道友から葉書が来た。「初めて坐禅が内観と一致した。煩悩は一時も止むことなく無尽、正身端坐の姿。煩悩無尽誓願断は正身端坐。衆生無辺誓願度は、正身端坐。法門無量誓願学は正身端坐。仏道無上誓願成は正身端坐。」
返事を書いた。「坐禅がご本尊で、その坐禅によって祝福され、坐禅によって誓願、懺悔している。それ故、この身は坐禅を正身端坐し、この身は懸命に働き、願い、懺悔するものとしておかれている。そのありようのぜんたいが、ご本尊より祝福されてある。」
返事を書いた。「坐禅がご本尊で、その坐禅によって祝福され、坐禅によって誓願、懺悔している。それ故、この身は坐禅を正身端坐し、この身は懸命に働き、願い、懺悔するものとしておかれている。そのありようのぜんたいが、ご本尊より祝福されてある。」