言葉のこと 2

2020-06-10 20:55:54 | 日記

 一昨日言葉のことを書いたのは、われらは言葉を食べる、出している。まさしく言葉を生きている、ということを書いたつもり。今日もこれからも、何を書きたいのか、はっきりとわかっているわけではない。ないがずっともやもやがあり、なんとか出口を探しているようなのだ。

 日々の暮らしの中でもとうぜんのことながら、さまざまな言葉が飛び交う中で暮らしている。そんな言葉の中で、傷つき、癒され、安心または流れる中にある。そしてなるべく嫌な言葉を拾わないように、気持ちいいものを拾うとする分どうしても嫌な言葉に引っかかることが多いようだ。それは現在の自分のおいているあり方で言葉の引っ掛かり具合が違うからである。

 言葉というのは、われらが生きる前からここにあったものだから、言葉を使っている今もことさらに言葉を選んできたわけではない。が、何やらこの身のどこかではっきりと探しているのだ。で、あらためて言葉ってなんだと、問い直すと、じつに不思議、やっかいなものとしてあるということだけがすこしわかる。言葉は意味や理由としてもある。だからわれらはわれらのこのありようを意味や理由でつまり言葉で押さえている。しかしながら生きることそのものや自分そのものとは、言葉以前のこれだから、何かことがこの身に起きた時、その押さえはまったく機能しない。言葉を生きているものの基本的な構造というかありようなのだと思う。そしてもう一つはっきりと言えることは、われの人生観よりも言葉自身の持っているありようの方が深くて広い、だけどこの深さも広さもわれというありようを知ろうとする者にとってだけ機能するように思う。それは哲学をやっているとか、本を読んでいる、学んでいるからということではない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする