哀愁列車

2024-08-30 08:28:13 | 懐かしのメロディー

三橋美智也


島津亜矢


天童よしみ


惚れて 惚れて
惚れていながら行く俺に
旅をせかせるベルの音
つらいホームに来は来たが
未練心につまずいて
落とす涙の哀愁列車
 
燃えて 燃えて
燃えてすごした湯の宿に
うしろ髪ひく灯(ひ)がひとつ
今宵逢瀬(おうせ)を待ちわびる
君の幸せ祈りつつ
 旅にのがれる哀愁列車


泣いて 泣いて
泣いているのを知らぬげに
窓は二人を遠くする
こらえきれずに見返れば
すがるせつない瞳(め)のような
星がとぶとぶ哀愁列車




昭和32年(1957)リリース。

三橋美智也は、ビジネスなんぞに色気を出さず、歌一筋にやっていたら、美空ひばりに匹敵する国民的歌手になったはずと、いつだったか立川談志さんが

言っていたとか。

たしかに、全盛期の昭和30年代前半は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの絶大な人気を誇っていました。

生涯のレコード売上は1億600万枚。

ちなみに、世界ランキングはと言うと、

1位 ビートルズ - 1億8300万枚

2位 ガース・ブルックス - 1億5600万枚

3位 エルビス・プレスリー - 1億4650万枚

























































































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季節はずれの走馬燈

2024-08-29 00:24:40 | フォーク&ニュー・ミュージック
古時計


藍染浴衣で母さんが
夜店ですくった赤い魚
いつの間にか子供が生まれ
小さな世界で幸せそうです
遠くへ逝った母さんに
今年もお祭りみせたくて
窓辺にかけたあの日の浴衣
震えているのは何故ですか
秋の祭りの笛の音が
季節はずれの走馬燈に
ぽつんとあかりをつけてくれました

一枚しかない母さんの
哀しみ知らない頃の写真
いつの間にか黄色くなって
それでも笑顔が綺麗です
やさしく匂う母さんの
桔梗の花の咲いてる浴衣
僕の大事なあの人に
着てもらってもいいですか
心にしみる虫の音が
季節はずれの走馬澄に
ぽつんとあかりをつけてくれました




走馬燈(そうまとう)とは内外二重の枠を持ち、影絵が回転しながら写るように細工された灯籠(灯篭)の一種で、回り灯籠とも呼ばれます。

中国発祥で日本では江戸中期に夏の夜の娯楽として登場しました。

仕組みは、基本的に影絵芝居と共通していて、光源は蝋燭(現在は安全のため電気式のものが普通)、二重の枠のうち紙を張った外側の枠がスクリーンに

なっています。

ひとりでに影絵が動くのは、この内側の枠の構造に工夫があるからで、枠に取り付けられた軸の上に風車が付いており、蝋燭の熱が空気を暖めて起こる

煙突効果による上昇気流を受けて回転する仕掛けになっています。

もともと影絵ということもあって地味なものでしたが、現在はカラーセロファンなどの普及によって鮮やかな色つきの影絵が写るものもあります。

ところで走馬灯ですが、主に死に際や感情が揺さぶられた際に、様々な記憶が次々と蘇ることを意味します。

過去の出来事をありありと思い出すことや、時間の流れを無視して大量の記憶が蘇るケースが多いのも特徴です。

意識的に思い出そうとして思い出すものではなく、条件が重なった結果として記憶が蘇る場合に使われます。

記憶に流れがあり、生まれてから死ぬまでの一生の記憶が一瞬で蘇るケースや、家族との思い出など印象に残るエピソードが思い浮かぶ場合が多いと

いわれています。

実際に体験することが難しいため、小説などのフィクション上の表現か、治療などで蘇生した人の体験談が主になっているようですよ。

走馬燈は夏の季語、その走馬燈をタイトルにした曲を2曲UPしてみました。



邱蘭芬 /-走馬燈




ふきのとう/走馬燈 


































































































































































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涙のギター

2024-08-28 10:00:47 | 懐かしのメロディー
ノ-キ-エドワ-ズ (ザ・ベンチャ-ズ)


