山形の森 保守醒論

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田中優子法政大教授は「週金サヨク(週刊金曜日のサヨクたち)」

2009-12-11 18:11:27 | Weblog
産経新聞OBの花岡信昭が、田中優子・法政大教授寄稿の11月24日付産経1面左肩のコラム「ちょっと江戸まで」の掲載文章に、「『産経が産経でなくなった日の記念すべき紙面』となってしまうことを恐れる」と、産経OBならではの懸念を自らのブログで論じている。
ブログ子はこのたびの掲載文からではないが、今春ころであったろうか?。
田中優子法政大教授が産経コラムの定期寄稿者になるとの紹介をみて、産経新聞の(本間)山形支局長を訪ねた際に、「どうして、産経が(週金族の)田中優子などを寄稿者に選んだのか、いくらでもほかに適任はいるではないのか!」と不満を述べていた。
それだけに、このたびの花岡が批判していることについて「そりゃそうだろうな。(異論は)やっぱりな。」の感に浸っている。
田中優子は元々左翼系論者に数えられ、左翼雑誌「週刊金曜日」に連なる『週金族』の一員である。
出自の法政大文学部は新左翼「中核派」の巣窟で現在も校内外で活動展開、公安の監視を受ける新左翼団体(過激派)である。
1960年の安保反対闘争の総括過程で革共同(革命的共産主義者同盟)が分裂、1963.2中核派結成に至る。
同年、呼応するかのように法政大に隣接する千代田区富士見に朝鮮総連中央本部が移転。以降、連携するかの国内工作活動が展開されていく。
早稲田大の革マル(早大文連を掌握)と同様に文化サークル「法政大学文化連盟」を掌握して左翼活動を謀っていく方法である。
法政大は戦前には6大学の中でもマトモな右派系に見られたが、敗戦後に野上豊一郎総長死去で、「マルクス主義」の高野岩三郎の弟子大内兵衛を総長(1950.7)に迎えてからは(マルクス・レーニン主義の)左翼一直線となり、「新聞は朝日新聞、雑誌は岩波の「世界」を読め!」と学生に訓示するくらいだから、無垢な学生が(汚染され)オカシクなるのは当然で、新左翼「中核派(の中央拠点)」を招き入れた元凶かもしれない。
ブログ子はかつて(都心~横浜方面の)東急田園都市線沿いに居住していたことがある。
多摩プラーザ駅周辺の新興住宅地がドラマの主要舞台となった1983.TBSドラマ「金曜日の妻たちへ」は「金妻(キンツマ)ブーム」と呼ばれて高視聴率を誇り、バブル経済時代の家庭社会現象を映し出した。
それを模した言葉として、田中優子法政大教授を「週刊金曜日のサヨクたち(週金サヨク)」と呼ばせていただく。
TBS(関口宏のサンデーモーニング)とテレビ朝日のワイドショーの出演者には、やたらと「週金サヨク」が多い。
中国共産党の管理下にあるペテン紙「朝日新聞」系列のテレビ朝日などは朝昼夕と「週金系コメンテーター」のオンパレード。
「週金族」のひとり筑紫哲也は消えたが、さらに(民俗腐敗菌の)淘汰淘汰が望まれる。
花岡が述べている通り、田中優子がいかなる文章を書く権利、言論の自由は保障されるもの。
だからこそ、朝日・毎日・岩波などの左翼系が田中の論評媒体となれば指向上からも解り易いものだ。
正統(客観)派の産経の編集責任者が、田中(週金サヨク)を定期寄稿者に選んだことこそが問われるもので、産経編集局内部まで左翼腐敗工作が及んでいることの実証かもしれないが・・・。
コメント
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