goo blog サービス終了のお知らせ 

 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

武道館での日大卒業式で想う

2025年03月26日 | 宅老のグチ
まだ今年のサクラが芽吹いたばかりの確認を九段下駅で降りてみると、日大の卒業式の案内板を持っている人が武道館へ行く近道でないところに立っていて、自分は昭和館・再建された旧軍人会館九段会館、千代田観光案内所から千代田区役所9階の千代田図書館へ向かう。図書館では渋井清の住所確認、旧神田区駿河台に住んでいたことを確認した。どうやら経歴から、地籍台帳の昭和の時期に移転したようだ。同時に過去の明治期の町名が今では岩本町になっていることを確認した。渋井の経歴からこの後戦災に遭って、上目黒に移転した。そして慶応大学の正門前のア-トセンタ-に記憶を残していることが読み取れる。今のところ自分との渋井の接点は見えないが妙に気になる人物で、最初に資料調査で見た時に文字がすぐに目に付いた。窓際で大きな地図を広げ、9階から下を見ると日大を卒業する学生が歩いているのが見える。数冊気になる本を飛ばし読みして、メモし、図書館をあとにする。図書館滞在時間2時間。
 日大の卒業生の大波に紛れて歩く。でもおかしい。ここは北の丸の裏口のような道で、散歩には良いが女子日大生がはかま姿でさらに足元が草履姿で江戸時代の不揃いの石段を上がってゆく。石段の高さはマチマチで足元の靴を履いている人は明治期の女子学生。
 時代運と言うのがある。実に良い時期に生まれた人でここ2年で給与が大幅に上がった。それにつられて人手不足が拡大している。多くの卒業生は奨学金を使っていると思われるが早めに借財を返済して身を軽くしたほうが良い。今の時代は大変革の時代で、たまたま運の良い時期に卒業しただけで、実力ではない。日本大学の2024年の卒業生は17000人程度である。この人たちの入学時期の人数はいくらくらいだったのだろう。自分の想像では落第・留年率は少ないと思っている。その理由は日大で学ぶというより、日大を出た卒業証書が必要であるし、親も期待している。少子で誰でも金銭があれば大卒の証明書が得られる時代に来た。そこから学ばないとAIに負ける人生となる。
 武道館の混み具合を眺めて千鳥ヶ淵を散歩する。サクラは一輪も見えず、ただ歩いて戦没者霊園に向かう。慰霊碑の数字を見ているとこの平和がこの人たちの犠牲によって支えられた感がわく。
 もう80年もたってしまった。今週末には人ごみで桜見物で混む。武道館では今日は明治大学の卒業式となっている。3月の終わりは神田周辺の大学の卒業式場で年々女子学生のはかま姿が目立ってきて、それと比例して女子大の偏差値が下がっているように見える。
 男子日大卒業生の表情は戦地に向かう出陣兵士の様に見えて、幾分暗く感じる。九段下と言うことか靖国神社はすぐ近くである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高齢者情報本のもれに気がつ... | トップ | 自動車関税の25% どうなるの »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。