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いつでも君のこと好きだったよ

「続いま、社会詠は」

2014-06-15 01:10:00 | 日記

 先週の土曜日にクロストーク「続いま、社会詠は」イベントに参加しました。もともと、「社会詠」というものを詠みたい、という気持ちになったことがないこと、詠まなくちゃいけない、と思ったこともないのですが、大きな社会的な事件や出来事が起こった時、そのときの感情や状況を短歌に刻み残すことは大切なことだとは思います。

 

 前回2007年の「いま、社会詠は」のシンポジウムにも参加して、小高賢さん、大辻隆弘さん、吉川宏志さん、松村正直さん(司会)のぴりぴりするような緊張感のもとで繰り広げられるバトルに圧倒されたことを覚えています。社会詠を作ることの覚悟、みたいなものを突き付けられたようで、よけいに遠ざけるようになってしまったのかもしれません。

 

 先日配布された資料のなかに、松村さんが2007年の内容を大まかにまとめたものがあって、それに沿って最初に流れが述べられたのですが、

 

    ・小高賢 「われわれが歌ったこと、例え短歌であろうとメッセージ性が強いものについては、照り

                    返しを必ず自分たちで考えなければいけない」

    ・大辻隆弘「「正しい社会詠」などといったものはない。あるのは、いい歌と、ダメな歌だけだ」

           「歴史を見るときにものすごく気をつけないといけないのは、僕らは歴史の一番最後に

                     いるわけです。いつも結果論的に裁断できる立場にある。(・・・)でも本当は僕たちは

                     いまその時代、その時代に、真正面に向って立っている、これからどうなるかわからな

                     い状況に生きている。生の実相とはそういうものでしょう」

    ・吉川宏志「私は、社会詠の価値の一つとして<対話可能性>というものを考えている。(・・・)

                     議論を誘発し、一首を核にしたコミュニケーションを生み出すことも、短歌の大きな魅力

                     なのではなかろうか。

           「マスコミのように出来事をいい意味でも悪い意味でもわかりやすく描いていく方法で

            はなく、わかりにくいものやわからないものをなるべくそのままの質感(リアリティ)で

            とらえていく ことも、短歌では重要なのではないでしょうか。」

 

 このあたり、そうだった、そういうことが議論になっていたんだったと思い返していました。あれから7年が経って、震災があって、社会詠は詠みにくくなっていることは確かだと思います。今回はバトルというよりも、小高賢さんを悼みながらときおり思い出話を織り込みながら、大辻さん、吉川さん、松村さんの3名が静かに社会詠、震災詠を語るという趣でした。

 

  ・なぜ避難したかと問はれ「子が大事」と答へてまた誰かを傷つけて(大口玲子『トリサンナイタ』)

  ・逃げるひとは逃げないひとを、逃げないひとは逃げゆく人を深く傷つける(佐藤通雅『昔話(むがすこ)』)

 

 などについて、自分だったらどうするか、その土地に生まれ育った人は逃げてゆけるか、かなり本音で大辻さんが語られて、共感したのですが、そういうことでまとめてしまっては、、と軌道修正されながら本論に戻っていくようすは、やはり3人の信頼関係があって成り立つトークだなと思いました。大辻さんの「いま、揺れているんだ」というのは本当だと思いますし、そういう人も多いと思います。吉川さんからは震災詠で印象的な歌の紹介があって、ひとつひとつ、どこがいいのかはっきりと示されました。また、前田夕暮や若山牧水も洪水のとき歌を作っていたことも知りました。

 

  ・洪水(おほみづ)にあまたの人の死にしことかかはりもなしものおもひする(若山牧水 *関東大水害)

 

  牧水はなぜ、わざわざ「かかはりもなし」なんていったんでしょうね。いま、そんなこと言ったら「なんだ、これは」ということになるでしょうね。でも、気になっているからこそわざわざ歌に詠んで「かかはりもなし」っていったのじゃないでしょうか。悲惨なできごとが起こっている一方で、自分はこんなに普通に暮らしている、ことの後ろめたさも少しはあったのかもしれません。「ものおもひする」なんて呑気すぎる言葉を結句に持ってきているのもわざとなのかなぁと思いました。

 

  松村さんが「折りたたみの技術」「葛藤と行動」「社会詠は進化するのか」という小タイトルをつけたレジュメでそれぞれ語られたことも興味深く、どんどん突き詰めていったら歌はどうなっていくのか、ということを考えさせられました。

 

  懇親会で吉川さんと同じテーブルになったので、「自分がいいと思う歌について、それを公にすることは必要ですか」と質問したら、「必要ですねぇ」という答えでした。それで、「自分が見つけて自分が好きになって、とても大切にしている歌を、どこがいいか、なんて誰かに言わなくちゃいけませんか」と食い下がると、「これ読みましたか」と、『歌壇』5月号を見せてくださいました。「貸しますから付箋の頁読んでみて」

 

  追悼・小高賢論「公共性への夢」と題した吉川さんの評論でした。「つまり、自分たちだけが感動している、というのはダメで、その感動を、考え方や感じ方が違う他者へと伝えていく努力がもっと必要なのではないか、というのである。」「少しでも善くなろうとする夢。それが、小高賢のバックボーンとなる信念であった。」

 

  私は自分が気に入った歌は「自分たち」どころか「私だけ」のものにしたい、それでいいと思ってきました。私だけというのはちょっと違って、作った人と私とのあいだにできた「道」のように思ってきたというべきかもしれません。歌集を読む。好きな歌をノートに書く。ゆっくり呼吸するように心に沈める。そうすることによって生まれる道。道がたくさんあるほど作者とは近くなるような気がしていました。そういう楽しみ方というか、歌との付き合い方があってもいい、とひらきなおっていました。

 

  でも、こんなふうにまっすぐに「ちょっとぐらいは認識を変えて善くしたい」ために歌を作る、と言われると、私の思い込みはぐらつきました。道はひとりで歩くためにあるのではないのかもしれません。

 

 

 

  

コメント
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