山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

阿信県行旅、(1929)昭和4年12月、おしんは母と伊勢から生家に戻り、母ふじは降雪を見ながら逝く。

2013-12-09 17:39:29 | Weblog

   阿信県行旅、「おしんの古里」位置図(旧栃窪集落)

(1929)昭和4年4月、おしんの第三子懐妊兆候と長男雄の小学校入学を受けて、母ふじが山形から鳥羽(伊勢)にやってくる。
10月中旬に次男仁を出産するも、母ふじ(泉ピン子)は白血病で倒れる。
鳥羽で養生するが、死期を悟ったふじは、栃窪に帰りたい(山形の実家で死にたい)とおしんに迫る。
母の最期の願いを聞きいれて、衰弱した病人の母を連れて伊勢から山形へと向かう。
おしんは、(長井線)鮎貝駅から母を背中に乗せて栃窪の生家に辿り着く。
その夜、ふじは古家の病床から降りしきる雪を見つめて永遠の眠りに入って逝く(享年54)。
季節的に、降雪初期の12月初~中旬となろうか。
ここまではスタジオ収録であるが、おしんの祖母谷村なか(1848.~1909.3)の野辺の送り(葬送)シーンは、西川町大井沢でロケされている。
おしんの古里(旧栃窪集落)と西川町大井沢は、出羽三山参詣道の最短ルートとして、約600年前に道智上人により開鑿された「道智みち(通り)」で繋がっている。
月山が見える構図(最上川支流の寒河江川)として、大井沢をロケ地としたものであろう。
(1929)10.24、ニューヨーク株式市場暴落(暗黒の木曜日)で世界恐慌始まる。
日本にも迫り来る昭和恐慌は、ドラマ「おしん」でも急展開し、おしんと加代の邂逅などにつながって行く。

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特定秘密保護法の賛否行動の基本は、政治家個々の「国家観」に行き着く。

2013-12-09 15:14:03 | Weblog
特定秘密保護法が反日左翼(反対運動)に与する野党の喧騒のなかで成立した。
野党も党内事情による賛否行動と見られるものであるが、基本的には政治家個々の「国家観」に行き着く。
1985年6月、衆議院に議員立法として法案提出以来(スパイ防止法・審議未了廃案)、懸案であったにも拘わらずここまで無策できたことこそ問われるものである。
現職議員はもとより、国政を目指す政治家予備員には、国の在り方(国家観)、外交安全保障政策についてそれぞれ持ち合わせていて欲しいものだ。
各政党とも出たとこ議論ではなしに、基本政策として日常的に党内論議を重ねて方向性を持ってして委員会審議に臨めば、実のある成果が得られように。
「戦前回帰、知る権利、・・・」論は、共産コミンテルン戦術から一歩もでていない。
あらためて、反日左翼人士、マスコミ、の炙り出しとなったことは、毎度のことながら(工作要員)確認できたことは大きい。
サユリもノリカもコミュニストシンパだった。
これで法施行後の対応で細胞選別ができ易くなる。
政党内における「国家観」の違いは、個別政策と違って、DNAのようなものである。
造反した議員は、速やかに離党させるべきである。自民の村上誠一郎にも離党勧告をすべし。
全体主義政党でも困りものだが、造反を黙認するようでは数合わせ政党から脱却できない。
特定秘密保護法の運用時に問題との指摘は、民主党政権のような恣意的判断事態と見るが、二度とあのようなバカ政権を誕生させない為にも、国民は、新聞、テレビ報道の信頼性は無いものと気が付いてきた。
反原発から特定秘密保護法反対と中核派主導の大衆運動戦術が始まりのようだが、革マル、民青の幟も見えることから「反日統一戦線」ともなろう。
天空でマルクス、毛沢東がほくそ笑んでいるようだ。
これらに与する、民主、共産、社民、・・・は、10派一絡げで一つになって「国家観」を持たない反日野党でも創られたら如何か。



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