遠くはなれて子守唄

2024-07-12 03:21:35 | Jポップス
白川奈美



美空ひばり



クロード・チアリ

ねんねん坊やの 住む里は
こがらし吹いてる 山の村
あいにゆけない ママだけど
まくらぬらして 見る夢は
抱いて寝かせる 夢ばかり

ねんねん坊やの ほっぺたは
真っ赤に燃えてる リンゴちゃん
思い出すてた ママだけど
だんだんにてくる 面影は
今はあえない 遠いパパ

ねんねん坊やの おねだりは
ジェット機 ミニカー 三輪車
今は貧しい ママだけど
約束しましょう がんばるわ
喜ぶその顔 みたいから

ねんねん坊やの 朝が来りゃ
誰にも負けない 男の子
幸せうすい ママだけど
すがる望みは ただひとつ
一緒に住みたい 暮らしたい 





この曲、昭和46年8月にビクターから発売され、80万枚を売り上げる大ヒットとなってます。
 
このころ、どこのチャンネルか忘れましたが、毎夜、放送終了の前にこの唄が、きれいな切り絵とともに流れていました。

マスターは、寝酒を飲みながら、この女性と坊やの運命をいろいろ想像したものです。
 
2番に「だんだん似てくる面影は、今は会えない遠いパパ」とありますから、愛し合った夫とは死別だったのでしょうか。
 
高度経済成長の真っ只中で、人手不足の時代でしたが、特別な技能もコネもないシングルマザーが、普通の会社で働くのは非常に困難な時代だったと記憶してます。

祖父母など、子どもを見てくれる人が身近にいない場合は、子どもを施設に預けたり、里子に出したりして、水商売に身を投じる人が少なくなかったようです。
 
いちばんかわいい盛りの子どもと離れて暮らさなければならない、どんなに辛いことだったでしょう。

この歌が、キャバレーやクラブの子持ちのホステスに絶大な人気を誇ったといわれるのも頷けます。
 
このころから、すでに半世紀以上経ってはいますが、小さい子どもを抱えたシングルマザーの生活は、むしろ悪化しているかもです。
























































































































































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Yura Yura

2024-07-12 00:16:05 | 由紀さおり
由紀さおり


うれしくってゆらゆら せつなくってゆらゆら
男と女は素敵なことね ゆらゆらら
好みのタイプは たまらなくセクシー
見つめられるだけでも 女が揺れる
ひと目惚れ恋は 別れても好きな
どこかがあの人に よく似てる

いまあなたが誘ったなら 心が乱れる
いまわたしが許したなら 電話してね
本気ならゆらゆら 浮気ならゆらゆら
好きよとダメよが胸のあたりで ゆらゆらら
こころではゆらゆら からだではゆらゆら
男と女は可笑しいものね ゆらゆらら
夢を追う人は どことなくカワイイ
あまえられるだけなら わたしの胸で
かなわない恋に くすり指泣いて
追いかけたりしたら すぐ逃げる

いまあなたが帰ったなら 涙があふれる
いまわたしがひきとめたら 困りますね
結ばれてゆらゆら お別れがゆらゆら
あなたのためなら命をかけて ゆらゆらら
逢えなくってゆらゆら 嫉妬でゆらゆら
男と女は哀しいものね ゆらゆらら

耳もとでゆらゆらら ささやいてゆらゆら
今夜は二人でお酒飲みましょ ゆらゆらら
うれしくってゆらゆら せつなくってゆらゆら
男と女は素敵なことね ゆらゆらら






何もない空虚の闇の中に、急に小さな焔が燃え上がる。墓原の草の葉末を照らす燐火のように、深い噴火口の底にひらめく硫火の舌のように、ゆらゆらと燃え上がる。 焔の光に照らされて、大きな暖炉の煤けた・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」


 ・・・心細い限りである。ゆらゆら動く、死んだ振りをしていようと思った。眼をつぶって、じっとしていた。 何しに佐渡へなど行くのだろう。自分にも、わからなかった。十六日に、新潟の高等学校で下手な講演をした。その翌日、この船に乗った。佐渡は、淋しい・・・ 太宰治 「佐渡」 


・・・岩や石の間には、夢のような苔や蘭の花が咲き満ちて、糸のように流れて行く水からは、すがすがしい香りが漂い、ゆらゆらと揺れる水草の根元を、針のように光る小魚が、嬉しそうに踊って行きます。 海にある通りの珊瑚が、碧い水底に立派な宮殿を作り、そ・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」 


「ゆらゆら」という言葉は、何かがゆっくりと揺れ動く様子や、不安定な状態を表現する形容詞で、物体や状況の揺れ動きや、心理的な不安定さを

表現する際に使われます。

この言葉は、日本語の擬音語や擬態語の一つであり、古くから存在しました。

その音の連続が、揺れ動く様子を生き生きと表現し、文章や会話に表現力と感情を加えたのでしょう。






































































































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宙船

2024-07-11 13:16:37 | フォーク&ニュー・ミュージック
 TOKIO


広島メンネルコール  



その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこが船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

何の試験の時間なんだ 何を裁く秤(はかり)なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな





TOKIOに提供した「宙船 (そらふね)」ですが、元々は中島みゆきさんが自身のオリジナルアルバム『ララバイSINGER』の主柱にする曲として

作詞・作曲していた楽曲でした。

ところが、時同じくしてジャニーズ事務所より「TOKIOのボーカル長瀬さんに合う曲は無いか」とのオファーがあり、それを受けて「宙船」がTOKIOに

提供されたのだそうです。

このことは、「TOKIOに委ねることによって派手な柱になって帰って来るのも悪くないと思った」とみゆきさん自身がツアーのMCで語っています。

そして、後に中島みゆきのアルバム『ララバイSINGER』(2006年11月22日発売)にセルフカバー曲として収録されます。

ところで、この曲、ジャニーズ事務所所属の5人組アルドルバンド“TOKIO(トキオ)”が唄った日本テレビ系土曜ドラマ「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」

