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いつでも君のこと好きだったよ

水曜日は短歌の日(1)三井修『海図』

2014-06-18 21:21:50 | 日記

 水曜日は、といっても、だいたい短歌の用事とかそばにある歌集を読む毎日なのですが、なにか自分で決めておいたほうがこのブログも書きやすいかなと思って、水曜日は最近(まぁ半年くらい)読んだ歌でよかったものを書くことにしました。

 

 ・俯きて歩めば空を仰げとぞ燕が視野を突き抜けてゆく(三井修『海図』)

 

 いま、ちょうどこんな感じでしょうか。燕が道からでてきたのかと思うほど、足元から飛んででて、驚くことがあります。駅までの商店街にはつばめの巣のある古いお店がいくつかあって、その通りはなんだか温かい時間が流れているようです。大きな黒い「アトム」というラブラドールレトリーバが寝そべっていたり、潰れかけの文房具屋さんがあったり。そこをぼんやり歩いていると燕がひゅん、とまさに視野を突き抜けてゆくのです。

 

 三井さんの歌を読むと、心が解放されて、あたりまえの風景があっというまに組み替えられて別の世界が広がります。

 

 ・朝顔の濃紺の花その奥は母子の鯨が泳ぐ北洋

 

 ・マンションの最後の灯りが消えし後闇はしずかに身を延ばしたり

 

 ・鳴いて鳴いて鳥はこの世を出でたるやいつしか沢の音のみとなる

 

 ・きりきりと結いたるおみなの頭髪に溜まれるひそかな力を恐る

 

 朝顔の花の奥に鯨の母子が泳いでいたり、闇が身を延ばしたり、鳥がでていったあとの沢音、頭髪に溜まった力。こういう自在な視線がこの歌集のあちこちに見られて、ああ、こういうふうに歌を詠みたいなぁと思います。

 

 ・昼間見しかの紫の一筋に差す月光を思いて眠る

 

 この歌は高安国世の『朝から朝』の巻頭歌「夕映のひろごりに似て色づきし欅は立つを 夜の心にも」を思い出しました。昼間みたものの残像が自分の顔(目のまわり)にちらちらしている夜。三井さんの「かの紫の一筋」とはなんでしょうね。花か草か葉か。美しい髪かもしれませんね。

 

 ・高き雲湧く夏の来ぬ半身に深手負いたるこの列島へ

 

 

コメント
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