検証:岸田首相(1)
―ビジョンなく 何をしたいのかもわからない―
岸田文雄首相は今年8月14日、9月末に予定されている自民党総裁選を前にして突如、
記者会見で総裁選に不出馬との意向を次のように語りました。
今回の自民党総裁選では党が変わる姿、新生自民党を国民の前に示すことが必
要だ。最もわかりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。
私は総裁選に出馬しない。総裁選を通じて選ばれた新たなリーダーを一兵卒と
して支えることに徹する。
これにより、岸田政権は9月いっぱいで終了することになり、首相の在職日数は第一次・
二次内閣の通算で 1000日を超え、戦後の歴代首相としては8番目の長期政権となり
ます。
しかし、旧統一教会問題、政治と金問題(裏金問題)などの問題にたいして、自らリー
ダーシップを発揮して国民が納得できるような解決や処理ができませんでした。
このため、23年5月「広島サミット」時にはNHK調べで岸田政権支持率は46%あ
ったのに、8月には25%に落ちてしまいました。別の調査では、7月にはすでに支持
率15.5%に落ち込んでしまい、不支持率は58.4%まで上がってしまいました
(注1)。
この支持率を別な表現すれば、もう岸田首相と岸田内閣は国民の支持と信頼を失って
しまった、ということになります。
それでも岸田氏は、つい最近まで、9月末に予定されている自民党の総裁選挙に出て
長期政権の道をさぐっていたようです。
しかし、「外交の岸田」をアピールするなど盛んに外交に頑張っている姿を見せますが、
支持率も人気も一向に浮揚する気配がありませんでした。
こんな状況では次回の衆議院、参議院の選挙の顔として岸田首相では戦えない、との危
機感が自民党の中で次第に強くなり、岸田首相を退任に追い込んでゆきました。
こうした圧力を岸田首相は跳ね返すことができず、事態がさらに悪化し、惨めな状況に
追い込まれる前に不承不承、総裁選不出馬を決断せざるを得なくなったというのが実情
でしょう。
ここにおいて、2022年10月から第一次・二次と続いた岸田政権は24年9月末をもって
終わりを告げることになったのです。
そこで改めて、岸田首相と岸田内閣は、一体何をしたかったのか、そしてこの3年間で何
をしたのかを何回かに分けて検証してみたいと思います。
私が最初に、岸田文雄という政治家は一体、なにを考え・何をしたいのかに疑問を抱いた
のは、彼がまだ首相に就く前の2019年の事です。テレビ番組で「首相になったら何をした
いか」と聞かれて、彼は開口一番「人事」と答えたという記事を読んだ時でした(注2)。
閣僚や党の重要ポストに誰を任命するかは首相の権力が行使される特権の一つで、岸田氏
はその人事を是非やりたいとの希望をもっていたことが分かります。
つぎに、首相となった岸田氏が2023年3月11日、福島県相馬市の子育て支援施設を視察し、
子どもや子育て中の保護者らから話を聞いた時のことでした。子どもから首相になりたかっ
た理由を尋ねられ「こうなってほしいと思うことを先頭に立って実現する仕事をしたいと思
った。日本で一番権限が大きい人なので首相を目指した」と答えています(注3)。
このエピソードはその後いろんなところで話題になりました。好意的に解釈すれば、自分に
は理想とすることがらがあり、それを実現するために、日本で一番権限がある首相をめざし
た、ということになります。
ただ、「こうなってほしいことがある」と「日本で一番権限がある」のどちらに比重があっ
たかは分かりません。私は後者だと思いますが・・・・。
岸田首相は今年の6月10日、参院決算委員会の締めくくり総括質疑の中で国民民主党の芳賀
道也議員は、「検討、検討ばかり。総理になったら国民のために『これだけはやりたい』と思
ったことはあったのか」と首相の政治姿勢をただしました。
これにたいして首相は、自身が手掛けた肝いり政策を列挙し「明日は今日より必ずよくなる
という姿をみせたい」と答えました。
ここで、「先送りできない課題」とは、「経済では新しい資本主義を進め、安全保障、防衛力
についても抜本的強化を行わないといけないと政策を拡充させ、エネルギーについても大き
な政策転換を行った。そして何より、子ども子育て政策。我が国最大の課題の少子化対策」
を指します。
ただ目標が現実に追いついているのかは別問題で、芳賀氏は「明日は良くなると思えない状
況が続いている」、「物価は上がって暮らしていけない人も、お店も農業も続けられない人も
いる。そんな中でも、都会では1億も2億もするようなマンションが投機で飛ぶように売れて