(2006年7月8日~9月16日放送)の主題歌でしたよね。

ドラマの人気とともにこの曲が収められたTOKIOのシングルはロングヒットとなり、初めてジャニーズ系のタレントに楽曲を提供したみゆきさんは、

この作品で「第48回 日本レコード大賞」の“作詩賞”を受賞しています。

2006年11月22日発売のアルバム「ララバイSINGER」でセルフカバーしていますが、もともとこのアルバムの為に用意していた曲でした。

TOKIOが受取ったデモテープの“仮歌”はコーラスの宮下文一が担当していたため、レコーディング前にTOKIOのメンバーはみゆきさんの唄声は聴いていません。 

今、自分はどこでふらふらしているのだろうか。

今、自分はどこでボロボロになりながらも頑張っているのだろうか。

人や世の悪意に呑まれまいと必死に自分を保ちながら、足掻き、時には心に傷を負う。

たとえ見てくれている人や助けてくれる人がいなくても、まるで自分のことを歌ってくれているかのようだと思われた、思われる方も。

誰も助けてくれる人はいないのに、こんなに力強く自分のことを歌ってくれているのだ、・・・涙ボロり。
























































































































































































































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リンゴの花が咲いていた

2024-07-11 06:26:07 | Jポップス
藤 圭子 



森昌子 



リンゴの花が 咲いていたよ
別れの駅は 遠かったよ
さようなら さようなら
おさげの人は 見えなくて
花だけ白い 花だけ白い 道だったよ

お城が空に 浮いていたよ
お岩木山は 月だったよ
さようなら さようなら
好きだと知った そのあとの
瞼にしみる 瞼にしみる 夜だったよ

リンゴの花が 咲いていたよ
リンゴのような 人だったよ
さようなら さようなら
心の中で 呼びかける
津軽は夢の 津軽は夢の 国だったよ





原曲は、1966年7月発売された佐々木新一「リンゴの花が咲いていた」でした。



佐々木 新一  




リンゴ、その名称は、平安時代の辞書『和名類聚抄』に「利宇古宇(りうこう、りうごう)」としてリンゴが記述されており、これが転訛したものと

言われています。

花言葉は、「優先」「好み」「選択」

その他

リンゴの実

「誘惑」「後悔」

リンゴの木

「名誉」


花言葉の「優先」は、リンゴの美しい花が後の有益な果実の先触れであること。

「選択」の花言葉は、ギリシア神話のトロイア戦争の原因となった「パリスの審判」にちなむと言われています。

実の花言葉の「誘惑」「後悔」は、ヘビにそそのかされたイヴとアダムが禁断の果実を食べ、エデンの園を追放されたという旧約聖書の『創世記』に由来。

神によって創造された人類の始祖アダムとイヴは、エデンの園で、神に禁じられていた「知恵の木の実」(善悪の知識をもたらすいわゆる「禁断の果実」)を

食べてしまいます。

蛇がイヴをそそのかし、イヴが先に食べ、アダムにも実を渡したのです。

その結果彼らは楽園を追放されました。

「失楽園」です。

キリスト教はこれを人間の「原罪」の起源とみなします。
 
この「禁断の果実」、いつのまにか「リンゴ」だということになりました。

食べたアダムとイヴは、突然、自分たちが裸であることに羞恥を覚えて、イチジクの葉で陰部を隠します。

つまり彼らは、たがいが男であり女であること、性的欲望をもって互いを求める性的存在であることに覚醒したのです。

「知恵の木の実」の「知恵」は「善悪の知識」だということになっていますが、このとき彼らは、「善悪」よりも先に、性的存在として、恋愛をこそ知ったのだ、

だから羞恥を覚えたのだ、というのが私マスターの解釈です。

(「知恵の木の実」を禁じていたユダヤの神は、たぶん、人間に、自分たちが性的存在であること、つまりは神でなく人間であることを、知らせたくなかったのでしょう。)
 
つまり、このエピソードは、「恋愛」の起源です。

人類の始祖同士による人類の「初恋」なのです。

そして人類の始祖による「初恋」は、神の計画にそむく初めての「罪=原罪」だったのです。
 

(「神」でないことを知った彼らはエデンの園を追放されます。失楽園です。

そして、追放されたときから、男は労働の、女は妊娠出産の、苦痛を背負うことになります。

なぜ? 永遠の生命を失い、死なねばならなくなったからです。

生殖によって子孫を残さなければならなくなったからです。

生殖=結婚するために、男と女は「恋愛」をしなければならなくなったからです。

ほら、だからこれは人類の始祖による「初恋」であり、初めての「罪」だったのです。)
 
このとき、イヴがアダムにリンゴの実を差し出しました。

人間の男が女の差し出す「薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめ」でした。
 
藤村の「初恋」で、「君」が「われ」に「やさしく白き手をのべて」リンゴを与えるのは、イヴとアダムの起源の行為を反復しているのです。
 
それなら、無邪気にして清純な「初恋」を謳ったとされる藤村の詩の背後にも、「恋=罪」という観念が隠されているかもしれません。

結婚が「家」存続のためだった時代です。

「自由恋愛」はたしかに「家」からの逸脱可能性を秘めた「罪」でした。

「恋」を知り初めた若い二人は「罪」をも知り初めたのです。




























































































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昭和放浪記

2024-07-11 04:22:58 | Jポップス
水前寺清子


女の名前は 花という
日陰の花だと 泣いていう
外は九月の 雨しぶき
抱いたこの俺 流れ者
女は教えて 二十一
しあわせ一年 あと不幸
枕かかえてはやり唄
 歌う横顔あどけない・・・





