしたようだ
頭を冷やしながらそして休み、休み目印をつけて30分の道を
4時間かけて麓まで下りたとその人は話す
つまりこの山にはキツネがいてワシをだましたのだとまじめ顔で話した

この山の麓、井原線の御領駅がある場所近くで
昔々いたづらギツネが住んでおったそうじゃ
お盆になる前、チョイト1杯どぶろくをひっかけて
下御領村のダサクさんがキツネ岩へささきを切りに登った
ささきは面白いほど取れ、背中に背負うて山を下り始めた
が昼飯を食いその時一寸のつもりで飲んだのが悪かったのか眠くなった
半時ほど寝て山を下り始めたが下りる道がわからない
途中でコゲラがげらげら笑っているのも知らないで



堂々巡りをしていた
そうこうしているうちに日が暮れ出した



何がきっかけだったのか塚を見つけた途端に道へ出る事が出来、山を下りれた
御領駅近くまでおりたら日はとっぷり暮れていた



そんな時、着物姿のおんなの人が優しく声をかけてきた
何とか山を下りられた安堵感に
「ささき切りご苦労さん」と言われたので
あれほど痛めつけられたダサクさんなのに調子を合わせて
「別嬪じやのう」
「ありがとう、あれ汗臭いわ、お風呂に入らない」
と言われて、よせばよいのにその気になって
「ホイジヤ、背中を流してくれるかのう」
「喜んで!」
田圃の真中にいるのに気がつかんで、服を脱ぎ出した
そしてそのまま肥壺へめがけてザブーン
「ええ湯じゃのう」
いつの間にか着物の後ろから尾が出ている女の人は消えていた
「ネーチャンも入らんかー!ええ湯ドー!」
とあたりを見回すも誰もいない
臭いと言われたはずだ
その肥壺は昨日、近くのオヤジが自分のセンチから人糞を持ってきて
ここへ移したばかりだった
だまされた、と気づいたダサクさんはささきを置いたまま
我が家へましぐら駆け込んだとそうだ
そして、さんしち21日、家人と、ものも言わずに寝たそうな

だましたキツネが悪いのか、だまされたダサクさんが馬鹿なのか!
御領キツネもなかなかやるわい

温故知新

2010-01-20 20:49:47 | Weblog
春のような陽気に誘われ、鳥たちの動きを見ていると
昨夜、災害についての説明会があるからと誘われて出かけたことなど吹っ飛ぶ。


ムクドリ夫婦がやって来て

ムクドリは腹がへっては戦は出来ぬと柿を食う
スズメが羨ましそうにムクドリを見ながら立ち去るのをまつ


ある家を訪問して頭の中で温めていた、
新しいテーマを実践する決心がつき、証拠探しに山へ入ることになった
これから仲間と9月頃まで色々な証拠を探すことになる


松に寄生したヤドリギ(別名松グミ、マツビイビイ)
絶滅危惧種に認定されてもおかしくない気がする木だ
(中央左上、オレンジに熟した実、
 この実を食べ、そのあとでトリモチにしてメジロをとった記憶がある)

温暖化に松くい虫等でこの近くの山は松枯れが起き全滅した
コゲラが虫を今頃食べてくれても腹水盆に返らず
もうヤドリギは住む世界が無い


隣ではエナガが楽しく飛んでいるが
この山は大雨が降れば土石流が起こっても
おかしくない状態になっている







昔、むかし、1673年我々が整備している堂々川は大水で63人の犠牲が出ている。

話を元に戻して
山の歴史調査を始めた



江戸時代 菅茶山師が福山藩に提出した史書「福山資料」に
記載してある奇岩、大石等を探した


皆さんならどんな名前にするだろうか
江戸時代の名前は硯岩(すずりいわ)
(岩の形が硯を入れた箱に似ている)

チョン髷(まげ)のような形で上の真ん中に鎮座している松
他の松が枯れているのにまだ頑張っている

地元の古老は名前を「重ね岩」だと言う
史書は「乗り物岩」だと言う。江戸時代の乗り物「籠」の形をしている
意地悪な人は意見を聞かず、別のところに乗り物岩はあると言う
江戸時代につけられたことを考えずバスやトラックを連想している「ばかめ!」