いる。こんな日本でいいのか」、首相が思い描く日本になっているのかと、疑問を呈しました
(注4)。
なお、首相が挙げた「先送りできない課題」については稿を改めて検討しますが、いずれも
ただ課題を挙げただけで、解決策はすべて「検討」事項、つまり先送りにしています。
このため、岸田首相は「遣唐使」をもじって「検討使」と言われたり、あれをやろう、これ
をやろうと検討しながら、なかなか実行に移さないため、「検討おじさん」とも揶揄されるよ
うになりました(注5)。
しかも、上記の答弁では「政治と金」(裏金問題)、「旧統一教会」問題は、検討課題にすら挙
げられていません。これでは、日本の政治を根本的に改革することは不可能です。
というのも、「先送りできない課題」を解決するためには、その前提として公正な政治が実現
し、政府が国民に信用されていなければならず、そのためには「政治と金」「旧統一教会問題」
こそが「先送りできない課題」だからです。
それではもう一度、最初の疑問に戻って、岸田首相は一体、何をしたかったのかを考えてみま
しょう。
岸田首相が肝いりで手掛けた政策課題を並べてみても、首相に就任以来今日まで、岸田氏は日本
という国は「こうあるべき、こうあってほしい」という政治哲学も、全体的・長期的ビジョンを
国民に示してきませんでした。
リーダーにとって最も重要なことは、この国の現状と将来について全体的・長期的ビジョンを国
民に示すことで、これが無いのは致命的な欠陥です。
それがなければ、個々の課題の中で重要性に基づく優先順位をつけることはできないし、それぞ
れの課題間の整合性も持ち得ません。
中島岳志・東京工業大学教授は
岸田文雄首相を端的に評すれば、首相になることだけが目的で、首相になってやりたい
ことのなかった政治家だろう。保守本流のリベラルな派閥、宏池会出身で30年ぶりの首
相として期待されたが、中身は空っぽだった。
と切り捨てています。
そして中島氏は、さまざまな課題を唐突に持ち出しては中途半端に終わっていることにかんして、
逆に、やりたいことがないからこそ敵基地攻撃能力(反撃能力)保有や防衛費の倍増、
憲法改正など清和会的な政策を簡単に取り入れた
ことも指摘しています。これは重要な指摘で、岸田首相が本当に「やりたいことがなかった」た
めに政策に一貫性を欠き、「場当たり的」となっていることの原因となっているのです。
また、自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡り刑事告発をずっと続けてきた上脇博之・
神戸学院大教授は、「岸田政治は、主権者・国民のためではなく、自民党が与党であり続ける
『延命』が最優先だったと言わざるを得ない」と、結論しています。
ジャーナリストとして政界を見続けてきたる鈴木哲夫氏は、岸田政権について
岸田氏は総裁選不出馬会見で、これをやったというものを並べたが、むしろ、やるべ
きことをやっていない。安倍晋三氏、菅義偉氏による政権には、評価が分かれるもの
の、首相自身がやりたい政策があった。岸田氏にはそれがない。最後まで何をやりた
いかがわからなかった。
と述べています。上記3人のコメントは私も全く同感です(注6)。
岸田首相の不出馬会見の翌日の『東京新聞』(2024年8月15日)の「こちら特報部」欄の見出
しに「何がやりたかった?」と「政権維持目的化、政策にブレ」というタイトルの記事を載せ
ています。
そこでは、岸田首相は結局、政権維持(自分が首相でいること)を自己目的化していたこと、
「何がやりたかったか」分からなかったこと、そのため政策が場当たり的でブレていたことを
詳しく論じています。
これらの見解から見えてくるのは、少し酷な言い方かもしれませんが、岸田文雄という政治家
は、何らかの理想や理念があって首相を目指したのではなく、たまたま父親(文武氏)が政治
家であったためその地盤を引き継いで、政治家を家業となす二世議員となり、首相になった後
は、ひたすら政権維持を自己目的化した、ということになります。
以上の評価とは別に私は当初から岸田文雄という人物に疑問を感じていました。
総裁選の立候補者がそれぞれ自分の考えを公に話す場面で、岸田氏は片手で小さなノートをかざ
して、気付いたことを書き留めておくと盛んに吹聴していました。
このパフォーマンスと共に岸田氏は自分には「聞く力」があることを強調していました。
ところが、このノートと「聞く力」に関して、岸田首相の側近として15年間勤めた元衆議院議
員三ツ矢憲生氏がSNSの動画で、びっくりするようなことを暴露しています。
少し長くなりますが、非常に興味深くかつ重要な証言なのでそのまま引用します(注7)。