この曲「昭和放浪記」、1972年10月にリリースされた水前寺清子の48枚目のシングルです。

水前寺清子のために狙い撃ちで書いた、とは阿久悠さんの後日談。

作曲を小林亜星に頼んだのも、思いがあってのことだったそうです。

その甲斐でしょうか、この曲で水前寺さんはこの年『第23回NHK紅白歌合戦』に出場しています。

しかし、当時は伝説的な大ヒットと囁かれましたが、ヒットすることもなく、結局は隠れた名曲どまりで終わってしまいました。

 昭和の時代を生きた男が、その時代の悲しみ、悲恋、未練を”これも我が人生”と想い起こす哀愁感いっぱいの名曲だとマスターは思うのですが。

ところで、1972年に「昭和放浪記」を書いた阿久悠は、歌詞が出来上がったときにいい手応えがあったので、凡庸な演歌の作品で終わらないようにと、

あえてポップス系の小林亜星に作曲を依頼したのだそうです。

その後に隠れた名曲と呼ばれたことについて、阿久悠さんはこのように述べています。

「これは演歌好きの人からは、隠れた名曲のように言われている。

別に隠したつもりはなかったが、ただもう一つ売れなかっただけである。

それでも、詞ができた時も、曲がついた時も、レコーディングが終わった時も、

かなかの盛り上がりで、もしかしたら、伝説的な大ヒットとささやかれたのだが、

結局は隠れた名曲どまりであった。

この『昭和放浪記』はねらいうちのように、水前寺清子のために書いた。」

水前寺清子は1970年に放映されたテレビのホームドラマ「ありがとう」が高視聴率を取って、シリーズ化されたことから俳優としても人気を博していたが、

歌手としてはヒット曲が途切れている状況にありました。

新進気鋭の作詞家としてヒットメーカーになっていた阿久悠に、がらりと作風が変わる危険を見越したうえで楽曲を依頼したのは、

歌でも新境地をひらきたいという目論見があったからでしょう。

1971年から72年にかけて阿久悠が作詞した作品のリストを見ると、ほとんどがポップス系の曲であったことがわかります。

そのなかで演歌と呼べそうなものは、わずかに内山田洋とクールファイブの「この愛に生きて」と「恋歌」、そして藤圭子の「京都から博多まで」ぐらい。

だから当時の阿久悠には、水前寺清子のトレードマークともいえる応援歌、いわゆる元気が出て威勢のいい歌の路線を継承するつもりはなかったといいます。

このとき作曲を指名された小林亜星は1年前に阿久悠とコンビを組んで、「ピンポンパン体操」という幼児向けの楽曲で思わぬメガヒットを飛ばし、

その余韻がさめない頃でした。

作詞するにあたって阿久悠さんは、劇画か任侠映画のような人物設定にしたうえで、場所もはっきり昭和初期の女郎屋とわかるようにしたとのこと。

だが1コーラスが4行の典型的な演歌の歌詞だったので、小林亜星の書いた曲は見事過ぎるくらいに演歌そのものという作品になりました。

自分たちの新しい面を発見した阿久悠と小林亜星はレコーディングが終わった後も、いい作品が出来上がったと思って満足していました。

だから関係者たちもヒットを予感していたらしいですが、実際にレコードが発売されると意外なことに、まったくといっていいくらいヒットしませんでした。

小林亜星はヒットしなかった要因のひとつとして、編曲とサウンドについてこんな感想を述べています。

「なかなかドラマチックな、映画の1シーンを見てるような歌です。

ちょっと浪曲調のところがあり、小杉仁三さんという方のアレンジがモダンジャズ的なアレンジで、ちょっとその違和感がありすぎたかもしれませんが、

ぼくにとっては素晴らしいアレンジで、もう一度世に問いたいと思っている曲です。」


























































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初恋の丘

2024-07-11 00:03:58 | 由紀さおり
由紀さおり




まぶしく輝く 青い大きな空も
ときどき 私の ものじゃないふりをする
まぶたに うかんで くるの初恋の丘
決して 恋などしないと 誓ったのに
あなたと笑って あなたと歩いて
あなたと祈って あなたと夢みた
ちょっぴり涙流したこともあったわ
大人になってもひとりぼっちはつらい
初恋の丘へも一度戻りたいな

お嫁にゆくことだけが 道じゃないけど
やっぱり ひとりじゃ 生きてゆけないのかな
あなたと笑って あなたと歩いて
あなたと祈って あなたと夢みた
ちょっぴり 涙 流したこともあったわ
大人になっても ひとりぼっちはつらい
初恋の丘へ も一度帰りたいな
お嫁にゆくことだけが 道じゃないけど
やっぱり ひとりじゃ 生きてゆけないのかな





この曲、マスターの年になって聞いてみるとやたらと歌詞が胸に染みます。

何でだろ。(笑)

ところで、「初恋の丘」と言うと思い出す曲がこの曲です。



クロード・チアリ




初恋は遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

室生犀星ではありませんが。































































































































































































































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初恋のニコラ (Nicolas)

2024-07-10 21:19:08 | 天地真理
天地真理 


原曲はシルヴィー・ヴァルタンSylvie Vartanの「ニコラNicolas」。


Sylvie Vartan



Non ce n'est rien qu'une chanson qui revient quelquefois 
Rien qu'un sourire, en souvenir d'un garçon d'autrefois
Quand mes jours sont gris
Qu'il neige sur ma vie, il revient dans ma mémoire
Au lycée Français un soir il m'attendait
Il souriait Nicolas

{Refrain:}
Nicolas, Nicolas, ma première larme ne fût que pour toi
On était, des enfants, notre peine valait bien celle des grands
Nicolas, Nicolas, c'était de l'amour, on ne le savait pas
C'est la vie, qui nous prend
Qui nous emmène où elle veut et où elle va

Un homme enfant, aux yeux trop grands, sur un quai, qui pleurait
Il a neigé, beaucoup depuis, sur là bas, sur Paris 
Et il ne sait rien, de moi et de ma vie
Ce que je fais, qui je suis
Il ne connaît pas, l'autre Maritza, il garde la vraie là-bas

Nicolas, Nicolas mon premier chagrin s'appelle comme toi
Je savais, que jamais, je ne reviendrai ici auprès de toi
Nicolas, Nicolas c'était de l'amour, on ne le savait pas
C'est le temps, qui s'en va
Qui invente toutes nos peines et nos joies.
Nicolas, Nicolas, ma première larme ne fût que pour toi
On était des enfants, notre peine valait bien celle des grands
Nicolas, Nicolas, c'était de l'amour, on ne le savait pas
C'est la vie qui nous prend
Qui nous emmène où elle veut et où elle va
 Nicolas, Nicolas.....







