夕暮れ時はさびしそう

2024-07-15 16:12:56 | NSP
NSP

田舎の堤防 夕暮れ時に
ぼんやりベンチにすわるのか
散歩するのもいいけれど
よりそう人が欲しいもの
あの娘がいれば 僕だって
淋しい気持ちにゃならないさ
まわりの暗さは僕たちのため
あの娘が来るのを待っている
夕暮れ時はさみしそう
とっても一人じゃいられない

夕焼け雲さん 伝えてくれよ
あの娘のお部屋の窓ぎわへ
虫にさされるのはいやだけど
肩を並べていたいよと
こんな河原の夕暮れ時に
呼びだしたりして ごめんごめん
笑ってくれよ ウフフとね
そんなにふくれちゃいやだよ
夕暮れ時はさみしそう
とっても一人じゃいられない

夕暮れ時はさみしそう
とっても一人じゃいられない

おうちの人におこられるかな
呼びだしたりして ごめんごめん
もうちょっとだけ 一緒にいよう
帰りたいなんて言わないで
そうか 君は笑うのが
へたになっちゃったんだね
あんまり僕を困らせないで
そろそろ笑ってくれよ
こんな河原の夕暮れ時に
呼びだしたりして ごめんごめん
笑ってくれよ ウフフとね
そんなにふくれちゃいやだよ
夕暮れ時はさみしそう
とっても一人じゃいられない・・・






朝日も夕日と同じような距離にあると思うのですが夕焼けのように空が真っ赤になることはありませんよね。

なぜでしょう?

夕焼けはなぜ赤い?

う~ん、難しいですね、思いつくのは大気の温度差とか、大気中の塵の多寡かも知れません。  

その日の一日の終わり、夕暮れどきって、秋にかぎらず、春夏秋冬、いつでもさびしそうです。

でも、秋の日の夕暮れは、確かに格別。

夏の日の想い出たちが遠ざかるにつれて、確実に、夕暮れが早くなっていき、また気温も急激に下がっていくからでしょうか。

田舎の堤防 夕暮れ時に
ぼんやりベンチに すわるのか
散歩するのも いいけれど
よりそう人が 欲しいもの


堤防沿いの道は、夕陽が落ちていくのが間近に見えて、川面にキラキラと、夕陽が照り返して、川面を渡る風は冷たくなっていきます。

完璧に、人肌のぬくもり、人恋しくさせる舞台設定ですね。(笑)

若いときに、こんなデートコースが思い浮かんでいたら、人生は変わっていたかもしれません。

あの娘がいれば 僕だって
さびしい気持にゃ ならないさ


「あの娘」って言い回しが好きです。

あの子ではなく、あの娘って書く。

女偏に良いと書いて娘。

「鬼も十八、番茶も出花」の頃ですよね。

まあ、そんな娘も、女編に家と書いて、嫁になり、女編に老いと書いて、姥になっていくのは、歴史的必然であると、かのマルクスも毛沢東も金日成も、

言ったとか言わないとか・・・言わない言わない。(笑)

夕焼け雲さん 伝えてくれよ
あの娘のお部屋の 窓ぎわへ


天高く 夕焼け映えて うろこ雲

秋の日の夕焼け空がさびしく見えるのは、むくむくと積み重なるような入道雲や雷雲などの乱層雲が空を占めている夏の日とは違って、

天が高く見える上に、すじ雲、うろこ雲などの絹雲や絹積雲が、頼りなげに、まるで、西陣の絹織物が加茂の流れの中で、染め上げられるようにして

浮かんでいるからでしょう。

虫にさされるのは いやだけど
肩をならべて いたいよと


秋も深まったころ、季節にはぐれて、弱々しい羽音をたてて飛んでいる蚊…、古来、そんな蚊を「あはれ蚊」と言って、哀れみ慈しみ、殺生をしないという、

情感のある風習がありました。

蚊帳(かや)などいうを見かけることもほとんどなく、いまや、蚊取り線香すらも、年中使える電気式蚊取りになって、そんな「あはれ蚊」の存在も

忘れがちになっています。

でも、もし、「あはれ蚊」に、右手を刺されたら、左手も差し出す・・・なんて、凡人には無理な相談で、もちろん、見つけたら、やっぱし、パチっとするか、

シューっとするか、しますやろね。(笑)

おうちの人に おこられるかな
呼び出したりして ごめんごめん
もうちょっとだけ いっしょにいよう
帰りたいなんて いわないで


こんな「おうち」も、少なくなりましたね。

かみなりを落とす親父は、とうのむかしにいなくなり、夜中に娘が出かけようとしても、「携帯持ったの?」とだけ、声をかける、物分りのいい

母親がいる「おうち」なんか、やっぱり「おうち」として変と思うのが時代おくれなのかな。

でも、時代おくれのそんな、おこる「おうち」も有って欲しいですよね。

そうか君は 笑うのが
へたに なっちゃったんだね
あんまり僕を 困らせないで
そろそろ笑ってくれよ


笑うのがへたって、そりゃ、でも天野くん、こんなシチュエーションで娘さんが笑って出てきたら、それこそ気色悪いでしょ。

こんな河原の 夕暮れ時に
呼び出したりして ごめんごめん
笑ってくれよ ウフフとね
そんなにふくれちゃいやだよ


しかも、夕暮れの河原で、ウフフなんて笑われると、マスターなら、ふくれられるより、いや。

でも、まあ、「蓼食う虫も好き好き」や、ごめんごめん。(笑)

夕暮れ時は さびしそう
とっても一人じゃ いられない…


まっ、夕暮れもいっとき…、あとは暗闇にまかせましょ。(笑)

