クラフト
きみはその手に花をかかえて
急な坂道(さか)をのぼる
僕の手には 小さな水おけ
きみのあとにつづく
きみのかあさんが眠っている
ささやかな石のまわり
草をつみながら振り返ると
泣き虫のきみがいた
※両手をあわせたかたわらで
揺れてるれんげ草
あなたの大事な人を僕に
まかせてください※
きみがとても大切にしてた
藤色のお手玉
あれは昔きみのかあさんが
作ってくれたもの
そして僕が大切にしてる
日だまりのような人
それもそっと きみのかあさんが
残してくれたもの
集めた落ち葉に火をつけて
きみはぽつりとありがとう
彼岸過ぎたら 僕の部屋も
あたたかくなる
(※くり返し)
東京の下町にある、剣道道場「塚原道場」を営む塚原家を舞台の中心とし、明治生まれの道場主・正作とその家族に、正作の愛人の娘で他の兄弟姉妹とは血の
つながらない夕子、刑務所を出所してその後料亭「江島」で働く礼二、その他町の人々などの絡みを通じて、高齢者、中年、若者の三世代の
交流、対立などを明るく描いたホームドラマ「ほおずきの唄」・・・
この歌は1975年(昭和50年)4月~9月に日本テレビ系で放送されたドラマ「ほおずきの唄」(出演:中村翫右衛門、近藤正臣、島田陽子ほか)の主題歌として
クラフトが歌ったものです。
この歌詞を聞きながら、目をつむって描かれている景色を想像すると、何か心が暖かくなります。
ただ、今の女性上位の世の中で「僕にまかせてください」というセリフが実際にに存在し続けられるかどうかは疑問ですが・・・。(笑)
ところで、作詞・作曲されたさだまさしさんによれば、この曲は、はじめは「彼岸過迄」という曲名になる予定だったそうです。
「彼岸過迄」というと、もちろん、明治時代の文豪、夏目漱石の名作を想起される方も多いと思います。
漱石の「彼岸過迄」という小説は、従兄妹同士の恋愛問題を扱っていますから、この曲の歌詞にある「かあさん」も、幼なじみの母親というよりも、
もっと近しい、従兄妹の母親、つまりは「僕」の伯母さんもしくは叔母さんにあたる人かもしれません。
なにか、自然と、この曲の背景にあるストーリーが浮かびあがってくるような感じがしますが、さださんのことですから、あるいは違うストーリーを用意して
いたのかもしれません。(笑)
マスターとしてはこの「僕にまかせて下さい」の単純安易な命名の方が好きですが、もし「彼岸過迄」という曲名になっていれば、まさしく「精霊流し」「無縁坂」
「縁切寺」と続く、線香臭いさだまさしラインナップになっていたかも。(笑)
きみはその手に 花をかかえて
急な坂をのぼる
僕の手には 小さな水おけ
きみのあとにつづく
長崎は坂のある街です。
いや、坂のある街というより、坂の中に街がある、といってもいいくらいでしょう。
おなじく港町である神戸なども坂のある街なんですが、やはり長崎の方が断然に坂が多い、それも小さな急な坂が多いような気がします。
ところで、長崎は坂が多いのですが、長崎には、下り坂と上り坂、どちらの方が多いと思いますか?
一瞬たりとも、あれ、どっちなんだろうか?って、考えたあなたには、長崎の坂は似合います。(笑)
これを冗談めかして、「長崎は、よかばってん、坂、墓、ばか、が多かね。」って言うそうです。(笑)
もちろん、これは長崎の人から聞いたことですので、長崎の方々は、くれぐれもマスターに、苦情ば言わんでくれんね。(笑)
しかし、坂は多いけれど、ばかが多いかどうかはともかくも、確かに墓が多いような気がするのは、長崎を訪問すれば実感すると思います。
もちろん、他の地方に比べて、長崎に墓が多い訳でもないんでしょうが、目立つということでしょうか。
街に坂が多いということは、建物の敷地として一定の面積が確保できる場所は、優先的に敷地として利用されますから、建物などが建てにくいような場所が、
墓地などに活用されるわけです。
したがって、段々畑という言葉がありますが、まさに、段々墓地となり、代々墓ならぬ段々墓が、坂道を歩いていると、自然と目に入りますから、
多いような感じを受けるのかなと思います。
もっとも、長崎に限らず、概して土地の狭小な我が国では、大規模な墓苑や公園形式の墓地以外は、山に貼り付くような墓地が多いですから、墓参りは、
急な坂道をのぼってゆくことが多いと思います。
そして、故人の思い出を脳裏に浮かべ、その人の人生を辿るかのようにして、坂道をのぼっていきます。
きみのかあさんが 眠っている
ささやかな石のまわり
草をつみながら 振り返
泣き虫のきみがいた
亡くなった日のことを命日といい、亡くなった月日と同じ月日のことを、祥月命日(しょうつきめいにち)といいます。
亡くなった年の翌年の祥月命日が一周忌で、正忌ともいい、特に重要な年忌法要とされています。
そして、一周忌の翌年に営まれるのが三回忌です。
だから三回忌は、三年目ではなく、二年目なのですが、これは、亡くなった日を一回目の忌日(きじつ)とし、一年目の一周忌が二回目の忌日となり、そして、
