ほよほよさんぽみちNEW

いつでも君のこと好きだったよ

さよなら、ターレ

2014-06-14 15:10:32 | 日記

 このあいだの水曜日は、会社Bの最終日でした。会社Bにお世話になって3年。とてもアットホームな会社で、メンバーは理事長、所長、私の3人。あとは専門家の先生たちが不定期に来られます。私は経理、総務を担当していました。なにしろ小さな所帯ですので、ひと月に1日、給料を計算したり、消耗品の注文をしたり、リース料の振り込みに行ったり、という簡単なものでした。

 

 先月、所長から話があるといわれ、これから忙しくなってきて人も増やすので、一週間に1回の勤務というのは無理かな、ということでした。いま臨時職員として働いている会社Aとは来年3月末までの契約があります。いまのところ週3~4回の出勤日数なのですが、忙しくなる11月~3月は毎日勤務になる予定です。

 

 昨年はなんとか月に1回お休みをもらって乗り切ったのですが、やはり慌ててやるのでミスも多くなって、迷惑をかけてしまったので、毎週という勤務は無理なことをお話しました。所長は次の人を決めておくから来月きたときに引き継いで、と言いました。

 

 私は同じくらいの女性に引き継ぐものだと思って、お昼も男性ばかりの中でひとりは気の毒だから、いっしょに食べようとか、一緒に銀行回りをしようとか考えていました。

 

 出勤すると、初老の男性が私の前の席に座っていました。税金関係のお仕事をされていたとかで、経理の知識は豊富のようですが、経理の知識より、小間使い的な仕事が主なんだけど、大丈夫かなぁと思いました。所長が、新しいパソコンに移行するときに、私が先月入力した4月分のデータを消してしまったとかで、慌てましたが、なんとか午前中にはスタート地点に立てました。

 

  午後からはその男性と銀行回りをしました。中央市場の中を通っていく近道もいっしょに歩きました。ひんやりとして、いろんな野菜や果物のにおいがします。水曜日の午後はお休みなので、いつものようにターレが走り回っているあいだをネズミのようにちょろちょろ走り抜けていくというスリルは味わえませんでした。

 

  あの匂いをかぐと思い出すのが母の実家です。母の実家は島根県の田舎の酒屋さんで、私が子供のころは港町にお店があり、私たちは国道沿いの祖父母の倉庫兼自宅に滞在していました。毎朝叔父が迎えに来てくれて車で港町へついていきました。港町は名前のとおり港が近くにあって、海の匂いがしました。小さな路地があって、路地を挟むようにしてお店と倉庫がありました。倉庫にはガレージと冷蔵庫がありました。冷蔵庫には壜入りのヨーグルトが入っていたと思います。倉庫を通るとき、そんな匂いがしました。

 

  その倉庫の裏に小さな庭がありました。小さなといっても、私は子供だったので、とても広いような気がしていました。チャボやうさぎがいて、池には金魚もいました。土手でオオバコを積んできてうさぎにやったりしました。倉庫の裏の大きな扉をあけると庭があるなんて、いまから思えばなんだか西洋の童話にでてきそうな環境ですが、そこなら車も来ないし他人は入れないし、お店で忙しい大人にとって、子供を遊ばせておくのにいい場所だったのかもしれません。 倉庫はいつもひんやりしていて、別の世界へすくいとられてそこへ置かれたような気がしました。あのなんともいえない、不思議な気持ちを、市場を通るときに思い出して、私は銀行回りを楽しみにしていました。

 

  銀行の用事をすませて帰るとき、ああ、ここを通ることももうないんだな、と思うととてもさびしい気がしました。田舎を思い出す匂いも、もう嗅げないんだな。一度乗ってみたいと思っていたターレもとうとう乗れないままだったなぁ、などと、いろいろ思いながら、その新しい男性のいままでの仕事の話をきいていました。

 

  同じフロアでふたつとなりの会社のTさんが、「ふじたさん、おやつもってきましたよ」と3時に差し入れを持ってきてくれました。その会社はTさんがいつもひとりなので、お昼休みはいつも遊びに行っていっしょにお弁当を食べていました。Tさんともせっかく知り合いになれたのになぁ。

 

  洗面所から見下ろすと、中庭が見えて、紅葉やヒムロスギの緑がきれいだったこと。向かいの棟で2年働いていたから、そこで前の職場のひとと出会っておしゃべりしたりしたこと。中庭を歩くことがなくなればもうそういうことも思い出すこともないかもしれないな、と思いました。

 

  さよなら、ターレ、さよなら、KRP。

 

 

 

 

コメント
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