この山には古墳が多い


5つ前のフォトも古墳である
史跡地図には下御領古墳群と命名されている


今日もまたよせばよいのにと人に後ろ指を差されながら
古い時代の出来事を知り、
そこから新しい知識や見解を探ろうと思っております
人から見れば私も「馬鹿め!」でしょうが

逃げた

2010-01-17 22:01:45 | Weblog
寒い日が続いたが少し寒さが逃げて行った
電線のトンビも近づけば逃げる



百舌鳥に追われてヒヨドリも逃げた
にげたヒヨには未練はないが
柿を欲しがるメジロは可愛い





百舌鳥がヒヨドリを追い払った
ボケのとげの先には何があるのか







見えなかったが枝に挿し、忘れていた虫を取りに来たのか
我が家ではヒヨとメジロと百舌鳥が順番に尋ねてくれるが
百舌鳥が1番強い。

話は変わって堂々川の川の中
雪が舞った日に水につかって水中の生き物を探してみた
川の中のほうが温かく感じた
さて、その生きものは


きれいな水に住むテナガエビ

砂で固めた家に住むヤマトビケラ
きれいな水に住む指標生物

ヘビトンボ(ホタルの左)とホタルの幼虫(中央)
ヘビトンボはきれいな水、ホタルはやや汚い水の指標生物


浪曲子守唄のメロデーに合わせたストリーにするつもりが
どこで間違えたか水に入って流れてしまった

2つ聞かそうか


スズメも弱い者には強い

スズメに追われてちょっとにげるメジロ

ツーと鳴く


 ねんころり!
もう夜も遅いおやすみなさい

おかしい

2010-01-14 18:45:56 | Weblog
昨年カマキリの雪予想をした。
その時カマキリは雪が多い少ないでかなり迷っていた。
今年の予報は暖冬で雪が少ない、なのに最近の寒さと雪の多さ。
不思議と思うが、カマキリが迷ったのが正解のこともあるのだと納得した。
ある家の庭に古い樫の木が植えてある。
このかしの木にはあそこにも、ここにも穴があいている。
おかしい木だ。





その穴にこの木特有のドングリの実が落ちていく。


葉にとりついたドングリ

樫の木の幹深くに入ったドングリは
今では直径8cmぐらいの幹になっている


ドングリの木の中でドングリの木が成長している。
この木の下の万両


赤い実と白い実をつけているように見える
太陽の光が良く当たるから葉が赤い


日陰の万両は



葉も緑色で赤い実もきれい。

話は変わって
最近何を思ったのか「堂々川の古を尋ねて」なる冊子を書き始めた。
サッシの良い方はまた堂々川の名前を売ろうとして、いやな奴なんて思われるでしょう。
そうなんです。
堂々川散策に訪れる人が増えだしたので
ここの川沿でボランティアガイドをする人を養成したいと思いだした。
ガイドが説明するとなれば観光地になるかも!
そうなれば不法投棄はなくなるはずだと馬鹿の一つ覚えで前に進んでいる。

その資料作りに
堂々川のある山の外れを歩いてみたら
ここには赤い幹の樫の木がある。
不思議と思い周囲を見回せば
赤い苔が見える。


赤い幹の樫の木

赤い苔のある石積

近くによればこの場所だけ赤い


ここの赤、砂留の下から流れる水も赤い



おかしい。
ある家のかしも山のしいもおかしい。
それと万両もおかしい。
備後弁では不思議と言う言葉はおかしいという。

ただの恨み

2010-01-11 21:29:21 | Weblog
井原線のワンコインデー。
10時に神辺駅へ。そろそろお客様が増えだした。



ディゼル機働車が到着するが満員にはまだなっていない。




神辺に来られた観光客の皆様に不慣れを解消するための観光案内を始めた。
その時、年の頃なら70歳代のおばチャマが絡んできた。
「ここではチラシにあったタダのぜんざいが無いがどうしてか」
「駅ではなく菅茶山が開いた日本最初の学校廉塾でやっているよ」
「よそはただのバスが出ようるがここはそれはないのか」
「悪いなー、歩いて15分弱だから健康のためにも歩いてな」
「ぶつぶつ」
どこから乗っても100円という安い運賃で神辺まで来られるのに
ここまで来てタダの生姜湯を飲んだ後、タダのぜんざいを所望するとは?
昔は、かなりかわいい人だと思うが時代がそうさせたのかなー。
お昼で生姜湯がすべてなくなったので引き揚げることにした。
そして本陣、廉塾を視察した。


