年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治42年 べったら市

2006年09月08日 | べったら市
明治42年10月20日東京毎日新聞
べったら市
19日のべったら市は朝よりの降雨にかかわらず出店商人は午前11時頃より地割りに着手したが人出は至って少なく縁起物店・雑貨店等は空模様をうかがい店をならべず、夜に入っても景気は引き立たず特別の寂寥だった。
 
味の素 社名の由来

世間の状況にかかわらず、べったら市は雨天の様子に振り回されていて,様々な対策がなされて、“不正行為”を行うようになる。サッカリンの使用が社会問題となってくる。それには旧勢力と化学物質を使用としても安く大量生産する新勢力との戦いとなる。兵庫県尼崎にあった(明治40年)創設の日本醤油醸造㈱は、翌1908年尼崎町向島(現尼崎市東向島東之町・同西之町)に敷地約2.8haの第二工場を建設しました。当時日本最大であったキッコーマンの6万石をはるかに凌ぐ、24万石の生産が可能な巨大工場でしたが、サッカリン問題(明治42年)で翌年倒産しました。このことは日本醤油醸造㈱へグルタミン酸を納品していた会社の社名を変更させました。“味の素”と言う会社です。サッカリン問題が生じるまで“甘精=サッカリンの日本語”から“味精”を商品名として予定していたようです。東京都にある味の素(食の文化ライブラリー)には社名の由来のビデオ映像があります。でも詳しく調べると当時のマスコミ報道の“サッカリン叩き”は激しかったようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする