熊本県大地震被害に大揺れの中で行われた(町村信孝前衆院議長死去に伴う)北海道5区補選で、自民・公明支援候補(和田義明)が、野党共闘候補(池田まき)に勝利し、潮目政局を乗り切った。
町村前衆院議長の弔い選挙、町村が清和会(細田派)前会長であるとして、安倍首相個人に取っても政権政局の帰趨を決める重大な補選であった。
選挙戦前に頭を過ったのは、(2006)平成18年4月の衆院千葉7区補選のことである。
このとき千葉補選で敗れた自民党は、敗退を機に、野党民主党政権樹立に突き進んだ政局転換の潮目となった。
ブログ子がこの補選で記憶しているのは、武部勤幹事長が演じた「ジャンケンパフォーマンス」という、(愚民狙いの)軽いお遊び戦術に、強く違和感を感じたものである。(ジャンケン・ポン、(自民候補の)斎藤健!。)
この時の、野党民主党候補は、小沢一郎手駒の「太田和美(小沢ガールズ)」で、このたびの5区補選の野党共闘候補(池田)が、同様に小沢一郎・志位委員長(共産党)のトンデモ野合政党候補の結果であろうと考えたからである。 元キャバクラ嬢、シングルマザーと足下民主主義に訴える小沢戦術であろう。
幸い、北海道5区の有権者に愚衆は及ばなかったし、自民党の正面からの正当選挙戦が受け入れられての良い結果が出たものであろう。
一万票余の僅差勝利ではあるが、安倍自民、清和会(細田派)としては、ひとまずホッとしたのが総力戦事情の本音であろう。
小沢一郎は、志位共産党委員長とも胸襟しあえる。 それが政治だと言えばそうなのかもしれない。
が、永年の政治ウォッチャーのブログ子から見れば、小沢一郎のその政治行動(自民党から共産党までの自己変遷主義)こそ、政治不信の最たるものとの結論である。
北海道5区補選勝利で、ひとまずホッとした安倍自民、清和会(細田派)の総力戦事情。
元清和会秘書会の一員として、反日メディアに対抗して、今の日本丸の舵取り出来るのは「晋三さん(安倍)」しか居ない。
町村前衆院議長の弔い選挙、町村が清和会(細田派)前会長であるとして、安倍首相個人に取っても政権政局の帰趨を決める重大な補選であった。
選挙戦前に頭を過ったのは、(2006)平成18年4月の衆院千葉7区補選のことである。
このとき千葉補選で敗れた自民党は、敗退を機に、野党民主党政権樹立に突き進んだ政局転換の潮目となった。
ブログ子がこの補選で記憶しているのは、武部勤幹事長が演じた「ジャンケンパフォーマンス」という、(愚民狙いの)軽いお遊び戦術に、強く違和感を感じたものである。(ジャンケン・ポン、(自民候補の)斎藤健!。)
この時の、野党民主党候補は、小沢一郎手駒の「太田和美(小沢ガールズ)」で、このたびの5区補選の野党共闘候補(池田)が、同様に小沢一郎・志位委員長(共産党)のトンデモ野合政党候補の結果であろうと考えたからである。 元キャバクラ嬢、シングルマザーと足下民主主義に訴える小沢戦術であろう。
幸い、北海道5区の有権者に愚衆は及ばなかったし、自民党の正面からの正当選挙戦が受け入れられての良い結果が出たものであろう。
一万票余の僅差勝利ではあるが、安倍自民、清和会(細田派)としては、ひとまずホッとしたのが総力戦事情の本音であろう。
小沢一郎は、志位共産党委員長とも胸襟しあえる。 それが政治だと言えばそうなのかもしれない。
が、永年の政治ウォッチャーのブログ子から見れば、小沢一郎のその政治行動(自民党から共産党までの自己変遷主義)こそ、政治不信の最たるものとの結論である。
北海道5区補選勝利で、ひとまずホッとした安倍自民、清和会(細田派)の総力戦事情。
元清和会秘書会の一員として、反日メディアに対抗して、今の日本丸の舵取り出来るのは「晋三さん(安倍)」しか居ない。