尾藤イサオ&ドーン




別れの熱い涙にふるえた

熱い涙にふるえた

真赤なギターよ

旅ゆく俺を泣かせる青い空

俺を泣かせる青い空

ちぎれ雲

風にうたれて悲しみうたう

俺の心は愛に狂う

女の心を背に受け流れゆく

影を背に受け流れゆく

涙のギター

・・・・・・・・・・





原曲は、紀本ヨシオさん、1965年のリリースでした。 

この年のヒット曲は・・・

西郷輝彦「星娘」

デューク・エイセス「女ひとり」

三田明&吉永小百合「明日は咲こう花咲こう」

倍賞千恵子「さよならはダンスの後で」

山田太郎 「新聞少年」

田代美代子&和田弘とマヒナスターズ 「愛して愛して愛しちゃったのよ」

西田佐知子 「赤坂の夜は更けて/女の意地」

北島三郎「帰ろかな」

















































































































































































































































































































































































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Valoa ikkunassa

2024-08-27 04:02:34 | エレキ(guitar/violin )
The Quiets 



 Aallon Rytmiorkesteri




人間は1日の3分の1は睡眠と言われていますが、キリンの場合は、1日の120分の1しか寝ないそうです。

なかなかストイックな生活を送っていますよね。

外敵から身を守るためかもしれませんが・・・

そんなに起きていて暇ではないのでしょうか。(笑)






























































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強がりはよせヨ 

2024-08-26 02:37:36 | 研 ナオコ
研ナオコ 




強がりはよせヨと笑ってよ
移り気な性質(たち)よと 答えたら
それならば唇かみしめて
なぜ目をそらすかと 問いつめて

いつからこんなふうになったのか
子供のようには戻れない
強がりはよせヨと笑われて
淋しいと答えて 泣きたいの

生意気をいうなと笑ってよ
ひとりが好きなのと答えたら
それならこの俺の行くあてを
どうしてたずねると問いつめて

いつからこんなふうになったのか
やさしい女に戻れない
強がりはよせヨと笑われて
淋しいと答えて 泣きたいの

いつからこんなふうになったのか
子供のようには戻れない
強がりはよせヨと笑われて
淋しいと答えて 泣きたいの

強がりはよせヨと笑われて
 淋しいと答えて 泣きたいの




大阪で『維新が敗北』 自民離党の元府議が箕面市長選を制す 維新公認の現職首長が大阪で落選するのは初 吉村氏が応援も及ばず

任期満了にともなう大阪府箕面市長選挙の投開票が25日に行われ、無所属の新人で、元大阪府議の原田亮さん(38)が初当選を決めました。(関西テレビ)


これは、維新の終わりを告げるものです。

大阪(府・市)はこれからどう変わるのか、永く大阪市民でいたマスターにとってはとても関心があります。

吉村知事も、「強がりはよせヨ」。


















































































































































































































































































































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ブブリチキ

2024-08-25 01:27:42 | 加藤登紀子
加藤登紀子


ポールモーリア





またまた雪が降って、今日も寒い夜だ。
こんな日にゃ、酒でも飲まなきゃ、こりゃいられないと、
いつもの酒場に酔どれが集る。
その酒場で、いつも来るブーブリチキを売るおばちゃんがいて、
これが飲んべえで、ブーブリチキって、
ちっちゃな丸いパンだけど、これを売りながら、
飲んで飲んで、やけっぱちになって歌ってるんだ、いつも。

グビーチェ ブーブリチキ
ガレーチ ブーブリチキ
ガニーチャ ブーブリチキ
スダ バスクレイ

夜が寒けりゃ 買いなブーブリチキ
熱いブーブリチキ ヴィ・パジャレ!

それからしばらくしておばちゃんは死んだ。
寒い雪の晩にきっとまた酔っぱらって、酔っぱらって、
そのまんま眠っちゃったのかも知れない。
おばちゃんには一人だけ息子がいるっていう話だったんだけど、
死んだ時には誰も来なかった。

グビーチェ ブーブリチキ
ガレーチ ブーブリチキ
ガニーチャ ブーブリチキ
スダ バスクレイ

夜が寒けりゃ 買いなブーブリチキ
あついブーブリチキ ヴィ・パジャレ!

