大木昌の雑記帳

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クロヅルはピレネー山脈を越えて―ツルと人と森が織りなす社会と文化―

2024-04-02 09:08:57 | 自然・環境
クロヅルはピレネー山脈を越えて
ーツルと人が織りなす社会と文化ー

以前ずいぶん前のことですが、このブログで『アネハヅル(姉羽鶴)はヒマラヤを越える』
という記事を書いたことがあります(2017年1月7日)。

この記事は、この渡り鳥は中央アジアから8000メートル級のヒマラヤを越えて越冬地のイ
ンドまでの渡りの実態を説明したものです。

今回は、「クロズル」(黒鶴)という渡り鳥が越冬地のスペインを出てひたすら北上し繁殖
地のスウェーデンまで3000キロの長距離を渡る物語を、ドキュメンタリー映像(注1)を
通して追ってゆきます。

クロズルは、世界でもっとも生息域が広いツルで日本も含めて世界各地に生息します。体
の高さは110センチほど、日本で見られるタンチョウより少し小柄で、胴体の羽衣は淡
灰褐色または灰黒色、頭頂部だけが赤くなっています。

クロズルの移動は、スペインを出てピレネー山脈を越え→フランス→ドイツと、人の営み
がある大地にある中継地を経てスウェーデンに達します。

                                             V字になってピレネーを越え北に向かうクロズルの群れ  

                                               出所 https://larciatoja.blog.fc2.com/blog-entry-3239.html

                                                
クロツルの渡りに関連して大切なことは、この鳥が人の営みのある場所を選んで、人間の
社会と文化と深くかかわり合ってきたという点です。この物語を、ドキュメンタリー映像
を中心にみてゆきましょう。

まず、物語はヨーロッパ最大の越冬地であるスペイン南部のエストリマドゥーラ地方の2
月初旬の様子から始まります。

この地方は、秋になると4センチほどもある大きなドングリの実をつける樫の木の森と、
その下に広がる牧草地とからなる「デエサ」と呼ばれる独特の生態系から成り立っていま
す。

ここで、樫の木の森は遠くからは密生しているようにみえるが、実際には木と木の間隔は
かなり離れています。これには、以下に述べるように重要な意味があります。

デエサでは、春から秋にかけては牧草地で牛や羊の放牧がおこなわれます。このため、日
当たりが良く牧草が良く育つように樫の木はかなりの間隔をあけて植えられているのです。
つまり、樫の木の森は林間放牧のために作られた人工林なのです。

そして、秋から冬にかけての2か月にデエサの主ともいえるイベリコ豚が放たれます。イ
ベリコ豚は100キロくらいありますが、この2か月ほどの間に栄養価の高いドングリを
食べて60キロくらい体重を増やします。

ドングリを食べるのはイベリコ豚だけではありません。実は、クロツルもドングリが大好
物で、堅い殻を嘴で器用に割って取り除き、長い旅を前に栄養を蓄えます。すなわちクロ
ズルは居候のようにデエサを利用しているのです。

デエサの森は、付近の住民によって管理され、老木や病気になった木は伐採され、新たに
苗木が植えられます。そして、伐採された木は細かく割られて薪にされパンを焼いたり暖
炉に利用されます。

以上みたように、クロズルの越冬地となっているデエサは森(樫の木とドングリ)・家畜・
クロズルと人が緊密に結びついた一つのシステムをなしていたのです。

さて、2月末になるとクロズルの群れは、いよいよピレネー山脈越えの準備に入ります。
そのため、まずはスペイン北西部にありピレネー山脈の手前にあるスペイン最大の湖、ガ
ジョカンタ湖周辺に移ります。

これには二つの理由があります。一つは、湖の周辺には畑があり、この時期には小麦や大
麦の種が蒔かれたばかりで、クロズルはその種を食料として食べることができるからです。

スペイン政府は、クロズルを捕獲するのではなく逆に保護するために、クロズルに食べら
れてしまった小麦や大麦の種の被害にたいして農家に一定の補償金を与えています。

二つは、湖の周辺の浅瀬と湿地があることです。水辺は天敵であるキツネに襲われること
がない安全な場所で、休息には必須の条件です。

これとは別に、クロズルがこの場所を中継地に選んだのは、ここからまっすぐに北上する
とピレネー山脈で最も低い場所を飛び越えることができるからです。

ここでクロズルの群れは良く晴れた暖かな日が来るのをじっと待ちます。そしてついに、
その日がやってくると、クロズルの群れは一斉に飛び立ち、昼の暖気で発生した上昇気流
を次々にとらえては旋回しながら高度を上げてゆきます。

こうして、自分の力を使わずに、500メートルからうまくゆけば1000メートルまで
上昇することができます。

ピレネー越えには、最も低いイバニエタ峠の上空を通過します。この峠は中世以来、フラ
ンスからスペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼のルートでもあり
ます。

この際、ヒマラヤ越えのアネハズルと同様、クロズルの群れもV字型に編成を組みます。
映像では説明がありませんでしたが、おそらく順繰りに風よけの場所を交代しながら超え
ていったのでしょう。

