言葉のこと

2020-06-08 20:37:09 | 日記

 壁画洞窟や動物の骨や象牙で装飾したものは3、4万年前だという。言葉ができたのもその時期らしい。造形、形にするということが言葉をつくっていったんだと、勝手に納得している。それはいまでもきっとそうで、言葉になる前のことばというものがあって、それが知らぬ間にそのことばの出口というか、形を探している。だからだろう、小説のあるシーンに触れると、そうこの情感や切なさをこうやって表すことができるんだと、了解する。それは思想書などを読んでいても同じで、そうかこういう言い回しをする必要があるのだ、と納得する。ある意味そのことのために本を読んでいるような気さえする。

 われというものは、言葉を生きている。しかしながら言葉を生きているなどとはついぞ思ったことがない。自分というものを生きているつもりだからである。自分とは何か、なんぞという問いはほとんど起きない。頭の中の作業は、自分にとっての都合いい言葉、思いをひねくりだしていることが常だから、根元的な問いに出会うには何か出来事が必要なのだと思う。それでも日々ご飯を食べるように、おいしい言葉を食べている。いや探しているのだ。それは言葉以前のことばが日々更新されているというか。いつも求めているのだ。そうはっきり意識していなくとも、われらは追い求めている。それが人として生きている。言葉を生きているものとしての宿命なのだと思う。ナマのいのちあるものとして暮らすということは、食べる、飲む、だす、セックスする、眠る、のそこに同列に言葉を出す、食べるが入るよね。

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