神辺本陣前
タダのサービスするものが無い場所には人は来ない

廉塾前


廉塾ではぜんざいをいただいた。現在約200人ぐらいが来られたとか。
お昼現在、駅で600人分が完売、ここでは約200人。
15分の歩きは2/3の人をあきらめさせたようだ。

神辺駅で言われた言葉かなりショックだった。
ならば他所の地区はどうなのか。よせばよいのに旅に出た。

県境を越えて高屋駅へ


岡山県と広島県の境石
数年前車がバックして壊したので新しい標になっていた

中国地方の子守唄発祥の地高屋

駅前から「嫁いらずの観音様」まで無料バスが出る


井原駅


ホームは300人を超えた人、ひと

おしくらまんじゅうをしてホームはからに
上り、下りと機動車は出ていく


駅やその周辺は


駅の中、ジーンズのふるさとなのだが高いからお客様はいない

駅前はイベント開催で多くの人が

バスはただ
長い行列が出来ている


ところで恨み重なるぜんざい問答


100円と張り紙がしてある


きれいな人が販売しているがお客様は少ない。

恨みさえ覚えた、「ただ」のたった一言をマジになって調べてみたら
不景気と言う見えない現象があそこでもここでもいたるところうごめいていた。
タダより怖いものはないを実感した。
明日の新聞に参加者の数が載るだろうが
推定井原線利用者10,000人
昨年より少し少ない予想をしておく。


ボランティアなのに

2010-01-08 22:29:54 | Weblog
正月休み
ほーつとした瞬間に北風小僧が風邪を持ってきた。
そのために7日、8日はむちゃくちゃでござりました。
昨日の午前中福山からJRに乗って尾道へ着いた。
そこは港街、車に乗り換えて糸崎駅近くまで行く。
名前こそ恰好が良いコンサル家業だが、交通費まで持ち出しのタダの仕事。


福山駅から山陽本線に乗る
久しぶりだ

1月11日11時11分開業の第3セクター井原線


毎年1月11日は井原線の範囲なら1回乗ればどこまでも100円で行ける。
例えば神辺→総社まで約40kmが100円で乗れる。
その上大きな駅では生姜湯や甘酒のふるまいもある。
歴史と景観の良い沿線風景だから参加は悪くはない。
忘れていたが私は神辺駅で午前中ふるまいのお手伝いをすることになっている。
知っている人は声をかけてください。
何か特別のサービスを考えます。

脱線してはいけない。
尾道駅で下車した。


知らないモニュメントが出来ていた。数年電車では訪問していないから


海に沿った道を西へ、尾道水道と並行して走る。



訪ねた会社は素晴らしい応接室を持っておられた。
ガラス張りの戸をあけてバルコニーへ出るとその先は瀬戸内海の塩がピチャ、ピチャ。


まだ10時30分ごろ
フォト撮りが悪いからもう夕方気分

昨日の夕日を貼りつけると夜の雰囲気も出てくる


三原の対岸の島は因島、古のころは村上水軍が取り仕切っていた島だ。
この島でかんきつ類のハッサクが発見された。つまりハッサクの発祥地だ。


我が家にも2本木を植えており100個以上収穫できる。
この連休には収穫する予定だ。


用事が済んだら急いで次の会合へ行く。
2時間弱で会議は終わり我が家へ
仕事が終わってほっと一息、縁側に座り込むと
いつものエナガがやってきた。


後ろから眺めると羽根がきれいだった
23回目の尾も白い


エナガをヒヨドリが追い自分も飛び立つが
仲間がキー、キーと呼ぶので近くの木にとまる。



この鳥もキーキーと鳴き
鳴き合戦みたいでうるさい。
ヒヨドリの下ではタラノメが何時切ってもよいように
フカシ栽培の準備をしている。
12月下旬からの寒さで芽出しの準備は整ったはずだ。