私は15年以上付き合ってあんなノート1回も見たことないです・・・・。
聞くことは聞くんですよ。大体黙って聞いていることが多いですね。でも、たとえば政策
的なことで、こういうことをやったらどうですかっていうような提言というか提案したり
するじゃないですか、そんな話も黙って聞いているんですけど、それを実行に移すことは
ないですね。
政治家ですから自分で考えていることを自分の言葉で語る、「語る力」が必要なんですよね。
そこは実はご自身でもあまり自信がないのかも知れないですけれども、その代わり「聞く力」
ってことで売り出そうじゃないかと・・・・。
総理になりたいという思いがあるのはもちろん承知していましたけれども、総理になって何
をやりたいのかということはなかなかうかがい知ることはできなかったですよね。
三ツ矢氏が「ウソ」を言う動機もないし、しかも、外部の研究者や評論家の評価とは異なり、身近で
15年も付き合った側近の言葉だけに信用できます。要点は四つです。
第一点は、岸田氏が総裁選のころ盛んにかざしていたノートを三ツ矢氏は見たことがない、というこ
とです。首相になってからノートを見せる場面がほとんどなかったのはこのような事情があったのか
もしれません。あのノートをかざして見せたのは、たんなるパフォーマンスだったのか?
第二点は、確かに人の話は聞くけれど、それを実行することはなかったという点です。結局、ただ聞
いているポーズをとっているだけで実行に移さなければ、「聞いた」のではなく「聞き流した」だけで
す。これは「聞く力」とは言いません。
第三点は、岸田氏が自分の考えを自分の言葉で伝える「語る力」に自信がなかったから、その代わりに
「聞く力」ってことで「売り出そう」じゃないかと(考えた)、という指摘です。自分の考えがあって
初めて「語る力」が発揮されるので、それに自信がなかったということは、そもそも語るべき考えがな
かったことを意味します。
これについては、三ツ矢氏の推測も多少は入っているかもしれませんが、岸田氏の国会その他の場所で
のスピーチや談話を聞いていると、確かに官僚の作文を棒読みしているように聞こえる場面がしばしば
見受けられました。
いずれにしても、政治家が自分の考えを自分の言葉で語ることができないのは、致命的な欠陥です。
第四点は、岸田氏が総理(首相)になりたかったことは分かっていたが、15年付き合った三ツ矢氏で
も総理になって何をしたいのかが分からなかった、という点です。やはり岸田氏本人にも「何をしたい
か」が分からなかったのだと思います。
三ツ矢氏は、これまでさまざまな人やメディアが指摘してきたことを内側からズバリ証言してくれてい
ますし、私自自身、一つ一つ実によく思い当たります。
最後に、私は今まで、なぜ岸田首相が語る言葉が空疎に響くのか疑問でした。岸田氏が語る時、まるで
人形が官僚の作文を読み上げているようかのように虚(うつろ)に響いていたのです。
それが、三ツ矢氏の、岸田首相が「自分の考えを自分の言葉で」語っていなかった、という指摘ではっ
きりと合点がゆきました。
次回から、もう少し具体的に岸田首相がおこなった政策を検討したいと思います。
注
(注1) 『JIJI.COM』(2024年8月19日 https://www.jiji.com/jc/article?k=2024071100703&g=pol
(注2)『毎日新聞』(電子版 2022/8/24 https://mainichi.jp/articles/20220824/dde/012/070/009000c
(注3)『日本経済新聞』(電子版 2023年3月11日 15:46 ;2023年3月11日 18:46更新)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA102DY0Q3A310C2000000/
(注4)『日刊スポーツ』(電子版 2024年6月10日17時47分)
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202406100001046.html
(注5)『東洋経済 ONLINE』(2023/01/18 6:00)
https://toyokeizai.net/articles/-/646660
(注6)以上3人のコメントは、『毎日新聞』電子版(2024/8/15 https://mainichi.jp/articles/20240815/ddm/012/070/069000c を参照。
(注7)https://x.com/sammysoseki/status/1787244213865677255
