Tsuny'sブログ

老人が感じた日常生活を気ままに綴ったあれこれ

行儀の悪さは作り話のドラマだけでいい

2009-06-24 22:36:57 | インポート
昨日の荒れた気象による雷・激しい雨と強風・突風(最大瞬間風速22.3m)は、旭川市内の一部の所帯で停電もあったとか。
今日は、一転して明るい日差しで落ち着いた夏日になりました。

未だに落ち着かないのは、朝の穏やかな気分を打ち壊す朝のTVホームドラマでしょうねー。

ドタバタ・トーン高過ぎの金切り声・がなり、罵り(ののしり)・怒鳴り(どなり)合いの対話や、横柄・横暴・不遜・軽率・大げさな悪ふざけ・おちょくり、ひやかし、けなしなどなど、過去の放送にはなかったドラマだと思うのです。

品のない要素をてんこ盛りに詰め込んだ制作者の意図を計り知れない戸惑いがあり、かえってその行く末を見守りたい気分なので、ついつい視聴してしまう次第です。

いくら真面目過ぎると言われたって、ここまで品のない芝居仕立てのずっこけ劇に転換しなくてもーーと、私の目には映ります。

音声だけのラジオの時代からTV放送が開始された当時は、当世の上品な所作や、見苦しい姿も、同時に映像で善し悪しの有り無しを学びました。

好ましい姿や標準的な言葉遣いは、TVの映像から片田舎に導入され、当時の社会規範や一般的なファッションの認識が形成されたのだと思っています。

ですから、行儀の悪い例として、すずめの巣のような不潔感のする寝起きのままの頭髪・食後に何か付着したままのような光る唇・食事中に口に入れたままでのしゃべりまくり・声高な早口での一方的な会話・など戒められました。

しかし、現行の朝のTVホームドラマでは、これらがドタバタの要素として有りなのだから、古い人間の心は平穏でいられません。

これはドラマだから視聴するのは義務ではないしショーガナイナー。」で済むのです。

ところが、さてさて国民が選んだ国会議員の行儀の悪さをTVで観る権利があるとして、国会中継はノンフィクションであり、戯言ではなく現実の姿だから、情けのないことってありゃしない。

会議中の、あの怒号の発言妨害や、おちょくりの不規則発言とやらの、行儀の悪さは呆れかえる醜態です。
発言者の言葉がノイズで聞き取れないのは、誰のせいですか。
議事の一部始終を知る権利は民にあります。国会議員を選ぶ民の知る義務と言ってもいいと思います。

知ってこそ民意が生まれるからです。

それが、議事進行を盛り上げる拍手などとは違う英雄きどりの聞き苦しい怒号での発言妨害は、発言内容を聞き取ろうとする民の権利を剥奪しています。

野次と妨害は違いますが、明らかに発言しづらい状態に追いやり、発言の本質をゆがめたり、発言者の発言意欲減退を狙っての妨害です。
(話をきいているのだから居眠りするよりマシだという意見もあるのですが、それとこれとは問題の質が違います。)

それらの発言妨害を制する役をこなせない無能力な議長のせいでもあるのですから、議会制民主主義って何なのだー。

それは正論だけど、それは筋だけど・・・に終わってはだめですよ。

今日の衆議院決算行政監視委員会の中継を、少しの時間視聴しました。

妨害発言だと、国会議員が国会議員を名指しで指摘し非難した場面に注目し、騒音の中での党首討論中の、無礼千万なあざ笑い・妨害を意図した両人以外のお節介発言を思い出しました。

スポーツ競技で相手チームを汚い言葉で野次り倒す気分で、無礼な揚げ足取り・おちょくり・ひやかし・けなしなどなど、聞くに堪えないドタバタは国会にだけの現象です。

聞くところによると、TV中継になると一段と妨害発言が増えるそうですよ。 妨害発言も手柄仕事になって仲間から褒められ妨害議員の隠しポイントになっているのでしょうねー。

こんなおぞましい現象を賞賛する仲間や民が存在するから、ずーっと続いているのでしょうか。?

TV中継のない会議では、静かな進行らしいのですが、本当かねー。

国会内には自浄作用がないのであれば、残念ながら行儀が悪くてもドタバタホームドラマ同様に「ショーガナイナー」と問題視することはないのか?。

オットット、独善的放言の愚痴三昧に過ぎて、これも又お耳汚しの雑音になるのかも・・・・。反省又々反省。