リンゴの花が咲いていた

2024-07-11 06:26:07 | Jポップス
藤 圭子 



森昌子 



リンゴの花が 咲いていたよ
別れの駅は 遠かったよ
さようなら さようなら
おさげの人は 見えなくて
花だけ白い 花だけ白い 道だったよ

お城が空に 浮いていたよ
お岩木山は 月だったよ
さようなら さようなら
好きだと知った そのあとの
瞼にしみる 瞼にしみる 夜だったよ

リンゴの花が 咲いていたよ
リンゴのような 人だったよ
さようなら さようなら
心の中で 呼びかける
津軽は夢の 津軽は夢の 国だったよ





原曲は、1966年7月発売された佐々木新一「リンゴの花が咲いていた」でした。



佐々木 新一  




リンゴ、その名称は、平安時代の辞書『和名類聚抄』に「利宇古宇(りうこう、りうごう)」としてリンゴが記述されており、これが転訛したものと

言われています。

花言葉は、「優先」「好み」「選択」

その他

リンゴの実

「誘惑」「後悔」

リンゴの木

「名誉」


花言葉の「優先」は、リンゴの美しい花が後の有益な果実の先触れであること。

「選択」の花言葉は、ギリシア神話のトロイア戦争の原因となった「パリスの審判」にちなむと言われています。

実の花言葉の「誘惑」「後悔」は、ヘビにそそのかされたイヴとアダムが禁断の果実を食べ、エデンの園を追放されたという旧約聖書の『創世記』に由来。

神によって創造された人類の始祖アダムとイヴは、エデンの園で、神に禁じられていた「知恵の木の実」(善悪の知識をもたらすいわゆる「禁断の果実」)を

食べてしまいます。

蛇がイヴをそそのかし、イヴが先に食べ、アダムにも実を渡したのです。

その結果彼らは楽園を追放されました。

「失楽園」です。

キリスト教はこれを人間の「原罪」の起源とみなします。
 
この「禁断の果実」、いつのまにか「リンゴ」だということになりました。

食べたアダムとイヴは、突然、自分たちが裸であることに羞恥を覚えて、イチジクの葉で陰部を隠します。

つまり彼らは、たがいが男であり女であること、性的欲望をもって互いを求める性的存在であることに覚醒したのです。

「知恵の木の実」の「知恵」は「善悪の知識」だということになっていますが、このとき彼らは、「善悪」よりも先に、性的存在として、恋愛をこそ知ったのだ、

だから羞恥を覚えたのだ、というのが私マスターの解釈です。

(「知恵の木の実」を禁じていたユダヤの神は、たぶん、人間に、自分たちが性的存在であること、つまりは神でなく人間であることを、知らせたくなかったのでしょう。)
 
つまり、このエピソードは、「恋愛」の起源です。

人類の始祖同士による人類の「初恋」なのです。

そして人類の始祖による「初恋」は、神の計画にそむく初めての「罪=原罪」だったのです。
 

(「神」でないことを知った彼らはエデンの園を追放されます。失楽園です。

そして、追放されたときから、男は労働の、女は妊娠出産の、苦痛を背負うことになります。

なぜ? 永遠の生命を失い、死なねばならなくなったからです。

生殖によって子孫を残さなければならなくなったからです。

生殖=結婚するために、男と女は「恋愛」をしなければならなくなったからです。

ほら、だからこれは人類の始祖による「初恋」であり、初めての「罪」だったのです。)
 
このとき、イヴがアダムにリンゴの実を差し出しました。

人間の男が女の差し出す「薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめ」でした。
 
藤村の「初恋」で、「君」が「われ」に「やさしく白き手をのべて」リンゴを与えるのは、イヴとアダムの起源の行為を反復しているのです。
 
それなら、無邪気にして清純な「初恋」を謳ったとされる藤村の詩の背後にも、「恋=罪」という観念が隠されているかもしれません。

結婚が「家」存続のためだった時代です。

「自由恋愛」はたしかに「家」からの逸脱可能性を秘めた「罪」でした。

「恋」を知り初めた若い二人は「罪」をも知り初めたのです。



























































































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