グビーチェ ブーブリチキ
ガレーチ ブーブリチキ
ガニーチャ ブーブリチキ
スダ バスクレイ

夜が寒けりゃ 買いなブーブリチキ
あついブーブリチキ ヴィ・パジャレ!

飲んで歌って 踊り狂って
朝が来るのを 待つのさ
夜が寒けりゃ 買いなブーブリチキ
熱いブーブリチキ ヴィ・パジャレ!





「ブブリチキ」は、オデッサからの移民によって世界に伝えられたので、ウクライナ民謡とも言われ、アメリカでは「ベーグルの歌」として広まったそうです。

歌詞は加藤登紀子さん訳詞によるもので、一応ロシア民謡ということに。
























































































































































































































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白いページの中に

2024-08-24 09:30:14 | フォーク&ニュー・ミュージック
柴田まゆみ



あみん



岩崎宏美



いつの間にか私は 愛の行方さえも
見失っていた事に
気付きもしないで
振り向けば やすらぎがあって
見守る瞳があった事を
サヨナラの時の中で
やっと気付くなんて

長い長い坂道を 今登ってゆく
好きだった海のささやきが
今は心にしみる
よみがえる午後のやすらぎも
白いページの中に

優しいはずの声が 悲しい糸をひいて
許しあえた短さを 遠くで響かせる
色あせてゆくものに
やさしさを帰してみても
過ぎ去った日々の前では
もうさめた振舞ね

長い長い坂道を 今登ってゆく
好きだった海のささやきが
今は心にしみる
よみがえる午後のやすらぎも
白いページの中に


好きだった海のささやきが
今は心にしみる
よみがえる午後のやすらぎも
白いページの中に






この曲「白いページの中に」は、第15回(1978年)ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)つま恋本選会で優秀曲賞を受賞した曲です。

作詞・作曲・歌唱は、ともに 柴田まゆみさんでした。

透明感のある歌声と印象深いゆったりとしたメロディライン、そして特徴のあるリフレイン、ポプコンの原点としてオーソドックスな一曲でした。

ポプコンのラジオ番組であるコッキーポップのオープニングテーマソングとしても使われて、この曲は、多くの人の印象に残ったと思います。

しかし、柴田まゆみさんは入賞後シングルを1枚リリースしただけで、すぐに結婚、引退してしまい、音楽シーンから、それこそ白いページに吸い込まれるようにして消えていきます。

しかし、その後も、カバー曲として多くの人に歌い継がれてきました。

今日は、岩崎宏美さんのカバーでUPしました。

心の中の想い出に、スポットライトを浴びせて、さまざまな季節に、さまざまな場面に、似合うような色の光を重ねて・・・

ほのかな桜色がかった想い出、透きとおった青空のような想い出、校庭に降る五月雨のような緑色の想い出、舞い散る銀杏紅葉のトパーズ色の想い出、そんな想い出たちが、浮かび上がってきませんか?。

聴きながら、一瞬、鮮やかに浮かび上がった想い出たちも、すうーと消え入るように、色が抜けていきます。

そして、白っぽく、白っぽくなって、フェードアウトしていくように、白いページの中に収まります。

すべてが白いページの中に・・・。
















































































































































































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僕にまかせてください 

2024-08-24 05:06:51 | フォーク&ニュー・ミュージック
クラフト 


きみはその手に花をかかえて
急な坂道(さか)をのぼる
僕の手には 小さな水おけ
きみのあとにつづく
きみのかあさんが眠っている
ささやかな石のまわり
草をつみながら振り返ると
泣き虫のきみがいた

※両手をあわせたかたわらで
揺れてるれんげ草
あなたの大事な人を僕に
まかせてください※

きみがとても大切にしてた
藤色のお手玉
あれは昔きみのかあさんが
作ってくれたもの
そして僕が大切にしてる
日だまりのような人
それもそっと きみのかあさんが
残してくれたもの

集めた落ち葉に火をつけて
きみはぽつりとありがとう
彼岸過ぎたら 僕の部屋も
あたたかくなる

 (※くり返し) 





