大木昌の雑記帳

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ファッション界の日本人革命家たち(2)―川久保玲の「黒」が欧米ファッションを破壊する―

2024-05-21 08:30:40 | 思想・文化
ファッション界の日本人革命家たち(2)
―川久保玲の「黒」が欧米ファッションを破壊する―

桂由美のファッションがエレガントで、かつ前向きに生きる女性のシンボルとして「白」
を前面に押し出した「優しい」革命であったとすると、川久保玲のそれは、既成の概念
や約束事(ルール)壊して闘う「黒」の激しい革命と言い表すことができます。

川久保玲氏(以下敬称略)は1942年10月11日生まれ、現在81歳、年齢的にも実
績の面でも、名実ともに日本を代表するデザイナーの一人です。

慶応大学文学部哲学科美術史専攻。卒業後、株式会社『旭化成』宣伝部に入社。3年
間務めた後退職して、フリーのスタイリストとしての活動を始めました。

彼女の母親は、夫の反対で自由に働けなかったため、離婚しました。当時はまだ男性
優位社会で、川久保玲は反発を感じました。母親の強い意志と反骨精神は、若き川久
保にとって大きな影響を与えていきます。

スタイリストとしての仕事を通じて独自の感性やセンス磨いてゆきました。そして19
69年、ファッションブランド「コムデギャルソン」(Comme des Garçons、仏:少年の
ように)を立ち上げ、高級既製服(プレタポルテ、婦人服)の製造・販売を開始。1973
年には株式会社コムデギャルソンを設立し、現在も同社社長を務め、81歳になった今
でも精力的に活動しています(注1)。

川久保はめったに自分の考えを言葉に出して言いません。彼女は、自分が言いたいこと
は作品で表現する、作品が全てというスタンスを貫いてきました。

ただ、1回だけテレビ出演を受け入れたことがありました。それが今回、取り上げる
『NHKスペシャル 世界は彼女の何を評価したのか:ファッションデザイナー 川
久保 玲の挑戦』(2002年1月12日)です。

以下に、デザイナーここでは、彼女のファッションショーを見た人たち(ほとんどが
デザイナー)が、彼女の作品から何を読み取り、何を評価したのか、に焦点を当てて
考えてゆきたいと思います。

川久保は1981年に初めてパリコレクションに参加しました。そして、1982年に行われ
た1983-84秋冬物のコレクションは衝撃的なインパクトを与えました。

番組は、頭から足の先まで黒一色の布に身を包んだモデルの一団がランウェイを闊歩
する、異様な光景から始まります。番組のナレーションはつぎのように、語ります。

    黒い軍団が大股で闊歩する。笑顔はない。見ている者は息を飲む。ボロ布の
    ようなスカート 穴の開いたドレス。理解を超えたドレスが人々の前に次々
    に出現する。

パリのジャーナリズムは一斉に批判を開始した。

    つぎはぎ 新品なのにボロ着 葬式のための黒。これは悪い未来を表す俗悪
    ファッションだ。あなた方にふさわしくない。

いわゆる「黒の衝撃」と呼ばれるファッションショーでした。フランスの保守系新聞
『ラ・フィガロ』は批判の急先鋒だった(1983年3月18日)

同誌のジャニー・サメ記者は、
    初めて見た時、大きな地震だと感じました。ファッション界が震えたんです。
    不愉快なショーで 大災害を予感するものでした。

また、当時の川久保の代名詞となった穴あきのセーターもさんざんな酷評を受けた
『PARIS MATCH』(1982年1月)。

    そこらじゅう穴だらけ。これは貧乏人に見せたい人のファッションだ。税務
    署に行く時とか賃上げ闘争の時はよろしいかも。        
    
『インターナショナル・トリビューン』記者 スージー・メンキースは、

    ショーでは服は破壊されていました。セーターには穴が開いていてスイスチー
    ズと呼んでいました。スイスのチーズに穴があいているからです。とてもショ
    ッキングでした。(中略)でもそれ以上に女性と体について考えさせられます。



川久保のファッションを批判するジャーナリストたち。その一方 新しい表現を切り開
くものとして評価するファッションデザイナーたちがいた。

フランスを代表するデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエもその一人だった。
    あれほど大きなショックは初めてでした。当時のファッションは伝統的でとて
    も退屈でした。そんな中に 彼女は素晴らしい力をもたらしたのです。