その一周忌の翌年の二年目に、三回目の忌日を迎えるという意味で、三回忌といいます。
そして、一周忌はあくまで一周忌であって、一回忌といわないのは、実は回忌としては二回忌となるからで、三回忌は、二周年であって三周年ではなく、
だから、没後三周年という言い方はあっても、三周忌とはいわないのです。
そして、七回忌、十三回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と続いていきます。(地域や宗派によって多少異なります。)
三十三回忌のことを、一般的に年忌止めと言って、これで年忌供養を打ち切ることが多いようですが、五十回忌を営んで年忌止めにすることもあります。
親の五十回忌の法要を営むことができる人は、よほど長生きをする人か、はたまた、幼くして、親と死に別れたような人に限られるからでしょうね。
両手をあわせた かたわらで
揺れてる れんげ草
あなたの 大事な人を僕に
まかせてください
れんげ草は、ご承知のとおり、蓮(ハス)の花である蓮華に似ているところから名付けられました。
蓮(ハス)の花は仏教の華ともいわれ、仏像の台座のことを「蓮華座(れんげざ)」ともいいますが、蓮は、泥の中に根を張って、きれいな花を咲かせます。
その泥の中にある蓮の根が、文字通りの「蓮根」であって、つまりはレンコンです。
泥中の蓮華という言葉がありますが、つまり、この泥とは、煩悩の多い娑婆世界のことであり、そんな中で、清らかな華を咲かせていく蓮華になぞらえて、
いわゆる仏教の説く、悟りを開くことになるのです。
生老病死、つまりは、生きる苦しみ、老いてゆく苦しみ、病の苦しみ、死にゆく苦しみと、人は生きていく中で、この四つの苦に、悩み苦しんでいくのが
定めとされています。
そして、愛するものと別れる苦しみ、怨み憎む人に会う苦しみ、求めても欲しいものが手に入れられない苦しみ、本能的な欲求の苦しみがあります。
それぞれに、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)と名付けられた四つの苦を合わせて、
八つの苦、文字どおり煩悩の火のなかの人生において、四苦八苦していくのです。
でも、人が生きていくというのは、そういった苦悩を背負って生きていくことであり、人の一生には、山があり、谷があり、その途中の道は、
のぼるにしろ、くだるにしろ、やはり坂道であり、人として生まれた限りは、その道を歩まなければならないです。
しかし、そんな煩悩の人生の泥まみれのなかでも、人はかならず、清らかな華を咲かせる種子、根を持っている、すなわち仏性を備えていて、
菩提の悟り開くことができるのです。
きみがとても 大切にしてた
藤色のお手玉
あれは昔 きみのかあさんが
作ってくれたもの
このフレーズにある、「藤色のお手玉」はおかあさんの形見分けだったのでしょうか。
そして僕が 大切にしてる
日だまりのような人
それもそっと きみのかあさんが
残してくれたもの
日だまりは、日あたりのよい暖かな場所。
ほかほかとして、心まで温まるような居心地のいい場所のことをいいます。
でも、考えてみれば、日だまりというところは、風をさえぎり、吹きさらしではなくて、しかも、日あたりがよくてはなりませんし、
もちろん、日あたりがよくても、暑すぎず、蒸れたりしないように、爽やかな風は、とおらなければなりません。
こう考えれば、日だまりというのありがたく、ただぼんやりとひなたぼっこするだけでは、もったいない、大切なものだったんだと気がつきます。
そして、できればそんな日だまりのような場所を、生きた証として、残せたらいいなと思っています。
もちろん、心の中にある、日だまりを・・・。
集めた落葉に 火をつけて
きみはぽつりと ありがとう
彼岸過ぎたら 僕の部屋も
あたたかくなる
春は春分の日を、秋は秋分の日を中日(ちゅうにち)として各七日間の期間を彼岸といいます。
彼岸の頃は、昼と夜の長さがほぼ同じになり、太陽は真東から昇り、真西に沈み、日が真西に沈むことから、西方極楽浄土を教えとする仏教宗派では
彼岸会(ひがんえ)が催されます。
そして、ぼたもちやおはぎをお供えして、墓参りをするのが日本の風物詩となっています。
俳句では、彼岸といえば春彼岸のことを指し、もちろん季語としては、春となり、秋の彼岸は、秋彼岸、後(のち)の彼岸などとして秋の季語となります。
暑さ、寒さも彼岸までといいます。
ひとつの季節が去り行くとともに、ひとつの季節がめぐり来るのが、彼岸の頃なのです。
苦しみに満ちている此岸(しがん)にいる我ら凡夫には、季節がめぐるほどには、簡単に悟りの境地としての彼岸に達することはできません。
でも、先に、彼岸の涅槃に入った親類縁者、友人知人に、いつか会ったときに、彼らに恥ずかしくないように、私たち(ぼくたち)も、
もう少し頑張って生きてみましょうか。