年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

原胤昭のミスか

2016年03月22日 | 福神漬

 

血塗られた慈悲、笞打つ帝国。-江戸から明治へ、刑罰はいかに権力を変えたのか?-ダニエル・V.ボツマン著 小林朋則訳

佐賀の乱の首魁として処刑され,さらし首とされた江藤新平の関連でこの本に当たった。その中で原胤昭のことが書いてあった。自由民権運動福島事件の浮世絵を配布したことが彼のミスと書いてあった。

 福神漬の資料を収集していると原は確信犯と考えたほうが良い。まだ文献は見つかっていないが原と福島事件被告人花香恭次郎は明治5年頃南茅場町か横浜の鉄道開業時に接点があってもおかしくはない。彼らを結びつけたのが長井昌言(旧幕臣・ぺり-の国書を受け取った戸田氏栄の3男)明治5年に工部省鉄道局に勤めていた。花香恭次郎(戸田氏栄5男)の明治初期までの影の支援者と考えたほうが経歴のつじつまが理解できる。多くの文献がこのことを見過ごしている。旗本長井家の領地は今の千葉県に多く存在し、船橋市史に詳しく書かれている。領地の一つに今の千葉県旭市の飯岡に下永井という地名もある。

 原は戸田欽堂とキリスト教で交流があった。戸田欽堂は横浜高島嘉右衛門の関係があって、花香恭次郎への支援があったと考える。旧幕臣長井昌言の鉄道局に勤めることも元神奈川奉行か高島嘉右衛門の影響があったと考える。黒船来航時に浦賀で野次馬の警備をしたのが大垣藩であった。

 この辺りはもう少し調べる必要があるかも知らない。

コメント
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