東京の下町にある、剣道道場「塚原道場」を営む塚原家を舞台の中心とし、明治生まれの道場主・正作とその家族に、正作の愛人の娘で他の兄弟姉妹とは血の

つながらない夕子、刑務所を出所してその後料亭「江島」で働く礼二、その他町の人々などの絡みを通じて、高齢者、中年、若者の三世代の

交流、対立などを明るく描いたホームドラマ「ほおずきの唄」・・・

この歌は1975年(昭和50年)4月~9月に日本テレビ系で放送されたドラマ「ほおずきの唄」(出演:中村翫右衛門、近藤正臣、島田陽子ほか)の主題歌として

クラフトが歌ったものです。

この歌詞を聞きながら、目をつむって描かれている景色を想像すると、何か心が暖かくなります。

ただ、今の女性上位の世の中で「僕にまかせてください」というセリフが実際にに存在し続けられるかどうかは疑問ですが・・・。(笑)

ところで、作詞・作曲されたさだまさしさんによれば、この曲は、はじめは「彼岸過迄」という曲名になる予定だったそうです。

「彼岸過迄」というと、もちろん、明治時代の文豪、夏目漱石の名作を想起される方も多いと思います。

漱石の「彼岸過迄」という小説は、従兄妹同士の恋愛問題を扱っていますから、この曲の歌詞にある「かあさん」も、幼なじみの母親というよりも、

もっと近しい、従兄妹の母親、つまりは「僕」の伯母さんもしくは叔母さんにあたる人かもしれません。

なにか、自然と、この曲の背景にあるストーリーが浮かびあがってくるような感じがしますが、さださんのことですから、あるいは違うストーリーを用意して

いたのかもしれません。(笑)

マスターとしてはこの「僕にまかせて下さい」の単純安易な命名の方が好きですが、もし「彼岸過迄」という曲名になっていれば、まさしく「精霊流し」「無縁坂」

「縁切寺」と続く、線香臭いさだまさしラインナップになっていたかも。(笑)

きみはその手に 花をかかえて
急な坂をのぼる
僕の手には 小さな水おけ
きみのあとにつづく


長崎は坂のある街です。

いや、坂のある街というより、坂の中に街がある、といってもいいくらいでしょう。

おなじく港町である神戸なども坂のある街なんですが、やはり長崎の方が断然に坂が多い、それも小さな急な坂が多いような気がします。

ところで、長崎は坂が多いのですが、長崎には、下り坂と上り坂、どちらの方が多いと思いますか?

一瞬たりとも、あれ、どっちなんだろうか?って、考えたあなたには、長崎の坂は似合います。(笑)

これを冗談めかして、「長崎は、よかばってん、坂、墓、ばか、が多かね。」って言うそうです。(笑)

もちろん、これは長崎の人から聞いたことですので、長崎の方々は、くれぐれもマスターに、苦情ば言わんでくれんね。(笑)

