年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 大正2年

2006年09月13日 | べったら市
大正2年10月20日万朝報
べったら市
昨日はべったら市であった。天気が良かったため人出はたいしたもので、小伝馬町を中心として人形町電車通は押すな押し返すなの大混雑、浅漬をぶら下げて「くっつきますー」と叫びながら人込みを縫うものあり、一般に人気の市で夜10時頃になっても人は退かず、警官の警戒が行き届いていたため事故も少なく三ノ輪町のxxが電車の運転手と殴りあったくらいである。
 浅漬一本3銭~7銭というのに売れ行き良く、小伝馬町の四方漬物店では夜9時頃には売り切れであったほどだった。

明治30年7月に日本橋区通り4丁目に組合員231名で『東京下町漬物組合』が発足し、明治41年には組合員292名で四方漬物店の四方平吉氏が組合の頭取となる。大正2年に『東京下町漬物組合を改称して、下町の2字削除した東京漬物業組合となった。』この年の組合員は440名であった。
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