当時の伝統的なファッションとは、女性の体の美しさを強調した、腰の部分がキュっと締り、
裾が広がった、いわゆるAラインのようなドレス、赤を基調とした華やかなドレスなどです。

ゴルチエはさらに語ります。
    彼女のコレクションは毎回が革命なのです。小さな革命も大きな革命もあります。
    そこにはいつも革命があります。

川久保は、伝統的な形を壊し、「黒」という葬儀を連想させるタブーの色を使い、そして服
に穴を開けるというタブー、二つのタブーを全面に出すことによって、既存の価値観や、
ヨーロッパ人が築いてきたファッションのルールを壊したのです。

桂由美は「白」で女の前向きな生き方を表現するという革命に挑戦したとすれば、川久保は
「黒」という従来のファッションでは、ありえない色で世界のファッション界に革命を起こ
したのです。

川久保は次々と新しいファッションを登場させることで人びとの評価も変わってゆき、彼女
はパリコレクションを代表する革新的デザイナーとなっていきました。

シャネルやフェンディなど伝統的なデザインを手掛ける、カール・ラガーフェルドも川久保
の挑戦を評価する。
彼女は我々のゲームを壊した。まったく違ったものを出してきたのです。
    それは醜くみえる恐れがありましたが、新しい美があったのです。

アメリカ人女性デザイナー ダナ・ギャランは川久保について
    毎シーズン自分を表現している。デザイナーの中のデザイナーです。川久保は驚くべ
    べき(スペキュタキュラー)デザイナーです。女性として女性のデザイナーにとても
    興味があります。彼女は物静かで内気な人だけど作る服には強烈な主張があります。

フランスの女性ファッションジャーナリスト エリザベット・バイエは
    川久保の最初の印象は とにかくショックでした。果たしてファッションなのか何か
    のメッセージなのか。正直いって分からなかったんです。その後、印象が変わりまし
    た。
    彼女は従来とは違う女性の味方を望んでいたのです。それは女性の肉体的美しさとは
    違う美の提言でした。今までの先入観をくつがえすのに川久保は長い時間を費やしま
    した。

イギリスを代表するファッションデザイナー ポール・スミスは、

    デザイナーで誰を尊敬するか、とよく聞かれます。ほかの名前を出そうとしても彼女
    (川久保)しか思いだせません。

と川久保の試みをを高く評価しています。

1992春夏コレクション。服の袖や裾が立ち落とされ、ファスナーだけがぶら下がっている。
未完成のものが持つ強さを前面に打ち出しました。

川久保の作品作りは、桂由美とは似ているところもあるし、違う点もあります。桂由美の場合、
何らかの構想をデザイナーに伝え、デザイナーはそれをパターンナーに伝えて具体的な形にして
ゆきます。

1992-93年秋冬物のパリコレでも黒一色のコレクションで臨みました。この時、川久保が
発したコンセプトは、「怖さを感じさせるくらい強い服を作りたい」。川久保の中では、黒という
色は、すべての色を飲み込んでしまう色なのです。

この言葉から、川久保と16人いるパターンナーたちはお互いに何をしているかわからないまま、
それぞれ別々にパターンを模索してゆきます。こうした中から、今まで見たこともない新しいも
のが生まれる、というのが川久保の政策方法です。

1995年春夏物のファッションとして登場させたのは、男性の背広を前と後ろを逆にして、モ
デルの背中に背広の腕がぶら下がっていた服、男性のスーツ(背広上下)を着たその上から、こ
しから下に女性のふんわりとしたドレスをかぶせせたファッションでした。

川久保は、「女性らしさ」、「男性らしさ」という固定観念を壊し、男女の性別を超えた新しいファ
ッションの形を主張したのです。

川久保といえば、「黒の衝撃」とならんで、1996年に出品された「1997年春夏物」のパリ
コレは、ボディーミーツ ドレス ドレスミーツ ボディー」と銘打ったコレクションでした。

これは背中にコブのように布の塊がある「コブ・ドレス」で、ファッション界に衝撃を与えました。


The New York Times (1996.10.10)は、
    “新鮮?それとも変なだけ? Is it New and Fresh or Merely Strange ?”、「コブの塊 
    着られない
と冷ややかな評価でした。

ジャーナリズムの反応は良くありませんでしたが、川久保は手ごたえを感じていたという。

川久保の顧客に向かって出されたメッセージは、「すでに見たものでなく、すでに繰り返された
ことでなく新しく発見すること、前に向かっていること、自由で心躍ること」だったのです。