しかし、坂は多いけれど、ばかが多いかどうかはともかくも、確かに墓が多いような気がするのは、長崎を訪問すれば実感すると思います。

もちろん、他の地方に比べて、長崎に墓が多い訳でもないんでしょうが、目立つということでしょうか。

街に坂が多いということは、建物の敷地として一定の面積が確保できる場所は、優先的に敷地として利用されますから、建物などが建てにくいような場所が、

墓地などに活用されるわけです。

したがって、段々畑という言葉がありますが、まさに、段々墓地となり、代々墓ならぬ段々墓が、坂道を歩いていると、自然と目に入りますから、

多いような感じを受けるのかなと思います。

もっとも、長崎に限らず、概して土地の狭小な我が国では、大規模な墓苑や公園形式の墓地以外は、山に貼り付くような墓地が多いですから、墓参りは、

急な坂道をのぼってゆくことが多いと思います。

そして、故人の思い出を脳裏に浮かべ、その人の人生を辿るかのようにして、坂道をのぼっていきます。

きみのかあさんが 眠っている
ささやかな石のまわり
草をつみながら 振り返
泣き虫のきみがいた

亡くなった日のことを命日といい、亡くなった月日と同じ月日のことを、祥月命日(しょうつきめいにち)といいます。

亡くなった年の翌年の祥月命日が一周忌で、正忌ともいい、特に重要な年忌法要とされています。

そして、一周忌の翌年に営まれるのが三回忌です。

だから三回忌は、三年目ではなく、二年目なのですが、これは、亡くなった日を一回目の忌日(きじつ)とし、一年目の一周忌が二回目の忌日となり、そして、

その一周忌の翌年の二年目に、三回目の忌日を迎えるという意味で、三回忌といいます。

そして、一周忌はあくまで一周忌であって、一回忌といわないのは、実は回忌としては二回忌となるからで、三回忌は、二周年であって三周年ではなく、

だから、没後三周年という言い方はあっても、三周忌とはいわないのです。

そして、七回忌、十三回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と続いていきます。(地域や宗派によって多少異なります。)