シルヴィー・ヴァルタンSylvie Vartanの「ニコラNicolas」は、祖国ブルガリアでのリセ(高校)時代の初恋の男の子ニコラの想い出を歌った美しい曲です。

1979年にリリースされたアルバムDéraisonnableに収録されていますが、原曲はハンガリー語のElmegyekという曲で作詞はS. Nagy Istvan、

作曲・歌唱はMáté Péter。






























































































































































































































































































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五才の頃

2024-07-10 02:36:09 | フォーク&ニュー・ミュージック
桜田淳子


思い出してごらん 五才の頃を
涙流していた 五才の頃を
嘆く訳といえば 只のひとつも
思い出せなくとも 涙の味を

思い出してごらん 五才の頃を
風を追いかけてた 五才の頃を
宝物はいつも 掌のなか
居眠りをしながら 掌のなか

思い出してごらん 五才の頃を
手離しで泣いてた 五才の頃を
嘆く訳といえば 只のひとつも
思い出せなくとも 涙の味を

時は流れ過ぎて 大人になって
涙流しながら 泣けなくなった
思い出してみたら 悲しくなって
泣きだそうとしても 泣き顔がない

思い出してごらん 五才の頃を
手離しで泣いてた 五才の頃を
思い出してごらん 五才の頃を
涙流していた 五才の頃を





子供のころの特別な思い出は何ですか。

友人や家族を訪ねたときのことですか。

初めて歯が抜けたときのことですか。

あるいは,誕生日に贈り物を受け取ったときのことかもしれません。

これらは単純な思い出のように思えるかもしれませんが,幼少期の記憶は,その後の人生の土台を作っているのです。

五才の頃、・・・

たしかに宝物、掌のなかにあったかはともかく、いっぱいあったような気がします。

その宝物、年齢を重ねるごとに減ってゆく、哀しいことかもしれません。

その代償(かわり)でしょうか、想い出は増やしてくれます。

楽しさ、辛さは別にして。













 




























































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祇園小唄

2024-07-09 23:02:10 | 世界の民謡
倍賞千恵子


高田美和


ザ・ピーナッツ


月はおぼろに東山
霞む夜毎のかがり火に
夢もいざよう紅桜
しのぶ思いを振袖に
祇園恋しや だらりの帯よ

夏は河原の夕涼み
白い襟あしぼんぼりに
かくす涙の口紅も
燃えて身をやく大文字
祇園恋しや だらりの帯よ

鴨の河原の水やせて
咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声
枯れた柳に秋風が
泣くよ今宵も夜もすがら
祇園恋しや だらりの帯よ

雪はしとしとまる窓に
つもる逢うせの差向(さしむか)い
灯影(ほかげ)つめたく小夜(さよ)ふけて
もやい枕に川千鳥
祇園恋しや だらりの帯よ




「月はおぼろに東山」の歌い出しで知られる「祇園小唄(ぎおんこうた)」は、1930年(昭和5年)の歌謡曲です。

作詞 長田幹彦、作曲 佐々紅華。

歌詞では、「東山」、「祇園」、「大文字」、「鴨の河原」といった京都の地名や風物詩が散りばめられ、「振袖」、「だらりの帯」、「口紅」などの舞妓さんを

連想させる語句も随所に用いられています。

歌詞で締めに繰り返される「だらりの帯」とは、京都の舞妓が着る振袖のだらり結びにした帯を指します。

見習い期間に姐さん芸妓と茶屋で修業する際は、半分の長さの「半だらり」の帯だとか。

舞妓の初期における髪型は「割れしのぶ」。

店出しから間もない年少の舞妓が結う髷(まげ)で、「ありまち鹿の子」や「鹿の子留め」など特徴的な髪飾りが目を引く華やかで愛らしい髪型です。

「祇園小唄」の歌詞で「しのぶ思いを振袖に」とありますが、この舞妓の髪型の名称と無関係ではないのでしょう。

ところで、祇園ですが、京都市東山区にある、京都の代表的な繁華街及び歓楽街です。

現在の八坂神社は明治以前は祇園社(ぎおんしゃ)と称し、鴨川一帯までの広大な境内地を保有していたため、この界隈のことを祇園と称するのだそうです。

その鳥居前町は元々は四条通に面してましたが、明治以降に鴨川付近から東大路通・八坂神社までの四条通の南北に発展しました。

舞妓がいることでも有名な京都有数の花街であり、地区内には南座(歌舞伎劇場)、祇園甲部歌舞練場、祇園会館などがあります。

現在は茶屋、料亭のほかにバーも多く、昔のおもかげは薄らぎましたが、格子戸の続く家並みには往時の風雅と格調がしのばれます。

北部の新橋通から白川沿いの地区は国の重要伝統的建造物群保存地区として選定、南部の花見小路を挟む一帯は京都市の歴史的景観保全修景地区に指定され、

伝統ある町並みの保護と活用が進んでいるようです。

また、鴨川を西に挟んだ対岸には三条通から四条通にかけて花街である先斗町があり、夏期頃には先斗町のお茶屋、料亭、各レストラン、バーが鴨川納涼床を設置し

風流な光景が広がります。

なお、名の由来となった祇園社(感神院)は祭神の牛頭天王が祇園精舎の守護神とされていたのでこの名になったそうです。

7月の京都は祇園祭一色。

祇園祭は千年以上の歴史を持ち、7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、1か月にわたって多彩な祭事が行われる八坂神社の祭礼です。

なかでも17日(前祭)と24日(後祭)の山鉾巡行、そしてそれぞれの宵山には大勢の人々が訪れ、京のまちは祭りの熱気に包まれます。 













































































































































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さよならの走り書き

2024-07-09 05:22:01 | 由紀さおり
由紀さおり



一枚の便箋に
さよならの走り書き
悲しくて読みやすい
あのひとの文字の癖
小鳥の世話も 
花びんの水も
今日から先は 
私の仕事
いつでもそこに 服かけた
柱のくぎを 見つめて泣いた
別れはこんなものと
理屈では分かるけど
こみあげる淋しさは
どうすればいいのやら

ライターで火をつけた
さよならの走り書き
灰皿で燃えている
あのひとの愛や夢
枕もひとつ 毛布もひとつ
添い寝の味を 忘れましょうね
小びんの底の 残り酒
コップに空けて 寝酒にするわ
別れはこんなものと
理屈では分かるけど
つきまとう想い出を
どう消せばいいのやら




「走り書き」は、本格的な文章や仕上げた書き物ではなく、アイデアやメモを素早く書き留めるための手段として使用されます。

例えば、会議中に思いついたアイデアを発言する前に走り書きして整理したり、旅行中に見かけた景色や感動したことをメモするために

走り書きを行ったりすることがあります。

走り書きは、その名の通り急いで書くため、一時的なメモやアイデアをとる際に非常に役立つ表現方法となっています。

「走り書き」という言葉は、古くから日本に存在していましたが、その由来は明確ではありません。

一説によると、急いで書く様子から「走り書き」の表現が生まれたと言われています。

また、練習や下書きの際に手を素早く動かすため、書く動作を「走る」と表現することもあるため、それが語源となったとも考えられています。

いずれにしても、走り書きは手短で素早い表現方法であり、日本独特の書き方として親しまれているようです。





















































































































































































































































































































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おもいで河

2024-07-09 00:04:08 | 中島みゆき
中島みゆき




涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この心 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

おもいで河へと 身を投げて
 もう 私は どこへも流れない







涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない


さて、おもいで河というものが、どこにあるのかが問題なんですが、それより前に、まず涙の国というのは、どこにあるのでしょうか。

涙の国から吹く風は、ひとつ覚えのサヨナラを繰り返すということで、ひょっとしたら、これがヒントになっているのかもしれません。

サヨナラを繰り返すということは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。

…ということは、映画評論家の淀川長治さん?

