思い込み 3

2012-12-10 21:08:46 | 日記
 人は思いで生きている。このものをわじゅというのも、そうである。ほんとうはAでもbでもなんでもいいのですが、ワジュと思い込んでいる。この思いというやつは強烈で、これがぼくを支えてもいるし、壊しもする。だからこの思い、たとえばぼくはこうなりたい、こうすると思うとその通りになる。買い物へ、とか酒を飲みたいとかの近くの話から、オリンピックに出たいということも、最初の思いがなければ成就しない。生き方がまったくそのようになっている。具合が悪いことばかり起きるというのは、そう呼び込んでしまっている自分がいるからである。いつも、不平不満、周りの気に入らないことばかりが目につくタイプと、どんなところ、どんなことが起きても感謝、ありがたいと思えるタイプとでは呼び込むものが自ずと違う。

 だからとうぜんこう生きたいと真剣に切に思うと、まことにその通りになる。なんとなくは、やっぱりなんとなくの人生をおくることになる。ゆえにこころを高める、魂を磨くということが大切なことになってくる。こころを高めるにはともかく今出会っていることに、懸命に働く、動くそのありかたがこころを高め自分がどうありたいかもはっきりとする。

 先日買い物にいったおり、ひさしぶりに本屋に入った。目指すものがなかった、それでやっぱりなと思って平積みの表紙を、眺めていた。「生き方」-人間として一番大切なことー稲盛和夫著(京セラ名誉会長)が目に止まった。本の最後のところを、ペラペラとまくっていたら、井筒俊彦さん(イスラム学、東洋思想家)の言葉などが出てきておもわず買った。

 だいたいこんな成功者の本なんてなにやらクサいし、結局自慢話しを読まされるようで、読んだことがない。そんなものがなんの因果か買ったのだ。金儲けを成功させたというだけで、うさんくさいというイメージが強烈にあった。評論家の佐高信だったかが、実業家の言葉というものは、なまじの思想家などよりもはるかに真実をついていることがあると。それは彼らはつねに実利を重んじるからである。その言葉を境に実業家に対するものの見方は多少変わったけれど、実際にであったことがない。

 で、この本「生き方」である。小難しいことは一切抜きにしてダイレクトにこちらに響くものがある。思いのところでこういわれる。どんなに能力や情熱があっても、それを泥棒やサギに使ったらどうなるか、そこまでいかなくとも単に私利私欲のためだけなら、その仕事の成果も知れている。みんなのためになる。そばにおるものが喜ぶ、多くのものの役に立つ、つまり魂を磨くという方向があってこそその彼の仕事は大きなものになると。
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