三十三回忌のことを、一般的に年忌止めと言って、これで年忌供養を打ち切ることが多いようですが、五十回忌を営んで年忌止めにすることもあります。

親の五十回忌の法要を営むことができる人は、よほど長生きをする人か、はたまた、幼くして、親と死に別れたような人に限られるからでしょうね。

両手をあわせた かたわらで
揺れてる れんげ草
あなたの 大事な人を僕に
まかせてください


れんげ草は、ご承知のとおり、蓮(ハス)の花である蓮華に似ているところから名付けられました。

蓮(ハス)の花は仏教の華ともいわれ、仏像の台座のことを「蓮華座(れんげざ)」ともいいますが、蓮は、泥の中に根を張って、きれいな花を咲かせます。

その泥の中にある蓮の根が、文字通りの「蓮根」であって、つまりはレンコンです。

泥中の蓮華という言葉がありますが、つまり、この泥とは、煩悩の多い娑婆世界のことであり、そんな中で、清らかな華を咲かせていく蓮華になぞらえて、

いわゆる仏教の説く、悟りを開くことになるのです。

生老病死、つまりは、生きる苦しみ、老いてゆく苦しみ、病の苦しみ、死にゆく苦しみと、人は生きていく中で、この四つの苦に、悩み苦しんでいくのが

定めとされています。

そして、愛するものと別れる苦しみ、怨み憎む人に会う苦しみ、求めても欲しいものが手に入れられない苦しみ、本能的な欲求の苦しみがあります。
 
それぞれに、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)と名付けられた四つの苦を合わせて、

八つの苦、文字どおり煩悩の火のなかの人生において、四苦八苦していくのです。

でも、人が生きていくというのは、そういった苦悩を背負って生きていくことであり、人の一生には、山があり、谷があり、その途中の道は、

のぼるにしろ、くだるにしろ、やはり坂道であり、人として生まれた限りは、その道を歩まなければならないです。

しかし、そんな煩悩の人生の泥まみれのなかでも、人はかならず、清らかな華を咲かせる種子、根を持っている、すなわち仏性を備えていて、

菩提の悟り開くことができるのです。

きみがとても 大切にしてた
藤色のお手玉
あれは昔 きみのかあさんが
作ってくれたもの


このフレーズにある、「藤色のお手玉」はおかあさんの形見分けだったのでしょうか。

そして僕が 大切にしてる
日だまりのような人
それもそっと きみのかあさんが
残してくれたもの


日だまりは、日あたりのよい暖かな場所。

ほかほかとして、心まで温まるような居心地のいい場所のことをいいます。

でも、考えてみれば、日だまりというところは、風をさえぎり、吹きさらしではなくて、しかも、日あたりがよくてはなりませんし、

もちろん、日あたりがよくても、暑すぎず、蒸れたりしないように、爽やかな風は、とおらなければなりません。

こう考えれば、日だまりというのありがたく、ただぼんやりとひなたぼっこするだけでは、もったいない、大切なものだったんだと気がつきます。

そして、できればそんな日だまりのような場所を、生きた証として、残せたらいいなと思っています。

もちろん、心の中にある、日だまりを・・・。

集めた落葉に 火をつけて
きみはぽつりと ありがとう
彼岸過ぎたら 僕の部屋も
あたたかくなる


春は春分の日を、秋は秋分の日を中日(ちゅうにち)として各七日間の期間を彼岸といいます。

 彼岸の頃は、昼と夜の長さがほぼ同じになり、太陽は真東から昇り、真西に沈み、日が真西に沈むことから、西方極楽浄土を教えとする仏教宗派では

彼岸会(ひがんえ)が催されます。

そして、ぼたもちやおはぎをお供えして、墓参りをするのが日本の風物詩となっています。

俳句では、彼岸といえば春彼岸のことを指し、もちろん季語としては、春となり、秋の彼岸は、秋彼岸、後(のち)の彼岸などとして秋の季語となります。

暑さ、寒さも彼岸までといいます。

ひとつの季節が去り行くとともに、ひとつの季節がめぐり来るのが、彼岸の頃なのです。

苦しみに満ちている此岸(しがん)にいる我ら凡夫には、季節がめぐるほどには、簡単に悟りの境地としての彼岸に達することはできません。

でも、先に、彼岸の涅槃に入った親類縁者、友人知人に、いつか会ったときに、彼らに恥ずかしくないように、私たち(ぼくたち)も、

もう少し頑張って生きてみましょうか。










































































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時には娼婦のように

2024-08-23 09:02:50 | Jポップス
八代亜紀 



時には娼婦のように淫らな女になりな
真赤な口紅つけて黒い靴下をはいて
大きく脚をひろげて片眼をつぶってみせな
人さし指で手まねき私を誘っておくれ
バカバカしい人生よりバカバカしいひとときが
うれしい OH-OH-OH-OH-
時には娼婦のようにたっぷり汗をながしな
愛する私のために悲しむ私のために

時には娼婦のように下品な女になりな
素的と叫んでおくれ大きな声を出しなよ
自分で乳房をつかみ私に与えておくれ
まるで乳呑み児のようにむさぼりついてあげよう
バカバカしい人生よりバカバカしいひとときが
うれしい OH-OH-OH-OH-
時には娼婦のように何度も求めておくれ
お前の愛する彼が疲れて眠りつくまで






この曲「時には娼婦のように」は、1978年2月10日に日本の俳優・歌手である黒沢年男 (現:黒沢年雄)と、作詞家・歌手であるなかにし礼の競作として発売されたシングルです。  


黒沢年男   

作詞・作曲はなかにし礼、黒沢の歌謡曲における代表作となっています。 

ちなみに、マスターの亡き妻は「娼婦」ではなく、「笑婦」でした。(笑)




















































































































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愛のくらし

2024-08-23 00:08:37 | マスターおすすめ曲
加藤登紀子


 テレサ・テン  


八代亜紀






この両手に 花をかかえて
あの日 あなたの部屋をたずねた
窓をあけた ひざしの中で
あなたは笑って迎えた
手をつなぎ ほほよせて
くり返す愛のくらし
花は枯れて 冬が来ても
すてきな日々はつづいていた
愛をかたる 言葉よりも
吹きすぎる 風の中で
求めあうぬくもりが
愛のかわらぬしるし

人はいくども 愛に出会い
終わりのない 愛を信じた
ある日気がつく 愛の終わりに
人はいくども泣いた
手をつなぎ ほほよせて
くり返す愛のくらし
花は咲いて 春が来ても
すてき日々は戻って来ない
愛をかたる 言葉よりも
風にこごえた この両手に
あなたの身体のぬくもりが
今も消えずに残る

 



コンチネンタルタンゴの巨匠アルフレッド・ハウゼが作曲したこの曲、加藤登紀子さんの代表曲となりました。

コンチネンタルタンゴではありませんが、哀愁を帯びた3連バラード。

・・・名曲です。

加藤登紀子さんのディレクターが作曲を依頼し、発注から1年経ってやっと届いた曲に加藤登紀子が詞をつけて出来た曲だったとか。



私は好きになりたいな、何でもかんでもみいんな。 誰でもかれでもみいんな。 (金子 みすゞ)