―ビジョンなく 何をしたいのかもわからない―
岸田文雄首相は今年8月14日、9月末に予定されている自民党総裁選を前にして突如、
記者会見で総裁選に不出馬との意向を次のように語りました。
今回の自民党総裁選では党が変わる姿、新生自民党を国民の前に示すことが必
要だ。最もわかりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ。
私は総裁選に出馬しない。総裁選を通じて選ばれた新たなリーダーを一兵卒と
して支えることに徹する。
これにより、岸田政権は9月いっぱいで終了することになり、首相の在職日数は第一次・
二次内閣の通算で 1000日を超え、戦後の歴代首相としては8番目の長期政権となり
ます。
しかし、旧統一教会問題、政治と金問題(裏金問題)などの問題にたいして、自らリー
ダーシップを発揮して国民が納得できるような解決や処理ができませんでした。
このため、23年5月「広島サミット」時にはNHK調べで岸田政権支持率は46%あ
ったのに、8月には25%に落ちてしまいました。別の調査では、7月にはすでに支持
率15.5%に落ち込んでしまい、不支持率は58.4%まで上がってしまいました
(注1)。
この支持率を別な表現すれば、もう岸田首相と岸田内閣は国民の支持と信頼を失って
しまった、ということになります。
それでも岸田氏は、つい最近まで、9月末に予定されている自民党の総裁選挙に出て
長期政権の道をさぐっていたようです。
しかし、「外交の岸田」をアピールするなど盛んに外交に頑張っている姿を見せますが、
支持率も人気も一向に浮揚する気配がありませんでした。
こんな状況では次回の衆議院、参議院の選挙の顔として岸田首相では戦えない、との危
機感が自民党の中で次第に強くなり、岸田首相を退任に追い込んでゆきました。
こうした圧力を岸田首相は跳ね返すことができず、事態がさらに悪化し、惨めな状況に
追い込まれる前に不承不承、総裁選不出馬を決断せざるを得なくなったというのが実情
でしょう。
ここにおいて、2022年10月から第一次・二次と続いた岸田政権は24年9月末をもって
終わりを告げることになったのです。
そこで改めて、岸田首相と岸田内閣は、一体何をしたかったのか、そしてこの3年間で何
をしたのかを何回かに分けて検証してみたいと思います。
私が最初に、岸田文雄という政治家は一体、なにを考え・何をしたいのかに疑問を抱いた
のは、彼がまだ首相に就く前の2019年の事です。テレビ番組で「首相になったら何をした
いか」と聞かれて、彼は開口一番「人事」と答えたという記事を読んだ時でした(注2)。
閣僚や党の重要ポストに誰を任命するかは首相の権力が行使される特権の一つで、岸田氏
はその人事を是非やりたいとの希望をもっていたことが分かります。
つぎに、首相となった岸田氏が2023年3月11日、福島県相馬市の子育て支援施設を視察し、
子どもや子育て中の保護者らから話を聞いた時のことでした。子どもから首相になりたかっ
た理由を尋ねられ「こうなってほしいと思うことを先頭に立って実現する仕事をしたいと思
った。日本で一番権限が大きい人なので首相を目指した」と答えています(注3)。
このエピソードはその後いろんなところで話題になりました。好意的に解釈すれば、自分に
は理想とすることがらがあり、それを実現するために、日本で一番権限がある首相をめざし
た、ということになります。
ただ、「こうなってほしいことがある」と「日本で一番権限がある」のどちらに比重があっ
たかは分かりません。私は後者だと思いますが・・・・。
岸田首相は今年の6月10日、参院決算委員会の締めくくり総括質疑の中で国民民主党の芳賀
道也議員は、「検討、検討ばかり。総理になったら国民のために『これだけはやりたい』と思
ったことはあったのか」と首相の政治姿勢をただしました。
これにたいして首相は、自身が手掛けた肝いり政策を列挙し「明日は今日より必ずよくなる
という姿をみせたい」と答えました。
ここで、「先送りできない課題」とは、「経済では新しい資本主義を進め、安全保障、防衛力
についても抜本的強化を行わないといけないと政策を拡充させ、エネルギーについても大き
な政策転換を行った。そして何より、子ども子育て政策。我が国最大の課題の少子化対策」
を指します。
ただ目標が現実に追いついているのかは別問題で、芳賀氏は「明日は良くなると思えない状
況が続いている」、「物価は上がって暮らしていけない人も、お店も農業も続けられない人も
いる。そんな中でも、都会では1億も2億もするようなマンションが投機で飛ぶように売れて