はい、また、お会いしましたねぇ~(笑)

とうことで、ひょっとして、サヨナラを繰り返す風が川面を渡るという、おもいで河は、大阪を貫流する淀川の流域にあるのかもしれません。(笑)

でも、淀川さんは1998年に、89歳で亡くなってるんですねぇ、またお会いしたら、怖いですねえ、恐ろしいですねえ、それでは、またお会いしましょう、

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…。(笑)

近くの人は、こんどの休みにでも、淀川の河川敷にいって、淀川さんを探してみてくださいな。(笑)

また、サヨナラを繰り返すということですが、カタカナでなく、ひらがなもOKならば、さよなら~さよなら~さよならあぁぁ~もうすぐ外は白~い冬…と、

上流からハイトーンの声が流れてくる小田和正さんを聞けば、なにかヒントが見つかるのでしょうか。(笑)

そして、もっと大事な言葉は、砂の船です。

これは中島みゆきさん自身が、ヒントを出してくれています。

僕はどこへゆくの
夢を泳ぎ出て
夢を見ない国をたずねて
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく
                   「砂の船」 中島みゆき

つまり、みゆき姉さんがおっしゃるには、涙の国から、砂の船に乗って、おもいで河をとおって、夜の海に出て、夢を見ない国へ向かうらしいのです。

ということは、この経路をたどっていけば、おのずとおもいで河が分かるに違いありません。

これで、結論が出ましたね。

えっ、納得できない?

まっ、人生の中で、なかなか納得のいく結論というものには、たどりつかないものです。(笑)

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない


一方が、納得のいく結論を得るために、悩みに悩み抜いている間に、他方は、さっさと結論を出して、木の葉よりも軽やかに流れ去ってしまいます。

恋の終りはいつもいつも
たちさるものだけが美しい
残されてとまどうものたちは
追いかけてこがれて泣き狂う
                   「わかれうた」 中島みゆき

たちさることを決めた相手は、ただ去り際の美しいポーズだけを考えればいいのに対し、その結論を納得せずに、いまなお修復を考えているものは、

相手よりも自分を責めながら、悩み、苦しみます。

しかし、この場合、もはや、相手との関係において、納得のいく結論を得ることは不可能であり、残る道はただひとつ、自分で自分を説得するしかありません。

これは恋愛関係に限らず、また対人関係に限らず、相手が、運命や宿命という、不可視で不可逆なものに対しても、あてはまります。

悲しいですね 人は誰にも
明日流す涙が見えません
別れる人と わかっていれば
はじめから寄りつきもしないのに
                  「ほうせんか」 中島みゆき

もはや抗うこともできない状況ならば、ただ無条件にこの現実を受けいれるほかはなく、ただ残されたひとつの希望として、状況が将来において変化する、

ときを待つべきでしょう。

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり 飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この心 深くなる


ところで、ギリシャ神話の中には、おもいで河ならぬ忘却の河というのがあります。

またの名を、レーテ河ともいい、この河の水を飲むと生前の悩みや苦しみをすべて忘れる事ができるといわれます…が…。
 
 …生前の、ということは、忘却の河は、この世にある川ではなく、冥府にある河の名前で、すなわち、この世とあの世に横たわるといわれる三途の川を渡って、

死後の世界で出会う河なのです。

たしかに、想い出すのもつらいようななときには、おそらくは、この世にあると思われる、おもいで河よりも、冥府にある忘却の河、

その河の水を飲み干したいような衝動にかられることがあるでしょう。

忘却の河の向こうからは、はやくここにおいで、すべて忘れて楽になるよ、なんて、優しく呼びかける声が聞こえるかもしれません。

春秋に富むはずの青年の自殺や、分別をわきまえたはずの中高年の自殺が増加しているのは、その衝動や誘惑に負ける精神や知力の脆弱性が増しているからかも

しれません。

でも、ちょっと待ってください。

おもいで河は、たしかに、いまは暗くて深く、心を沈めていくだけの存在なのかもしれません。

でも、よく、思い出してください。

ずっと昔の頃のことを。

そのときにも、いまとは違うけれど、きっと、つらかったこともあったはずです。

でも、いまではそれが、懐かしく、甘酸っぱく、おもかげ色に染まったおもいでたちになっていませんか。

そんな川面にきらきらと輝く光のようなおもいでたちも、それも、やはりおもいで河にあるのです。

おもいで河は、そのときどきに、さまざまに変わっていく河ですが、忘却の河は、すべてを忘れさせてくれますが、でも、それはすべてを無にしてまう、

なにもかも無くしてしまう河なのです。

たったひとつの楽しい想い出さえも、ささやかだけど、ほほえましい想い出さえも、忘却の河は、すべてを無くさせて、奪っていってしまいます。

忘却の河には、このおもいでだけは、残しておきたいということは、かないません。

すべてを無にして、空しくしてしまうのです。

そして、忘れてしまいたいことも、忘れたくないことも、すべてが流れているのが、おもいで河なのです。

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない


おもいで河を怖れることはありません。

おもいで河へと身を投げて、深く、深く、どこまでも沈み込んでみましょう。

おもいで河が、案外に明るく、存外に浅く、意外に心地よいと感じることもあるものです。

それはつまりは、おもいで河が、決してよそにあるものではなく、あなたより生まれて、そして、あなたを生み出し、あなたを育て、あなたとともに生きて、

包み込んでくれる存在だからなのです。

それは、いわば、あなたの心のふるさとに流れている河なのです。

さあ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

おもいで河へと身を投げて、深く、深く、どこまでも沈み込んでみましょう。

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない


忘れてしまいたいつらいおもいで、忘れきれない切ないおもいでを、いつか、おもいで河の中で、懐かしく思い出している自分にきっと出会えるのです。

いまを一所懸命生きてさえいれば…。






















































































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ルームライト

2024-07-08 03:19:04 | Jポップス
由紀さおり




吉田拓郎


あなたが運転手に道を教えはじめたから
私の家に近づいてしまった
あの薬屋の角を左に曲がると
車はもうすぐ止まり私はおりる
ルームライトにボンヤリ
あなたの横顔がみえる
そのせいじゃなく 疲れてるみたい
 