しかし、若いデザイナー(たとえばアレキサンダー・マックイーン)は、
    私たちデザイナーには分かります。彼女は体をデザインしたのです。なぜ不格好なもの
    を作るのか疑問に思うでしょう。しかし、様々な姿の人たちを理解することが知性なの
    です。

と理解を示しました。

またメトロポリタン美術館 学芸員 ハロルド・コーダ氏は、
    最初はショッキングでもあの服が動く姿を見ると、一体何が健康で快適で セクシーな
    のか考えさせられます。そんな知的な複雑さ故にあの服は美しいのです。
    コレクションは決して商業的ではありません(利益を目的としたものではない)。川久保
    は作品を通して難しい問いかけをしてきました。
    女であることは?男であることは?このような問いを30年以上も続けてきたのです。
    驚くことに、川久保は常に新しい答えを生み出してきたのです。

と、川久保の挑戦を絶賛しています。

また、フランス オートクチュール協会会長 ティティエ・グランバック氏は次のように総括します。
    
    ファッションは革命的でなければなりません。メッセージが強いほど、反発があるほど良いの
    です。川久保は全く独自のものを見つけ出しました。だから彼女の名はファッション史に残る
    のです。

番組の最後に川久保は、デザイナーとして目指していることを語っています。少し長くなりますが、彼
女が本音を語った数少ない言葉なので引用します。

    皆さん疲れているから、もう少し精神的にクリーンなもの、人間の原点というか、分かり易く
    言えばエスニック的な物とか、もう少し地に足を付けて、その辺にある精神性のようなものを
    言いたかった。精神的な意味でのエスニック。その言葉をどのように形にしてゆくのか。パタ
    ーナーは考えてゆく。
    パターナーには生地をぎりぎりまで見せず、最終段階で見せて新鮮な出会いがあり、誰も予想
    しなかった新鮮な美しさが現れる。
    きついけど、続けっていれば何かしら役に立つこともあるかしら。生きがいと言えば生きがい。
    みんなが作れないものをつくってやろうという気持ちがある。
    そして、「もっときれいなものはたくさんあるんだ、ということを若い人たちに分かってもらえ
    れば

と将来の若いデザイナーへの期待をも述べています。

実際、2001年に川久保がアントワープで開催した『タブーを超えて』というファッションショーには
川久保を尊敬する6人の若いデザイナーたちが集まりました。彼らは「アントワープ・シックス」と呼ば
れ、次世代のファッション界の将来を担いつつあります。

最後に、筆者自身が川久保の「革命」がどんな意味を持つのかを私の見解として書いておきます。

その「革命」とは簡単にいうと、「黒」という色を前面的に使い、服に穴を開けるというタブーを意図的に
破ること、男性性、女性性という既存の固定観念をこわすこと、服と体の関係を問い直すこと、などんど
です。

ゴルチエがいうように、川久保が登場する以前、ヨーロッパのファッションは伝統的で退屈だった。つま
り、もう新しいものが出てこない停滞状態だった。

そこに突然、中世以来数100年にわたって築き上げてきたヨーロッパのファッションのルール(約束事、
固定観念)を、川久保が根こそぎ壊してくれた。それによってはじめて、ヨーロッパのファッションが新
たな方向に動き出す道を開くことができたのです。

私は、ファッションとはたんに服装の問題ではなく、その時・その社会の文化や社会状況の一端を反映す
る非常に重要な指標だと考えています。したがって、ヨーロッパのファッションが停滞していることは、
同時に文化・社会も停滞していたと言えます。

この意味で、川久保は本当の意味で革命家であり、ヨーロッパのファッション界と文化・社会にとっては
救世主であったと思います。

(注1)川久保の経歴とファッションとの出会いについては、ブランドコラム MODESCAPE 2023年8
    月30日 https://www.modescape.com/magazine/kawakubo-rei.html
    そのほか川久保のファッションについては
    BOGUE JAPAN https://www.vogue.co.jp/tag/kawakubo-rei
    コブドレス https://kld-c.jp/blog/body-meets-dress/
    BOGUE JAPAN https://www.vogue.co.jp/fashion/article/truth-to-power-rei-kawakubo-interview 。
    Youtube https://www.youtube.com/watch?v=UOT_hS3t9qs
    『美術手帳』(2017.2.22)https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/2161
    『COMME des GARÇONS PARIS COLLECTION PART-1 1986-87 A/W〜1991S/S コムデギャルソン
     パリコレクション パリコレ』など多数あります。 

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