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いつでも君のこと好きだったよ

水曜日は短歌の日(2)久野はすみ『シネマ・ルナティック』

2014-06-25 21:13:29 | 日記

 きょうは水曜日。明日、あさっては東京です。まだなにも準備をしていないので焦るのですが、とりあえず書きましょう。準備というのは心の準備が9割くらいです。慣れないところへ行くのに、地図やネットのグーグルアースで目的地までのシュミレーションをしないと不安なのです。

 

 しかも、いつもは東京駅に友達が来てくれるとか、そういう支えがあるのですが、今回はほぼ一人行動なので、まず東京駅からホテルへ行けるのか。ホテルに荷物をあずけて、会場まで行けるのか。翌日、ホテルから訪問先1と2へ行けるのか。2では友達と会う約束なので、その瞬間までがんばらないといけません。

 

 子供のころ、父がプールや海で少し先に立って手を伸ばしていてくれて、そこまでがんばって泳ぐ、という練習をしたことをなぜか思い出しました。そこまでは息もとめたまま、聞こえる音はくぐもった水の中の音だけ、目はあけていても景色は見えません。そんなにおおげさなものではないと思いますが、年々心細くなっていきます。たどりつけるだろうか。

 

 さて、久野はすみさんの『シネマ・ルナティック』から好きな歌を紹介します。

 

 ・そのうちに破れかぶれになりそうなベトナム映画の赤いポスター

 ・ぴかぴかの十円玉を出し惜しみそれでもいつかなくしてしまう

 

 破れかぶれ、なんて言葉を短歌に使って、それがベトナム映画の赤いポスターと響きあっていておもしろいなぁと思いました。でも、まだこのポスターは破れかぶれにはなっていないのですね。もしかしたら貼ったばかりかもしれません。そういう、ずっと先、あるいは少し先の寂しいことになってしまった地点を予測しているんですね。十円玉もそうです。ぴかぴかでとても大切で、大切にしすぎているうちにきっとなくなってしまうことを知っている。まだなくなっていないときから、なくしたことを思っているのです。

 

 久野さんの歌を読んでいると、私もそういう、幸せな瞬間を満喫できない、という自分の寂しい面を見たようで、心がしゅわっとなります。中島みゆきの「あした天気になれ」(♪だから籤を買うときは当たるはずなどないと言いながら買います♪)みたいですね。

 

 もう少し、久野さんの歌を書きます。恋のおわりの歌です。

 

 ・かたほうのつまさきわざと踏んでみてもうだめだってことがわかった

 ・生涯に小さくともる灯のありて貴方と食みし浅蜊のスープ

 ・ストーブを消せば灯油のにおいせり人恋しさはそのように来る

 

 踏まなくてもいいのに、わざとだめなことを確かめるためにつまさきを踏んでみる。あ、やっぱり、って思いながら終わったことを自分で確認しています。だんだんと、とか知らないうちに、後ずさりするみたいに離れていくのではなく、終わりだ、ということを自分に言い聞かせているのかもしれません。ストーブも、火がついているときは灯油のにおいはしないのに、終わったら急に灯油のにおいがしてきます。そういう普通の暮らしのなかにみる寂しい瞬間が、いくつも静かに置いてあって、寂しいなぁと思います。そんなに悲壮な感じがしないところがよけいに寂しいのかもしれません。

 

 ・貝印カミソリいつもしまわれて鏡台は母のしずかな浜辺

 

 この歌が一番好きです。母が鏡台の前で過ごすひとりの時間を子供の私がそっと見ているような、懐かしくて妖しい感じがとてもいいと思います。

 

 

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