いる。こんな日本でいいのか」、首相が思い描く日本になっているのかと、疑問を呈しました
(注4)。
なお、首相が挙げた「先送りできない課題」については稿を改めて検討しますが、いずれも
ただ課題を挙げただけで、解決策はすべて「検討」事項、つまり先送りにしています。
このため、岸田首相は「遣唐使」をもじって「検討使」と言われたり、あれをやろう、これ
をやろうと検討しながら、なかなか実行に移さないため、「検討おじさん」とも揶揄されるよ
うになりました(注5)。
しかも、上記の答弁では「政治と金」(裏金問題)、「旧統一教会」問題は、検討課題にすら挙
げられていません。これでは、日本の政治を根本的に改革することは不可能です。
というのも、「先送りできない課題」を解決するためには、その前提として公正な政治が実現
し、政府が国民に信用されていなければならず、そのためには「政治と金」「旧統一教会問題」
こそが「先送りできない課題」だからです。
それではもう一度、最初の疑問に戻って、岸田首相は一体、何をしたかったのかを考えてみま
しょう。
岸田首相が肝いりで手掛けた政策課題を並べてみても、首相に就任以来今日まで、岸田氏は日本
という国は「こうあるべき、こうあってほしい」という政治哲学も、全体的・長期的ビジョンを
国民に示してきませんでした。
リーダーにとって最も重要なことは、この国の現状と将来について全体的・長期的ビジョンを国
民に示すことで、これが無いのは致命的な欠陥です。
それがなければ、個々の課題の中で重要性に基づく優先順位をつけることはできないし、それぞ
れの課題間の整合性も持ち得ません。
中島岳志・東京工業大学教授は
岸田文雄首相を端的に評すれば、首相になることだけが目的で、首相になってやりたい
ことのなかった政治家だろう。保守本流のリベラルな派閥、宏池会出身で30年ぶりの首
相として期待されたが、中身は空っぽだった。
と切り捨てています。
そして中島氏は、さまざまな課題を唐突に持ち出しては中途半端に終わっていることにかんして、
逆に、やりたいことがないからこそ敵基地攻撃能力(反撃能力)保有や防衛費の倍増、
憲法改正など清和会的な政策を簡単に取り入れた
ことも指摘しています。これは重要な指摘で、岸田首相が本当に「やりたいことがなかった」た
めに政策に一貫性を欠き、「場当たり的」となっていることの原因となっているのです。
また、自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡り刑事告発をずっと続けてきた上脇博之・
神戸学院大教授は、「岸田政治は、主権者・国民のためではなく、自民党が与党であり続ける
『延命』が最優先だったと言わざるを得ない」と、結論しています。
ジャーナリストとして政界を見続けてきたる鈴木哲夫氏は、岸田政権について
岸田氏は総裁選不出馬会見で、これをやったというものを並べたが、むしろ、やるべ
きことをやっていない。安倍晋三氏、菅義偉氏による政権には、評価が分かれるもの
の、首相自身がやりたい政策があった。岸田氏にはそれがない。最後まで何をやりた
いかがわからなかった。
と述べています。上記3人のコメントは私も全く同感です(注6)。
岸田首相の不出馬会見の翌日の『東京新聞』(2024年8月15日)の「こちら特報部」欄の見出
しに「何がやりたかった?」と「政権維持目的化、政策にブレ」というタイトルの記事を載せ
ています。
そこでは、岸田首相は結局、政権維持(自分が首相でいること)を自己目的化していたこと、
「何がやりたかったか」分からなかったこと、そのため政策が場当たり的でブレていたことを
詳しく論じています。
これらの見解から見えてくるのは、少し酷な言い方かもしれませんが、岸田文雄という政治家
は、何らかの理想や理念があって首相を目指したのではなく、たまたま父親(文武氏)が政治
家であったためその地盤を引き継いで、政治家を家業となす二世議員となり、首相になった後
は、ひたすら政権維持を自己目的化した、ということになります。
以上の評価とは別に私は当初から岸田文雄という人物に疑問を感じていました。
総裁選の立候補者がそれぞれ自分の考えを公に話す場面で、岸田氏は片手で小さなノートをかざ
して、気付いたことを書き留めておくと盛んに吹聴していました。
このパフォーマンスと共に岸田氏は自分には「聞く力」があることを強調していました。
ところが、このノートと「聞く力」に関して、岸田首相の側近として15年間勤めた元衆議院議
員三ツ矢憲生氏がSNSの動画で、びっくりするようなことを暴露しています。
少し長くなりますが、非常に興味深くかつ重要な証言なのでそのまま引用します(注7)。