童謡詩人 金子みすゞさんの「みんなを好きに」の詩の一節にあることばです。

金子みすゞさんは、どんな相手にもやさしく寄り添い、相手の立場に立つことができる方、即ち、一切衆生すべての生き物の立場から物事を見ることができる方

でしたよね。

また、その慈愛に満ちた眼差しから人の優しさ、あたたかさ、かけがえのない尊いいのちの大切さを教える詩を数多く残してくださいました。

この詩は、「葱、トマト、おさかな」「お医者さん、烏」を例に挙げて、すべてを残らずみんな好きになりたいと詠まれています。

人は、苦手なものや嫌いなものが必ずあります。

それらをすべて好きになることはとても難しいことです。

叶わぬ願いかもしれません。

しかし、金子みすゞさんは、食卓に出された母親の作った料理を目の前にしたとき、ここにいたるまでに、母親をはじめとして多くの人の手によって作られた料理

であること、また、もとをたどればすべていのちがあったものであり、そのいのちをいただくことになったとき、「みんなを好きに」と思わずにはいられなかったの

ではないでしょうか。

それが、愛のくくらし・・・・・・









































































































































































































































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潮騒の街 

2024-08-22 15:49:25 | マスターおすすめ曲
荒木一郎

君を遠く離れて
名もない駅を南に行けば
ここは潮騒の街
もう誰も 知る人もない
思いきり 泣いてみたって
海鳴りが声を包む 
断崖に書いた別れの詩も
波がいづれ消すだろう

ここは潮騒の街
名もない橋を渡って行けば
花がまばらに咲き
もう誰も知る人もない

・・・・・・・





荒木一郎さん、以前にも書いた記憶がありますが、マスター的には彼、シンガーソングライターとしては加山雄三さんと並んだ草分け的存在だと

思っています。

しかも、彼の才能は、以後登場のシンガーソングライターと呼ばれる人達の中でも抜きん出ているとさえも思っています。

その割にはあまり知られていないし、作品数も少ない・・・

それは、彼の風貌のせいなのか、なにか、人格的に世間・業界に受け入れられないものがあるのか、それは分かりませんが、有名な俳優が親である点では

共通していても生活感は加山さんとは真反対だと思います。

もともとモダンジャズに傾倒していて、そこからのスタートだった荒木さん、その影響もあるのでしょうね、彼の作品にはどこかモダンジャズの臭いがあります。

そう、時間を超える斬新さと新しい息吹。

つまり、彼の曲は10年後聴いても、20年後聴いても、古さを感じさせない作品が多いんですよね。

ちょっと褒めスギ、ワイルドかな?(笑)

それはそれとして、この曲には気に入らない歌詞部分があります。

それは ”名もない駅”とか ”名もない橋”というところ。

これは”名を知らない”が正しい表現ではないでしょうか。(笑)

名もないは、いかにも自分中心すぎるような気がします。

もっとも、それが荒木さんなのかもですが.。











































































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窓 

2024-08-22 15:21:01 | マスターおすすめ曲
松山千春




小さな窓から見える この世界が僕の全て
空の青さはわかるけど 空の広さがわからない
いつか山の向こうから 君が手を振りかけてきても
君の姿 見えるけど 僕の心は届かない
この窓をひらいて 自由になりたい
このうでで思いきり 抱きしめてはなさない

君だけは 誰にも わたしたくない
誰にも負けはしない この愛だけは

小さな窓をたたく 風に心ふるわせてる
気付いた時には これほど弱い男になっていた
いつか君がひとりきり ひざをかかえ 泣いていても
君の涙見えるけど 僕の言葉は届かない
この窓をひらいて 自由になりたい
このうでで思いきり 抱きしめてはなさない

君だけは 誰にも わたしたくない
誰にも負けはしない この愛だけは

君だけは 誰にも わたしたくない
誰にも負けはしない この愛だけは







お山であかいは
あれはなに。

あれは櫨(はじ)の木、櫨紅葉(もみじ)、
なにか怖いな、黒い赤。

お里であかいは
あれはなに。

あれは熟(う)れてる柿の實よ、
見てもうまそな、黄(き)いな赤。

お空であかいは
あれはなに。

あれはお汽車の燈(ひ)のかげよ、
さみしい赤よ、亡(な)い赤よ。

(金子みすゞ  汽車の窓から)






























































































































