ピレネー山脈を越えるとフランスのアキテーヌ地方に入ります。この北部は有名なワイン、
サンテミリオンの産地です。ブドウ農家の一人は“ツルが来ると畑で働く時期だと先祖代々
いいつたえられてきたんだよ”と語っています。

畑の作業とはブドウの木の剪定のことで、新芽の発芽を促し若い枝を伸ばして実の付きを
良くする大事な作業です。つまりクロズルは春を告げ、農作業開始を告げる鳥なのです。

ただし、クロズルのお目当てはブドウ畑にはありません。この地域の南はトウモロコシ畑
になっています。

クロズルが来るころには前年の収穫が終わり、次の種まきまで土地を休ませている時期で、
クロズルは収穫の際に取りこぼしたトウモロコシを食べにここにやってくるのです。

フランスのアキテーヌで3月下旬まで過ごすと、クロズルの群れはドイツの北東部、バル
ト海に面したドイツのリューゲンボック地方に毎年2000羽ほど降り立ちます。

クロズルがやってくる頃は畑に小麦の種を蒔いたばかりで、クロズルに食べられてしまい
ます。多い時には蒔いた種の半分ほどが食べられてしまうこともあったそうです。

そこで15年ほど前から、収穫を終えたトウモロコシ畑にエサ場を設け、クロズルのNP
O保護団体と自治体が2~3日に一度500キログラム、年間で6トンほどの小麦をエサ
として撒き、本来の小麦畑の種を守っています。

4月初旬、いよいよ繁殖地、スカンジナビア、スウェーデンのホーンボルガ湖周辺のハム
ラを目指してバルト海を渡ります。この地域には1万8000羽ほどが各地からやってきます。

このとき、クロズルはそれまで子供を含む家族単位で移動してきましたが、繁殖地に向か
うときには子供と別れ夫婦(つがい)だけで繁殖地に向かいます。

人々は、春を告げるクロズルがやってくることを心待ちにしています。そして、実際にや
ってくると、ここでも、地域の人たちが毎日、エサ撒きをしています。

この地域では、繁殖と子育てに欠かせない湿地を守るために国有の林業会社が、湿地の周
辺の森を保護しつつ慎重に木材の切り出しを行っています。

6月半ばにはヒナが生まれます。この時、湿地は天敵から守ってくれるうえ、ミミズや昆
虫など小動物はヒナに恰好のエサを与えてくれます。

以上にみたように、クロズルは人間の営みのある場所を利用して移動し繁殖します。その
過程でクロズルは人間社会と緊密な関係の中で生きているとえます。

今から200年ほど前まで、クロズルはヨーロッパのほとんどの地域で繁殖していました。
このため、ヨーロッパ各地にクロズルと人との交流が文化として定着してゆきました。

春まだ浅い時期にクロズルがやってくる地方では、クロツルの到来は春の訪れを告げ、人
びとは農作業に取り掛かる時期を知ります。

現在、スペインからスウェーデンに至る各地、特に中継地ではクロズルが飛来すると、日
本のお花見のように人々が集まり、春の到来を祝う文化が定着しています。

パリ郊外のプロヴァンで行われる中世祭りでは、人びとは中世の衣装を身にまとって練り
歩き、当時の市(いち)の賑わいを再現します。

そして、主に中世のフランスでお祭りや祝宴で踊ったダンスを踊ります。かつてはレスト
ランや結婚式の披露宴では食事の間中踊っていたという。

中世祭りの際に踊るダンスは、その名も「ツル」と呼ばれる、ツルの求愛のステップを真
似たものです。これはツルがとても身近な存在であったことを示しています。

中世祭りで踊る、クロズルのステップを真似た求愛ダンス                        繁殖地のハムラでクロズルの飛来で夏の到来を喜ぶ人々
 
出所 上記のテレビ番組から                                     上記のテレビ番組から  

また、14世紀に栄えた町、ドイツのウィスマールの教会はかつて病院として使われてい
ました。そのドアに、片足で石をつかんだツルの絵が描かれています。

この絵には、人びとがツルという鳥にどんなイメージを持っていたかを示しています。教
会の牧師は、
    ツルは知性ある見張り役であると考えられていました。自分が眠ってしまわない
    ように石をもっているのです。もし眠ったら石が水に落ちて目が覚めるように。
    ですから、ここに描かれたツルは思慮深さと注意深さのシンボルなのです。この
    病院で助けを必要としている人々に思いやりを持って接するようにという教えな
    のです。
と説明しています。

渡りの最終地ハムラという町では、クロズルの飛来とともに草と花で飾ったポールを立て
てその周りを老若男女が歌い・踊りながら夏の到来の喜びを爆発させます。

クロズルは過去においてヨーロッパ全域に生息し、人間社会と文化と深くかかわってきま
したが、今日でもその伝統文化は至るところに見られます。

日本人は自然を愛する国民だと自ら思っているかもしれませんが、クロズルとヨーロッパ
人とのつながりを見ると、彼らの方がはるかに自然と密接に暮らしているように思えます。

(注1)「シリーズ ヨーロッパの自然 『300キロ クロズルの渡りを追う』」(NHK
BSプレミアム 2024年3月28日放送

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