私は15年以上付き合ってあんなノート1回も見たことないです・・・・。
聞くことは聞くんですよ。大体黙って聞いていることが多いですね。でも、たとえば政策
的なことで、こういうことをやったらどうですかっていうような提言というか提案したり
するじゃないですか、そんな話も黙って聞いているんですけど、それを実行に移すことは
ないですね。
政治家ですから自分で考えていることを自分の言葉で語る、「語る力」が必要なんですよね。
そこは実はご自身でもあまり自信がないのかも知れないですけれども、その代わり「聞く力」
ってことで売り出そうじゃないかと・・・・。
総理になりたいという思いがあるのはもちろん承知していましたけれども、総理になって何
をやりたいのかということはなかなかうかがい知ることはできなかったですよね。
三ツ矢氏が「ウソ」を言う動機もないし、しかも、外部の研究者や評論家の評価とは異なり、身近で
15年も付き合った側近の言葉だけに信用できます。要点は四つです。
第一点は、岸田氏が総裁選のころ盛んにかざしていたノートを三ツ矢氏は見たことがない、というこ
とです。首相になってからノートを見せる場面がほとんどなかったのはこのような事情があったのか
もしれません。あのノートをかざして見せたのは、たんなるパフォーマンスだったのか?
第二点は、確かに人の話は聞くけれど、それを実行することはなかったという点です。結局、ただ聞
いているポーズをとっているだけで実行に移さなければ、「聞いた」のではなく「聞き流した」だけで
す。これは「聞く力」とは言いません。
第三点は、岸田氏が自分の考えを自分の言葉で伝える「語る力」に自信がなかったから、その代わりに
「聞く力」ってことで「売り出そう」じゃないかと(考えた)、という指摘です。自分の考えがあって
初めて「語る力」が発揮されるので、それに自信がなかったということは、そもそも語るべき考えがな
かったことを意味します。
これについては、三ツ矢氏の推測も多少は入っているかもしれませんが、岸田氏の国会その他の場所で
のスピーチや談話を聞いていると、確かに官僚の作文を棒読みしているように聞こえる場面がしばしば
見受けられました。
いずれにしても、政治家が自分の考えを自分の言葉で語ることができないのは、致命的な欠陥です。
第四点は、岸田氏が総理(首相)になりたかったことは分かっていたが、15年付き合った三ツ矢氏で
も総理になって何をしたいのかが分からなかった、という点です。やはり岸田氏本人にも「何をしたい
か」が分からなかったのだと思います。
三ツ矢氏は、これまでさまざまな人やメディアが指摘してきたことを内側からズバリ証言してくれてい
ますし、私自自身、一つ一つ実によく思い当たります。
最後に、私は今まで、なぜ岸田首相が語る言葉が空疎に響くのか疑問でした。岸田氏が語る時、まるで
人形が官僚の作文を読み上げているようかのように虚(うつろ)に響いていたのです。
それが、三ツ矢氏の、岸田首相が「自分の考えを自分の言葉で」語っていなかった、という指摘ではっ
きりと合点がゆきました。
次回から、もう少し具体的に岸田首相がおこなった政策を検討したいと思います。
注
(注1) 『JIJI.COM』(2024年8月19日 https://www.jiji.com/jc/article?k=2024071100703&g=pol
(注2)『毎日新聞』(電子版 2022/8/24 https://mainichi.jp/articles/20220824/dde/012/070/009000c
(注3)『日本経済新聞』(電子版 2023年3月11日 15:46 ;2023年3月11日 18:46更新)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA102DY0Q3A310C2000000/
(注4)『日刊スポーツ』(電子版 2024年6月10日17時47分)
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202406100001046.html
(注5)『東洋経済 ONLINE』(2023/01/18 6:00)
https://toyokeizai.net/articles/-/646660
(注6)以上3人のコメントは、『毎日新聞』電子版(2024/8/15 https://mainichi.jp/articles/20240815/ddm/012/070/069000c を参照。
(注7)https://x.com/sammysoseki/status/1787244213865677255