今からフカシ栽培を始めれば2月20日ごろにはタラノメが食べられる。
我が身は忙しい動きをしているが、
自然は所々で上手に癒しを与えてくれる。

民話 「権の守}

2010-01-05 12:33:53 | Weblog
数年前 堂々川の狸原近くの3番砂留を整備していたら



大きな狸が狸原の西方へ去って行きました。
今日はこの狸の先祖と思える民話を載せます。

昔々、そのまた昔、
神石は坂瀬川村に人が住んでいないお社がありました。



このお社に何時とはなく大きな動物が住むようになりました。
この動物は人に化け、毎年村の娘やたくさんの食べ物を要求して来るようになりました。この要求を断ると、池の堤防を決壊したり、田畑を荒らしまわったり、家で飼っているウサギや鳥を皆殺しにし、村人を苦しめていました。

ある月がきれいな夜、武者修行の若者がこの付近を通りかかると
このお社の小さな広場の前で大きな古狸が



「出雲の国の権吾呂太夫に知られないように食べや踊れやよいよいよい」
と踊りながら歌っていました。

翌朝、若者は村人を集め、この様子を教えました。
「へえじゃあ、あの化け物は古狸で、出雲の権吾呂太夫様が怖いのか。こりゃーどうしても出雲の太夫様のお力をかりんといけん」
村人の難儀を取り去るために、村の長はすぐに旅支度を整え出雲へ出かけました。


道をまどいながら


ところが出雲の太夫様は旅に出られ留守でした。
長は事情を話したところ、太夫が直々に仕込まれた「権の守」という犬を借りることが出来ました。


何この犬、洋犬ではないか。
要件さえまっとう出来れば和洋は関係ないさ(影の声)


坂瀬川に帰ってきたら早速、古狸退治の相談が始まったのです。
村人は棒や鍬・鎌を持ち、犬の跡に続いてお社の前に。
その時から狸と「権の守」のすさまじい戦いが始まり
もう村人は手が出せない状態で小半刻が過ぎました。
ようやく、権の守が優勢になると村人が古狸をたたき、鎌で切り付け応援しました。
古狸はたまらずお社の中へ、権の守も中へ続く、
「ギャオー」の一声で古狸は昇天したのです。
権の守もこの戦いで傷つき、村人の手厚い介護を受けましたが7日後には命を経ちました。
村人は感謝をこめて、この地に改めて犬明神を立て犬塚を築きました。


この犬碑は安政5年(1857年)再建されております


その後「権現の守」の偉業を何時までも忘れないように正月7日にはこの場所でお祭りがとりおこなわれております。



「権の守」安らかに
これでこの話は終わります。
が余談
この民話は神石高原町油木にも伝わり、ここでは猫が悪役でした。



どちらの話を信頼するか考えたのですが
今回は地元で大明神が見つかったことから私は坂瀬川を取り上げました。
ちなみにお祭りには油木の「シンライ」という銘柄が貢献していると聞きました。

新年堂々川

2010-01-02 18:06:34 | Weblog
カマキリの雪予報も当てにならず
2010年元旦は雪で始まった。
備後国分寺で初詣祈願をして



今年の活動を始めた。


鳥急ぎ新年のご挨拶を
明けましておめでとうございます


まず周囲を見回して


蝋梅の花と香りを見聞きし

空に向かってあげた手の先で今年の目標を掲げた
飛んできたのは飛行機
JAL ANA ・・・
JALなら目標を消さないで!


堂々川へ初の出勤


1番砂留

近接した西側の広場
植えた桜に看板をかけテスト中
看板の大きさはこの半分になる


堂々川ホタル同好会がついに陽の目を見せた6番砂留
日本最大の砂留に氷花を添えたつらら


堂々公園を支える砂留

落ちるしぶきが凍ってつららに


改めて、本年もよろしくお願いします。



目の周りが白い