車はこのままずっと走りつづけてはくれない
私の家に近づいてしまった
あの薬屋の角を左に曲がると
車はスピードゆるめ私はおりる
忙しさがすっかり
あなたを疲れさせてしまい
もう話すことさえ 辛いんだなんて
 
あなたが私の手を軽くにぎってくれる頃
私の家が近くなった
この薬屋の角を何回曲っただろう
車はもうすぐ止まり私はおりる
ルームライトにボンヤリ
あなたの横顔がみえる
もう送られることにも なれてしまった






都議補選で自民党は2勝6敗、勝敗ライン4大きく下回る…萩生田前政調会長の地元・八王子も落とす

東京都知事選に合わせて都議補欠選挙も7日、江東区、品川区、中野区、北区、板橋区、足立区、八王子市、府中市、南多摩(多摩市・稲城市)の9選挙区(各欠員1)で投開票され、8選挙区に候補を擁立した自民党は6選挙区で敗退した。「4勝以上」とした勝敗ラインを大きく下回り、岸田政権にとっては痛手となりそうだ。(読売新聞)


都議補選の結果は、岸田政権と言うよりも、自民党にとって大きな痛手になりそうですよね。

次期衆院選までに起死回生の政策を訴えないと野党に政権を取られることにも。

ルームライトにボンヤリ

岸田さんのの苦顔がみえる

いやいや、そんな神経も持ち合わせていないのが岸田さん。(笑)












































































































































































































































 

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まほろば

2024-07-07 01:45:40 | さだまさし
さだまさし





春日山から飛火野辺り
ゆらゆらと影ばかり泥む夕暮れ
馬酔木の森の馬酔木に
たずねたずねた 帰り道

遠い明日しか見えない僕と
足元のぬかるみを気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに
黙り黙った 別れ道

川の流れは よどむことなく
うたかたの時 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日
再び戻る今日は無い

例えば君は待つと
黒髪に霜のふる迄
待てると云ったがそれは
まるで宛て名のない手紙

寝ぐらを捜して鳴く鹿の
後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
馬酔の枝に引き結ぶ
行方知れずの懸想文

二人を支える蜘蛛の糸
ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
君を捨てるか僕が消えるか
いっそ二人で落ちようか

時の流れは まどうことなく
うたかたの夢 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日
再び戻る今日は無い

例えば此処で死ねると
叫んだ君の言葉は
必ず嘘ではない
けれど必ず本当でもない

日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹よし平城山の空に満月





春日山から飛火野辺り
ゆらゆらと影ばかり 泥む夕暮れ


「飛火野」を「とぶひの」と、あっさり読まれた方は、大和路の旅に慣れた方か、または国文学の記紀歌謡に造詣の深い方か、あるいは、

かなりのさだまさしファンでしょうか。(笑)

ところで、私事ながら、マスターも以前、まぁ、本当言うと、ず~っと昔になりますが(笑)、奈良の学園前に住んだことがあったので、奈良公園や、

春日大社参道の南側に広がるこの「飛火野」地域はよく遊びに行ったものです。

そして、地元では、この「飛火野」を、「とぶひの」と読まず、「とびひの」と読むのが一般的でしたので、この曲を聴いたときは、あれ?って、

どっちが正しいのかなと思ったものです。

「飛火」の字が当てられていますが、ほんとは「烽」の字を当てるらしく、「烽-とぶひ」は、いわゆる「烽火-のろし」のことで、律令制のもとで、

外敵の襲来などの変事を都に急報するための、のろしの設備が置かれたというのが地名の由来らしいです。

ちなみに、「泥む」というのは、もちろん、「どろむ」とは読まないように・・・って、普通は読まないかな。(笑)
 
贈る言葉の「♪暮れなずむ町の~♪」の「なずむ」が「泥む」なんですが、とにもかくにもほんとに、さださんの歌詞について語るには、右に国語辞典、

左に漢和辞典が必要です。

あっ、左右はあまりこだわらないでください。(笑)

右に橘、左に桜を置くかを気にするよりは、国語辞典、漢和辞典とそろえてから、古語辞典をどこに置くかで、悩んでください。(笑)

もっとも、さださんに言わせれば、関白から失脚した亭主は、右に定期券、左に生ごみを持って、毎朝、仕事に出かけるのだそうですが。(笑)

馬酔木の森の馬酔木に
たずねたずねた 帰り道


「馬酔木の森の馬酔木」に、歌を聴かないで、振り仮名無しに、単に漢字だけでこの歌詞を読めば、何とも分かりにくいと思います。

「馬酔木」は、もちろん、「うまよいぎ」でも「ばすいもく」でもなく、通常は、「あせび」、または地域によっては「あしび」と読みます。

だから、「あせびのもりのあせびに」、「あしびのもりのあしびに」と読めますが、なんとも、危険が危ないような読み方になります。(笑)

正解は、これは、読みがなで書けば、「あせびのもりのまよいぎに」となります。

馬酔木の花は万葉時代を代表する古典の花と言われ、花はスズランに似た白色壷状の小花で、花蕾は前年の夏からできて越冬して、

早春から晩春までの長い間、開花しています。

牛馬がこの花を食べれば、その含まれる成分によって酔ったようになるということで、馬酔木の字が当てられたようです。

さださんは、まえの「馬酔木」を「あせび」と読み、うしろの「馬酔木」を、馬が酔う木、「ま・よい・ぎ」と読ませて、まよい・・・迷い、

と掛けているわけです。

さださんの歌詞には、時として、言葉遊びとも思える語彙の使用が見られ、もちろん遊びとは言え、前提として、それだけボキャブラリーが

豊かでなくてはならないし、それ以上に、感性が研ぎ澄まされていなくてはならないのは言うまでも無いことです。

遠い明日しか見えない僕と
足元のぬかるみを気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに
黙り黙った 別れ道


