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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 国際商品・砂糖

2006年06月13日 | べったら市
 日清戦争以前、砂糖は海運の未発達のためにいつ目的地に着くかわからず、目的地に着くと砂糖の量のいかんにかかわらず、価格が変動した。これは交通不便な漁港に大漁の魚で価格が暴落した同じ状態だった。
 砂糖の生産地は旧イギリス領の植民地が多く、その生産の歴史と共に紅茶の歴史も絡んでくる。喫茶の風習がヨーロッパに伝わったのは戦国時代の日本の「茶の湯」といわれており、日本でも茶には菓子が付き物で茶道の発達と共に和菓子が発展した。

 明治時代の日本に来ていた砂糖はすでに国際商品の性格を持っていた。砂糖の価格が安くなると 消費量が増大する。しかし、サトウキビの生産者は利益が出ないので生産を減少させた。特にサトウキビの生産は肥料が大量に要り、また収穫時に大量の安い労力を必要とした。また、天候の影響でサトウキビの糖度の良否が決まり、価格が変動していった。国際商品であった砂糖は諸外国では国家による糖業の保護がなされ、サトウキビ・砂糖大根(甜菜)の生産者に補助金をつけ、砂糖の増産を図った。また、他国から輸入する砂糖には高関税をかけ自国の生産者を保護した。サトウキビ・砂糖大根(甜菜)が国内の需要を超える生産になった時、政府は輸出補助金をつけ、輸出ダンピングしてまで販売した。欧米諸国で過剰になった砂糖の販売先として、アジアに砂糖が向かったのは当然の成り行きだった。欧米諸国の輸出ダンピングのための財源は関税と税金だったので、行過ぎた競争は砂糖生産する国家の財政を破綻させた。このような行過ぎた競争を避けるためブリュッセル条約(砂糖の取扱に関する条約)が結ばれた。 世界糖業文化史から

 補助金をつけた砂糖の過剰な輸出競争やめさせるためにブリュッセル条約(1902年/明治35年)を結ぶ必要が生じた。砂糖は国際商品であり、政治と経済・天候に左右される作物なのである。
ベッタラ漬に砂糖の甘味を加えた時から、天候による大根の作柄と政治の影響も加わった。今でも。農産物に補助金を付けて、過剰に生産された農産物を安い価格で輸出し問題になっています。
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