築地の活版印刷の歴史の本でタイトルだけで借り出した本だった。本木昌造と平野富二が元治元年にビクトリア号操船中大阪から江戸へ向かう途中で八丈島付近にて遭難した。この時八丈島で流罪となっていた近藤富蔵に世話となった。明治12年まだ近藤富蔵が赦免になっていないことを平野富二が知り、救済のための行動を起こした。翌年近藤富蔵は赦免されたようだ。
この文献と石井研堂の缶詰の始まりに出てくる近藤重蔵との関係はあるのだろうか。明治期に下谷根岸に集まった懐旧趣味の文化人の中でどの様なことを語られていたのだろうか。
なお近藤富蔵の事件の処分が江戸時代の慣例となっていた判例から逸脱している処分であったという。江戸時代の北方領土の利権というものが近藤重蔵から見えてくる。今でも残る昆布によるダシの食文化は関西から始まる。