年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

 大正7年 漬物の市況

2006年09月26日 | 築地市場にて
大正7年
漬物組合の報告書
 「わが国がシベリアへ軍を進めるの時に際して、陸軍糧秣廠の御用が出る等のことがあって、漬物業界は更に一段の活況を示した。」とある。前年・大正6年9月末の台風被害で漬物原料野菜類の逼迫が影響していて、一般消費者には供給不足で、漬物類は高騰を続けたが売れ行きは良好であった。11月に至り、長く続いた欧州での第一次世界大戦が終わる日が来た。しかし、戦争によって好景気だった日本の経済界に動揺を起こし、軍需用品の業者の倒産がしばしば報道された。漬物は軍需用もあるが,日用食品であるので安定した売れ行きで好況の中、大正7年は終わった。
陸軍糧秣廠の御用とは
兵士のための漬物(沢庵漬・福神漬等)で安定した需要であった。当時はまだ都市でも家庭で漬けている人が多く野菜高騰時は漬物を購入するが野菜が安くなると自家製造するので漬物業者は前年の高騰した原料野菜で作った漬物が売れず苦労したので軍隊需要は貴重な安定販売先であった。

米騒動  
1918(大正7)年7月~9月の全国的暴動を指す
 
新米が市場に出まわる直前のいわゆる端境期に起った。米が自由販売であった時期には、端境期の若干の米価上昇は普通であるが、この年は新米の不作が予想されていたことと、7月23日、富山県でシベリア出兵のための米を移送阻止が暴動の発端となり、暴動は全国にひろがる。シベリア出兵(海外派兵は米の海外持ち出し、したがって国内の米不足、米価上昇が予想された)とが重なり、米価上昇を見こした米商の米買占めによって米価は一挙に高騰した。労働者・サラリーマンであろうと、農民・漁民であろうと、物価上昇に収入が追いつかず、生活に苦しんでいた人達は米価高騰でたちまち困窮に陥り、ついに米騒動となって爆発した。
政府は米屋に米を廉売させ、新聞報道を禁止し、鎮圧に警官のほか軍隊も出動させ鎮圧した。
卸売市場法の制定
大正12年制定された中央卸売市場法は,大正時代に起こった,物価騰貴,売り惜しみから発生した,米騒動を契機として,日本の農民,漁民の保護と一般消費者の生命維持のための食品安定供給を目的としていた。昭和10年2月に卸売市場法に基づいて築地中央卸売市場ができた。
この卸売制度の根本理念の現在も全く変わっていない.食品に対する,安心,安全,正しい価格形成,速やかな代金の決済,安定供給の確保が求められている。



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