京都の無隣庵、清風荘と並び明治の三名園といわれる「盛美園」。
大石武学流を代表する庭園で、明治35年から9年の歳月を経て完成した。
これだけ歳月をかけたのは、大地主であった清藤家が、この作庭で農閑期の小作人達が
収入を得られるように・・・と、いう考えもあったとか。
施主は清藤家24代当主盛美、だから「盛美園」なんだ。
入り口を入ると、左手にこの盛美館、その奥に御宝殿、右手に林が広がり、真正面に枯山水の庭園。
絢爛豪華な御宝殿は常時公開されてなく、30分に一度、3分のみ説明付きで公開される。
ガラス戸の向こうに燦然と輝く仏間があった。
10畳ほどの堂内は金箔に覆われ、両側の壁は一面大きな蒔絵。
館内、写真撮影禁止なのも、常時公開されてないのもうなずける。
太閤の金の茶室よりも立派なしつらえでしょう。
なんて木なんだろう?カエデの一種だと思うのだが・・・。
白砂を盛った枯池の中、小島の上にはイチイの木。
庭の小高い所から眺めると、なんだかちょっと違和感を感じてしまう。
青銅葺の屋根だが緑青色というよりターコイズブルー。
張り出し部分は厠で、その壁には松葉の意匠の窓。
青銅の壷は手水らしいが、どのように使ったんだろう?
つやつやと磨かれた廊下は漆塗り。
板の継ぎ目の切り込みは何の為だろうか?
腰壁がスタッコ塗りで仕上げられた厠。
陶器のスリッパ、久しぶりにお目にかかった。
2階への階段の腰壁もスタッコ塗り。
スタッコ塗りとは、大理石の感じを出すために、漆喰の中に大理石の粉を混ぜて
固く仕上げ、磨き上げた工法らしい。
2階は公開されていないので、この階段を上がる事は出来ない。
座敷から眺める石組みと刈り込みだけで造られた「草の平庭」。
床柱は黒檀・・・?
客間の書院窓の意匠は「くもの巣」。
障子の明り取り窓からは手水の壷が見える。
2階四隅の柱も漆喰仕上げだろうか?
すぐ近くの民家の屋根。
勇ましい棟飾りだこと。
尾上町を初めて訪れた私、民家の手入れが行き届いた庭、美しく続く生垣、農家蔵・・・
驚きの連続でとどめはこの盛美園。
失礼ながら東北の片田舎にこれだけのモノが見れるとは、日本は広く美しい。