おもいで河

2024-07-09 00:04:08 | 中島みゆき
中島みゆき




涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この心 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

おもいで河へと 身を投げて
 もう 私は どこへも流れない







涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない


さて、おもいで河というものが、どこにあるのかが問題なんですが、それより前に、まず涙の国というのは、どこにあるのでしょうか。

涙の国から吹く風は、ひとつ覚えのサヨナラを繰り返すということで、ひょっとしたら、これがヒントになっているのかもしれません。

サヨナラを繰り返すということは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。

…ということは、映画評論家の淀川長治さん?

はい、また、お会いしましたねぇ~(笑)

とうことで、ひょっとして、サヨナラを繰り返す風が川面を渡るという、おもいで河は、大阪を貫流する淀川の流域にあるのかもしれません。(笑)

でも、淀川さんは1998年に、89歳で亡くなってるんですねぇ、またお会いしたら、怖いですねえ、恐ろしいですねえ、それでは、またお会いしましょう、

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…。(笑)

近くの人は、こんどの休みにでも、淀川の河川敷にいって、淀川さんを探してみてくださいな。(笑)

また、サヨナラを繰り返すということですが、カタカナでなく、ひらがなもOKならば、さよなら~さよなら~さよならあぁぁ~もうすぐ外は白~い冬…と、

上流からハイトーンの声が流れてくる小田和正さんを聞けば、なにかヒントが見つかるのでしょうか。(笑)

そして、もっと大事な言葉は、砂の船です。

これは中島みゆきさん自身が、ヒントを出してくれています。

僕はどこへゆくの
夢を泳ぎ出て
夢を見ない国をたずねて
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく
                   「砂の船」 中島みゆき

つまり、みゆき姉さんがおっしゃるには、涙の国から、砂の船に乗って、おもいで河をとおって、夜の海に出て、夢を見ない国へ向かうらしいのです。

ということは、この経路をたどっていけば、おのずとおもいで河が分かるに違いありません。

これで、結論が出ましたね。

えっ、納得できない?

まっ、人生の中で、なかなか納得のいく結論というものには、たどりつかないものです。(笑)

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない


一方が、納得のいく結論を得るために、悩みに悩み抜いている間に、他方は、さっさと結論を出して、木の葉よりも軽やかに流れ去ってしまいます。

恋の終りはいつもいつも
たちさるものだけが美しい
残されてとまどうものたちは
追いかけてこがれて泣き狂う
                   「わかれうた」 中島みゆき

たちさることを決めた相手は、ただ去り際の美しいポーズだけを考えればいいのに対し、その結論を納得せずに、いまなお修復を考えているものは、

相手よりも自分を責めながら、悩み、苦しみます。

しかし、この場合、もはや、相手との関係において、納得のいく結論を得ることは不可能であり、残る道はただひとつ、自分で自分を説得するしかありません。

これは恋愛関係に限らず、また対人関係に限らず、相手が、運命や宿命という、不可視で不可逆なものに対しても、あてはまります。

悲しいですね 人は誰にも
明日流す涙が見えません
別れる人と わかっていれば
はじめから寄りつきもしないのに
                  「ほうせんか」 中島みゆき

もはや抗うこともできない状況ならば、ただ無条件にこの現実を受けいれるほかはなく、ただ残されたひとつの希望として、状況が将来において変化する、

ときを待つべきでしょう。

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり 飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この心 深くなる


ところで、ギリシャ神話の中には、おもいで河ならぬ忘却の河というのがあります。

またの名を、レーテ河ともいい、この河の水を飲むと生前の悩みや苦しみをすべて忘れる事ができるといわれます…が…。
 
 …生前の、ということは、忘却の河は、この世にある川ではなく、冥府にある河の名前で、すなわち、この世とあの世に横たわるといわれる三途の川を渡って、

死後の世界で出会う河なのです。

たしかに、想い出すのもつらいようななときには、おそらくは、この世にあると思われる、おもいで河よりも、冥府にある忘却の河、

その河の水を飲み干したいような衝動にかられることがあるでしょう。

忘却の河の向こうからは、はやくここにおいで、すべて忘れて楽になるよ、なんて、優しく呼びかける声が聞こえるかもしれません。

春秋に富むはずの青年の自殺や、分別をわきまえたはずの中高年の自殺が増加しているのは、その衝動や誘惑に負ける精神や知力の脆弱性が増しているからかも

しれません。

でも、ちょっと待ってください。

おもいで河は、たしかに、いまは暗くて深く、心を沈めていくだけの存在なのかもしれません。

でも、よく、思い出してください。

ずっと昔の頃のことを。

そのときにも、いまとは違うけれど、きっと、つらかったこともあったはずです。

でも、いまではそれが、懐かしく、甘酸っぱく、おもかげ色に染まったおもいでたちになっていませんか。

そんな川面にきらきらと輝く光のようなおもいでたちも、それも、やはりおもいで河にあるのです。

おもいで河は、そのときどきに、さまざまに変わっていく河ですが、忘却の河は、すべてを忘れさせてくれますが、でも、それはすべてを無にしてまう、

なにもかも無くしてしまう河なのです。

たったひとつの楽しい想い出さえも、ささやかだけど、ほほえましい想い出さえも、忘却の河は、すべてを無くさせて、奪っていってしまいます。

忘却の河には、このおもいでだけは、残しておきたいということは、かないません。

すべてを無にして、空しくしてしまうのです。

そして、忘れてしまいたいことも、忘れたくないことも、すべてが流れているのが、おもいで河なのです。

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない


おもいで河を怖れることはありません。

おもいで河へと身を投げて、深く、深く、どこまでも沈み込んでみましょう。

おもいで河が、案外に明るく、存外に浅く、意外に心地よいと感じることもあるものです。

それはつまりは、おもいで河が、決してよそにあるものではなく、あなたより生まれて、そして、あなたを生み出し、あなたを育て、あなたとともに生きて、

包み込んでくれる存在だからなのです。

それは、いわば、あなたの心のふるさとに流れている河なのです。

さあ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

おもいで河へと身を投げて、深く、深く、どこまでも沈み込んでみましょう。

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない


忘れてしまいたいつらいおもいで、忘れきれない切ないおもいでを、いつか、おもいで河の中で、懐かしく思い出している自分にきっと出会えるのです。

いまを一所懸命生きてさえいれば…。





















































































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