さて、奈良の春日山から飛火野にかけては、小道が通じていて、この道には、「ささやきの小径」としゃれた名前がついてます。

馬酔木の森の中を抜けていく、恋人たちの散歩道といった風情のある道で、春先など、馬酔木の花の香りで、馬でなくても、酔ってしまいそうです。

馬が酔うのなら、奈良公園にいる鹿も酔うんじゃないの、なんて、なんて、ささやかないでくださいね。

それこそ、馬鹿といわれますよ。(笑)

さて、途中、大きな藤の大木などもあって、紫の藤の花越しに見える春日山原生林に見とれていたりして・・・。

ひとたび足元を見ると、ぬかるみはなくても、鹿のフンがコロコロと、いっぱい落ちていたりして、スニーカーの先にちょこんとついていたりします。(笑)

まあ、気に病むほどのことじゃないと思うのですが、フン・フン・フン・鹿のフンなんて思ってたら、(`へ´) 踏んだ!!!ってことになりますかね。(笑)

川の流れは よどむことなく
うたかたの時 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日
再び戻る今日は無い


ここでさださんは、いわゆる本歌取りの手法で、無常を強調しているわけですが、秀逸なのは、後半の、昨日は昨日、明日は明日、という体言止の言い切り、

そしてその論理的な帰結として、再び戻る今日は無いという、結論を導き出しています。

たしかに、明日は明日。

明日しようと思うことが、かならず明日できるとは限らなく、明日言おうと思ったことが、明日かならず言えるか分からないのです。

再び戻る今日はなく、今日しなければならないことは、今日を置いてほかにはなく、今日言わなければならないことは、今日言わなければなりません。

それが厳然たるときの流れであり、そしてその、ときの流れにそって、粛々と歩いていかなければならないのが人生、そして宿命なのです。

例えば君は待つと
黒髪に霜のふる迄
待てると云ったがそれは
まるで宛名の無い手紙

     
さて、この「黒髪に霜・・・」ですが、「黒髪が白髪になるまで待っている」という、つまり、来ない彼氏を、白髪の老婆になっても待っているという

鬼気迫るような解釈が正解なのでしょうか。(笑)

それとも、単に、気象的に、「霜が降りる夜まで夜通し待っている」・・・という解釈なのでしょうか、どちらにしても、結構、恐いものがあります。(笑)

寝ぐらを捜して鳴く鹿の
後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
馬酔の枝に引き結ぶ
行方知れずの懸想文(けそうぶみ)


奈良公園の鹿は、春日大社の神鹿(しんろく)と言われていますが、神社が飼っているわけではなく、国の天然記念物に指定されていますが野生の鹿です。

ですから、寝ぐらも、東大寺や春日大社周辺、若草山や飛火野などで寝ることが多いようです。

マスターは、夏休みに鹿と一緒に寝て、枕投げして遊んだ記憶・・・はもちろん、ありません。(笑)

     びぃと啼く 尻声悲し 夜の鹿
                              松尾芭蕉

鹿が啼くのは、寝ぐらを捜しているからではなく、牡鹿が牝を呼ぶために啼いているのです。

つまりは、発情期の軟派(ナンパ)しているときの鳴き声なんですが、なにか物悲しく聞こえます。

鹿の懸想文(恋文)だからでしょうか。(笑)

ところで、鹿せんべいを食べたことありますか?

おいしそうな色をしていて、もちろん、鹿は、お辞儀してねだるくらい大好物なんですが、米ぬかと飼料を混ぜ合わせて、なんともいえぬ味です。

大阪のやんちゃな子たちは、奈良公園の遠足のときに、多分、みな経験済みでしょうね。(笑)

二人を支える蜘蛛の糸
ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
君を捨てるか僕が消えるか
いっそ二人で落ちようか


奈良には、いわゆる大和三山と呼ばれる山があり、つまりは畝傍山(うねびやま)、香久山(かぐやま)、耳成山(みみなしやま)です。

いずれも標高200mに満たない低い山なので、いわゆる額田王をめぐる天智天皇(中大兄皇子)と、天武天皇(大海人皇子)との三角関係伝説などを

織り交ぜて語りながら、ハイキングとして散策できます。

     香具山は畝傍を愛しと
     耳成と相争ひき
     神代よりかくにあるらし
     いにしえもしかにあれこそ
     うつせみもつまを争うらし
                 中大兄皇子 「万葉集」

しかし、夫婦、恋人と行くときには、あなたもそうだったわよねぇ、なんて、話がうつせみ(現実)の話に展開されないよう、注意が必要です。(笑)

いつのまにか春日山から飛火野を通り過ぎ、はるか山之辺の道に入って、大和三山までご案内しましたので、帰りのついでに、三輪山もご案内しましょうか。
(笑)

三輪山は、山を御神体として、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る三輪神社があります。

全国的には、神社より、三輪そうめんでおなじみかもしれませんが、三輪神社を大神(おおみわ)神社とも呼ぶように、神様の中の大神様が、大物主神であり、

出雲の大国主神の国造りを手伝ったとされる神様です。

ということは、いつぞや、ギリシャ神話の大神ゼウスのお話をしたことがありますが、やはり、偉大な神様というのは、かなりなんですね。(笑)

古事記によると、活玉依媛(イクタマヨリヒメ)という独身女性が妊娠して、名前も知らない男性が夜這いをしていたからということが分かり、

両親が床に赤土を撒いて、娘にその男性の衣に麻糸を通した針をつけさせて素性を調べることにしました。

さて、男性が来た翌日、その赤土にまみれた糸をたどってみると、なんと、三輪山に続いており、男性が大物主神であることが分かったといいます。

そう、ふたりを結んだのは、蜘蛛の白い糸ならぬ、赤土にまみれた、赤い糸だったのです。

赤い糸の伝説は、こうして生まれました。

嘘ではありません、ほんと。(笑)

