無礙の一道

2013-03-19 21:03:18 | 日記
 歎異抄に『念仏者は無礙の一道なり。ー略ー罪悪も業報を感ずることあたはず。諸善もおよぶことなきゆえに、無礙の一道なりと。』無礙とはなにも妨げるものがないという意味。念仏者というだれか特定の人を指しているようなれど、念仏者というものもふくめて、このもののことを、わたしといわしめているそれそのものはどこにも、なにものにもとどこおらずにこれとしてただある。このただあるという絶対的なあり方は、このわたしが、またはわたしでなんとかできるものをはるかにこえている。それゆえ、どんな悪も、どんなに生まれ持った性格がワルイなどといいつのったところで、そんなものもつうようしない。ましてどんないいこともそのありようのまえでは、ひからびてしまうものとしてある。
 こういうことをそのまま言える文化、背景があるということがすごいよね。なんていうのだろう、わたしというものはいつもぐずぐず、くよくよ、いらいらやっている。どうもわたしというものはいつでもそうなのだ。けれど、そのぐずぐずならぐずぐずのまんまわたしをいまここでやらせて、と頂くとき一道になるものね。それは真っ直ぐな道などとよけいなことをイメージしなくて、このままだものね。
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