吹屋の鉱山は、807年に発見されたと伝えられ、戦国時代には
尼子氏と毛利氏が争奪合戦を繰り広げたとか。
江戸末期に開発された笹畝坑道は、大正末期まで創業されてた。
ここは、内部の開けた場所ですが、閉所恐怖症の人にとっては辛いかも・・・。
坑道の入り口からしばらくは、腰をかがめて通らなければいけない。
ヘルメットをかぶる意味がよく理解できました。
通路脇の溝に、青白い水が流れています。
乳青色という感じのきれいな色合い。
水の発生源はここのようです。
ベンガラの原料であるローハは、この磁硫鉄鉱を30日間焼いて作ります。
人形が置かれていますが、驚きました。
女性の人形です。
劣悪な環境下、女性も男性に混じって坑道で働いていたのでしょうか?
それとも、色を添える意味?
でも、昭和の時代に、炭鉱で女性が働いていたというから、おかしくないか。
このハシゴを手で支えながら掘削したの?
坑内は年間通じて15度ほどの気温という。
見学不可の横穴もいっぱいあり、そういう箇所の有効利用ですねぇ。
坑内の見学を終わり外に出ると、露頭の見える所があるらしい。
ここなんですが、いったい、どれが鉱床か分かりません。
いやぁ、「笹畝坑道」おもしろかったです。
石見銀山の龍源寺間歩より見ごたえがあったように思います。