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2024-08-22 15:15:20 | マスターおすすめ曲
五輪真弓 


高層ビルの群れが
砂漠の中の蜃気楼に見える
都会の朝
がらんとした空に ひびきわたる鳥の声
忘れられた静けさが 今よみがえる
空 空 おまえが生きている
こんな日は 心も澄む
空 空 夢はまだ失くさないさ

雨があがった路
水たまりには ゆれる街路樹よ
都会の朝
ぽつんとひとつぶ 名残り惜しむしずく
眠っていたざわめきが 今日をさます
空 空 おまえが生きている
こんな日は 心も澄む
空 空 愛はまだこの胸に






空とは、地上から見上げたときに頭上に広がる空間のことですよね。

空の色は時間帯や天候によって変化します。

日の出時には赤色やオレンジ色に、昼間は晴れていれば青くて太陽が輝き雲は白く、曇りであれば空は灰色に、夜間は黒に見えます

また、夜空は星が見える場でもあり、空気が澄んでいる場所であれば天の川の白く輝く帯が空をぐるりと横断しているのが見えます。

ノルウェー北部など緯度が高い地域では24時間太陽が昇らない時期(極夜)が2か月ほども続くそうです。

その寒い時期、人々はずっと夜空を見続け、再び太陽が昇る時を待つのだとか。

そのかわりでしょうか、緯度が高い地域では、ときにオーロラの緑色の美しい光のカーテンが空にゆらめきます。






































































































































 

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大阪ラプソディー

2024-08-22 11:27:19 | マスターおすすめ曲
猪俣公章


海原千里・万理


 
あの人もこの人も そぞろ歩く宵の街
どこへ行く二人づれ 御堂筋は恋の道
映画を見ましょうか それともこのまま
道頓堀まで 歩きましょうか
七色のネオンさえ 甘い夢を唄っ る
宵闇の大阪は二人づれ恋の街・・・





この曲「大阪ラプソディー」は、1976年2月25日に発売された海原千里・万里の3枚目のシングル。

表題曲は、大阪の街の見どころに触れつつ、恋人同士の心情をも描いた作品ですよね。

曲中には御堂筋、道頓堀、戎橋、法善寺など大阪の名所がいくつも織り込まれています。

このシングルは40万枚程の売り上げがありました。

オリコン週間シングルチャートでは最高24位で、これは、女性のお笑いタレントが単独で発売したシングルとしては、2012年に渡辺直美(白鳥美麗名義)の

「ピカル 恋がしたい」が同チャートで10位を記録するまで、オリコン史上最高位の記録だったとのことです。
















































































































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挽歌

2024-08-22 09:40:08 | 由紀さおり
由紀さおり 



やはりあのひとは
私を送りに 来なかった
にぎあう夕暮れ 人ごみの中
私はただバスを待つ
悲しみだけを 道案内に
思い出色の 洋服を着て
つらくないと 言えば嘘だわ
あのひとのことが 気がかりだけど
私は今バスに乗る

たぶんあのひとは
私を恨んで いるでしょう
冷たい女と 思われながら
私はただバスを待つ
ひとりで朝は 起きられますか
ハンカチの場所 わかるでしょうか
あとのひとと うまくやってね
うしろ髪ひかれ 涙にぬれて
私は今バスに乗る





挽歌とは、死者を悼(いた)む歌です。

 「挽」は、「引く」意味で、もともとは葬儀のとき、柩(ひつぎ)を載せた車を引きながらうたう歌が「挽歌」

漢代の楽府(がふ)、相和歌相和曲のなかに、「薤露」(かいろ)「蒿里」(こうり)の二曲があります。

薤露は、人の命が薤(おおにら)の上に宿る露よりはかないことをうたい、蒿里は、死神が追いやって人の魂を蒿(よもぎ)の里に聚(あつ)めることをうたいます。

言い伝えによりますと、漢の高祖のとき、田横(でんおう)が自殺したのを門人が悼んでつくったもので、のち武帝のとき、薤露を王公貴人、蒿里を庶人の葬儀用にと

分けて定めたと言われています。














































































































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