年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

薩摩の屁 

2022年04月16日 | 宅老のグチ
河鍋暁斎の幕末から明治の初めの戯画・風刺画を見ていると、薩摩の家紋(丸に十字)と共に、人が尻を出し、そこから空気砲のような絵があって、周囲の人が鼻をつまんで、不快感を表している絵があった。これは今でもサツマイモ・薩摩芋のことをあらわしている。千代田区千代田図書館の地域史料のところに、今の世田谷青果市場の人が終戦後の東京の飢餓状況を描いてあった。彼が新潟に親族を訪問する際に上野の駅のところで飢えに苦しんでいた少女につまずき、詫びようとしたら隣の少年にチョット前に餓死したという。彼はなけなしの干からびた薩摩芋を少女に添えたようだ。ウクライナとの戦争が長引けば全世界的に食料不足が拡大し、戦後の長い平和(表向きは小さな地域の紛争)と医学の進歩で途上国ほど年少者の人口が多い。そこで急激な食料不足となれば、少女と幼児が打撃を受ける。すでに日本もその人たちの選別が始まっていて、超法規的な扱いがウクライナ人に向けられている。これが反体制派のロシア人だったら、スパイの疑いで日本に滞在許可が出るか疑問である。
 江戸時代の日本の飢餓を救ったのは渡来した薩摩のイモで、特に流人の島であった伊豆七島の記録で詳細を知ることが出来る。島ゆえに水田がなく、本土からの輸送で食料が送られるが時には欠航もあってしばしば流人までに食料が行かなかった。多くの食料不足は備蓄した食糧庫にネズミが食い荒らしたことから来ていると文献には書かれていた。
 自給率の極端に低い日本は間も無く、小麦由来の食品が大幅に高騰し、国産食の時代が来るが米以外では農林水産省の予想では週一程にイモ食になってもおかしくない。そうすると屁の比喩の実感するかもしれない。風呂で屁をし、逆さにしたタライの中にガスをため、火をつけたら燃えたという実験を小さい時やった記憶がある。
 幕末明治の戯画のイモは薩摩のことを意味している。
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