少し前に「閉鎖します」というようなお知らせを前のところからあったのに、放置しているあいだにほんとうに終わってしまったのでした。
きょう、妹ゆうゆから「ほよほよなくなったの?!」というメールが届いて、あ、そうだったと気づきました。前のページのアクセス数は10年で6万件くらいだったのですが、その5割以上はゆうゆを含む親戚だったかと思われます。滅多に更新しないのに、ゆうゆが毎日チェックしてくれていたことに驚きました。ゆうゆ、ありがとう。
プロフィールの写真はいまお気に入りのゆるキャラ「しろひめまる」。このあいだ、黒田官兵衛にはまっている人と姫路にいったとき、ひとめで気に入って連れ帰りました。従妹の娘たちが「女子会旅行」に持ってきてくれた「おんせんまんじゅう」のキャラにそっくり。いつも見えるところに置いて、目があうとにっこりしてしまいます。
サブタイトルの「いつでも君のこと好きだったよ」は平原綾香の歌詞から。たまたまきのう掃除用BGMとして流していたときにいっしょに口ずさんで、ちょっと泣きそうになりました。あの歌は亡くなった人への挽歌なんですね。基本的にクラシックの曲に歌詞をつけるのは好きじゃないのですが、ショパンの「別れの曲」の歌詞はいいと思います。
紙と本と布類(衣類含む)だらけの自分の部屋を片付けるときは、音楽を選び、「映画モード」にして、なるべく楽しみながらやります。(普通の状態ではやる気にならない)きのうのシナリオは「出ていった恋人を待ち続ける女」。「あのひと、こんなに散らかしちゃって、仕方ないわね」(実際に台詞はいわない。言ったら変な人すぎる)的な心持ちで、ブラウスをハンガーにかけたり洗濯籠に入れたり、ハンカチを畳んだりする。(すべて女物だが気にしない) お昼を挟んで4時間演じました。茣蓙も布団も干せたし、夏物と冬物も入れ替えてすっきり。
片づけていると、年賀状の束がでてきました。2006年のものです。私がまだ第一歌集『貿易風』も出していないときです。一枚一枚懐かしく眺めていました。母が私の息子宛てに送ってくれたものもありました。とても太い文字(マジック)で、「元気が一番!」と書いてあります。筆圧も強くて。人はなにかを少しずつ失いながら生きているんだなぁと思いました。
夜は全国大会の葉書を出すために、歌を作りました。それから、塔に出す月詠草10首をまとめました。会費の問い合わせと寄付者一覧の問い合わせに応えて、来週の会議の資料を打ち出し、特集の原稿募集の対象者リストを担当者に送りました。
・みんなまだ失う前の賀状なり二〇〇六年柴犬笑う