この曲は、N.S.Pの代表的なヒット曲、例のごとく、天野さんらしい泣きべそかいたような不安定な節回しの声は、いつ聞いても、じんわりときます。

 ファンの待望久しくN.S.Pは復活し、活動再開されていますが、このサウンドだけは、踏襲していってほしいものです。





























































































































































































































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ウィスキーの小瓶

2024-07-15 13:47:34 | みなみらんぼう
みなみらんぼう


天地 真理




ウィスキーの小瓶を口に運びながら
涙と思い出を肴にして
酔いつぶれてしまいたいなどと
思っているこの僕を
貴女が見たら子供のようだと
きっと僕を笑うでしょうね
わかっていながら飲む男の気持ちなど
貴女は知りもせず

列車の窓に僕の顔が写る
なんてみじめな姿なんだろう
戯れだと思っていた恋に
打ちのめされてしまうなんて
こうして誰もが大人になってゆく
そんな話をどこかで聞いたっけ
人間同士の辛い別れという劇を
僕が演じている

こうして誰もが大人になってゆく
そんな話をどこかで聞いたっけ
アー 人間同士の辛い別れという劇を
 今 僕が演じている





古いアルバムを見たときなど、「あぁ~、あの頃にかえりたい」、・・・人はみなそう思います。(笑)

現代の極めて高度なストレス社会で、なにもかも閉塞状態にある大人の世界の中では、たまに、子供の頃のあの日にかえって、

「夢を信じる心」を回復させることは、メンタルヘルス(精神衛生・心の健康)の観点から、大切なことです。

とは言っても、

私だって、あの日にかえりたいわ。
 
しわひとつなく、若々しく、美しく輝いていたあの頃。
 
あの人たちにも、もういちど会いたい。
 
そして、楽しかった日々をもう一度。
 
でも・・・
 
あの日にかえったら、またあの人たちと、
 
別れたあの日もやってくる。
 
そんな悲しい想いを、また繰り返すのは嫌。

なんてことも。(笑)




























































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人生を語らず

2024-07-15 07:11:18 | 吉田拓郎
吉田拓郎





朝日が 昇るから
起きるんじゃなくて
目覚める時だから 旅をする
教えられるものに 別れを告げて
届かないものを 身近に感じて
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

嵐の中に 人の姿を見たら
消えいるような 叫びをきこう
わかり合うよりは たしかめ合う事だ
季節のめぐる中で 今日をたしかめる
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

あの人のための 自分などと言わず
あの人のために 去り行く事だ
空を飛ぶ事よりは 地をはうために
口を閉ざすんだ 臆病者として
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

おそすぎる事はない 早すぎる冬よりも
始発電車は行け 風を切ってすすめ
目の前のコップの水を ひと息にのみほせば
傷もいえるし それからでもおそくない
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道はなし
越えるものは すべて手さぐりの中で
見知らぬ旅人に 夢よ多かれ
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

越えて行け そこを
越えて行け それを
 今はまだ 人生を 人生を語らず





この曲が収録されている「今はまだ人生を語らず」と言うアルバムは、それまでよくコンビを組んでいた作詞家の岡本おさみさんからの卒業的なアルバムだと

拓郎さん自身が言っていたそうです。

また最初の離婚を歌った「僕の歌はサヨナラだけ」も収録されていますので、拓郎さん個人の時代背景で言えばそんな意味もあったのかも知れません。。(笑)

この曲自体は約1年後に「つま恋」でのオールナイトコンサートが控えていた時期なので、自分への応援歌だったのかもですが。

卒業・離婚・挑戦、さらにレコード会社設立への覚悟を歌っていたようにも思えます。

この曲を聴いただけで魂が奮い起こすされる、スーパーヘビー級のメッセージソングですよね。


















































































































































































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ジェラシー

2024-07-15 00:07:41 | フォーク&ニュー・ミュージック
井上陽水



梓みちよ 



島津亜矢 



ジェラシー 愛の言葉は
愛の裏側 ジェラシー

窓辺にたたずんでる君を見てると
永い年月に触れたような気がする
夕焼けの空のどこかで
忘れた愛が 忍び込む
流れるのは 涙ではなく汗

君によせる愛は ジェラシー
春風吹き 秋が風吹き さみしいと言いながら
君によせる愛は ジェラシー ジェラシー

はまゆりが咲いているところをみると
どうやら僕等は海に来ているらしい
ハンドバッグのとめがねが
はずれて化粧が散らばる
波がそれを海の底へ引き込む

ジェラシー 愛の言葉は
愛の裏側 ジェラシー

ワンピースを重ね着する君の心は
不思議な 世界をさまよい歩いていたんだ
誰にも云えない事がある
泣く泣く僕も空を見る
むなさわぎで 夏が来るのが恐い

君によせる愛は ジェラシー
春風吹き 秋が風吹き 悲しみに暮れながら
君によせる愛は ジェラシー
君によせる愛は ジェラシー ジェラシー
Oh- ジェラシー

  



終局が見えてしまった恋

君の残り火を焚きつけて、きっともう二度とはないであろう旅に出る

部屋で夕日に赤く染まる君を見れば、恋人たちはあまりにも遠いところに来てしまっていることを知る

率直な愛をささやいたかつての姿はなく、またその言葉も枯れた。 

ただただこれから先に君の前に現れるであろう男を思えば涙もない

あたりが闇に包まれた頃、どこへ行くともなく君と歩きだす

月影は冴えわたり物音ひとつしない

はまゆりと潮騒の予感

淡く鈍い明るみの中に真実が浮かび上がる

全てが、波に飲まれていく

 
フォークと呼ばれるジャンルが終演を迎え、ニューミュージックの呼称に切り替わった 1980年代。

たくさんのフォークの大御所がリアルタイム性を欠いて消えていく中で、 超然と存在し続けた井上陽水さんです。
























































































































































































































 

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