例えば此処で死ねると
叫んだ君の言葉は
必ず嘘ではない
けれど必ず本当でもない 


まあ、嘘ではないけれど、本当でもない、諸説がある、そういうことって、やはり、神の世でない人の世には多いことかもしれません。

信じるものは・・・救われもしますが・・・、騙されもしますが、かといって、疑えば、またきりがないのなら、騙されていると思いつつも、

信じるほうが幸せなのかもしれません。

つまりは、真実はひとつなのかもしれないし、人の数ほど真実があるのかもしれません。

日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹(あおに)よし 平城山の空に満月


さて、今回は、長々と話し込んでしまいました。

それでは、また、三輪駅から、JR桜井線で、天理を通って、奈良まで戻ることにしましょう。

とうことで、京の終わりから、最後は、やはりかっての奈良の中心部である、平城京、まほろばの話をして終わりましょう。

なんか、強引な終わり方ですが。(笑)

えっ、馬酔木に酔う馬、せんべいを喰らう鹿が出てきて、最後は、魔法を使うろば、まほろばの話なの?なんて、思う人はいませんよね、・・・たぶん、・・・

おそらく、でも、まぁ、ちょっとはいるかも。(笑)

     やまとは 国のまほろば たたなづく
     青垣 山ごもれる やまとしうるはし
          日本武尊(やまとたけるのみこと)-「古事記」

ということで、国のまほろば、平城山(ならやま)の空に、ひときわ大きな満月が~っ・・・て・・・えっ、ところで、平城山って、どこにあるのかって。

そうなんですょ、わたしも、ご幼少の頃から探してるんですが、どこにあるかよく分かりません。(笑)

ということで、平城山検索隊。(笑)

そうしたら、北見志保子作詞、平井康三郎作曲の「平城山」という曲を発見しました。

     人恋ふは 悲しきものと 平城山に
     もとほり来つつ たえ難かりき
     
     古も 夫に恋いつつ 越えしとう
     平城山の路に  涙落としぬ

学校で音楽の時間に習ったような記憶がありますが、結構、意味深な歌詞だったのですね。(^^ゞ

で、結局、平城山なんですが、山というよりも、平城京の丘陵地帯を指すらしいのです。

ちなみに、JR奈良駅から、JR関西本線で京都方面に向かって、一つ目の駅にJR平城山駅というのがあり、次の駅は木津駅で、ここはもう京都になります。

ちなみに、JR平城山駅の南にある古墳が、ヒシアゲ古墳と呼ばれる前方後円墳で、これが、仁徳天皇の皇后磐之姫の御陵とされています。

同じく前方後円墳で、世界最大の墓とされる仁徳天皇陵が大阪府堺市にありますので、こんなに離れていては、平城山の空に満月は、なかなか

かからないかもしれませんね。(笑)

ということで、あっけなく、それでは、さよう奈良!っと。(笑)



































































































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悪女

2024-07-06 16:46:47 | 中島みゆき
中島みゆき 


マリコの部屋へ 電話をかけて
男と遊んでる芝居 続けてきたけれど
あのこもわりと 忙しいようで
そうそうつきあわせてもいられない

土曜でなけりゃ 映画も早い
ホテルのロビーも いつまで居られるわけもない
帰れるあての あなたの部屋も
受話器をはずしたままね 話し中

※悪女になるなら 月夜はおよしよ
素直になりすぎる
隠しておいた言葉がほろり
こぼれてしまう 「行かないで」
悪女になるなら
裸足で夜明けの電車で泣いてから
涙 ぽろぽろ ぽろぽろ
流れて 涸れてから※

女のつけぬ コロンを買って
深夜のサ店の鏡で うなじにつけたなら
夜明けを待って 一番電車
凍えて帰れば わざと捨てゼリフ

涙も捨てて 情も捨てて
あなたが早く私に 愛想を尽かすまで
あなたの隠す あの娘のもとへ
あなたを早く 渡してしまうまで

(※くり返し)






1981年、空前の大ヒットを記録した中島みゆきさんの「悪女」、オリコン1位を獲得するなど異例の大ヒットでした。

曲のタイトルは、「悪女」の一言ですが、悪女になりきれない女性の切ない心を歌った曲です。

彼氏に好きな子ができたみたい、私はもう好きで好きでしかたがないけど、別れの気配。

自分からは別れを切り出せない・・・

優しい彼のためにも、いっそのこと悪女になって愛想を尽かされたほうがいい。

でも時に素が出てしまい悪女になりきれない自分、・・・

男にとっては理解できない感情かもしれません、とくにマスターにとってはですが。(笑)

ただ、マスターの人生観から言いますと、歌詞に登場する悪女は男を「好きになる」タイプで、男に「惚れる」というタイプではないような気がします。

あれ?「好き」と「惚れる」、一緒じゃないの。

と思われる方、おられるかもですが、明らかに相違点があります。

それは、「好き」には「嫌い」という反対語があるの対して、「惚れる」には反対語がないという点です。

 どっちが良いかは微妙かもしれませんが。(笑)









































































































































































































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東京砂漠 

2024-07-05 21:38:00 | Jポップス
八代亜紀


ちあきなおみ 


前川清



空が哭いてる 煤け汚されて
ひとはやさしさを どこに棄ててきたの
だけどわたしは 好きよこの都会(まち)が
肩を寄せあえる あなた…あなたがいる
あなたの傍で あゝ暮らせるならば
つらくはないわ この東京砂漠
あなたがいれば あゝうつむかないで
歩いて行ける この東京砂漠

ビルの谷間の 川は流れない
人の波だけが 黒く流れて行く
あなた…あなたに めぐり逢うまでは
そうよこの都会(まち)を 逃げていきたかった
あなたの愛に あゝつかまりながら
しあわせなのよ この東京砂漠
あなたがいれば あゝあなたがいれば
陽はまた昇る この東京砂漠

あなたがいれば あゝあなたがいれば
陽はまた昇る この東京砂漠

あなたがいれば あゝあなたがいれば
陽はまた昇る この東京砂漠





「東京砂漠」は、昭和39年(1964)に発生した東京大渇水の際に生まれた言葉です。

その年の6月は空梅雨で、雨がほとんど降らなかったうえに、7月に入ると、東京では摂氏31度以上の日が1か月も続き、明治14年以来という猛暑を記録、

空前の水不足となりました。
 
その状態は、利根川・荒川からの導水が突貫工事で8月25日に完成するまで、約3か月も続きましたが、こうした状態を「東京砂漠」と表現したとされています。

今、若い方の話題の女性と言えば橋本環奈さんと趣里さん。

ある年代層では小池さんと蓮舫さん。(笑)

そんな日本、今は砂漠状態かも知れません。

































































































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